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思惑

 唐突に不可視の衝撃を受けて、バランスを崩しかけたシンゴは咄嗟に地を蹴ってバク転の要領で後方に下がった。

 観戦する人々が感嘆の声を上げたのは、彼の反射神経や身体能力に対してか、それとも……


「ほう、遠当てと来たか。西方に伝わる武技に、その秘術があるとは聞いていたが」


 ヴァルマー将軍が感心したように、しきりに首を振っている。

 目を見張っていたヘレーネが、そんな師に尋ねる。


「魔導ですか?」

「んー、少し違うな。魔法を発動させずに、集約した魔力をそのまま叩き付けている。だから、発動時間が無い分べらぼうに早い」

「そうですか。何も見えませんでしたが」

「そうだな。一定の魔力……魔装機甲兵に搭乗できるレベルのちょい上くらいがあって、かつ、それを武技に生かす鍛錬を積まないと感知するのは難しいかな」

「それじゃあ、あたしには逆立ちしたって見えないって事ですね」


 やや気落ちするようなヘレーネにヴァルマーは苦笑して言った。


「威力そのものは剣や攻性魔法には遙かに及ばんさ。たいていは崩しに使うと聞いている。まぁ、当たりどころが悪ければ、結構なダメージになるだろうし、使いどころでは必殺にもなるだろうから、厄介っちゃあ厄介だな。とにかく「見る」為にはそれなりの資質と修行がいる。ま、お前の場合は『対価の装備』があれば見える筈さ」

「む~」


 今ひとつ納得しきれない様子のヘレーネだったが、ふと気がついたようにシンゴを見た。


「あいつも見えてなかったようでしたね」

「あいつの資質は知らんが、確かに、その手の修行はしてないようだな。ふむ、あいつは、これをどう凌ぐかな?」


 若い将軍も興味深そうな視線をシンゴに向けた。

 彼の、こと戦闘に関して天才的に働く直感が、西方の秘伝を使う娘よりも、奇妙な服を着た青年の方にこそ注意を喚起すべきと告げているようだった。


 一方、その当人は、軽い恐慌状態になっていた。


「な、なんだ? 何かが凄い勢いで当たったぞ」

『パイロットスーツに原因不明の衝撃が感知されました。ただし、ダメージそのものは多重層アブソーバの許容範囲内です』


 シンゴは、そのチルの機械的な声を聞いて、落ち着きを取り戻すと共に、はた、と気がついた。


「なぁ、このスーツの耐衝撃性能って、ひょっとして、この木剣で思い切り叩かれても大丈夫か?」

『思い切りの定義が不明ですが、対象個体の筋肉量から見て、そのATPが発し得るエネルギーは、多重層アブソーバの許容範囲に収まるものと判断します』


 チルは、まるで理科の授業のような用語混じりに、現在の相手が脅威たり得ない点を示唆した。


「ん~。それだと、こっちの方がちょっとばかり、チートと言ってもズルすぎるかもな」

『前提とするルールが不明である事も併せて考慮すると、現在の局面はミッションとして認定されないものと判断します。むしろアバター操作のチュートリアルに近似する状況でしょう。ただし、スーツに覆われていない頭部に関しては、その限りではありません。ですからヘルメットの着用を……』

「わかった、わかった。顔面と頭部にだけは気をつけるよ。と、言っても、あの見えない攻撃はどうしたもんかな」


 お説教モードに入りそうなチルを黙らせると、シンゴは改めて短髪の娘と対峙した。

 一方、相手の娘は追撃をかけるでもなく、先ほどから位置を変えていない。


「わが流派に伝わる秘伝、とくと味わったか。卑怯の誹りを受けるのも気が進まぬゆえ、挨拶代わりに披露してやった。だが、本来の威力は今のようなものではないぞ」


 娘がそう言った途端、今度はシンゴが手に下げた木剣に衝撃が走った。

 驚いたシンゴが木剣を持ち上げて見ると、小さな穴が開いている。


『今の衝撃も感知不能でした。威力は銃から発射された完全被甲弾並みです。やはり、多重層アブソーバの許容範囲内と判断しますが、スーツに覆われていない頭部への打撃は極めて致命的です』


 淡々と告げる人工知能の言葉が耳に入っているのか、シンゴはむしろ感心したように木剣に穿たれた、言わば見えない衝撃による弾痕を見つめていた。

 確かに攻性魔法には及ばないかもしれないが、崩しどころか、立派な必殺技である。

 さすがにラハト団長達も驚いた様子であった。

 仕合は試合でもあるが、死会いにも通じる。

 むろん、この場合、前者のつもりでシンゴの太刀筋や戦い方を見ようと考えていたわけだが、短髪の娘がこれほどの技を持っているとは想定外だったようだ。

 だが、いったん開始を告げた仕合は、何かしらの決着がつくか、仕合っている双方のどちらかが申告するまで止める事はできない。

 シンゴは知らないが、この異世界ファーラでの仕合とは、そうしたものであった。


「点滴岩を穿つ。私は魔力はさほど大きくも無いが、極限まで収束すれば、そのような芸当も可能だ」


 娘はそれまで無表情であった顔に初めて不敵な笑みを浮かべた。

 いや、多分、口調からして、不敵な笑みだと思えるのだが、あまり似合っていない。

 端正で、十分に美しいと言えるのだが、それ以上に可愛らしいと言う形容がしっくりくる顔立ちである。

 フランチェスカ王女の持つ年相応の可愛らしさに比べると、こちらは若干ファニーな可愛らしさと言うべきか。

 男のように短く刈り込んだ頭髪も、毛質の問題かふわふわと柔らかそうだ。


(ああ、そういえば、猫のチルもあんな感じだったなぁ)


 危機感があるのか無いのか、何の脈絡も無く、そんな幼い頃の思い出を脳裏に浮かべるシンゴだった。


「テレーゼ様より聞いた。あの魔導器での拳闘の技を凌いだそうだな。あれは私の分身でもある。その技を凌ぎ、テレーゼ様を地に這わせたとなれば、お主は二重の意味で我が仇となる。戦場でのやり取りは武人の宿命ゆえこの際は問わぬ。だが、この二つだけは看過できぬ。命を取るとまでは言わぬが、それなりの代償は覚悟してもらうぞ」

(撫でたい。いわゆるモフモフしてみたい。そういや、猫チルはモフった途端に喉を鳴らしてやがったなぁ。堪え性の無いやつだった)


 片や、必殺の闘志を隠しもしない娘。

 その一方で、ほのぼのとした思い出にふけるシンゴ。

 この異世界ファーラで行われた中でも、屈指の、極めて残念な仕合であったかもしれない。


「推して参る!」


 二つの魔力衝撃を時間差をつけて放ち、娘は滑るような足運びで一気に距離を詰めてきた。

 先に放った衝撃は脚を狙ったフェイントである。

 当たれば良し、仮に魔力を感知して避けたとしても、どのみち体勢は崩れる。

 手にした木剣の狙いは脇腹への一撃。

 だが、これでさえも相手の気を逸らすために仕掛けているに過ぎない。

 本命は遅れて放った顔面への、渾身で練り上げた魔力衝撃。

 即ち、彼女が仕掛けたのは、二つの虚に挟んだ、見えざる真の一撃であった。

 これを受ければ、運良く命永らえても、再び、ザミーンの前に立ち塞がる事は不可能であっただろう。


 極めて短い時間で、そうした技を組み立て、実行した娘の武技は本物であった。

 その本気の攻撃は、「見る」事のできるヴァルマーでさえ窮地に陥ったかもしれない。

 だが、彼女の相手は、跳躍ワープ航行を繰り返す宇宙戦艦甲板ステージの回避ミッションにおいて、マイクロセコンド単位で機体を操り、亜光速で飛来する微細なデブリすら回避してのけるトップクラスのBMRパイロットだった。

 事前に予備知識の無い状態でも、身体強化したテレーゼの拳は元より、魔装機甲兵サラマンダーの火球すら回避してのけた反射神経の持ち主である。

 あらかじめ耐衝撃のグラブを装着し、それと知って構えていれば、至近距離からの銃弾ですら掴み止める事が可能であっただろう。


 シンゴは頬に何かが触れたと感じた瞬間、電光石火のスピードで、その衝撃の方向に跳躍しつつ、顔を捩って魔力衝撃の動線から頭部を回避させた。

 それ以前に、秒単位の時間差で脚に感じた衝撃は、スーツの多重層アブソーバに任せて無視していた。

 そして、自分の脇腹に迫る木剣に対し、自分の木剣を絡め取るように合わせた。


 仕合いの場にいた二人が交差した後、周囲の人々が見たものは、側転して再び構えを取る青年と、剣を弾き飛ばされ、空っぽの己が手を見つめて呆然とする娘の姿だった。


「信じられねぇ。あいつ、『遠当て』が触れた瞬間に躱しやがった。いくら見えねぇからと言って、そんな……」


 ヴァルマー将軍が低く唸る。

 そう、シンゴが見えない衝撃に対して選択した手段。

 それは、見えないものは仕方が無いと察知する事は切り捨て、その代わり、触れた瞬間に全力で対処するというものだった。

 九之池慎吾の世界における事象に当てはめれば、どこから飛来するか分からない狙撃弾に対し、弾丸が皮膚に触れた瞬間を待って、それを信じがたいスピードで回避してのけたようなものである。

 『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』では知人のプレイヤーから、「それ、何の加速装置だよ」などと言われる事もあった。

 超絶的というより、非常識、いや、そんな言葉すら生ぬるいほどの、とてつもない反射神経と身体能力である。

 本来なら、ここで終了の宣告が行われる筈だったが、ラハト団長や老将軍サイラスも同様の光景を「見た」らしく、二人とも唖然として声も出ない様子だった。


「くっ、この」


 驚きよりも、悔しさと怒りで顔を朱に染めた娘が、今度は拳を固めて殴りかかる。

 だが、その動きは、シンゴにとって経験済みである上に、身体強化も無しでは全く脅威とならない。

 加えて、ヘレーネにボコボコにされた時と異なり、彼には狙いがあった為、あっさりと取り押さえる事ができた。

 娘の背後に回り、彼女の両手首を交差させる形で左手で押さえつけると、シンゴは自由な右手をワキワキとさせた。


「くっ、離せ」

『けひひっ。そうはいかないな』


 抗う娘に、ほとんどの人がどん引きする本気の笑い声を浴びせ、シンゴの眼が欲望に輝く。

 そして、その凶悪な右手が、娘の「そこ」を容赦なく蹂躙した。


「あうっ。や、やめろ」

『ああ、久方ぶりだ、この手触り。やっぱり和むよなぁ』


 シンゴは小学校以来の感触を堪能し始めた。

 一方、いきなり頭を撫でられ始めた娘は、どう反応して良いものか困惑の極みにあった。


「そ、そこまで」


 ようやくに、慌てたようなラハト団長の終了を告げる声がかかる。

 渋々と言った様子で娘を離すシンゴを見ながら、ラハト団長は途方に暮れたような表情になった。


(分からん。この青年の事が分からなくなった)


 一瞬前に目撃した、俊敏などと言うレベルを遙かに超えた信じがたい動き。

 その後に見せた、自分を殺すところであった娘の頭を撫でるなどと言う非常識な振る舞いと弛緩した表情。

 あまりにも落差が大きすぎて、人物を推し量るどころでは無い。

 サイラス将軍に視線を向けると、老将軍は複雑な表情で首を横に振った。

 次いで、ヴァルマー将軍を見やると、若い将軍は肩を竦めて、それが傷に堪えたのか、何かを耐える表情になった。


(と、ともかく、理解不能な一面はあるが、少なくとも裏表のある人物では無さそうだ。先刻までの問答も併せれば、どちらかと言うと、弛緩したあちらの方が地に見える。うむ、そういうことにしよう)


 こうして、半分、やけになりつつも、ローセンダールの近衛騎士団団長は、シンゴが基本的に無害な為人である事を認めたのだった。



         ◇



「お三方とも、ご苦労でした」


 ボーデン侯爵は、その執務室で手ずから淹れた紅茶を振る舞いながら、素っ気ない口調で三人の武人をねぎらった。

 多忙を極める宰相は、茶道楽を唯一の楽しみとしており、じつは宮殿でも屈指の腕前である事はあまり知られていない。

 妙にぐったりとしていたラハト団長達は、その素晴らしい香りに僅かばかりに精気を蘇らせたようであった。

 王女の部屋では、どうにも雰囲気に馴染めず、ろくに味もわからなかった為、久方ぶりにまともなお茶を飲んだような気分である。


「それで? あの青年の事は何かわかりましたか」


 むろん、この宰相がただで茶を振る舞うような人物では無い事は三人とも熟知している。

 その問いに満足に応えられない場合、何を言われるか分かったものではない。


「まず、味方では無いでしょうな」


 最初に口を開いたのはラハト団長だった。


「あのシンゴと言う青年が、我々を救ったのは偶然と成り行きに過ぎません。最初の遭遇も、たまたま居合わせただけ、と言うのが一番近いでしょう。その時点では、ローセンダールもザミーンも関係無かったようです。ザミーンの魔装機甲兵を撃退したのは、あちらが敵対行動を取ったからです。《空魔》、及び、シルフィードを壊滅させたのも、我が不肖の娘に頼まれたからで、国家間の争いに介入したと言う意識は希薄のようです」

「なるほど。それが結果として我々の益となっただけ、と言う事ですか。だから、とくだん、ローセンダールの味方をしたわけでは無い、と」


 ボーデン侯爵は納得したようにうなずいた。

 突如として現れて自分たちに味方をする、などと言う都合の良い存在を信じていない散文的な思考の持ち主である宰相にとって、ラハト団長の意見は大いに理にかなうものであったようだ。


「現段階では、そうだ、と申し上げるべきでしょう。ですが、敵でもありません。不肖の娘がしでかした事……ローセンダールの人間に危うく殺されかかった事は、どういうわけか、特に気にしてもいないようです。我々にとって幸いな事に、いわゆる根に持つ性格でも無いように見受けられます」


 そう語るラハト団長は、しかし、一つの間違いを犯していた。

 殺されかかった事を「気にしていない」と言うのは、よく考えれば不自然な話であり、全てはあの『傷痕』に封印されているのだが、《ファーブネル》のコクピットで見たシンゴの変貌をヘレーネが報告していなかった事もあり、異世界から来た感覚の異なる人物と言う先入観も相まって誤った判断を下したのであった。

 あるいは、シンゴの操る《ファーブネル》の性能があまりにも常識外れであった為、その人物評価も常識を逸脱したのかもしれない。

 まぁ、九之池慎吾が常識とはほど遠い廃人プレイヤーであった事は事実には違い無いのだが。


「一個師団相当のシルフィードと《空魔》を打ち倒すようなやつに根に持たれたら、一日でローセンダールは滅んでしまいますよ」


 皮肉げにそう言ったのはヴァルマー将軍だった。


「あの機体だけじゃなくて、本人も相当な化け物ですな。サラマンダーを生身で撃退した話は、正直信じておりませんでしたが、今なら信じられます。あいつがその気になったら、ローセンダール軍が全兵力を上げてもかないっこありません」

「じゃが、本人は、その辺り、全く無自覚のようじゃの。むしろ、自分の力の行使には一定の規律を設けておるようだ。そうでなければ、衛士達に殴られっぱなしではいなかったじゃろう」


 サイラス将軍も、自分の印象を口にした。


「驚くべき武力を別にすれば、気の良い……いや、むしろお人好しと言うべきかな。気を失った四人の娘にいかがわしい振る舞いもしなかったのは、紳士的とか騎士道と言うよりも、こう言ってはなんだが、ヘタレと言うか、そんな若者に見える」


 三人の武人が語る言葉は、ボーデン侯爵を大いに満足させた。

 この宰相が知りたかったのは、シンゴという青年の素性や、彼が操る機体の事ではなかった。

 いや、無論、大いに興味があるのは事実だが、現時点で優先すべきは、彼がローセンダールに敵対するか否かであり、もっと言えば、宰相の果たすべき仕事、つまり、ローセンダールの国家運営にとって、シンゴという青年が障害となるかどうかと言う、その一点に尽きた。

 そして、心の中では防諜組織よりも信を置いている三人の話を聞く限りでは、その懸念は無さそうである。

 後は、味方に取り込めるかどうか、と言う話になる。


(あれだけの武力を持つ人材です。影響力も生半可なものでもない。単純に軍事力だけの都合で味方に加えて良いものか。モルデ王子なども出しゃばっているようだし、宮廷内の均衡を覆す恐れもある。それはあまり望ましい話ではありませんね。それに、何を持って見返りとするか。現在の国庫に彼を雇えるだけの蓄えはありませんし)


 考え込んでしまったボーデン侯爵を見て、三人の武人はお互いの顔を見合わせた。

 だが、三人の中で、一番付き合いが長く、宮廷内の事情も熟知しているラハト団長は、宰相が懸念している点が何であるか、おおよその見当がついたようだ。


「宰相殿。もうひとつ申し上げる事があります」

「なんでしょう」


 出口の無い思索をあっさり打ち切って、ボーデン侯爵はラハト団長の呼びかけに応えた。


「シンゴなる青年はフランチェスカ王女を大いに気に入っている様子。ここは王女殿下を頼られたらいかがかと」


 悪くない提案だった。

 フランチェスカ王女は現在特別な立場にある。

 王女の派閥と言う事にしてしまえば、宮殿内への影響は最小で済む。

 思えば、本物の「魔法使い」である宮廷魔道士も同様にして均衡を図ったのではなかったか。

 それに、こう言っては何だが、古来より優れた英雄を取り込むには、金よりも女をあてがう方が良い。

 年齢的な問題はあるものの、まぁ、なるようになってしまっても、廃嫡になった王女であれば継承権の絡む問題もクリアできる。

 何よりもボーデン侯爵は王女を幼少の頃より知っていた。

 シンゴと言う青年が、サイラス将軍の言うような「ヘタレ」だとすれば、王女ならうまく手綱を取ってくれるだろう。

 何よりも彼女は、『聖なる義務』を負う事にまったく躊躇いを見せないほどに個人的な野心も無く、ローセンダールを思う気持ちも強い。

 厄介な点があるとすれば、既に彼女は『生贄』として捧げられる事が決まった身であるので、神殿関係の利害調整が難しくなるかもしれない。


 ボーデン侯爵は、短い時間ながらも様々な方向から検討を加える様子で考え込んでいたが、やがて、近衛騎士団団長の意見を採ることを決めたようだった。


「団長のおっしゃる通り、彼の身柄は王女殿下に一任しましょう」

「僭越ではありましたが、じつは既に、殿下には彼の事をお願いしてあります」


 ラハト団長の言葉を聞いたボーデン侯爵は、眉をぴくりと動かした。

 だが、それだけである。

 結果が出れば、経過に関しては多少のことは目を瞑る宰相にとって、ラハトの越権行為は、単純に手間が省けただけの事であった。

「とりあえず、これで、あの青年への対処は決まりましたか。まぁ、彼には他にも聞きたいことはありますが……」

「むろん、その辺りは殿下がやってくれるでしょう」


 ラハト団長も、王女の事は良く知っている。

 確かに、若いと言うよりも幼いと言って良い年齢であり、個人的な野心も無く、基本的に優しい心根の少女であるが、モルデ王子に見せたように、年齢に見合わぬ、したたかで強靱な一面も持ち合わせている。

 ザミーンの侵攻さえなければ、長じた後に立派な女王として君臨したと思える彼女の能力に、近衛騎士の長は全面的な信頼を置いていた。

 その傍らには宮廷魔道士や、ラハトの娘もいる。

 あの素性の不明な三人の娘達も、王女達に任せれば安心できると言うものだった。



         ◇



「つまり、お兄ちゃん、いえ、シンゴ様はこことは違う世界から来たと?」

「うん、まぁ、そういうことになるんだろうね」


 再び、フランチェスカ王女の、お茶会の部屋である。

 シンゴは、今度はゆったりとした気分で、紅茶の香りと深い味わいを堪能していた。

 無粋なおっさん達は、仕事があるらしく今はいない。

 その代わりに、王女と侍女、そして、五人の娘達が同席している。

 身元がはっきりしない三人の娘達も同席させているのは、今更、この娘達を別途に尋問するよりも、なにやら関係のありそうなシンゴといっしょにした方が、情報を得やすいと判断された為である。

 特に、見えない魔力衝撃を使う娘は、宮廷魔道士のソニアと共にある方が抑止にもなると考えられたようだ。

 もっとも、あの中庭は仕合の為に意図的に緩められていたが、宮殿全体に魔力を抑止する結界が仕掛けられており、この娘が不穏な事を考えたとしても無駄であっただろう。

 だが、その娘も、他の娘達同様、今は興味津々でシンゴと王女の会話を聞き逃すまいとしているようだった。


「では、シンゴ様の国……ナヴァルでしたかしら。その国も、その世界に?」

「ええと。それは、そう言えるのかもしれないけど……」


 フランチェスカ王女の質問に、シンゴはなんと答えていいものか悩むんでいた。

 この中世の科学文明と魔法文明が混在するファーラと言う異世界で、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』と言うゲームについて、どう説明すれば良いのか検討もつかない。

 いや、そもそも、ゲーム世界の話をすべきなのか、現代日本の話をすべきなのか。


(プレイしていたゲーム世界にトリップした話はいくつか読んだ事はあるけど、これって、全然関係無い世界にトリップしたわけだしなぁ。そういう話も無いわけじゃないけど、あんまり読んだ事無いし)


 ラノベやネットで読んだ話を手本にしようとする事自体に問題があるのだが、そういう自覚は皆無のシンゴだった。

 とりあえず、ゲーム世界での設定に従って名乗ったわけなので、それで押し通す事に決める。


「と、とにかく、その世界では、銀河系にある複数の惑星国家が五つの集団を形成していて……」

「ぎんがけい? わくせいって何でしょう?」


 一事が万事、この通りである。

 『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』と言うSF的な世界のお約束事や用語が全く通じないのだ。

 九之池慎吾は廃人プレイヤーではあったが、設定厨ではなかったので、その辺りも大雑把にしか覚えていない。


「チル、お前から説明してやってくれないか」

『否定します。なお、ユーザの現在の行為は機密事項漏洩に該当するものと警告します』

「あのな。何度も言ってるだろ。ここは『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』とは無関係の異世界だって。機密も何も関係ないんだ」

『申し訳ありませんが、異世界と言う概念を私は理解しません。友軍の位置が不明で、帰還の目処が立たない現在の状況は理解しますが、それは機密漏洩の理由にはならないものと判断します』

「かーっ。この石頭。分からず屋」

『分からないのはユーザの状況です。先ほどから私の翻訳抜きでその個体と意思疎通を果たしているようですが、睡眠学習による言語習得を行った記録はありません。不合理です』


 チルの指摘通り、シンゴは人工知能の翻訳無しでフランチェスカ王女と会話していた。

 これは、ソニアが念話でもって、シンゴの意識に、この異世界ファーラの公用語を転写した、いわゆる翻訳の魔導による成果である。

 この美しい宮廷魔道士も、その鋭い感覚からシンゴの意識と自分の耳に聞こえる音声との間に微妙な差異がある事を察知していた。

 そして、人工知能チルを見えない精霊、もしくは妖精の類いと解釈して、それに翻訳をさせる魔導を使っているものと考えたようである。

 だが、彼女の知識によれば、中には悪戯好きの妖精もおり、厄介な局面を引き起こす可能性を懸念した為、シンゴの許可を得て、この魔導による処置を施したのであった。

 むろん、チルには悪戯をするなどと言う概念は無いが、さすがに人工知能の翻訳機能に疑念を抱いていたシンゴが、彼女の申し出を快諾したのは言うまでも無い。

 もっとも、いきなり念話で話かけられた時にはびっくりしたのだが。


(だけど、妖精とか精霊の割には、そう言った感触が皆無なのよね)


 BMRのサポート用AIなどと言う存在など理解の範疇に無い魔道士は、じつは内心で首を傾げていたのだが、そんな素振りはおくびにも出さなかった次第である。

 ともあれ、これでシンゴも、当分は十八禁な語彙による誤解から解放された事になる。


 一方、チルとシンゴの言い争いを聞いていたフランチェスカ王女は、シンゴのいた世界の話を聞くのを諦めた。

 興味があるのは事実なのだが、宮廷魔道士の魔導式の講義同様、理解しかねる世界だと判断したのだった。

 とりあえず、シンゴという青年が、本来所属していた集団の掣肘を受けない、自由な立場にあると言う事がわかれば充分であった。

 そうなると、後はどうやってローセンダールに取り込むか、と言う話になる。

 だが、そう考えたのはフランチェスカだけでは無かった。


(ふむ。この世界とは全く別の世界から来たとは、にわかには信じがたいが、あの機体を見ればうなずける話でもある。そうなると、このシンゴと言う男が、特別にローセンダールに肩入れする理由は無いと言う事になる。ならば、ザミーンが取り込むのも不可能と言うわけではないな)


 話を聞いていたテレーゼ皇女も、ラハト団長やフランチェスカ王女と同じ結論に辿り着いていた。


(元々、銀狐を捕獲するつもりであったわけでもある。まぁ、こちらから手を出したハンデはあるが、そういうことにこだわる男でもなさそうだ)


 美少女と美女が、各々に自分を己が陣営に取り込む算段をしているとも知らず、人工知能との言い合いに疲れたシンゴはふて腐れたように紅茶をすすっていた。

 そんな彼に、今度は、あの遠く離れた山中で見た巨大な建造物や、何機もいた魔装機甲兵らしきものの話を聞こうとしたヘレーネは傍らの友人が呻くのを聞いて、慌ててそちらを振り向いた。


「ま、まさか。そんな……」


 ソニアが、その美しい顔を蒼白にして、宙を見つめていた。


「どうした、ソニア?」


 さすがにただ事では無いと悟ったヘレーネが問いかける。

 シンゴや、他の娘達も訝しげに宮廷魔道士を見つめた。


「《空魔》の墜落現場へ調査に向かった長官からの念話……いえ、断末魔です。調査隊は全滅しました。でも、でも、アレは何だったのかしら」


 長官が最後に送ってきた光景に、ザミーンの奇襲にも果敢に立ち向かった黒髪の娘は、恐怖でうち震えていた。



 それとほぼ時を同じくして、UA‐03G《ガリア》が、チルに目的座標に到着した事を告げていた。

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