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報酬

 触手に捕えたローセンダールの魔導士用の機体は、細身に見えてかなりの重量があった。

 オリハ神鋼と呼ばれる、この世界ファーラでも極めて貴重な金属で筐体が作られている為で、この金属は魔力を帯びると羽毛のように軽くなるのだが魔力調整が難しい。

 ソニアが宮殿から東門までの道のりを苦労した所以だが、同じ事がこの機体を引き上げようとした《空魔ギガント》にも言えた。

 やむなく収納可能なところまで引き上げる前にギリアムに剣を突きつけさせて、さてこれから、この機体、及び、搭乗する宮廷魔導士の身柄を条件に『銀狐』に降伏を勧告しようとした矢先である。

 それまで、手を出しあぐねたように、周囲を旋回するだけであった『銀狐』が再び人型に変形した。

 そして、再び瞠目するサミーンの人々に向かって、宣言したのである。


「我、ローセンダール王女フランチェスカ殿下の側近たるヘレーネがザミーンの方々に申し上げる」


 まさか、あちらから交渉を持ちかけるとは思いもしなかったテレーゼ皇女は、その美しい眉を訝しげに動かした。


「シルフィードを率いておられる指揮官殿に一騎打ちを所望する旨を、この機体の搭乗者に成り代わり、伝えるものである」


 これが名も無い雑兵であれば無視しても差し支えないが、相手国の王族の名を出され、ここまで堂々と宣告されてしまえば、帝国軍騎士として引くわけにはいかない。

 ここで引いてしまえば、それは、ザミーン空軍が戦わずしてローセンダールに屈した事を意味する。

 ヘレーネ自身も王女フランチェスカの側近として、また、ローセンダール近衛騎士団団長の娘として、その名を知られている存在だ。

 いかに超絶的な機体のパイロットであっても、この世界では無名のシンゴだけでは、この宣告は成立しなかったであろう。


「くっ、その手があったか」


 テレーゼ皇女は艶やかな唇から、真珠のような歯をのぞかせて歯ぎしりしたようだった。

 皇女自身で、これを止めるわけにはいかない。

 そんな事をすれば、まさに、ザミーン帝国の皇族がローセンダールの王族に屈した形になる。

 この場合、もっとも理想的なのは、この宣告に激した指揮官の配下が代わりに挑むと言う構図であるが、残っているシルフィードは指揮官であるギリアム機ただ一機である。

 《三叉槍トリアイナ》の集中砲火を浴びて活性を停止した一機は、再起動にもう少し時間がかかると報告があった。

 やむなく、テレーゼ皇女は、その機体――《レバンゲル》の引き上げを続行するように指示を出した。

 ギリアムも《レバンゲル》に突きつけていた剣を引き、人型となった『銀狐』の前に移動する。


「その一騎打ち、ザミーン帝国空軍第七降下部隊、指揮官を拝命したこのギリアムがしかと受けた」


 これで、直面していた危機は差し当たり回避できたわけだ。


「救出ミッション第一段階成功」


 シンゴはヘレーネにサムズアップして見せたが、その習慣の無い異世界ファーラの彼女にも意味は通じたようである。

 意外に幼い笑みとともに同じく親指を立てて見せる。

 小指も一緒だったのはご愛敬と言うべきか。


 そして、ギリアム機と『銀狐』が地表に降下する。



 《空魔》の魔導圏内に縛られて身動きできない《レバンゲル》の搭乗席では、ソニアが目を見張っていた。


「ヘレーネ? あなただったの? いったい、どうやってそんな機体を……」


 彼女が知る限り、ヘレーネには魔力が皆無であり、従って、ソニアとは真逆の意味で魔装機甲兵に搭乗する事は不可能だった筈だ。


         ◇



 地表に降りたギリアム機は、機体を覆う風の結界を解き、魔導機関が生み出す風の魔力を手にした剣に流し込む。

 魔力に覆われた剣は、緑色の輝きを放ち始めた。

 一方の『銀狐』こと、《ファーブネル》も手首に収納してあったバトンを掌に受けて握り締め、ビームソードの刃を発生させた。


 じつのところ、シンゴは空戦に特化した《ファーブネル》で格闘戦をやった事はあまりない。

 格闘戦が想定されるミッションでは汎用機である《グランブール》を使用する事が多かったし、最近の新鋭機相手では出力に差があり過ぎるので、格闘戦そのものを回避するようにしていた。

 とは言え、人質も同然の《レバンゲル》に突き付けられた剣を取り除くにはこれしか方法が無かったわけで、久方ぶりの格闘戦を楽しむ事にした。

 ヘレーネから聞いた限りでは、相手の《シルフィード》級と呼ばれる魔装機甲兵も空戦に特化した機体であり、従って双方とも条件は五分五分とふんだのだ。

 これが陸戦で前衛を務めると言う《ノーム》級であれば、少しは考え直したかもしれない。

 相手が武技に特化した《ルーヴ》を下したと言う事実は、この時点では、シンゴもヘレーネも知る由も無かった。


 シルフィードが先に動く。

 飛行型として軽量化された機体は、地上戦でも素早さが持ち味だ。

 対《ルーヴ》戦でも、このスピードで相手を幻惑し、死角からの攻撃で《ローセンダールの若獅子》を倒したのだ。

 地上では、若干動きの鈍い《ファーブネル》の、その背後を取る事は容易かった。


「もらったぞ、『銀狐』!」


 必殺の確信と共に、そのシルバーグレーの背中に剣を突き出した。

 だが、その緑色に輝く剣は、『銀狐』が後ろ向きのままに突き出した青白く輝くビームソードにあっさりと受け止められていた。


「ば、ばかな? こやつ、後ろにも眼があると言うのか!?」


 即座に距離を取りつつ、ギリアムは驚愕の声を上げた。


「悪いけど、じつは、その通りなんだよね」


 シンゴは何となく気の毒になって小声で呟いた。

 BMRのメインカメラは頭部の眼に設置されているが、全方位をカバーする為にサブセンサーも多数搭載されている。

 人を模した魔導兵器である魔装機甲兵とは構造が根本的に異なるのだ。

 ただし、そのことがBMRの優位性を示すかと言えば、そうでもない。


「しかし、こうして地上戦になってみて初めてわかるけど、あの動きは人間そのものだなぁ」

『同意します。陸戦型BMRの最新鋭機でも、あれほどに俊敏な機動は無理です』


 シンゴは呆れたように言い、チルは機械的に返答する。

 人を模した魔導兵器と二本足歩行のロボットとの差が如実に表れてしまっている。

 してみると、先日の生身ミッションでの戦果は、あるいは、僥倖であったのかもしれない。


「まぁ、やってみるか」


 先ほど受けた剣は軽かった感触があった。

 その辺りに勝機がありそうな気がして、シンゴは機体を魔装機甲兵に対峙させた。


 操縦桿やフットペダルで機体を操るBMRと異なり、魔装機甲兵の搭乗席は、魔結晶視界の映像を表示する正面の水晶版と、両手を置いた水晶球のみの、極めてシンプルな構造である。

 搭乗者がこの水晶球に魔力を流し込み、それを魔導機関が増幅させる。

 その過程で、搭乗者と魔装機甲兵は一体化し、搭乗者の技量や動きが魔装機甲兵に反映されるのだ。

 そして、飛行型などの、人間が元々持っていない機能を備えた魔装機甲兵は、専用の魔導小脳で、例えば飛行時の制御を行う事になる。

 もっとも、魔導小脳の制御も搭乗者の反射神経などの影響を受けるわけなので、性能を引き出す為には、搭乗者の技量が優れている事が条件となる。

 ギリアムも、ザミーン空軍の中では屈指の剣の使い手であって、魔装機甲兵同士の格闘戦では優秀な成績を収めている。

 相手の技量を読み取る術も心得ている筈なのだが、この『銀狐』は非常に読みづらい相手であった。

 生気は感じられないし、俊敏でも無い動きなのだが、妙に的確なのだ。

 この世界ファーラの歴史上、初めてロボットを相手に剣を振るう騎士となったわけであるが、残念ながら、それは彼自身は元より、誰にも知られる事の無い話であった。


(むう、まるで生きた相手に戦っている気がせん。そう、訓練で使う魔導人形ゴーレムのようなやつだ)


 ギリアムはこちらの動きに自動的に反応する訓練用の魔導器を思い出した。

 いうなれば、鏡に映った自分自身を相手に鍛錬するようなもので、これを凌ぐ動きを研鑽する事で自身の技量を向上させるのだ。

 ただ、この魔導器には弱点というべきものがあった。

 こちらの動きに反応して動くシロモノなので、自分から攻撃を仕掛けるのは不可能なのだ。


(先ほどから、こちらから仕掛けてばかりでもある。仕掛けさせてみるか)


 相手の先手を取るのがギリアムの得意とするところではあったが、このままでは埒が明かないし、こちらも疲労するばかりである。

 後の先を取る、つまり、カウンター攻撃を試してみようと考えたのだ。


 不意に動きを止めたシルフィードにシンゴは眉をひそめた。


「どうした? 動きが止まったぞ。燃料切れか?」

『いや、魔導機関は搭乗者が魔力切れを起こすまで止まる事は無い。仮にも指揮官を務めるほどの搭乗者が、魔力切れを起こすには早すぎる』


 チルに代わってヘレーネが助言する。

 人工知能は沈黙したままである。

 じつのところ、一対一で、しかも、剣と言う限定された武器で戦う格闘戦においては、人工知能がサポートできる事はあまりない。

 現在の敵である魔装機甲兵を始めとするザミーン空軍について、ある程度の知識を持っていると言う事もあって、ヘレーネにはオブザーバとしての搭乗資格を与え、予備のインカムを装着させてある。

 裸の娘がそうした機器だけを装着した姿は、シンゴのパイロットスーツの一部に、さらに困った事態を発生させそうで(非常に残念ではあるが)そちらは見ないようにしている。


『あるいは、こちらから仕掛けさせて様子を見るつもりかもしれん』

「なるほど。そういうことなら、遠慮なく」


 シンゴは操縦桿を操り、フットペダルを踏み込んだ。

 シルバーグレーの機体が、初めて攻めに転じる。

 鋭く振り出されたビームソードを、ギリアム機は魔力で覆われた剣で受け止めた。

 いや、受け止めようとしたのだが、機体ごと弾き飛ばされてしまうところだった。


「ぐっ、なんと重い剣撃だ」


 それは、魔導機関と核融合エンジンの出力の差でもあった。

 あるいは、武技に特化した《ルーヴ》であれば、正面からの打ち合いで力負けしなかったかもしれないが、元々、飛行型として製造されたシルフィード級には、地上戦でそこまでのパワーは出せない。


「むぅ」


 シルフィードが咄嗟に風の刃を発生させて、『銀狐』を横殴りに斬る。

 高速飛行状態であった時とは条件が異なり、不可視の刃は《ファーブネル》にしたたかに痛撃を加えた。


『警告します。センサーのいくつかが破損しました。装甲に異常はありませんが、コーディングが一部剥がれています。これは敵の電撃攻撃への弱点となる可能性があるものと推測されます』

「な、なんだ。何があった?」

『シルフィードが風の刃を放ったんだ。あの機体の固有魔法の一つで見えないから厄介だぞ』

『雌犬の発言に同意します。不自然かつ異常なまでの気圧変化が感知されました』

『雌犬っていうな!』


 こんな状況でヘレーネとチルは口喧嘩を始めたようだった。

 正確には、ヘレーネが感情的になって一方的に言う言葉に、チルが冷静に反論しているようだが、全く言葉がわからないので無視する事にする。

 まぁ、人工知能相手に喧嘩を成立させるヘレーネも、ある意味たいしたものである。


「一騎打ちと言っても、剣だけを交えて戦うってわけじゃないんだな。そういうのも有りっていうなら……」


 ビームバルカンは未だにチャージ中だが、飛び道具の武装は他にもある。

 後方に飛んで距離を取ると、脚部の兵器庫ウェポンベイを開き、短距離ミサイル《ヴィオラ》を発射した。

 《ヴィオラ》はシルフィードの前で炸裂し、大量のチャフやフレア、及び、威力を抑えた超小型弾頭をばらまいた。

 欺瞞用のチャフやフレアはともかく、迎撃用超小型弾頭と言えども、これほどの近距離で大量に炸裂すればかなりの打撃である。

 とっさに「眼」は庇ったものの、シルフィードの機体を覆う装甲は穴だらけになってしまった。

 その光が乱舞する中で、『銀狐』が仕掛けてくる、とギリアムは確信した。

 相変わらず気配の類いが感じられずやりづらいが、ビームソードの一際強い輝きが振り上げられるのが見えた。

 先ほどの『銀狐』の飛び道具にやられて動きが鈍くなった腕では、受けられないと判断したギリアムは、シルフィードの機体を後ろに飛び退さらせた。

 幾度となく剣を合わせた結果、『銀狐』の間合いは把握している。

 その間合いのギリギリ外であの輝く剣を凌ぎ、体勢が崩れたところを仕留める。

 瞬時にそうした判断を下し、攻撃を組み立てるギリアムの技量は確かに一級であっただろう。

 ただ、BMRの装備するビームソードが伸縮自在である事実を知らなかったのは、彼にとって不幸な話だった。


 バトンから放出される一定量の荷電粒子をブレード状に収束させるビームソードは、理論上は一キロまで刀身を延長させる事が可能である。

 ただし、そこまで伸ばすと刀身は針のように細くなる。

 だいたいは威力との兼ね合いで、標準の長さで使用する事が多い。

 プレイヤーによっては、例えば、コジローなるユーザが「物干し竿」と称して、ポイントを注ぎ込んだらしい、特製の、極めて間合いの大きい刀身を振り回すのを見たことがあるが、まぁ、そういうのは少数派である。

 シンゴが再設定した長さは、その「物干し竿」よりは短いが、標準よりは三割増しと言う程度であろうか。

 だが、間合いギリギリで躱すつもりだったギリアム機を袈裟懸けに斬るには十分であった。


 搭乗席は避けたつもりだが、その生存は搭乗者の運任せと割り切って、斃れた機体には目もくれない。

 それより、捕えられた《レバンゲル》である。

 シンゴは機体を浮上させ、再び飛行形態となると、空に浮かぶ《空魔》に向かって飛翔した。



         ◇



 ギリアム機が斃されたのを見て、テレーゼ皇女は固く拳を握りしめた。

 《空魔ギガント》級三番艦である《クワポリガ》は魔装機甲兵シルフィード級の空母としての機能と移動速度に特化した機体で、搭載するシルフィードが全滅してしまえば、有効な攻撃手段はあまり持ち合わせが無い。

 護衛用の飛行艦は《クワポリガ》の速度についてこられない為、ローセンダールの首都奇襲を優先して単独で来てしまったのが裏目に出た格好だ。


「殿下、『銀狐』が急上昇して来ます」

「餌の回収はどうなっている」

「細身と見えてかなり重量のある機体でしたので手間取りましたが、収納の為、現在、格納庫を開いております」

「待て。格納庫に『銀狐』の魔弾をぶち込まれてはかなわん。《クワポリガ》の胴体に抱えたままで、ひとまずはこの空域を離脱しろ」


 一連の命令を下すと、今度は分析官を見る。


「この《クワポリガ》の装甲は『銀狐』の牙に耐えられそうか」

「いくつかの画像を解析した結果、あの魔弾を放つ瞬間の映像が見つかりました。それから判断するに、どうも残りは一発のようですな。微妙なところですが、一発だけであれば、《クワポリガ》に傷をつけるのは難しいところでしょう。魔弾はギリアム殿に使った、もう一種があるようですが、そちらは見た目こそ派手ながら威力はかなり小さいようです。あの光の矢もギリアム殿に使っていないところを見ると撃ち尽くしたと考えられます」

「そうか」


 テレーゼ皇女の声に安堵の色が混じる。


「常識外れの機体だが、牙も爪も無いとなれば、この《クワポリガ》には無害な存在と言う事になるな」

「さようですな」


 離脱に入った《クワポリガ》の魔導機関がうなりを立てる。

 最大速度までに移行する時間が極めて短いのも、この《クワポリガ》の特長である。

 あの『銀狐』なら容易く追いつけるだろうが、手も足も出ないのでは放置しても構わない。

 あるいは、餌に引き寄せられ、本国までついてくるようであれば、その時は……


「で、殿下、『銀狐』が異常な速度で接近してきます。な、何だ、この加速は? まさか、体当たりするつもりか!?」


 計測担当の魔導士が悲鳴混じりの声を上げる。


「くっ、あの『銀狐』め、今度は何をしでかすつもりだ」


 心休まる暇のないテレーゼだった。



         ◇



 《ファーブネル・フライヤー》は加速を続けていく。

 重力制御装置が働くコクピットも、Gが緩和できずにヘレーネの身体がサブシートに押し付けられるのが分かる。


『お、おい、いったい何を』

「あのデカブツに鉄槌を下してやるのさ」


 スロットルを限界まで上げながら、シンゴは機体をさらに加速させた。

 ついに、召喚コーリングに応えて飛来した時と同様、《ファーブネル・フライヤー》が大音響と共に音速の壁を突破した。

 見る見る《クワポリガ》の巨体が近づいてくる。

 その巨体の上部を舐めるように、シルバーグレーの機体が通過する。

 凄まじい衝撃が、《クワポリガ》を激震させたのは、その直後である。

 ソニックブーム、即ち、超音速の《ファーブネル・フライヤー》が大気を切り裂いた衝撃波が、不可視の鉄槌となって《クワポリガ》に振り下ろされた瞬間だった。

 風の魔法――大気エアの精霊を操る《空魔》ではあるが、BMRの核融合エンジンの出力の前には完全に力負けしてしまったようだ。


 このデカブツが大気エア属性の魔法生物をベースにした存在だと聞いて、シンゴが思いついた戦法がこれである。

 魔法の事はよくわからないが、同じ属性同士でガツンとやれば、なにがしかの突破口になるのではないか、と言う、かなり乱暴な発想であった。

 少なくとも、衝撃で搭乗員達は混乱するであろうから、その隙に人質の救出を行う事も考えていた。


 そして。

 確かに、この力任せの戦法は《クワポリガ》のベースとなった大気エア属性の魔法生物に、かなりの打撃を与えたようであった。



         ◇



 凄まじい衝撃からようやく立ち直ったかに見えた《クワポリガ》の艦橋は、再び、警報音と乗員の悲鳴や怒号で凄まじい喧騒となった。


「まったく、今度は何があった」


 この状況下で『氷姫』は他人事とすら思える口調で、分析官に下問した。


「はぁ。どうも、《クワポリガ》が失神したようですな」


 分析官も飄々として他人事のように応える。


「失神? それはまた、ずいぶんと可愛らしい話だ。ザミーンの誇る《空魔ギガント》が失神だと?」


 分析官を担当する魔導士が初めて驚愕の表情を浮かべた。

 なんとザミーンに名高い『氷姫』がくっくっく、と笑っているではないか。


「それで、起こせそうなのか?」


 なおも笑いながら、テレーゼ皇女が尋ねる。


「はてさて。《空魔ギガント》の失神等という事態は前代未聞ですので、何とも」


 分析官は不敬にも肩を竦めて見せただけだった。

 テレーゼ皇女は、それを咎める事無く、まるで面白い見世物でもみるように右往左往する乗員たちを見ていた。

 《空魔ギガント》が失神したと言う事は、魔導機関も停止したと言う事だ。

 ここに及んでは、どんな命令も無意味だった。

 あとは墜落するのを待つばかりである。

 一つには、あの『銀狐』に振り回され過ぎた為に、さすがに精神的活力が枯渇してしまったのかもしれない。


 侍従を務める武官が、テレーゼ皇女にそっと耳打ちする。


「殿下。再起動の終わりましたシルフィードが脱出用ポッドを用意しております」

「逃げよ、と? あまり気が進まぬ話だな。本国で兄上たちに嬲られるよりは、ここで堕ちた方がマシだ」

「殿下、ここはご辛抱を。生きてあれば、また、復讐の機会もありましょう。殿下の侍女も待っておりますれば、お早く」

「ああ、そういえば、エマが居たな。あれを道連れにするわけにもいかぬか」


 姉妹のように育ち、身の回りの世話を任せている侍女を思い出し、テレーゼ皇女は重い腰を上げた。



         ◇



 高度を下げていく《クワポリガ》の下部に、人型に変形した《ファーブネル》が取りついている。

 光る紐のようなもので縛りつけられた《レバンゲル》の搭乗口にコクピットのハッチ部分を合わせるのに苦労しているようだ。

 何しろ、この高度で降下していく巨体の表面は、凄まじい豪風が吹き荒れているようなものだから。


「ソニア。意識があったら搭乗口を開けて!」

「え、いや、だって……」

「この機体でも、オリハ神鋼で作られた《レバンゲル》を抱えて飛ぶのは無理なんだ。お前だけでもこちらに飛び移るんだ」

「ん~、まぁ、それに載っているのがあなただったら、構わないか」


 ソニアは《レバンゲル》の搭乗席のハッチを開けた。

 そして、同様に開いている《ファーブネル》のコクピットのハッチから、命綱をつけて身を乗り出しているヘレーネを見て、切れ長の眼を丸くした。


「ヘレーネ? あなた、なんて恰好なの」

「人の事が言えるか!」


 裸身に命綱と奇妙な耳当てをつけているヘレーネではあるが、手袋とブーツしか身につけていないソニアが確かにどうこう言えた話でもなかった。


「受け止めてやる。さぁ」


 手を広げて待ち構える同僚に向かって、思い切りの良い宮廷魔導士は飛んだ。

 ヘレーネのしなやかで強靭な腕が、ソニアの身体を抱きしめた瞬間、《クワポリガ》の巨体が激しく振動した。

 前例の無い事態の中、何とか停止した魔導機関を活性化させようと、言わばショック療法として複数の魔導士が魔力を流し込んだ結果だった。

 《空魔ギガント》の魔導機関が暴走し、爆発したのだ。


「うわっ」

「きゃああ」

『オブザーバと救出対象の個体を緊急回収します』


 ふたつの悲鳴と感情の感じられない声が重なり、命綱のケーブルが引き寄せられ、二人の娘を引き入れた後、コクピットのハッチが閉じられた。


 丁度、仰向けの状態になっていたシンゴの上に、柔らかい物が落ちて来た。


「むが……」

「きゃっ」


 手袋とブーツしか着けていない宮廷魔導士は、正面からシンゴに抱き付く恰好になった。

 一方のヘレーネの方は、サブシートから伸びるケーブルに引き寄せられ、緊急回収の安全機構によって自動的に装着されたハーネスでサブシートに固定された。

 もっとも、上下が逆になってしまったので、結果としてとんでもない恰好になったわけだが。


「え、えええ?」

「な……誰よ、これ」

「むが…むがが」

『敵性巨大オブジェクト内部にかなり大きな爆発音らしきものを検知。状況から、失速し、墜落するものと高い精度で推定します』


 コクピット内の三者が三者とも恐慌状態にある事を見て取ったチルが、操縦制御を代行する。


『状況終了と認識します。FV‐14S、この空域を離脱します』


 シルバーグレーの機体が墜落する《空魔ギガント》の巨体から離脱する。

 もうひとつ、大きなポッドを抱えたシルフィードが離脱寸前に爆発に巻き込まれ、失速していくのをチルは《ファーブネル》のセンサーを通して捕えていたが、危険性無と判断して優先事項を下げる。

 ユーザが落ち着いてから報告する事にしたのだ。


「ええ、これ、宙に浮いてるの? いやあああああ」


 全天周囲方式のモニタを見て、さらに恐慌状態になったソニアが抱き締める腕にいっそう強く力を込めた。

 結果として、そのヘレーネに劣らぬ豊かな胸が、正面から生でシンゴの顔に押し付けられる事になる。


 ちなみに、パイロットスーツの、その「箇所」は痛い思いをしないで済むように作られていたと言うことが判明した。

 もっとも、当たっている場所が場所だけに、後で問題になりそうであったが。


 ミッションは全てコンプリートしたが、異世界ファーラにおいて、当然にポイントなどあるわけもなかった。

 ただ、ポイントの代わりに「ご褒美」がある、と、十八禁ゲームの情報を取り入れてしまった残念な人工知能は結論を出した。



         ◇



「《クワポリガ》によるローセンダール首都奇襲失敗」

「《クワポリガ》墜落。空軍第七降下部隊壊滅」

「テレーゼ皇女、行方不明」


 それらの報告がザミーン帝国の本国に与えた衝撃は甚大なものだった。

 《クワポリガ》が捕えた映像情報のいくつかは、本国にも送られており、その『銀狐』なる謎の機体に関する真偽入り乱れた情報が帝国の中を錯綜した。

 唯一の例外は、西部方面に戦線を展開する第三皇子アルベルトだけであった。


「へぇ、『銀狐』ねぇ」


 嘲笑うように、そのシルバーグレーの機体が映る水晶版を弄ぶ「客人」に、アルベルトは丁重に尋ねてみた。


「その機体をご存じか?」

「ん~、FV‐14S《ファーブネル》だね。いや、こんな旧式にやられるようじゃ、第七降下部隊とやらも大した事はないなぁ。うちのチームのメンバーなら誰でも瞬殺できる相手さ。なんだったら、誰かをそちらへやっても良いよ?」

「あ、いや、それには及ばぬ。「客人」達には、この地で今少し働いて頂きたい」

「そうだねぇ。ドラゴン狩り(ハント)なんて滅多に経験できるもんじゃないから、旧式機の相手なんて言われたら機嫌を悪くするかもしれないね」


 にこやかに笑う「客人」を前に、アルベルトは背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。

 美しい、人形のような顔立ちをした目の前の青年が、幼児のような我儘と無邪気とも言える冷酷さを備えた人物である事はいやになるほど分かっていた。

 その仲間も似たようなもので、機嫌を損ねられたら、冗談では無く帝国が壊滅しかねない。

 この地の神龍と言われる巨獣を操るソル八部族とまともに戦えるのは、この「客人」達だけであるのも事実であるから、膠着状態と言えども東部方面に回ってもらうよりも、こちらで働いてもらう方が良い。


「そうそう、ボクがちょこっと行って片づけてきてもいいかな? ボクの《ナザ》なら、移動もそんなに掛からないよ」


 そう言った次の瞬間、「客人」は不意に機嫌を悪くしたように顔を歪めた。

 弄んでいた水晶版……決して安くは無いそれを床に叩き付け、粉々にしてしまった。


「そうさ。あんなデブリを使って後ろから撃つような卑怯な相手でなければ、ボクは無敗でいられたんだ。正々堂々と戦いさえすれば……」


 この理屈抜きに機嫌が急変する当たりは、本当に幼児と変わらない。

 そうは言っても、この「客人」に不機嫌になられてはただ事では済まない。

 臆病な気質とは縁遠い筈のアルベルトが蒼白になる。


「大丈夫ですよ、マスター」


 救い主は「客人」の傍らにいる美しい女性だった。


「私がサポートします。私がいる限り、マスターは二度と負けるような事はありません」

「そうだね、その為に無理をして君を手に入れたんだ」


 青年は、艶然と笑みを浮かべる美女……BMRサポート用の最新型オーガノイドに甘えるように、その腰に手を回した。


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