2. 始まり
Grand Tale Onlineには従者システムと呼ばれるものがある。傭兵ギルドで大金を払い、NPCをパーティーとして組み込める、というものだ。ただし、一アカウントに雇えるのは一人まで。レベル以外は完全ランダムという厄介なものではあるものの、比較的好意的に受け止められていた。
その中でも運良く、見目麗しい女キャラクターを引き当てたプレイヤーには嫉妬と羨望が混じった視線が向けられる。
パーティを組むプレイヤー仲間もいないFebruaryにとってはうってつけだと思えるが、彼が利用することは無かった。言ってしまえば単純なこと。連れて歩くことによって発生する手間を嫌っただけのことである。
町人や商人などの通常NPCも友好度・好感度を上げれば連れ歩ける、などと言った噂話もあるのだが、実際にそんな情報が上がってくることは無かった。
February自身も噂だと半ば確信していた。それは自分は間違いなく誰よりもNPCと懇意にしている自信があった、という何とも悲しい理由からだ。
だが、その確信は彼女によって覆させられることとなった。
吸血鬼の真祖、ベアトリスによって。
今Februaryは、スライムの体にベアトリスを乗せ、カイナの街を練り歩いていた。
事の顛末はこうだ。名乗りを上げたベアトリスにこれはどうもと自己紹介をしたは良いものの、久しぶりに緊迫した戦いを演じたために疲れを感じてしまった。適当に別れを告げてログアウトしようとしたところ、やはりダンジョン扱いなのかログアウトできない。仕方なく屋敷の書斎まで戻ったところ、何故かベアトリスが付いてきたのだが、恐らくこの館の持ち主なのだろうから何もおかしくはないだろうとログアウト。
現実世界でカップラーメンを食し、またログインしたのがその三十分後である。
Grand Tale Onlineの世界にログインする際に発生する淡い光に包まれて目を開くと、何故かそこには体育座りをしながら涙目で此方を見るベアトリスの姿が。どうやらずっと待っていたらしい。
NPCがプレイヤーのログアウトについてどう思考しているのか気になったが、考えても詮無きことである。
FebruaryはNPCをNPCとして扱わない。技術の進歩か、NPCはまるでプレイヤーと見分けがつかないほどに人間的になっている。店の常連になって友好的になれば笑顔を向けてくれ、過去、依頼達成したことのあるNPCからは会うたびしきりに礼を言われる。
彼、彼女たちは、電子世界の住人ではあるものの、自分の意思を持って行動しているように思える。ならば、人間として扱うことはそんなにおかしいことだろうか。
Februaryのレベルが上の下辺りで止まっているのも、新しい街に到着するたびにほぼ全てのNPCと会話しているためだ。そして、今までの街のNPCにも定期的に会いに行っている。まるで、Grand Taleの世界の本当の住人のように振舞っていた。
ともかく、涙目で身体をベシベシと叩くベアトリスが体力的にシャレになっていなかったのでご機嫌取りに上に乗せ、街へと繰り出したのである。
そんなベアトリスもスライム体の上は気に入ったようで上機嫌にぺしぺしと体を叩いてくる。このくらいならば体力にも影響はない。
「これ、剣と鎧装備させたら思いっ切りスライムナイトじゃねーか……」
などと呟きながら通りを進んでいると、坊主頭のおっさんと目が合った。片手に持つ食材が入った籠だけを見ればその姿は主夫を連想されるが、禿げ頭に威圧的とも思えるその巨躯にはまったくもって似合わない。
「よぉ、February!可愛い嬢ちゃん連れてるじゃねーか!」
体躯に似合わないほど人懐っこい笑みを浮かべた禿げ頭にとりあえず挨拶だけを返す。
この男の名はゲール。この通りでたこ焼き屋台を営んでいるNPCだ。ゲームの中とはいえ、空腹度が実装されているGrand Tale Onlineでは味覚も再現される。現実の肉体の腹が膨れるわけではなく、ただ味わい、ステータス上の空腹度が回復するだけで現実に戻ったらその感覚も失われてしまう。
「娘さん待ってんだろうが、俺のことは気にせずはよ帰れよ」
「まぁまぁ、良いじゃねぇか。今日はお前のおかげで早く店じまい出来たからな。娘との時間も多く取れて感謝してるんだ」
豪快に笑うゲール。思い出すまでも無い。涙を流しながらこの通りの出店すべて完売に追い込んだのは他でもないFebruaryである。
自分の失態に苦々しく思っていると、ゲールの笑い声に釣られて続々と人が集まり出す。
「おっ、Februaryじゃないか、今日はありがとね!毎度ありっ」
「また次も買ってくれよな!」
「儲けさせてもらったよ!」
「おい嬢ちゃん、リンゴ食うか、リンゴ」
「遂にFebruaryにも春が……ちくしょう!恋っ!俺にも来いっ!」
皆、この通りの店主たちだ。ベアトリスは目を丸くして驚きながらもしっかりとリンゴを受け取っていた。
騒ぎは、あまりのうっとおしさにFebruaryが爆発するまで続いた。だが、店主たちも、Februaryも、ベアトリスでさえも笑顔だったのはいうまでもない。
「綺麗、じゃのう」
Februaryの身体に乗ったままで呟くベアトリス。カイナの展望台。街の夜景を一望出来る丘に作られた場所。ここ無くして夜の街カイナは語れない。人気のデートスポットでもあるこの場所。
まさか自分が誰かとここに来ることになるとは夢にも思わなかった。
スライムに乗った少女、というのは物凄く場違いだな、と思う。
Februaryはこの場所が好きだった。カップルが何組いようと関係ない。ここは、二人で誓ったあの場所に少しだけ似ているから。
「のう、February」
沈黙が気になったのか、ぺしぺしと頭を叩くベアトリスに、何だよ、と返す。少し素っ気なかったか、と気になって見上げた表情は、切なそうな、何かに耐えるような表情で、思わず硬直してしまう。
「妾と、これからも一緒にいてくれぬか?」
か細い声で告げられた言葉に、なんだよそれ、と笑ってしまう。
そんなの、告白みたいじゃないか。
「下等生物、なんだろ?」
「あぁぁ、あれはその、寝ぼけておった、のじゃ、うん」
笑みを含めたからかいの言葉に、あたふたと慌てた様子で言い訳を始めたベアトリスを、落ちないように支える。
まだ会って、一日も経っていない。だけど、何故かそれでも良い、と。とても魅力的な誘いに思えた。
いいよ、と端的に告げたFebruaryに、一瞬何が言われたのか解らない、と動きを止めるベアトリス。だが次の瞬間には喜色満面の笑みでベシベシとスライムの体を叩き始める。
「そうかっ!えへ、えへへへ」
「ちょっ!HP!HP減ってるって!!デスる!デスるっ!」
小さく、だが確実に減っていく体力に身体をぷるぷる震わせてベアトリスを振り落とそうとするが、ベアトリスは楽しそうに笑いながらも、がっしりとスライムの体を掴んで離さない。
「うは、うはは!主の体は冷たくて気持ち良いのう!妾の眷属にしてやっても良いぞ!」
「いや、それはお断りします」
「なんでじゃー!!」
カップルたちの迷惑そうな視線にも気付かず、二人は笑い合っていた。
それからの一週間、二人はクエストを受けたり、ダンジョンに潜ったり、他の街を観光しながらゆっくりと過ごしていた。
そして運命の日。如月修介にとって二度目のデスゲームは、唐突に始まりを告げる。
デスゲーム。今やただの都市伝説として扱われているが、それは確実にあった。
世界初VRMMOとなるはずだった『Lost Chronicle Online』。五年前に行われた五百人のβテストプレイヤー。現実時間一年、加速されたゲーム内時間三年の末、生還者はたったの百名。
国が関わるVR事業そのものを無くしてしまいかねない大事件だが、報道規制が掛けられ、世間がその惨事を知ることは無かった。
生還者であり、攻略組トッププレイヤーFebruaryは知っている。犯人である科学者の狂気と、真実を。奪われた研究の成果を我が物顔で発表されようとした憎しみを。そのセカイはただ一つ、彼の子供、幼いAIに手向けられていたことを。
憎みもした、恨みもした。後悔もして、嘆いて。それでも残ったのは大切な想いと、自分の居場所は現実ではないという絶望だけ。
Lost Chronicleの世界で、確かに命を懸けて、生きるために戦っていた。隣で支えてくれた愛しい人もいた。だけど今は、もういない。
だから<February>は、いくつものVRMMOの世界を渡り歩いた。時には剣を握り、時には銃を握り、時には杖を、時には素手で。
仮想世界でなら、大切なものを取り戻せそうな気がしていた。
その日、Februaryいつものようにベアトリスを体に乗せて、カイナの通りを歩いていた。ベアトリスはゲールの店で購入したたこやきを実に美味しそうに頬張っている。
「うまうま!フェイも食べるか!食べるといい!」
「ッァ熱っちゃあ!」
痛覚の再現は殆ど無いとしても、触覚の再現の為にある一定以上の刺激は感じれるようになっている。食べ物の熱は刺激の範囲内だ。ポトッと頭に位置するところに置かれた熱々のたこ焼き。予想外の熱さにFebruaryは飛び跳ねた。
たこ焼きと同時にベアトリスも宙に舞う。おぉ、とのんきに声を上げるベアトリスを自らの体で柔らかく受け止め、たこ焼きも口を開けて取り込んだ。
ちなみに、フェイというのはFebruaryのあだ名らしい。最初に呼ばれた時は動揺してそれどころではなかったのだが、今はもう慣れたものだ。
「おまっ、熱いだろ!スライムは熱に弱いんだよ!デスるわっ」
流石にたこ焼きの熱で死ぬことは有り得ないのだが、何せいきなりだったので数倍は驚いた。
すまぬ、となだめるように怒筋を浮かべるスライムをぺしぺしと叩く。どうやら軽く叩くのが癖になっているらしい。
Februaryとしても、何故かその行為で段々と落ち着いてくるようになっているのは不思議だった。
「それはそれとして、何でまたカイナに?まだ行ってない街あるだろ?確かにここは吸血鬼にとって過ごしやすい街だろうけど」
通常、吸血鬼は陽の光に当たるとステータス半減と火傷の状態異常を負う。火傷は徐々に体力を奪っていく状態異常であり、吸血鬼の場合陽の下にいる間中ずっと状態異常が続くのだという。
だが、真祖であるベアトリスは陽の下を歩いても状態異常にはならず、ステータスダウンだけで済むらしい。それを利用して色々な街を観光していた。そして、一度カイナへと戻りたいと言ったのもベアトリスだった。
「いやなに、今日はこの街の事を教えてやろうと思ってな!」
得意そうに胸を張るベアトリス。街ごとに設定はあるのは確かで、他の街では色々なキャラクターから街の背景を聞くことが出来る。だが、カイナでは誰からもその話が聞けずに疑問に思っていた。
「興味深いな、教えてくれ」
「うむ!実はな、この街はもともと吸血鬼の為の街だったのじゃ!」
驚きと共に、納得もする。そう、この街はあまりにも吸血鬼にとって都合が良いのだ。常に夜闇に覆われた街。ここでは吸血鬼としてのデメリットが発現しない。
「ということはこの街の住人、全員吸血鬼なのか?」
「いや、今この街に存在する吸血鬼は妾を除けば領主の一族のみじゃろう」
その言葉を聞いて、あるクエストで一度だけ謁見することになった領主の顔を思い浮かべる。髭を蓄えたダンディな紳士の姿。
確か名前は、ヴラード。いかにもな名前に、あれこいつ吸血鬼じゃね?と思っていたのだが、どうやらその通りだったらしい。
「この《千夜一夜》はある真祖の吸血鬼が命を賭して創り上げたモノなのじゃ」
《千夜一夜》、それはこの街を覆う夜闇そのものを表す言葉でもあり、恐らく、スキルの名称でもあるのではないだろうか。
世界を飲み込む夜の領域。それが常に発動できるのならば、吸血鬼にとってかなり有用なモノになるだろう。
何となく感慨深くなって、口を閉じてしまう。いずれ、それを手にする時が来るのだろうか。だとしたら自分は、誰よりもベアトリスの為に使うのだろう、と他人事のように思っていた。
そして、何分か続いた静寂を破ったのもまた、ベアトリスだった。
「フェイ、お主に渡そうと思っていた物が――」
そう、告げようとした瞬間、景色が、ブレた。
ザザ、と砂嵐のような数字の羅列に包まれ、世界が書き換えられていく。
驚き、声を上げることが出来ないまま何が起きようとしているのか見守ることしかできない。それほどの異常事態。
「お、おぉっ!?何じゃ!?」
救いは、ベアトリスも同じ異常を感じ取っていることか。一人だけでないことは、それだけで安心感を覚えた。
数字が乱れ舞い、ぱらぱらと砂嵐が収まった先に現れた光景。
見上げるほどの大樹を中央に沿えた広場。次々とその場に現れるアバターを見て、景色が変わったのではなく、何者かによってこの場に連れて来られたことを悟る。
だが、そこで更なる違和感を感じた。迷彩服を着込み、銃を構えたアバターが戸惑い、きょろきょろと周囲を見渡している。
いくつものVRMMOを経験したFebruaryは瞬時に理解した。
アレはVRMMO『End of War』の装備であり、決して『Grand Tale Online』の装備ではない、と。
続々と増えていくアバターが広場を埋め尽くしていく。
他にざっと見ただけでもVRMMO『Trick Trick』『Harvest Festival』『The Goddess of the Dark』ばかりか、VRコミュニケーションソフト『SKY@』のデフォルメアバターも見受けられた。
まるで、仮想世界中から集められているかのように、多種多様なアバターがそこには存在していた。
「おい、ログアウトできねぇぞ!」
「え、何コレ!?」
「どうなってんだよ運営!!」
どよめきと、怒声の飛び交う中、Februaryは呆然と大樹を見上げる。その状況が、かつての記憶を呼び覚ます。
フラッシュバックする記憶。この大樹に、Februaryは見覚えがあった。間違いない、間違えるはずもない、と。
「バカな……『Lost Chronicle Online』、だと……!?」
Lost Chronicle Online始まりの街、マキナ。その大広場へと、以前と同じように立ち尽くしていた。だが、違和感がFebruaryを襲う。
前回のクリア条件だったハズの"塔"が、無い。Lost Chronicle、始まりの街は大陸の中心にあり、同時にそこには七十層からなる塔が建てられていた。最上階の魔王を倒すことが前回の解放条件だったはずだが、ここにはそれがない。
「の、のぅ……フェイ、これは……どうなっておるのじゃ……?」
困惑、恐怖、怒り。広場の光景と状況にベアトリスが震える手でFebruaryの体の一部を掴む。その感触に過去へと埋没していた意識を取り戻す。ベアトリスを不安にさせるわけにはいかないが、何が起こっているのかは自分も解らない。
「解らない。だけど、絶対に良いことにはならない。……少し離れよう」
過去の経験から、いつでも逃げられるように人の少ない広場の隅を確保する。出来るだけ中心から離れ、かつ街の外へと退避しやすい位置取りだ。ここが本当にLost Chronicleの世界なら、この方角の門が一番近い。
同じく、数人が広場から出来るだけ離れようとしているのが見える。もしかしたら生還者なのかもしれないが、今は確認するすべはなく、そのつもりもない。
何分か経過し、ようやくアバターの出現が止まった。広場を埋め尽くす人々。多すぎる、とFebruaryは思う。数千人以上の声はそのまま暴力だ。ざわざわと煩い声は、突如大樹を背に空中に立つ少年型アバターが現れたことで静まっていく。
「ようこそ、プレイヤーのみんな。ここは僕の父さんが作ったLost Chronicleの世界に色んな仮想世界を組み込んである世界だよ。きっと死ぬほど楽しいよ。死ぬまでこの世界を楽しんでいって欲しいな」
クスクスと笑いながら告げる少年に、ほとんどのプレイヤーは思考停止する。
世間におけるLost Chronicleの認識は、世界初のVRMMOと宣伝されてはいたものの、不具合が多過ぎて発売できなかったゲーム、といったものだ。
「Lost Chronicleを知らない人がいるのかな?残念だなー。じゃあ教えてあげるね!Lost Chronicleは世界初と謳われたVRMMOの事だよ。でも結局発売されることはなかったんだ。なぜLost Chronicleが発売できなかったのか。それはね、βテストで父さんがデスゲームを仕掛けたからなんだ!」
まるで自慢するかのように堂々と。いや、実際に自慢しているのだろう。過去、自らの父が造り、デスゲームと化したこのセカイを。
この場にいる人間の中で、Februaryだけは少年の正体に見当がついていた。あの科学者を父と呼ぶ存在。
その予想は、少年の言葉で確実となる。
「そして僕は、本当のLost Chronicle製作者、偉大な父さんが作り上げたAI、マキナだよ!君たちプレイヤーをここに連れてきたのも僕さ!」
少年の笑い声は段々と狂気を帯びてくる。
まさか壊れているのか、と焦りと共に浮かべた思考とAIの狂気にも似た笑い声を、一発の銃声が遮った。
「ベラベラとうるせぇガキだな。いまどきデスゲームなんて流行んねぇんだよ!」
End of Warのプレイヤーだろう。軍服を着て、ハンドガンを構えている。
「そっ、そうだ!これもただのイベントなんだろ!!」
「早く解放してよ!」
「ログアウトさせろ!!」
男の声を皮切りに大合唱が始まる。
――これは、まずいな。
少なくとも、先ほどのハンドガンの一撃でこの場でも攻撃可能なことが確定してしまっている。
素早くステータスウィンドウを開き、今の自分に何が出来るかを確認する。すると、今までやってきたVRMMOで習得したスキル全てが使用可能になっていた。組み込んだ、ということは今までのデータも反映されることだったのだろう。更に驚いたのは、過去のLost Chronicleのスキルも含まれていることだ。画面の構成はLost Chronicle準拠のようで、固有技能の欄も以前と同じ文字列が刻まれている。
これは、強みだ。多種多様なスキルと、トッププレイヤーの中でも限られたプレイヤーしか得られることのなかったLost Chronicleの固有技能。
彼女を救えなかった瞬間が、フラッシュバックする。
吐き気にも似た感情を振り払い、ステータスを確認していく。レベルなどの数値的ステータスはほぼ初期値と言っても良いほどになっている。これは恐らくここに存在する全てのプレイヤーが初期値まで戻されているのだろう。
所持品の変更は無く、これはプレイヤー側に有利に働く点だ。レベルは初期値だが、最初から最高の武器を持っているようなものなのだから。初期値で装備できるものかどうかは置いておくとしても。
そして、当然のようにログアウトボタンは存在しない。
ざっと眺めただけでステータス画面を閉じると、無傷の少年アバター……AIが何か難しい顔をしていた。そして、納得したように手を叩く。
「あぁ、そうか。ログアウトできなくても本当に死ぬかどうかは解らないもんね!それじゃあ、そこの元気のいいお兄さん。見せしめになってくれる?」
そう言って指したのは、先ほど発砲した軍服の男。男は指に従って空中に浮きあがり、罪人のように磔にされた。
「オイ、ふざけんな!放せ!放せよ!!」
徐々に近づく少年の手には、いつの間にかロングソードが握られていた。
そして少年は、
「えー、だってこうでもしないと信じてくれないんでしょー?」
何の躊躇もなく、男の右腕を切り落とした。
男の絶叫と、勢いよく飛び散る血液。そして見えてしまう、グロテスクな切断面。
「まだまだいくよー」
陽気な声で残った四肢を切断していく。そのたびに上がる男の悲鳴に、痛覚の再現もされていることが解った。
「やっやめ、もうやめてくれっ!」
「これが、最後ーっ」
懇願に耳を貸さず、男の首を切り落とした。表示されていたHPバーが全て消え、点滅し始めたところで男の体は解放された。べちゃり、と生々しい音を立てて男の胴体は着地した。
その場から一気に退く群衆たちと、広がっていく血だまり。呆然と死体を見つめる者、絶句して涙をこぼす者、嘔吐する者すらいる。
Februaryも驚きで一瞬だけ思考停止してしまっていた。
以前のデスゲームでは痛覚の再現がされてはいなかった。だからこそ無茶をするプレイヤーが多く、生還者は少なかったとも言えるのだが、それにしてもあそこまで生々しく、グロテスクな物ではなかったのは確かだ。
これじゃあまるで、本当に現実みたいじゃないか。
第二の現実として、相応しく変化しているとでもいうのだろうか。
数秒後、男の死体は光の粒子となって消失した。
そこで初めて感じる、ゲームらしさとのギャップ。
「でもこれだけじゃあ、本当に死ぬかわからないよね?」
誰もがはっとして顔を上げ、少年を見上げる。
嘘だ、本当に死ぬわけじゃない。そんな願いを含む表情は、
「はい、これがさっきのプレイヤーの現実の体だよー」
すぐに絶望の表情へと変わる。
VR機器には現実の体を常にモニタリングできる機能がある。不要な機能としてほとんど使われることは無い機能。それは本来、本人にしか使用出来ないはずの機能。
だが、突如現れた大きなスクリーンに映し出されたのは間違いなく、その画面だった。アバターとは髪の色が違うものの、それは確かに先ほど"殺された"男の顔。だが、耳と鼻、見開かれた目から何かを垂らしている。
「VRシステムは双方向の送受信で成り立ってるのは知ってるかな?そこで脳がパンクするほどの情報量を一気に送信すると文字通り脳が溶けちゃいまーす!」
奇しくもそれは、五年前と同じ手法。五年前の事件を受けてさらに強固となったはずのセキュリティと制限すらも解除したというのか。
命を握られていることをその場の全員が理解した。理解せざるを得なかった。
「それじゃあ、各仮想世界から集めたプレイヤー全一万人!あ、今は九千九百九十九人か。まずはコレを生き残って、ゲームクリアを目指してね!」
ノイズと共に空中に現れたのは、優に百を超えるアサルトライフル。
「ベアトリスッ!しっかり掴ってろッ!」
「お、おぉっ」
誰よりも早く動いたのはやはり、Februaryだった。ベアトリスを乗せ、スライムの弾力を利用して高速で跳ね続ける。広場から、いや、この街から離れる為だ。
上下に揺れる最悪の乗り心地にあわあわと奇声を上げるベアトリスに口を閉じるように言うと、背後の広場からゲームスタートの声と、断続的な銃声。そして悲鳴、怒声が聴こえてきた。
これほどの惨事を予想していたわけではない。前回のデスゲームでも開始時は混乱、恐慌状態は数日は続いていた。そして、そんな状態のプレイヤーが何をするか解らないことも経験で知っていたためだった。
「……プレイヤー?」
全一万人。よくあの広場に収まったと思うが、疑問はそこではない。あのAIはプレイヤーを連れてきた、と言っていた。ということは、今自分の体に乗せているベアトリスはNPCではなく、プレイヤーだということになる。
だが、彼女の行動はロールプレイにしては行き過ぎているようにも思う。まるで、本当にGrand Taleの住人のようだった。
だが、今はそんなことはどうでもいいと疑問を振り払う。NPCだろうがプレイヤーだろうが、結局のところ接し方は変わらない。
向かうのは、西門。直線距離で一番広場から近く、三十分ほど歩けば西方面第二の街、フェントへと到着する。そこまでは出現するモンスターも弱く、初期値でも対処できる範囲のはずだ。
他のVRMMOを組み込んであるというのが不安材料ではあるが、どちらにしろ進むしか道は無い。
「見えた!西門ッ!」
気を抜きかけたところで、《攻撃察知》が警鐘を鳴らす。民家の窓から突き出されているモノは、
「RPG-7か……ッ!」
認識すると同時に発射される対戦車ロケット弾を撥ねることで避けるが、反転し、執拗に追ってくる。有り得ないほどの追尾機能。
そんなのRPGじゃねぇ、と悪態をつきながらも思考する。
恐らくEnd of Warの武器改造システム。どんな改造をすればここまでの追尾機能を付けることが出来るのか。
背後から聞こえる二発目の発射音に舌打ちをする。
逃げられないのならば、防ぐしかない。
「《硬化》ッ!」
タイミングを見計らって、自分の体を盾とする。一発目が着弾し、爆炎と熱風がFebruaryを襲う。全身を走る衝撃と激痛に己の失策を悟った。スライムは己の体を使い、攻撃・防御をする。つまり、痛覚が開放された今この状況では生身で攻撃を受けているのと同義だ。
《硬化》で和らいではいるものの、完全に痛覚を抑えられるわけでもなく、何よりスライムは炎が弱点なのだ。
爆煙の先から更にもう一発。二度目は耐え切れずに複数の小さな分体となって爆散した。
「ッゥ……」
敵の攻撃によっての分離は痛みがあるらしく、体中が引き裂かれる痛みを味わっていた。発狂しそうなほどの痛み、だが体力はまだ残っている。まだ死んでいない。ならば、まだ行ける。
ポーションを飲み、見かけ上の体力を回復することに成功する。
「フェイ!フェイッ!!」
泣きそうな顔で分体の一つを抱きしめるベアトリスに大丈夫だと声を掛けようとして、気付く。
ベアトリスの背後、巧妙に隠されたクロスボウ。ベアトリスは気付かない。彼女もレベル初期化に加え、陽光によるステータスダウンを受けている。だからこそ多少遅くなろうとも彼女を乗せたまま走っていたのだ。
「逃げ――」
言葉より早く放たれた鉄の矢は、難なくベアトリスの胸を貫いた。
ばしゃり、とベアトリスの血を浴びてしまう。
「ベアトリスッ!今ポーションを……!」
危険域を示す赤ゲージまで一気に減った体力。だが、これはゲームの中。体力がゼロにならなければどうにでもなるはずだ。
ポーションを取り出す間にベアトリスは突き刺さった矢を苦悶の声を上げながら抜き取った。
出血はひどくなるが、ポーションを飲ませるとすぐに安全域の緑ゲージまで回復する。だが、傷口が塞がらず、出血も止まらない。
「ッ!クソッ、End of Warのクラックキュアシステムか!」
リアル度を追求したミリタリーFPS、End of War。そのシステムの一つに適切な治療を受けなければ傷は完全には治らない、というものがある。それが適用されているのだと判断した。
せっかく回復した体力もじわじわと減っていくのが解る。だが、今この場で治療することは出来ない。
もう一度ポーションを飲ませ、分体を回収する。半分ほど小さくなった体にベアトリスを乗せて、進む。少しばかり速度は落ちるが、移動するには問題はない。もうすぐこの街から出られるんだから。
ベアトリスから流れる血液が、Februaryの体を赤く、紅く染める。
「のぅ……フェイ。お主に、渡そうと思っていた物が……あるのじゃ……」
継続的な痛みに耐えながらも途切れ途切れに口にする言葉。Februaryは反応をせずに、ただ必死に前へと進む。
「……ッゥ…………吸血鬼の秘宝……おぬしは吸血鬼でも無ければ人型でもないからのう、渡そうか迷っておった。でも、渡さないと後悔すると思った」
表示されるトレードウィンドウに目をやらず、ただひたすらに前へ、前へ。Februaryにも解っている。門は近い。だけどそれまでの建物の窓、影から覗く多数の銃口。その全てが、彼らを狙っている。
このままでは、二人ともゲームオーバーになってしまうことも。
「何言ってんだっての。いいからお前はポーション飲んでろ」
だが、ここで見捨てるなんて選択肢はあり得ない。見捨てるくらいならばいっそ一緒に死んでやる。
もう、大切な人を失いたくはなかった。
――だからこそ、いつも一人でいたというのに。
そんな思考。
仕方ないじゃないか。大切になっちゃったんだから。
ここにある大事なもの。手放す気は、無い。
「くふ。……しょうがないやつじゃのう」
ベアトリスは二回、スライムの体を弱弱しく叩きながら力を抜いて体を完全にFebruaryに預けた。
流れ出た血のせいか、いつもより湿った音がした。だけど、Februaryは預けられた体重とその行為に安心感を抱く。
外まで、あと一歩。
そして、全ての銃口が火を吹いた。
『一定量以上、吸血姫<真祖>の血液を摂取しました。転生条件を達成しました。吸血鬼<新祖>へと転生しますか?』
――Yes.