act.11
それは、遡ること一時間前。陽菜が騎士隊の訓練を眺めている最中のことだった。
「こちらは先月の税収についてまとめたものです。お目通しください。こちらの報告書には判を。それから――」
王の執務室に響くのは、リードの事務的な台詞。簡単な説明とともに机に並べられていく書類達に目を向けながら、ゼイルはリードの言葉に耳を傾けていた。
急ぎの案件は今のところ無さそうだ。そう判断するや否や、ゼイルは書類の山から一枚を引き抜いて羽ペンを走らせる。
黙々と政務をこなすゼイルの姿に、リードは何も言わない。下手に声をかければ集中力を削ぎ、仕事の能率を下げることにも繋がるからだ。
それは、ほぼ毎日のように繰り返される光景だった。
「……リード」
「は」
文字を書き付ける音だけが聞こえる空間の中、ゼイルがリードの名を呼んだ。
「あれはどうしている?」
あれ、とは。
ここ数日噂になっている彼女のことだ。
「先程お会いしましたが、元気に過ごされているようですよ。今頃訓練場にいるのではないでしょうか」
「訓練場?何故そのような場所に?」
「騎士隊の訓練に興味を示されていたようですので、見学してみてはどうかとお勧めしたのですよ」
「ほう?ならばオーヴィスにあの娘を紹介する手間が省けたということか。奴にはこれから存分に働いてもらわねばならん」
「……と、いいますと?」
「ふん、白々しい。知らないとは言わせぬぞ」
ゼイルに軽く睨みつけられ、リードは「ばれましたか」と小さく肩をすくめた。
「例の件ならば私も存じております。半分予想通りでしたが早かったですね。陛下の客人として迎え入れても、やはりあの姿では目立ってしまうのでしょう。さまざまな憶測に交じって聞こえてくるよからぬ噂の出どころもきっと同じだと思いますが」
「愚かなことよ。いくら嗅ぎ回ったところで何も出はしないというのに。……しかし、あの娘に何かあっても困るのでな」
「なるほど、そのために彼を」
合点がいったように頷くリードを横目で眺めてから、ゼイルは静かに羽ペンを置いた。
それから大きな判子で手元の書類に判を押し、無言でリードに差し出した。
(――これは)
受け取った書類をざっと眺め、リードは人知れず目を細める。
それは、国王からの正式なる任命書だった。
(先手を打つ、ということですか。実害が無いうちに“白銀の獅子”を護衛に据えることで、彼女の身を守ると同時に相手への牽制も兼ねる)
ゼイルは、彼女の身を守るためならば手段を選ばないだろう。
未だ力無きままの、光の姫巫女を守るためならば。
――十字架のペンダントを賜った、幸運なる娘を守るためならば。
(彼女は、知らないのでしょうね。あのペンダントがどんな意味を持つかなど、まるでわかっていない。陛下に口止めされている以上、僕は何も言えませんが)
けれど、彼女が何も知らないままでいられるならば、それでもいいと思った。
遠い異界の地にたった一人呼び寄せられた彼女を、良いように利用していると言われてしまえばそれまでかもしれない。
ただひとつだけ言えるのは――憎むなんてできないと、そう言い切って笑った陽菜の純粋な気持ちを裏切ることだけはしたくない。
それだけだった。
* * * * * *
初めて入る国王の私室は、予想以上に広く、豪奢だった。
豪奢といっても不快に思うことはなく、品の良いものばかりで全体的に調和のとれた部屋といえる。
もっとも、国王本人の性格を考えると、優美な装飾すら煩わしく思っていそうな気もするが。
「……どうした?」
内装に目を奪われたまま動かない陽菜を現実に引き戻したのは、ゼイルの静かな声。
視線を移せば、大きな椅子に身体を預けてこちらを眺めるゼイルと目が合った。足を組み、悠然と椅子に腰かけるゼイルの姿は恐ろしく絵になっていて、陽菜はごくりと生唾を飲み込んだ。
「な、なんでもないです。それより、陛下のお部屋ってすごく広いんですね」
「広い?そなたの部屋とそう変わらぬように思えるが……まあいい」
表情を変えないまま、ゼイルは足を組み替えた。
「訓練場に行っていたそうだな」
「え?ああ、はい。さっきまで見学させてもらってたんですけど、途中でいろいろあって。ここまではオーヴィスさんに連れてきてもらいました」
「ほう、ならば話は早い。今日そなたを呼んだのは、あやつについてだ」
「オーヴィスさん?それって、エルフィナさんが言ってた護衛の件ですか?」
「……知っていたのか?」
「知っていた、というかさっき聞いたというか。エルフィナさんとはついさっきお知り合いになったばかりなんですけどね」
何とはなしにそう言うと、ゼイルはふむ、と考えるように顎に手をやった。
「命を遂行しただけか、それとも偶然か……まあいい。どちらにせよ、話を通しておいて正解だった」
「……?あの?」
「そなたのことは、騎士隊長にも魔導師団長にも伝えてある。光の姫巫女であることも、当然知っている」
(あ……そういえば本当のことはごく一部の者にしか伝えられていないって言ってたっけ。オーヴィスさんもエルフィナさんも身分は高いはずだし、知っててもおかしくない。ってことは、さっきは知ってたけど言わなかっただけってことなんだ)
それにしてはごく自然な態度だったけれど、陽菜にとってはそのほうがありがたかった。
色眼鏡で見られるよりは、ずっといい。
もっとも、国王の客人という立場も充分特別なものなのだが――今は深く考えないようにしておく。
「それで、オーヴィスさんが私の護衛ってどういうことなんですか?」
これまでそんな話はなかったはずなのに、どうしてなのだろうか。
そんな陽菜の質問を受け、ゼイルはひとつ息を吐いてから口を開いた。
「そなたが我が客人であることは周知の事実。だが、それだけだ。皆に与えられた情報は、そなたが客人だということのみ」
「……ちょっと待ってくださいね。ってことは、他の人にしてみれば私は素性も知れない小娘でしかなくて、それなのに陛下の客人ってことになってるってことですよね?」
「そうなるな」
「ええ!?そんな、それじゃあ私めちゃくちゃ怪しい人じゃないですか!」
「そなたの身分を証明するものは何もないのでな。不用意な発言を控えただけだ。最悪拾ったとでも思っておけばよい」
「拾った……」
たしかに、陽菜がこの世界に来たときの状況を考えれば、彼に拾われたと言えなくもない。
だが、本当にそれで良いのだろうか。
「……みなさんそれで納得しているんでしょうか」
「納得していたならば噂など立つはずもなかろう。そなたの耳にも届いているのだろう?取るに足らない、さまざまな憶測が」
「ええ、まあ。気にしないようにはしてますけど……そういえば、光の姫巫女とかいう噂もありますよね」
苦笑いを浮かべながらそう言うと、ゼイルはふうとため息をつく。
「そなたの外見はどうにも目立つ。代々語り継がれてきた逸話とそなたを結びつかせるのは容易いだろう。そなたのことは然るべき時に公表するつもりでいたが……どうも面倒なことになりそうでな。取り急ぎ次の夜会で公表することになった」
「面倒なこと?何かあったんですか?」
「そなたが気にするようなことではない」
きっぱりと、しかし暗に詮索するなと言われたような気がして、陽菜はそれ以上何も言えなかった。
きっと自分には言えない理由があるのだろう。
勝手にそう納得して、陽菜は話を切り替えた。
「次の夜会で私のことを発表するっていっても、私は魔力の欠片すらない人間ですよ?そんな状態で光の姫巫女だなんて言っても、説得力皆無なんじゃないですか?陛下やリードさんみたいにわかる人にはわかってしまうんじゃ」
「その点はまったく問題ない――と言いたいところだが、実際その通りだ。そなたのことを公表したとしても、さまざまな見解が飛び交うだろう。無論公表していない今でも、そなたが身を守る術を持たない以上、危険に晒される可能性があるということだ。だからこそ、保険の意味でも護衛をつける必要があった」
「だからオーヴィスさんなんですね。納得しました。ああでも、私はすごくありがたいですけど、オーヴィスさんは迷惑じゃないんでしょうか?騎士隊長ってくらいだからきっと忙しいはずですよね」
「そなたが気に病むことではない。これは王命だ。奴がどう思おうと、従ってもらわねばならぬ」
そう言うと、ゼイルは椅子から立ち上がった。
今まで下に向けていた視線が上向き、自然と陽菜がゼイルを見上げる形になる。
(背、高いなあ)
なんとなくそう思った。
「……渡したペンダントは、今も身に着けているか?」
「え?もちろんつけてますよ?」
唐突な問いに、陽菜は数回瞬いた。
「綺麗だし、お守り代わりにしちゃってましたけど何かまずかったですか?あ、もしかして失くしてないか確認するためとか!?それなら大丈夫です、ちゃんと大事にしてますから!」
服で隠れて見えないけれど、十字架のペンダントはしっかりと胸元を飾っている。
大切にしていないなんて絶対に思われたくない。
陽菜は軽く胸元を押さえながら、ゼイルに向かってまくしたてた。
しかし、ゼイルは何を言うでもなく、陽菜を見下ろしながら目を細めただけだった。
「身に着けているのならよい。だが、ペンダントを他人に譲渡したり、紛失したりしてはならぬぞ。それは、我がそなたに贈ったモノなのだからな」
「わかってますよ!充分承知してますって」
そう言って笑う陽菜だったが、一方のゼイルは陽菜と視線を合わせたまま沈黙してしまう。
何か気に障るようなことでも言っただろうか、と陽菜は頭の中に疑問符を浮かべるも、ゼイルの表情かからはそれらを読み取ることができず、ただただゼイルの目を見返すことしかできなかった。
二人の距離は近く、傍目からは見つめ合っているようにも見える。
だんだんと恥ずかしくなってきたが、なんとなく視線を逸らしてはいけないような気がして、陽菜は動くことができなかった。
(現実逃避したい!切実に!でもなんかあるのかもしれないし……ああもうこれ前にもこんな状況あったよな!というか陛下って目すごい綺麗だよね。鮮やかな赤、なんて日本人にはない色だし。こんなにまじまじと見たことなかったからわかんなかったけど、なんだか宝石みたいだよね)
そんなことをつらつらと考えていると、沈黙を保っていたゼイルがふいに口を開いた。
「……そなたは目を逸らさぬのだな」
「えっ?」
「大抵の者は必要時以外我と目を合わせようとしない。血の瞳、と揶揄し恐れる者もいるほどだ。そなたは我を恐れぬのか?」
陽菜は、以前レティシアから聞かされた氷の王の呼び名を思い出した。
喜怒哀楽を表出せず、他人を寄せ付けず、静かで厳格な印象の国王陛下。
でも――――
「恐れません」
陽菜はきっぱりと言い切った。
「そりゃあやっぱり緊張はしますよ?でも、怖いなんて思いません。だって、陛下はこんなにも私によくしてくださるじゃないですか。それに、陛下の目、血の色だなんて思いませんよ?赤い宝石みたいですごく綺麗だと思います!その赤い目も銀の髪も陛下に似合っててかっこいいと……あ」
そこまで言い切ってから、陽菜ははたと我に返る。
自分たちはまだ視線を合わせたままだ。冷静に考えると、たった今口にした台詞はかなり恥ずかしいものなのではないだろうか。
(うわああああ男の人相手に何言ってんの自分!いや、素直な感想を口にしただけだよ!?うん、きっとそうだよ!深く考えたら死にたくなるわ!)
心の中で言い訳じみたことを呟きながらも、陽菜は羞恥心を誤魔化すように笑ってみせる。
ゼイルは、思案するように目を伏せてから吐息とともに言葉を吐き出した。
「我を恐れぬ、か……この目が宝石に例えられたのは初めてだ」
「ほ、本心ですから!あ、でもお嫌でしたら訂正させていただきますけど……」
びくびくしながらそう言うと、ゼイルは目を伏せて「いや」と首を振った。
「好きにしろ。そなたが良いのならばそれで良い。……我の手が血に塗れているのは、真実だがな」
「えっ……いま、なんて」
「――話は終わりだ。部屋に戻るがいい」
小さくて聞き取れなかった最後の言葉。
ゼイルが小声で何を言ったのかは気になるが、教えてくれる気はなさそうだったので、陽菜はゼイルの言葉に従い退室することにした。
「……不思議な娘だ」
陽菜が部屋を出て行った後、ぽつりと呟かれたその言葉は、誰の耳に届くこともなく、静かに空間にとけていった。
* * * * * *
「あれ、オーヴィスさん」
陽菜が自室に戻ってすぐ、オーヴィスが陽菜の元を訪ねてきた。
挨拶もそこそこに、陽菜は扉を開けてオーヴィスを部屋に招き入れる。
「何かあったんですか?あ、どうぞ好きなところにかけてください。えーと、紅茶とかってどこにあるんだろ。レティシア呼べばわかるのかな」
室内をうろうろと探し回る陽菜に、オーヴィスが苦笑しながら声をかける。
「ああ、気にしないでくれ。少し、君に挨拶しておこうと思っただけだから」
「挨拶?挨拶って」
私たち初対面じゃないですよね、と続けようとして振り返った先には――ひどく真面目な表情でこちらを見やるオーヴィスの姿があった。
先程までの穏やかさから一変し、真剣な雰囲気を纏うオーヴィスに、陽菜は困惑気味に立ち竦む。
「え、いったいどうしたんですかオーヴィスさ――」
陽菜が最後まで言い切る前に、オーヴィスが動いた。
その場で静かに膝を折り、陽菜に向かって頭を垂れる。
――まるで、忠誠を誓う騎士のように。
「クロスティア王国騎士、オーヴィス・リュオルン。王命により遣わされ、光の姫巫女様の護衛を務めさせていただくことになりました。至らぬ身でございますが、我が身を賭してでも御身をお守りいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします」
オーヴィスの口から流れるように紡がれる言の葉達を、一瞬理解することができなかったのは仕方のないことだろうか。
陽菜は、唐突な展開に固まったままオーヴィスを見下ろすことしかできなかった。
随分とお久しぶりになってしまいました……申し訳ありません!
最後のオーヴィスとのシーンは次回に持ち越そうとも思ったのですが、ちょっとだけ入れました。
いつもより長くなってしまったのは気のせいだと思いたいですね。




