18.夢見た未来へ③
一歩足を踏み出すたび、周囲の人々が頭を下げる。
ルーシャは今度は足を止めず、ただ真っ直ぐに前だけを向いていた。
ファビウスからは戴冠式のあと、ルーシャの一言が欲しいと懇願されていた。その願いを受け入れたのは、他でもないルーシャ自身が、今この瞬間の感情を言葉で皆に伝えたいと思ったからだ。
ルーシャはステージの下にいた衛兵の手を借り、低い段差を登るとファビウスとロレッタの前で恭しく一礼をする。
「……ルーシャ、君が俺に頭を下げる必要は、この先もずっとない。君が望めば、俺は……俺たちは、必ず君の力になると今ここで誓おう」
ファビウスの言葉は、ルーシャが闇の竜王を倒した今、《光彩の乙女》としての価値を失わないようにと考慮して言ってくれたのだろう。ルーシャが皇城を去っても、皇族との繋がりは絶たれないと、この場にいる全員に宣言してくれたのだ。
(本当に……何度お礼を言っても足りないわね、ファビウス)
顔を上げたルーシャは、この体で生きる道にできた戦友に対し心からの笑顔を返す。
「ありがとうございます。……私もお二人に何かあれば、再び竜たちと手を取り立ち上がるとお約束します」
「……なるほど。それは頼もしいな」
ファビウスが苦笑したのは、ルーシャが遠回しに「ファビウスとロレッタに何かしたら、全ての竜を敵に回すと思え」と周囲に警告したことに気付いたからだろう。
ベレスフォード公爵やブラッドリーたちが捕まったからと言って、悪の芽を全て摘んだとは限らない。同じような悲劇を繰り返さないためにも、事前の牽制は必要だ。
ファビウスはルーシャに隣に来るよう声を掛け、好奇に満ちた眼差しを向ける大勢の招待客たちをぐるりと見渡した。
「闇の竜王を討ち滅ぼし、その命を賭してルトアーナ帝国を救ってくれた《光彩の乙女》ルーシャから言葉を貰う。全員心に刻むように」
静寂に包まれた会場の中央で、ルーシャは深く息を吸う。不思議と緊張はなく、穏やかな気持ちでゆっくりと言葉を紡いだ。
「……病弱だった私の夢は、竜の背に乗り自由に空を駆けることだった」
それは、この体の本来の持ち主であったルーシャの夢だ。ルーシャ・オールディスの消えてしまった魂の為に叶えてあげたいと思っていた夢は、無事に叶えられることができた。
そしてできることなら、竜騎士のように戦う訓練に挑戦してみたいと思っている。闇の力から奇跡の生還を遂げたルーシャの体は、今や健康体そのものになっていたからだ。
「その夢は《光彩の乙女》として歩む道の先で叶い、私にはたくさんの仲間ができた。皆が私に感謝の言葉を伝えてくれるのは、とても嬉しい。でも……私の方が感謝を伝えたい人はたくさんいるの」
ルーシャはアベルと竜騎士団の皆、そしてファビウス、ステージ袖に控えていたエドナ、それから大空へと順に視線を移す。
戴冠式という輝かしい日に相応しい、どこまでも澄み渡る青空が広がっている。
「私を受け入れてくれた竜騎士団のみんなと光の竜たち、信じてくれたファビウス、味方でいてくれた侍女のエドナ、それから力を貸してくれた他の大陸の竜王と竜騎士団のみんな……闇の竜王を討伐できたのは、決して私一人の力じゃないって、声を大にして伝えたい」
光の竜王のときに過ごした光の大陸だけという狭い世界ではなく、他の大陸を訪れ広がった世界で結んだ絆。それが今のルーシャの一番の戦利品であり、未来に繋がる希望の架け橋だと思っている。
そして、これから口にする言葉は―――生き残った《光彩の乙女》にしか伝えられない大切なことだ。
「……《光彩の乙女》は、過去に何度か誕生し、そのたびに闇の竜王を討ち滅ぼしルトアーナ帝国を救ってきた。それなのに、ほとんど情報の価値がある文献が残っていないのは……命を落とした《光彩の乙女》と闇の竜王は、人々の記憶の中から消されてしまうからなの」
「……何だって?」
すぐ隣から、ファビウスの低い呟きが聞こえた。ルーシャはこの事実を、まだアベルにしか伝えていない。
竜騎士や竜たちの間にも動揺が広がっていることが分かった。ノクトは驚きで目を見開き、グランヴィルとイーニッドは『何で黙ってたんだ』と言うように思い切り睨むような視線を送って来ている。
つい最近アベルに全てを打ち明けたときも、暫く無言でぎゅうぎゅうと痛いほどに抱きしめられた。それほどまでに衝撃を与えてしまう事実をこの場で口にしたのは、皆にやってほしいことがあるからだ。
「だから……みんなにお願いがあるの。どんな形でもいいから、今回起きた出来事を後世に伝えられるように残してほしい。歴代の《光彩の乙女》たちがこの国のために命を捧げた事実を……多くの人たちの記憶に、残してあげてほしいの」
真実を後世に伝え続けることが、《光彩の乙女》として生き、そして闇の竜王との戦いで生き残ることができたルーシャの新たな使命だ。既に分厚い日記帳を購入し、《光彩の乙女》として歩んだ道を毎日書き記している。
そしてその日記が、いつの日かまた誕生する《光彩の乙女》の希望になれるようにと―――そう願っている。
「私は竜帝国ルトアーナで、この先も《光彩の乙女》として生き続ける。闇の竜王がいなくなっても、竜騎士団と共に悪しき竜からこの国を、みんなを護りたい。人と竜が、楽しく幸せに過ごせるように―――ずっと」
真っ直ぐに前を向いてそう言葉を結んだルーシャに、一拍置いて温かい拍手が降り注いだ。皆がルーシャの考えを理解してくれたのだと分かると、自然と笑みが溢れる。
言いたいことは言えたと満足しながら、竜騎士団の皆のところへ戻っていいかと訊ねようと隣を見れば、ファビウスが険しい顔で眉を寄せていた。
「……言いたいことは山程あるが、もう隠し事はないな?勝手に記憶からいなくなったりしないよな?」
「うん、大丈夫。だから安心してロレッタと幸せになってね」
「全く……君といると驚かされるばかりで寿命が縮む」
「あら、私はファビウスの新鮮な表情が見られて楽しめているわ。ありがとうね、ルーシャ」
くすくすとロレッタが笑ってそう言えば、ファビウスは途端に拗ねたような顔になった。幼い頃にも似たような表情を見たことを思い出し、ルーシャは笑いながら二人の顔を交互に見た。
「……本当に良かった。ずっと前から想い合う二人が、ようやく隣で笑い合えるようになって」
余計なことを言ってしまったと思ったのは、照れた表情を見せるロレッタとは逆に、ファビウスが訝しげな表情でルーシャをじっと見つめてきたからだ。
「ずっと前からって、どういう……」
「ふふ、それじゃあ私の役目はここで終わりね!アベルたちのところへ戻るわ!」
鳴り止まない拍手の中、ルーシャはステージ上からふわりと飛び降りる。翼が生えたかのように軽やかに飛べたのは、国を救うという重い責務から解放されたからだろう。
「……っ、ルーシャ!まさか君は……!」
背後から届く戸惑ったようなファビウスの声に、ルーシャは一度だけ振り返り思いきり笑った。
その笑顔をどう受け取ったかは分からないが、ファビウスはただ困ったように笑い、そのあとで深く頭を下げた。
(ちょっとファビウスってば、皇帝が簡単に頭を下げるなんて……あら?)
拍手が止まり、周囲がざわついたのはファビウスがルーシャに向かって頭を下げたからだと思った。けれど、上空から突然花びらが降ってきたことが原因のようだ。
視界いっぱいに色鮮やかな花びらが舞い、周囲からは感嘆の声が漏れる。ルーシャはパッと視線を空へと向けると、祝福を降らせてくれている色とりどりの竜の姿を捉えた。
各大陸の竜王の背中の上で、竜騎士団長たちが籠いっぱいの花びらをばら撒いている。
(みんな……来てくれたのね)
空を駆ける竜王たちの元へ、リュミエールが楽しそうな鳴き声を上げてくるくると円を描くように飛んでいく。
五大陸全ての竜王が揃った鮮やかな空を見上げながら、ルーシャはフッと笑みを零した。
そして、大好きな人たちの待つ場所へと駆け出して行くのだった。
次回、最終話です。




