卵を破れない鳥
鳥は卵を破って出てくる。
卵は鳥の世界である。
生まれようとする者は、一つの世界を破壊しなければならない。
ヘルマン・ヘッセ -『デミアン』
鳥は卵を破らない。
卵は鳥の世界である。
鳥はゆっくりと溶けていく。
そして、どこへも行けない。
世間は僕たちに夢を強要する。夢を持たない人間は人生の敗北者、俗物、拝金主義者と呼ばれ、蔑まれる。少年よ、少年でも少女でも、野望を抱け。お前の情熱に世界はいつも応えてくれるだろう。
数え切れないほどの自己啓発本がそう語ってきた。そしてこれからも語るだろう。夢を持て。夢を見ない青春はオアシスのない砂漠であり、チーズのないピザであり、あんこの入っていない饅頭も同然だと言うだろう。もちろんチーズのないピザもあるが、僕は個人的にそれが嫌いだ。まずい。
夢のある人間は多い。子供が好きだから教師、自分の仕事がしたいから起業家、世界を少しでも良い方向に変えたいから政治家、何もしたくないからニート、生まれながらの資産家等々……。世の中に生きる人の数だけ夢があり、それぞれが望む色も違う。
だが大抵、現実は残酷だ。いや、正確に言えば残酷というより無関心だ。僕という存在にまるで関心がない。よく人を歯車に喩える。歯が欠け、擦り減ったら取り替えればいい歯車だと。
だが僕はそう言う連中に言ってやりたい。ふざけたことをぬかしてやがる。
僕は歯車にすらなれない。僕は誰かに合わせて回るのにちょうどいい凹凸を持った人間ではない。歪んでいて、性格が悪く、理性より感性に忠実だ。僕という人間を噛み合わせて回せるような機構を持った集団など、この世に存在するはずがない。喩えるなら僕は歯車にすらなれなかった、いびつな鉄の塊のようなものだ。僕のようなものを入れれば、その機械は回るどころか壊れるだろう。
ここまで言えば分かるかもしれないが、突然夢の話から自殺直前の自己卑下に飛ぶような人間なら、大体察しがつくだろう。僕がどういう人間かについて。おそらく三本の指に入るはずだ。
一つ目は事業に失敗した五十代の一家の主か、十年間片想いしていた女を親友に奪われた間抜けか、小説家を夢見る二十代の大学生だろう。
そう、残念ながら僕はそういう人間だ。小説家を夢見る二十代の大学生だ。
卑劣で無情な世の中を恨みながら、この世界を取り巻く大きな議論にいつも意見を持っているが、それを表明する場も、意志もない、そんな人間だ。せめてもの救いは、Xにくだらない文章を垂れ流すような愚かな真似だけはしていないということだろうか。
そう、僕という人間の唯一の長所はそれだ。Xに駄文を撒き散らして自分の文章を擁護するために躍起になる、そんな人間ではないということ、それが僕の唯一の長所だ。それほどに僕は取るに足らない、つまらない人間だ。
「いつも言っていることですが、雪原学兄の文章は非常に情念的な傾向が強いですね」
「……」
僕は今、自分の小説が引き裂かれているこの状況で、そんなことを考えている。実際に引き裂かれているわけではなかったが、実際に引き裂かれた方がまだましかもしれないと思った。ゼミ室の円卓には皆が輪になって座っていて、僕の小説を切り刻んでいる奴は僕の向かいに座っていた。
教授は黙って頷く。僕はときどき、この授業の主は教授ではなくこいつなのではないかと疑うことがある。それならいっそ講義など持たなければいいものを、僕の学費で給料をもらっているならもう少し丁寧に見るべきじゃないのか?
「非常に感情に偏っています。この『文章』の内容は半分以上、大体七割ほどが感情の羅列に過ぎません。私は情念は小説にはなり得ないと思います。こうした情念を練り上げ、意味化の過程を経てきちんと形にしてこそ、初めて意味があると思います」
僕はとうとう我慢できなかった。いくら嫌でも、僕の短編小説を小説とすら呼びたくないというようにわざわざ「文章」と表現したことは、本当にプライドが傷ついて耐えられなかった。
「お前……いや、斎藤くんは小説というものに対して、随分偏った見方を押し付けているんじゃないか? 既に有名な短編作家たちも、十分こういう題材を通して……小川洋子とか……多和田葉子とか……」
「彼らはこうした感情や情念を小説的言語として洗練させ、十分に意味のある短編として編み上げています。短編小説と呼ぶに値する作品です」
まるで僕が話しているのをあいつが遮ったように聞こえるかもしれないが、実際は僕がそこまで言って考えが複雑になり、言葉を続けられなかっただけだ。あいつは僕が黙っている間に自分の言いたいことを言ったに過ぎない。礼儀正しい。本当に腹が立つ。喋るのは本当に嫌なのに、責める隙がなかった。
「申し上げた通り、この文章が小説になり得ないのは、そうした情念が有機的でなく断片的に遊離しているところにあります。心象と心象がつながっていないので読解に時間がかかり、理解の果てにたどり着いて残るのは、語り手の分裂的な思考が生み出す悲劇の無価値さです。ある意味では、非常に暴力的なやり方でもあります」
「暴力? 暴力だと?」
僕が歯を食いしばって気色ばんでも、あいつは瞳一つ揺らさず話を続けた。
「はい。プロットも、物語も、文章も、文体も、象徴も、すべて暴力的です。語り手が自分の男性器を手で握りつぶす場面は、意味のある試みだとは思いますが、説得力がまったくありません。衝撃的な場面であることは認めますが、その衝撃は物語的な説得力を伴ってこそ有効だと思います」
あいつは実に十分間も僕の小説を切り裂いた。その後の話は斎藤の言葉のヴァリエーションに過ぎなかった。教授でさえそうだった。
僕はうつむいたまま、その評価をノートに書き留める気も起きず、黙って聞いていた。生意気に見えるかもしれないが構わない。僕は一年休学して戻ってきた身だ。ここに僕より年上の者はいない。僕はこのゼミ室で一番年上だった。僕は後輩たちに無残なまでに打ちのめされた。
条虫になりたい。目にも留まらないほど小さくなれたら、きっと恥ずかしさすら感じないだろう。そうだろう? ヘラクレスオオカブトでなくてもいいから、幼虫になって土の中に潜り込みたい。それでマオリ族の妙に白い歯に無残に噛み砕かれるのも、悪くない結末のような気がした。
僕の小説をまともに読めなかった、他の間の抜けた顔の連中には特に何も思わなかった。女も男も、皆くだらないポーズの寄せ集めに過ぎなかった。僕の小説への評価だけで、授業のすべての時間が過ぎていく。一分が一年のように感じられた。家庭の事情で休学し、アルバイトばかりしていたあの一年間でさえ、こんなに時間が経たないことはなかった。
何より腹立たしいのは、斎藤の言うことがことごとく正しいという事実だった。あいつは僕の小説をちゃんと読んでいた。真剣に読んでいた。この場で他人の言ったことをオウム返しにするような下劣な連中とは違った。あいつは僕の小説を本当にちゃんと見ていた。小説のすべての部分で、僕がどんな考えで書いたのかを分かっていた。あいつが本当に天才だからなのか、努力したからなのかは分からないが、あいつは教授よりも僕の小説を完全に理解していた。
だからなおさら嫌で、腹立たしくて、殺したくなった。あいつはそれほど真剣に読んで、僕の小説を方法論的に、物語的に、構造的に、リアリズムの観点から、モダニズムの観点から、徹底的に分解して批判した。
だから僕はますますプライドが地に落ちた。むしろこいつがいなければ、ちゃんと読まれなかったという理由で自己満足に浸ることもできただろう。だがそれも不可能だった。僕自身が誰よりもよく分かっている。知らなかったが、斎藤のせいで思い知らされた。
僕の小説はゴミだ。卒業のシーズンが近づいているのに、僕の小説は一年生の頃に言われたことと何一つ変わらない評価しか受けていない。
「つまり雪原さんは、もう少し物語構造に踏み込んだ書き方をしてみたら……」
―ガタッ!
「ゆ、雪原さん?」
―バタン!
「クソが!」
そう、僕は性格が悪い。小説も書けない癖に、優しくもなかった。後悔するのが分かっていながら、ゼミ室のドアを蹴破って飛び出してしまった。もう四年生だというのに……単位も取らなきゃいけないのに……。
僕の小説は情念的だ。そして僕はそれ以上に情念的な人間だ。自分の感情を、自分自身でもときどき制御できない。
僕は飛び出してからいくらも経たないうちに、また戻ってきた。
「ゆ、雪原さん?」
僕はあまりにも腹が立ったせいで、置いてきた鞄をまた取りに戻っただけだった。後輩たちの嘲笑う声が、背後から聞こえてくるような気がした。
ああ、
死ねば楽になるのに。
ふとそんな考えが浮かぶ、三月だった。
こんにちは、平凡な作家Aです。
今回は「卵を破れない鳥」というタイトルで、主人公・雪原が自分の小説をゼミで徹底的に批評される話でした。
唐突ですが、僕は最初はただの流れる台詞のようにさりげなく登場して、決定的な瞬間にもう一度投げかけることで初心を思い出させたり、キャラクターや状況の変化を際立たせたりする場面が好きです。例えば『デミアン』に出てきたようなものですね。僕もそんなふうに、これからこの物語にもそういう仕掛けを一つずつ仕込んでいこうと思っています。
ここまで一緒にいてくださって、本当にありがとうございます。忙しい一日の中でこの文章を読んでくださっただけでも、僕にとってはもう贈り物のようなことです。もし少しでも心が動いたなら、ブックマークや評価、短い感想を一言でも残していただけると、本当に励みになります。いつも温かく応援してくださって、心から感謝しています :)




