砂漠に浮かぶ月
漆黒の闇が辺りを覆った。吹き荒ぶ風は砂漠の砂を舞い上げて叩きつけていく。波をうねらせるかのように砂漠に波紋をつけながら、風は進む。冷たい空気をまとって、風は進む。その中を縫うようにひそやかに、一人の男がらくだの背に乗って現れた。顔を布で覆い、砂を吸い込まないようにしている。男はその風の中ゆったりとした動作で辺りを見まわすと、にやりと口唇の端で笑って見せた。軽く手を上げて、合図を送る。そのとたんに男の背後からは幾多のらくだとその背に乗った荒くれた男どもが姿を現した。砂漠の民に恐れられている、賊である。先ほど合図を送った男は、その賊の頭で名をヨハイムといった。漆黒の髪を布で覆い隠し、薄く光の加減では紫にも取れるほどの濃い青の瞳を細めて見せると、ヨハイムはそのまま辺りを窺いながら先へと進んで行く。目指しているのは、この先にいるはずの旅団だった。
旅団には金目のものがある。
ヨハイムは荒れ狂う風の向こうに見える月を仰ぐと、腰にぶら下げていたシャムシールを抜き出して月へと掲げた。それはつまり合図なのだ。ヨハイムの視線の先には旅団がある。いまから攻め込むぞ、と仲間にそう伝えたのだ。
ヨハイムの合図と共に仲間たちは雄叫びをあげてそれぞれの武器を手に、旅団へと突き進んで行く。
「いいか、人間は殺すな! 金目のものだけ奪え!」
ヨハイムは攻め込んでいく仲間たちに大声でそう告げると、彼も自ら攻め入っていったのだった。
警護に当たっていたものたちがそれぞれに剣を取り出して戦おうとする。だが、人数が少数の賊に押されていってしまう。ヨハイムが率いている賊は、砂漠の民の中でももっとも恐れられている最強の賊だったのだ。
にやりと口元を歪ませると、ヨハイムは警護に当たっていた人間を軽々と交わし、さらに奥へと突き進んでいく。大事なものほど奥へとしまい込んでしまう人間のそれを、いともあざ笑うかのように突き進んでいくヨハイムはだれにも止められることはなかった。
「待て!」
ヨハイムの目前に、薄い栗色の髪をした男が立ち向かった。ヨハイムはその姿を目線の先で捉えるなり、慌てたように乗っていたらくだの足を止める。苦々しい表情を浮かべてヨハイムは彼を見下ろした。まっすぐに射抜くような視線を浴びて、ヨハイムは眉間にしわを寄せてしまう。
「……お前は誰だ。この俺を止めるなど、命知らずもいいところだな。」
低い声がヨハイムの口からこぼれていく。らくだの上から見下ろしたままに飛び出てきた男にそう言うと、ヨハイムは楽しそうにクククと咽喉を鳴らして笑ってみせる。凛々とした視線は変わらないものの、ぎりと見返してくる男の淡い瞳の色は澄んでいたのだ。
「俺は、警護責任者のファーという。ここまでだ、ヨハイム!」
ファー、と名乗った男はそう言うなり、ヨハイムを目掛けて切りつけてきた。だが、ヨハイムはらくだから軽々と飛び降りてそれを交わすと、腰にぶら下げていた剣を抜き出してファーへと構える。その表情は嬉々としていて、ファーはぞくりとした戦慄を感じずにはいられなかった。ファーは剣を構えたヨハイムに向かって己の剣を振り下ろす。だが、それは見事に交わされてしまうのだ。
「俺に勝負を挑んだこと、後悔するなよ。」
ヨハイムが剣を交わし、にやりとした笑みを浮かべる。ファーは当たらないどころかかすりもしない己の剣を振り回し、何度もヨハイムに挑んでいった。
「逃げるだけか!」
ファーが叫びながらヨハイムへと剣を振り下ろす。ヨハイムはその言葉に一瞬身を翻そうとしたが、そのままファーの剣をガキンと受けた。ファーが両手なのに対し、ヨハイムは片手でそれをいとも簡単だというように弾き返す。ち、と舌打ちをしたファーはそのまま剣を引き今度は下から切り込んで行った。だが、それも簡単にヨハイムに阻まれてしまう。キィン、という金属がぶつかる音が漆黒の闇に響き渡った。
「お頭!」
ファーとの戦闘を見ていた窃盗団の仲間が、思わずというようにヨハイムの呼び名を呼んだ。ヨハイムはわずかにそちらに視線を投げ、その隙を突くかのようにして、ファーがもう一度下から切り込んでいく。だが。
ひらりと身を空に翻し、ヨハイムは飛びあがったかと思うとファーからずっと離れた場所へと降り立ったのだ。ふわりと、まるで空を飛ぶかのように飛びあがったヨハイムを、驚いたようにファーが凝視する。ヨハイムはその隙をついたようにするりとシャムシールをファーの咽喉もとに突き立てた。
寸でのところで止められて、ファーは思わずごくりと咽喉を鳴らしてしまう。
「……お前の負けだ。」
冷たく月の光に反射して、濃い紫に光る視線がファーを捕らえた。
カラン、と乾いた音を立てて、ファーの手から剣が滑り落ちる。そのままヨハイムは剣を突き立てたままにゆったりと手を伸ばして、ファーの腰へと回していった。つい、と剣を外すのと同時にヨハイムはファーを抱き寄せ、そのまま口唇に己のそれを重ねていく。軽く触れ合わせたかと思うと、すぐに口唇は離れていきゆったりとした弧を描いて言葉を紡いだ。
「……気に入った。」
にやり、薄笑みを浮かべると同時にヨハイムは周りにいた仲間たちへと声を掛ける。
「引け!」
ヨハイムは先ほどまで捕らえていたファーの腰から手を離すと、ひらりとらくだへと身を翻しそのまま一気に走り去って行く。ファーはその後ろ姿を呆然としたように眺めていたが、やがてがくりと膝をついた。
「……俺は……負けたのか……。」
ぼそりと呟くと、さきほどわずかにヨハイムの口唇が触れた己の口唇に指先を当てたのだった。
走り去って行くヨハイムの背には、燦然と輝く月が見えた──。




