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女騎士団長様の仕立て直し ~その心、私が優しく縫い合わせます~  作者: 団田図


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第21話 執務室の冷戦

 王立騎士団本部の地下深く、第零班ゼロ執務室。

 そこはここ数日、物理的な室温とは無関係に、絶対零度の空気に包まれていた。

 原因は明確だ。

 部屋の中央、書類の山に埋もれる団長クラリス・フォン・アルゼインと、黙々と団員の衣類の修繕作業を続けるお針子ベラ・ガーランド。

 この二人の間に、会話が一切ないからだ。


 数日前、ベラはクラリスに告げた。「妹を殺した黒幕は、貴女の後見人であるヴァルデング判事だ」と。

 それを信じたくないクラリスと、真実を突きつけたベラ。

 かつてあれほど甘く温かい空気に満ちていた部屋は、今や呼吸するだけで肺が凍りつくような冷戦状態にあった。


「……おい、ギルバート」


 沈黙を破ったのは、不機嫌を極めたクラリスの声だった。

 彼女の目の前には、ベラが置いた弁当包みがある。無視しようとしても、昼時を告げる腹の虫の抗議には勝てなかったのだ。


「は、はいっ! なんでしょう団長!」

「このお針子に伝えろ。『今日の焼き加減は悪くないが、全体的に酸味が足りない。私の疲労を考慮していない怠慢な味付けだ』とな」


 ギルバート一等兵は天を仰いだ。

 ベラはすぐそこにいる。二メートルの距離だ。直接言えばいいのに、なぜ自分を挟むのか。

 恐る恐るベラの方を向くと、彼女は表情一つ変えず、さらに冷ややかな声で返した。


「……ギルバートさん。団長殿にこうお伝えください。『酸味が足りないとのこと、承知いたしました。団長の性格が十分に酸っぱくていらっしゃるので、バランスを取るために控えさせていただいたのですが……次はもっと酸味を抑えて塩漬けにします』と」

「ひぃっ……!?」


 ギルバートは悲鳴を上げた。

 以前のベラなら、困ったように微笑んで受け流していただろう。だが今の彼女は一歩も引かない。その言葉は、丁寧に研ぎ澄まされた針のように鋭い嫌味となって返された。


「……き、貴様っ!」


 クラリスが顔を真っ赤にして立ち上がる。

 だが、言い返す言葉が見つからないのか、図星だったのか、彼女は悔しそうに唇を噛むと、ガタッと椅子を蹴った。


「……手洗いに行ってくる。ギルバート、戻って来るまでにこの部屋の空気を入れ替えておけ!」


 クラリスは床を大きく鳴らしながら部屋を出て行った。

 上着の軍服は、椅子の背もたれにかけられたままだ。


 バタン、と扉が閉まる。

 その瞬間だった。


 シュッ。


 ベラが動いた。

 先ほどまでの冷徹な表情は消え、職人の真剣な眼差しで上着へ滑るように近づく。

 彼女の「針子の眼(スティッチ・アイ)」は、昼間からずっと気になっていたのだ。

 クラリスの軍服、その右袖の第三ボタンが、糸一本で辛うじて繋がっていることを。


「……あんな状態で腕を振ったら、どこかへ飛んでいってしまいます」


 ベラは懐から「肉球リッパー」と針を取り出した。

 迷いはない。

 残った糸を瞬時に切り、新しい強靭な糸を通す。

 ボタンホールに針を潜らせ、生地をすくい、玉止めをする。

 その間、わずか十秒。

 神業のような速さで補修を終えると、ベラは何事もなかったように自分の作業机に戻り、再び冷ややかな表情を貼り付けた。


 数分後。

 戻ってきたクラリスは、不機嫌そうに軍服を羽織った。


「……ん?」


 袖を通した瞬間、クラリスが微かに眉を動かした。

 取れかけてプラプラしていたボタンが、今は吸い付くように定位置に収まっている。

 それだけではない。襟元のシワも、袖口のほつれも、彼女がいない間にすべて「魔法のように」整えられていた。


「……」


 クラリスは、背を向けているベラをちらりと見た。

 礼を言うべきか。いや、喧嘩中だ。それに、ベラがやったという証拠はない(この部屋には彼女しかいないが)。

 クラリスは口をもごもごと動かした後、結局何も言わずに席についた。

 ただ、その頬はほんの少しだけ緩み、整えられた袖口を愛おしそうに撫でていた。


 その背中越しに、ベラは小さく息を吐いた。

 ガッツポーズなどしない。ただ、あの子が「着心地の悪さ」を感じずに済むのなら、空腹で倒れるようなことさえなければ、今はそれでいい。

 どんなに拒絶されても、ベラにとってクラリスは守るべき「愛しい上司」なのだから。


+++


 午後。

 クラリスは執務室を抜け出し、第一地区にあるヴァルデング判事の屋敷を訪れていた。

 ベラの告発が嘘だと証明するため。

 そして何より、自分の中に芽生えた小さな疑念を打ち消すために。


「おや、クラリス。どうしたんだい、そんなに怖い顔をして」


 応接間に現れたヴァルデングは、いつものように慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 高級な白檀の香りが漂う。

 クラリスは膝の上で拳を握りしめ、意を決して口を開いた。


「……お義父様。単刀直入にお伺いします。……十年前の『嘆きの聖女事件』、そして私の部下の妹の死に……貴方は関わっておられますか?」


 部屋の空気が止まった。

 だが、ヴァルデングは動じることなく、悲しげに眉を下げただけだった。


「……誰が、そんなことを?」

「私の……部下のお針子です。ベラ・ガーランドという……」

「ああ、あの可哀想な娘か」


 ヴァルデングは、諭すように首を振った。


「クラリス。お前は純粋すぎる。下町の貧しい人間は、ときとして金や同情のために、平気で嘘をつくんだよ」

「し、しかし! 彼女は証拠のいくつかを……」

「捏造だよ。妹を失った悲しみで、精神を病んでしまったのだろう。妄想と現実の区別がつかなくなっているんだ」


 ヴァルデングが歩み寄り、クラリスの肩に手を置く。


「私を信じないのか? 孤児だったお前の後見人となり、ここまで育て上げた私を。……あの薄汚いお針子の世迷言と、私の言葉。どちらが真実か、賢いお前なら分かるはずだ」


 その手は温かく、声は優しい。

 クラリスの心にある「父への思慕」という一番脆い部分を、的確に撫でてくる。


「……信じます」


 クラリスは、縋り付くように答えてしまった。


「すみません、お義父様……。私、どうかしていました。ベラの嘘に惑わされて……」

「いいんだよ。お前は優しい子だからね」


 ヴァルデングはクラリスの頭を撫でた。

 安堵して屋敷を去っていくクラリス。その背中を見送った直後、ヴァルデングの表情から「慈愛」が剥がれ落ちた。

 そこにあるのは、壊れた玩具を見るような冷酷な侮蔑だけだった。


「……チッ。あのお針子、余計な知恵をつけおって」


 ヴァルデングは側近を呼んだ。


「処理しろ。……今日の夕刻、廃棄4区画の倉庫だ。あそこなら叫び声も届かん」

「はっ。どのように呼び出しますか?」

「先日の通り魔事件について現場にいた者に調書を取るとでも書いておけ」


 ヴァルデングは歪んだ笑みを浮かべた。

 腐った果実のような本性が、香水の奥から滲み出していた。

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