第12話
「ここが四花亭?」
華やかな大通りから少々奥に入った場所に、カッコンツェルの店はあった。
薄いピンクに塗られた壁に、屋根には丸みを帯びた赤い瓦。
黄色い花が窓辺に飾られた2階は住居、1階部分が店舗と作業場。
ここには看板とか、そういったものはない。
代わりに、真っ白な木製のドアには4種の花が鮮やかに描かれていた。
整備された石畳の道を俺がのんびり歩いて20分程の距離に、今日は40分はかかった。
でも、あっという間に着いてしまったように感じた。
「ああ、ここが四花亭だ」
俺がカッツェの店にミルミラを連れて行くと、ドアの中央には『臨時休業』と書いた大きな紙が張られていた。
もちろん、あいつが書いた字で。
「なんて書いてあるのかな? 字……だよね?」
ミルミラがでっかい目でじ~っとそれを見て、首をかしげていた。
……下手とかってレベルではなく、壊滅的で解読不能という域に達しそうなその文字。
繊細な菓子を作ることが出来るくせに、なんでいつまでたってもこうなんだろうか?
「これは臨時休業って書いてあるんだ」
「ふ~ん……わかったぁ! これが達筆過ぎて読めないって事なのね!? あ、ここ壊れてる。こんなに可愛くて素敵なドアなのに……」
俺が壊しちまったドアノブに気づいたミルミラが心底残念そうに言うので、俺は今後壊さないことを決意した。
気をつける……だけじゃうっかり壊しそうだから、決意にしてみた。
「外でなにいちゃついてるの? さっさと入ってきなよ」
俺がドアに触れる前に、笑顔全開の麗しすぎる店主が内側からドアを開けた。
薄紅のレカサではなく仕事着の白衣で身を包んだカッコンツェルがそこにいた。
陽を集めて編んだかのような白金の髪は、一糸乱れぬ見事な三つ編みで背へと垂れている。
「いらっしゃいませ。さぁ、どうぞ可愛らしいお姫様」
機嫌良さげに細められた青灰色の瞳を見上げ、ミルミラは固まった。
「……ぁ……」
綿素材の白い仕事着を来たカッコンツェルは洒落っ気感ゼロだ。
なのに。
「はじめまして、ミルミラさん。僕は四花亭店主カッコンツェル、セレスティスとは幼馴染なんだ」
「……ふわぁ、綺麗」
みるみるうちにミルミラの頬が染まる。
おい、ミルミラ。
俺の格好には無反応で、なんで作業服のカッコンツェルを見て頬を染めやがる!?
「わぁ~! きれ~いっ、すて~きっ、素敵!! カッコンツェルさんって、とっても綺麗! 王子様みたい!」
「え……あれれ?」
そう言われたカッコンツェルが、少し慌てながら俺へと視線を流した。
俺はといえば。
「……なにぃ!?」
今、カッツェを王子様みたいって言ったよな!?
しかもセレスティスは言えねぇクセに、カッコンツェルはすんなり言えちまうのかぁああ!?
しかも、しかもっ、カッツェが王子様ってなんだよ!?
「え~っと……セレ、顔が怖いよ? うん、そうだよね。僕は綺麗なんだけど……王子様か……初めて言われたよ」
こいつのどこが王子なんだよーっ!?
王子ってか王女……女王様じゃねぇかっ~!!
「とにかく、入って入って! セレスティスが商品ぜ~んぶ、君のために買い上げてくれたんだから!」
全部って……おい、それ初耳だぞ!?
まあ、いいけどよ。
俺のために、店を閉めてくれたんだしな。
「あのお嬢さんの中では、髪型や服は王子様度ポイントが低いんだね」
店内にある喫茶コーナーにミルミラを座らせ、俺とカッツェは茶と菓子を用意する為に厨房に行き、作戦の失敗と今後の対策を小声で話し合っていた。
厨房……カッツェはアトリエだって言うけど、俺的には厨房または作業場だと思う。
ここは店の奥に位置していて、販売用スペースの数倍の広さがあった。
「おい。お前が俺をこんな格好にしたくせに、さらっと言うんっじゃねぇよ!」
カッツェはまるでレースのような透かし模様のシルバープレート製のケーキバスケットに、ミルミラが食べてみたいと言っていた数種の焼き菓子等を盛り付けながら言い、俺はポットに茶葉を投入し、やかんを火にかけ、小花模様のティーカップを人数分用意しながら答えた……勝手知ったるなんとかってやつだ。
「あのね、誰から見たって今のセレは見た目だけなら王子様だよ? このセレを見て求婚OKしないなんて……あぁ、産めるものなら僕が……いや、逆に君が雌なら僕が……僕が君を……それも悪くないなぁ……ふふっ」
戸棚から出した薔薇モチーフの陶器製ティーストレーナーをトレーに置いてから、意味深に俺を流し見るカッコンツェルの三つ編みをひっぱった。
「俺が雌!? お前と違って無理があり過ぎるだろうがっ! なぁカッツェ、王子様作戦はこれで終わりにしないか? 俺は時間がかかったって、求婚を何度も繰り返そうと思う。王子様なんて無……いてっ!」
俺に掴まれたそれを上半身をさっと引いて取り戻し、その勢いで鞭のように俺のわき腹を一発叩き、女神というより女王様なカッコンツェルは言った。
「時間をかけるだって!? 冗談じゃないよっ……一刻も早くあのお嬢さんとセレをくっつけるんだから! ふっふっふっ……僕はこの作戦を続行し、君達を性交さっ……成功させる!」
「……カ、カッツェ!?」
その妖艶な美貌に似合いすぎる妖しげな微笑を浮かべ、右手で菓子の盛られたケーキバスケットを高く掲げてカッコンツェルは宣言した。
「僕は僕の未来のためにも、君に全力全面協力する!!」
青灰色の瞳が、爛々と輝いていた。
いや、どっちかっつーと……ぎらついていた。
俺の頭の中に、何故かガルデウッドが浮かんだ。
職人繋がりか?
ん?
‘僕は僕のために‘って……あれ?
「ま、どうでもいいか。カッツェ、ありが……ん?」
俺のために協力をしてくれるカッコンツェルに礼を言おうとしたら、言い終わる前に左手で口を押さえられた。
「お礼は言葉じゃなく行動でお願い。竜珠交換して名づけも無事済んだら、絶対にこれを飲んでね?」
有無を言わさず握らされたのは、手のひらサイズの小瓶。
中の液体の色は……色は……これは何色って言ったらいいんだろうか?
「………」
掻っ捌いた腹にココアを入れ、ホワイトチョコを少々と菜っ葉をすり潰した汁を混ぜて唐辛子の粉末を大量に加えてかき回したらこんな色になるような……これを飲めって!?
「……これ、なんだ?」
さすがに、ちょっと嫌だ。
得体の知れない薬は、ばばあ陛下のだけで勘弁して欲しい。
「ふふっ……これはね、子供が父親似になる確率が上がるという素晴らしい物なんだ! 南方に行った時、現地の呪術士に配合を教えてもらったんだよ! 熟成させたイカ墨とナマコ、鶏のトサカにトドの雄のあれとか……まあ、いろいろ入ってるんだ。詳しいことは知らないほうが良いと思うよ?」
使用目的→子供を父親似にする
「……」
原材料→知らないほうが良いもの
「…………」
「ねぇセレ、君は僕の友情に深く感謝してるよね? セレと僕は友達、親友だよね!? だから今朝の僕を孕ませたい発言は、あの子には一生黙っててあげる! 僕のこの友情に応えるためにも、これを交尾前に絶対に飲んでくれるよねっ!?」
「……わ、わかった」
鬼気迫る様子に、俺はとりあえず頷いておいた。
ミルミラに求婚した後にカッコンツェルと試しに寝てみようかなんて、半ば本気で考えてしまったことを知られるのは……かなりまずい気がするしな。
「飲む」
「そう言ってくれると思ってたよ! ありがとう、セレ。大好き!」
煌びやかな笑顔で、カッコンツェルは俺の両頬に軽くキスをした。
幼竜の頃から繰り返されるその行為を、俺は黙って受け入れた。
カッコンツェルは普通の竜族だ。
なのに俺は、餓鬼の頃からこいつには勝てない。
陛下と違った‘勝てない‘を、こいつは俺へと投げてくる。
なんの気負いもなく気軽に、自然に。
「で、話を戻すけど。さっきの言動からも、王子様という胡散臭い存在に彼女が憧れを持っていることが再確認できたね。う~ん、僕が王子様ねぇ……なんでかなぁ?」
やかんの湯が沸いたのことに気が付いたカッコンツェルは、猫脚のティーポットに湯を移しつつ、ミルクピッチャーとシュガーボウルを準備しろと目線で俺に促した。
俺は小瓶を大理石の作業台に置き、ミルクと砂糖を準備した。
「僕と君の王子様としての違いか。違うと所……あっ! 僕をまねればいいんじゃないかな!?」
「は? お前のまね!?」
「今の君の見た目はセレフェチの僕じゃなくったって、かなりの高得点のはず。彼女のあのそっけなさ……容姿を重視してるとは考えられない」
せれふぇち。
セレフェチ?
セレは俺だよな、俺のことだよな!?
「ふぇ……ふぇちっ……カッツェ、それどういう意味だ?」
「ん? 君が大好きだって事。ま、そこは気にしないでいいよ。今はこっちが重要なの。‘俺‘は使用不可。今後は‘僕‘を使うんだ。乱暴な物言いもダメ!」
「……なっ!?」
僕。
つまり。
俺が僕。
「ちょッ……待っ」
「待たない。ほら、ミルミラさんを待たせてるんだから……さて、僕はこれを仕上げようかな」
カッコンツェルはティーセットを俺に任せると、こん炉で熱していた金属のこての様子を確認した。
木製の持ち手の部分から金属棒が伸びていて、その先にある丸く平たい部分を数分間熱していた。
「次は外見じゃなくて内面改善? 君のチンピラもどきの餓鬼っぽさが、王子様度の足を引っ張ってるんじゃないかと思うんだ。王子様って、物腰柔らかで女性に優しいイメージがあるだろう? まぁ、そんなの所詮幻想……良い菓子職人は貴族や王族に仕えている事が多いから、そういった人間を訪ねると王族に会う機会も多くて、王子様なんて人種がろくでもないって身をもって思い知ったよ……」
嫌なことを思い出したのか、美麗な顔がほんの一瞬だけ歪んだ。
「カッツェ……そいつ等、俺が殺してやろうか?」
「時効だからいいよ。ま、なんだかんだ言っても尊敬できる菓子職人や良い人間も沢山いるって知ってるから、僕は人間って生き物が好きなんだけどね。温度……うん、もう大丈夫」
こての温度に満足げに頷いて、カッコンツェルは作業を開始した。
保冷庫から深みのある丸い器を3つ取り出し、それを作業台に乗せてから表面に砂糖を均一にまいた。
「さあセレ、先生みたいに‘僕‘って言ってごらん?」
「っ!? え、そのだな、ぼ…ぼぼぼぼっ……ぼぼっ~うわっ、言えねぇ!」
「ふふふっ……君のそういうところ、好きだよ」
笑いながら、カッコンツェルは熱した金属のこてを砂糖にあてた。
砂糖が一気に熱で変化する音と共に、甘さをほろ苦さで包み込んだような香りがふわりと広がった。
テーブルに所狭しと並べられた菓子に、ミルミラは目を輝かせた。
真っ白なテーブルクロスの上は、菓子の花畑状態だ。
ケーキバスケットには四花亭自慢の焼き菓子、色鮮やかなフルーツソースと美しくカットされた果物で飾られたアイスクリームには飴細工の薔薇が添えられていた。
「わぁ~綺麗! これもそれも、美味しそう! あ、でもこんなには……」
ミルミラは菓子と、次々と菓子を並べていくカッコンツェルの顔を交互に見て言った。
「お持ち帰りも出来るから安心していいよ。他にもあるから、好きなものを好きなだけ食べてね。セレ、お茶淹れて。もちろん僕の分もね」
「……」
俺とミルミラをくっつけると言いながらも、カッコンツェルは俺達を2人っきりにする気は全くないようだった。
他の雄ならここから蹴り出すが、こいつなら居ても良いと思える……雄っぽくないしな。
それに……。
3人でテーブルを囲み、和やかな時間が始まった……はずだったのに。
俺は自分で淹れた紅茶で口の渇きをごまかしながら、必死に自分を抑え込んでいた。
カッコンツェルの存在が、俺のそれを押し込めるのに手を貸してくれていた。
「……」
そこに目が釘付けになってると、自覚があった。
ミルミラの、口。
菓子に触れる唇がマシュマロみたいにふわふわしてるって、俺は知っている。
あの小さい口の中には……可愛らしい白い歯と、あったかい舌が……。
「セレ? やけにおとなしいけど……どうしたの?」
一言も喋らない事をいぶかしんで顔を覗き込んできたカッコンツェルが、はしゃぎながら夢中で菓子を食うミルミラを気にしつつ、隣に座っている俺に小声で聞いてきた。
「……俺……」
まずい。
俺、変だ。
食わせたいんだ。
あの口に。
「俺……食わせた……いんだ」
あ、やべっ。
声に出ちまった!
「どういう意味? あ、こらセレ、俺じゃなくて僕でしょう!?」
「あのな、急には無理だって……ミルミラ?」
俺の左腕を両手でしっかり掴んで密着しているカッコンツェルとのやり取りを、さっきまで菓子に夢中だったミルミラが食べるの止め、銀のフォークをぎゅっと握って見ていた。
「……カッコンツェルさんとセレは、とっても仲良しなのね」
俺達を瞬きもせず見ていた蜂蜜色の眼を伏せ、ミルミラは手元にあるティーカップへと視線を移した。
フォークを皿へそっと置き、ティースプーンに持ち帰ると紅茶をぐるぐるとかき回し始めた。
「…………カッコンツェルさん、とっても綺麗だもの。綺麗で優しくて、美味しいお菓子も作れて……すごく素敵……私……私は……」
「ミルミラ?」
たださえ小柄なミルミラが、さらに縮んで小さくなったように見えた。
カッコンツェルは俺からぱっと身体を離し、俯いてしまったミルミラの姿に柔かな微笑を浮かべた。
「ミルミラさん……君は……そっか、うん。なるほどね! 良かったねセレ」
「は? どこが良いのか、俺にはわかんねぇよ」
急に元気が無くなってしまったミルミラに、どう対処してたらいいのか見当もつかず内心焦る俺とは対照的に、カッコンツェルは笑みを深めて上機嫌になっていった。
「あ、‘俺‘は無しでしょ! もう、この幸せ者。心配して損しちゃったよ!」
「はあ? 意味わかんねぇし。それに、急には言い方変えられねぇよ……ん?」
懐にしまっていた伝鏡から、微かな振動が布越しに伝わってきた。
無視しようかと思ったが、考え直した。
席を立つ理由に使えるからな。
ちょっと離れれば、この抑えがたい衝動も落ち着くだろう。
「カッツェ、城から連絡がきた。仕事……呼び出しかもしんねぇ」
「え?」
ミルミラは俺の言葉にすばやく反応して、その顔をあげた。
「セレ、お仕事なの?」
大きな目玉に映る、俺の顔。
それを目にしたら、ますます湧き上がる想い。
「確認してくる。カッツェ、ミルミラを頼む」
このままここにいたら。
理性がぶっ飛んで。
また口で食わせちまいそうだしな。
はっきり分かった……あれキスなんかじゃない。
俺はキスをしたかったんじゃない。
こいつに、食わせたかったんだ。
口移しで食わせたいと思っちまうなんて。
まさか、俺って変な性癖でもあるんだろうか!?
「うん、了解。ミルミラさん、これ来月出そうと思ってる新製品なんだ。食べて食べて、自信作なんだよ?」
「え、うん。はい……いただきます」
カッコンツェルが少々強引に勧めた菓子を一口食べたミルミラが、その味にほわりとした笑みを浮かべたのを確認してから、俺は席を立った。
厨房……カッコンツェル風に言うとアトリエか。
ここには濃厚な甘さと、少し焦げたようなほろ苦い香りが残っていた。
さっきカッコンツェルが砂糖を焦がした時のものだ。
この独特の香りが、俺は嫌いじゃない。
スプーンを入れると薄氷のようにぱきんと割れ、とろりとした生地と一緒に食うと食感の違いが楽しめるあの菓子は、この店の人気商品の一つだ。
きっとミルミラも気に入るだろう。
「やっぱ仕事かな? めんどくせぇな~」
俺はニングブック達を溶液送りにしちまった。
竜騎士が2人、しばらく使えなくなったわけだ。
「つまり人手不足……これって自業自得ってやつか?」
寄りかかったオーブンの表面は、まだ熱が残っていた。
その熱さは布越しだと心地良かった。
三段式の大きなガスオーブンは、クソババア陛下にカッコンツェルが開発を任されているご自慢の宝物だ。
人間の菓子職人は、まだガスのオーブンを手に入れることが出来ない。
帝都にしか設置されていない。
この技術が兵器へと流用されるのを防ぐためだと、カッコンツェルが言っていた。
竜族より短命で身体能力も劣る人間は、武器や兵器の開発に俺達には理解しかねる程の情熱と執着を持つ……生き物を効率良く大量に殺す方法を考えることが、人間は昔から得意だ。
「弱いから、かな……俺にはわかんねぇな。命のやり取りなんだから、自分の手で殺ればいいのに」
俺は懐から電鏡を取り出し、中指の爪で3回突付いた。
「はい、はい。セレスティスで~す。何の御用でございますか、クソバ……竜帝陛下」
この手のひらに収まるほど小型の携帯用電鏡の鏡面には、画像を写すほどの性能はない。
声だけが、竜族になら聞こえる程度の小さな音量で聞こえるだけだ。
クソババアは電鏡の向こうで、言った。
しわがれた、耳障りな声で。
---仕事だ。すべき事を忘れるな。
それだけだった。
「……忘れてなんかいねぇし」
今夜は『納品』がある。
俺の『仕事』がある。
面白おかしく俺の学習院時代の事を話すカッコンツェルと、それを聞き楽しげに笑うミルミラの声が、無駄に良すぎる俺の耳へと流れてくる。
「……忘れられたら、良かったのに」
耳を手で強く塞いでも、その笑い声は脳の中で愛らしい笑顔と共に舞い踊る。
無邪気なその笑顔が。
「ミルミラッ……!」
汚らしく醜い俺を、拒絶しているような気がした。