第10話
「誰?」
再度、言われた。
竜帝さえも簡単に殺しちまうらしい<監視者>の塔のそばで。
俺はちんまい雌竜に殺されかけていた。
「誰って……っぐ!!」
その破壊力は凄まじく。
無駄に頑丈な俺の心臓が、数秒止まったような気がした。
こいつなら、言葉だけで俺を殺せるんじゃないか!?
「おおおおお前! ふっ、ふざけてんのかっ!? そのでかい目玉は飾りもんかよ!? 良く見ろっ!」
「今、ご本読んでるの。私はご本を見るの」
ミルミラは膝に置いた本の表紙を、小さな手でぽんぽんと叩いた。
「開いてねぇえんだから、読んでねぇだろうがっ!」
ミルミラの蜂蜜色の目は、古びた絵本から離れない。
顔を上げようともしない。
「いっぱい読んだから、覚えてるの。だから頭の中で読んでるの」
このクソチビめ。
ちゃんと俺を見ろってんだ!
俺はお前の好きな王子様っぽくなったはずなんだ。
「ミルミラ」
見ろ。
見てくれ。
俺を、見てくれよ。
「……ミルミラ。俺を見てくれ」
俺はデカリボンの正面に膝をついた。
「頼むから、俺を見てくれよ」
両手を地面につき、屈んで視線をあわせた。
ミルミラの柔らかな髪が風に揺れ、下から覗き込むようにした俺の頬を撫でた。
「頼むっ……!」
言いながら、ふと気づいた。
おい。
俺よ。
かなり土下座っぽくねえか、この姿勢は?
「あ……きれい」
小さな手が、俺にのばされた。
肩の上でばっさり切られた髪に、その指先が触れた。
俺の髪が気に入ったのか、ミルミラは両手を使って撫で始めた。
小さな手はふわりとして、あったかい。
それはとんでもなく気持ちが良くて。
俺は目を閉じ、その感触を味わった。
「あなた、きれいな髪の毛ね。きらきらの銀色で……うわぁ~、さらさらでつるつる!」
風がミルミラの髪に飾られた花をやんわりと揺らす。
馬の蹄に似た形のユニの葉の透き間から注ぐ陽が、俺より白いミルミラの肌を彩って……。
ずっと、こうして見ていたい気分だ。
ずっと、こうしていたい気分だ。
「……ミルミラ」
ああ、俺。
間違ってなんかない。
こいつが、好きだ。
好きだ。
好きだ。
眼を開け、ミルミラを見た。
今は目の前にこいつがいるんだ。
もったいなくて、閉じてらんねぇな。
「あ、空色のお目々。ん~? あれぇ?」
デカリボンの手が、俺の顔に触れた。
顔を寄せ、くんくんと俺の匂いを嗅いで……ほんと、小動物みたいな生き物だ。
「あら、この匂い……」
ミルミラはにこっと微笑み、立ち上がった。
絵本を右腕で胸に抱き、左手でワンピースの裾をはらいながら言った。
「びちゃもじゃぼろさんだったのね! こんにちは」
びちゃ……って、おい!
びちゃってねぇし、髪は整えたばっかだし、服は新しいんだぞ!?
「だ~か~ら! 俺はセレスティスだって言っただろうがっ!」
言いながら。
俺は顔が緩んでいるという自覚があった。
「むむ~ん、セセレレレテ……難しいし、言いにくいよ」
匂いって、こいつは言った。
俺の匂いを、こいつは覚えていた。
「……じゃあ、セレでいい」
「せれ? セレなら簡単ね!」
それはつまり。
「え~っと、じゃあご挨拶をやり直すことにするわ! こんにちは、セレ」
「おう」
俺をちゃんと認識してるってことだ。
雄として。
「おう? ダメよ、それじゃ。ご挨拶したらご挨拶しなきゃダメなのよ?」
ぷくっと膨らんだ頬を思わず人差し指でつつきそうになり、左手の人差し指を自分の右手でぎゅっと握った。
「? うふふっ、変なかっこう! さあ、ちゃんとこんにちはって言ってね」
確かに変だな。
両膝を地面に着いたままミルミラを見上げ、片手はその顔面へと真っ直ぐに伸び……もう片方の手で頬を狙っている人差し指を握りこんでるなんてな。
そんな俺を見て、ミルミラが笑った。
蜂蜜色の瞳にうつる間抜けな姿の俺。
「ミ、ミルミラ……こ、ここ・こんにちはっ」
間抜けなのは格好だけじゃなく、声まで間抜けだった。
そんな俺にミルミラは変わらぬ笑顔のまま答えてくれた。
「うん、こんにちは!」
挨拶か。
なんか照れくさいな。
でも、悪くない。
こんにちは……か。
今度は言われる前に言おう。
ん?
おい、俺よ!
なに和んでるんだ!?
言わなきゃいけないのは、挨拶だけじゃないだろうがっ!
言え。
言うんだ、俺よ!
ミルミラを探してたのは、この為だろうがっ!!
「おい、ミルミラ。好きなだけ菓子を食わせてやるから、デデデー……いいいっい……一緒に街に行こうぜ!」
「ほえ? 街?」
言えた。
俺はちゃんと言えたぜ、カッコンツェル!
ま、ちょっと省いた単語もあるけどよ。
それはまた日を改めてってことで勘弁してくれ。
「やっ……お菓子、いらないもの。だから街には行かない」
心の中でカッツェに一方通行な報告をしていた俺から顔をそむけ、ミルミラはつぶやくように言った。
らしくない、小さな声だった。
ミルミラからはさっきまでの笑顔が消え、蜂蜜色の目はぎゅっと合わさったまぶたに隠されてしまう。。
力が入りすぎて、目元と鼻筋にしわが現れた。
「は?」
これは、拒絶?
断られたのか、俺は。
「私、行かない。街には行きたくない」
「行かないって、お前……」
おい。
それは俺の想定外の返事だぞ!?
断られることを考えてなかった俺は、おめでたいを通り越して……う、考えるはのやめよう。
「なんでだ? 帝都の街は店もいっぱいあって、賑やかで面白いぜ?」
街が……人混みとかが嫌いなんだろうか。
「……お姫様はお城にいなきゃなのよ? セレは知らないの?」
両腕でぎゅっと絵本を抱き、前かがみになりながらミルミラは言った。
「お姫様をさらう悪い魔法使いがいるから、私はお城にいたほうがいいの」
「は? なんだそりゃ!?」
悪い魔法使いだって?
魔法使いなんてそんなもん、空想の……御伽噺に出るような存在だ。
実際にはいねぇし。
まぁ、魔女はいるけどよ。
「この絵本にも悪い魔法使いが出てくるの。悪い魔法使いはとっても怖くて、強いの」
また絵本かよっ。
「陛下も言ってたもん。外には悪い魔法使いがいて危ないから、ずっとお城に住んでいいって言ったもん!」
「陛下が? そんなのばばあの作り……っ」
作り話。
そう言いかけて、言葉をのんだ。
ミルミラは、この古い絵本を俺から見てもとても大事にしている。
だから作り話なんてことは、こいつに言うべきじゃない。
それに。
あのクソババアまでが『悪い魔法使い』だって!?
「ばば……陛下がそう言ったんだな? 外には悪い魔法使いがいるから、城に住めって言ったんだな?」
「うん」
落ち着け、俺。
考えろ、俺。
クソババア陛下はなんでこいつに……?
「……そうか。わかった」
立ち上がりかけた腰を地面に戻し、俺はその場に胡坐をかいて座った。
街に行きたくないこいつを、無理に連れて行くことはしたくない。
そばに居られれば。
城だってどこだっていいんだしな。
「カッツェの……四花亭の菓子、食い放題だったんだけどな。街はやめ……」
「四花亭!? うそうそっ、きゃぁあああ~!!」
ミルミラの弾んだ声が、俺の口を強制的に封じ込めた。
「行く!」
俺を見る飴玉みたいな目は眩しいほどに、きらきらしていた。
「…………行くって、おい」
てめぇ……今、行かないって言ったばっかじゃね?
悪い魔法使いがいるから行かないって言ってたじゃねぇかっ!
「四花亭のお菓子って大人気でなかなか食べれないって、食堂のお姉様が言ってたの! 帝都で一番人気のお店だって、食堂にある雑誌にも書いてあったもん! わぁい、四花亭だぁ~!」
「そ、そっか……じゃあ、俺と菓子食いに行くか」
のろのろと立ち上がった俺を見上げるミルミラの頬が、興奮したためかほんのり染まっていて。
とんでもなく可愛くて。
なんかもう、いろいろどうでもよくなってしまった。
こいつがこうやって笑ってくれるなら、それだけで……。
「うん! 四花亭のお菓子、食べに行く!」
「菓子っつーか、え~っとだな、俺的にはデー……ま、いっか」
なぁ、カッコンツェル。
王子様っぽくなったはずなのに。
カッツェの菓子に、俺は負けたちまったぜ?