和解し背徳 第八話
「……ほぅ」
子供たちが寝静まった夜、廊下の窓から空に浮かぶ月を見る。なんとなく夜風に当たりたくなり、大部屋から静かに抜け出してきたのだ。
「あぁ……とても心地いい満腹感。幸せぇ……」
まぁ、食べ過ぎた胃を落ち着かせたかったというのもある。しかし、本当にここの食事は美味しかった。乗ってきた船の中でも食事はあったけど、流石に数日間同じものが続けば飽きもする。というか、そこまで量多くなかったし。
「……キリエさん、寝ちゃったかな」
結局、彼女とは話すことはできなかった。食後の後片付けとか子供たちを寝かしつけたりとか、何かと関わるタイミングはあったはずなのに。
このまま明日の朝まで、今みたいな空気が続くのだろうか。
「私なんかのために、キリエさんがあれこれ悩むのは嫌だなぁ……」
「私がどうかしたの?」
「ひゃい!?」
突然の声に変な声を出してそちらを向けば、そこには月明かりを自身の髪に反射させ、静かに佇むキリエさんがいた。
「きききキリエさん!? いつからそこに!?」
「所用を片付けて帰ってきたところよ。貴女こそ、こんな時間に何してるの?」
「わ、私はちょっと風に当たりに」
「そう。なら、私も少しお邪魔するわね」
そう言ってキリエさんは、私の隣に立つ。もうダメかと諦めかけていた時に、巡ってきた絶好のチャンス。これを逃すのは良くないと、意を決して入浴時のことを話そうと考えたその時、キリエさんは静かに口を開く。
「お風呂でのこと、ごめんなさい」
「……あー、やっぱり気にしてましたか? あの時にも言いましたけど、あまり気にし過ぎないでくださいね?」
「違うっ……そうじゃないのよ、そうじゃないの」
「っ!?」
クールな印象のあるキリエさんから出た大声に、一瞬体がピクリと反応する。その時初めて、私は彼女が気にしている事というのが、私の話した内容だけでないことを理解した。
「……私には、キリエさんが何を思っているのかがわかりません。よかったら今キリエさんが抱えてるもの、私に話してくださいませんか? もしかしたら、少しくらいは肩の荷が降りるかもしれませんよ」
「それはっ……いえ、そうね。貴女には、それを聞く権利があるわ」
キリエさんの腕が、少し震えている。きっと今から彼女の口からか語られることは、きっと凄く重い事なのだろう。私はその話を、一生心のうちに留めておく覚悟を持って聞くべきだ。
「私もね。貴女と同じで、家族の顔を知らないの。私がまだ赤ん坊だった頃に、この家に引き取られたから」
やはり。と、私はそう思った。私が家族を知らないと言ったあの瞬間のキリエさんの表情。あれは私を哀れむものではなく、自分と同じものを見つけた驚きや同情のものだった。
「初めは貴女と同じで、血のつながりにはこれっぽっちも興味はなかったの。正直、育ててくれたおじいちゃんの事も、良く思ってなかったわ」
「それは意外ですね。私はむしろ、家族のことを第一に考える人だとばかり」
「とある日にね、家族と会話する子供を見て思ったのよ。どうして私には家族がいないんだろうって。今にして思えば、きっと遠慮してたんだと思う。家族じゃない相手に甘える事は悪い事だって、無理矢理自分に言い聞かせてた。初めて血の繋がった家族が、羨ましいと思った」
キリエさんのその羨ましいという感覚も、私には良くわからない。生まれてしばらくは、人のいない森の中で一人暮らししていたし、その後も他人とは一線を引いて接してきたから。
「その日は家に帰って、沢山泣いたわ。その時よ、初めておじいちゃんに本音を話したのは」
「……」
「貴女を見ていると、まるで変わる前の私を見ているような気になるの。ごめんなさい、勝手に自分と重ねてしまって」
「私が、昔のキリエさんに」
もしも私が優しい誰かに引き取られていたら、私は今のキリエさんみたいになっていただろうか。
……私には、私の隣に誰かが立ってくれているイメージが浮かんでこない。例えどんなに優しい人が私のことを拾ったとしても、いずれこうして一人で生きることを選んでいた気がする。
「貴女の話を聞いて、とても他人のようには思えなかった。もしも貴女にも、おじいちゃんみたいな人がいてくれたらって」
「……ありがとうございます、キリエさん。そんなにも私を思ってくれたのは、貴女が初めてです」
今の私がそう感じるのだ。きっとキリエさんは、拾った相手がおじいさんでなくとも今みたいに他人のために優しくなれるキリエさんだっただろう。私のようには、ならないはずだ。
「……最後にもう一度だけ、ごめんなさい。私、自分勝手に貴女の生き方に口出ししてしまったわ。貴女には、貴女の生き方があるのよね」
「こちらこそ、会ったばかりの私のことをそこまで理解していただいて。やっぱりキリエさんは優しい人だ」
全部……ではないのだろう。しかしある程度心の内を開かせたキリエさんの顔は、やっとここに来た頃と同じ雰囲気を取り戻した。
「ココ」
「なんですか?」
「私のことは、キリエって呼び捨てにして欲しいの。貴女と友達になりたいわ」
「ふふっ、もちろんです。よろしくお願いします、キリエ。……じゃあ、私も改めて自己紹介を」
本当は本名まで教えるつもりはなかったけれどきっとキリエさんなら大丈夫だろう。私の直感がそう言っている。その直感を、私は信じる。
「こころ、私の名前はこころっていいます。愛称がココに当たるので、キリエにもそう呼んで欲しいです」
「っ!!……そう、貴方は私を信じてくれるのね。えぇ、よろしく。私に同世代の友達ができたのは、貴女で二人目よ」
「お……お?お、おぉ!」
それは果たして、喜んでいいものなのだろうか。確かに人生で二人目の友達と言われるのは名誉なことだが……ふ、二人目かぁ。
ひょっとして、キリエさんは根本的に人と関わるのが苦手な人なのか……?
いやまぁ、私が本名を話したのはキリエだけだし。あまり人のことは言えないか。
「ちなみに、私の一人目の友達は少し前にここを出ていった子なの。でもたまに顔を見せてくれるし、手伝いに来てくれる事もあるわ」
「類友ってやつですね! いい人じゃないですか」
「ふふっ、貴女も十分いい人よ? ……さぁ、もう遅いしそろそろ寝ましょう?」
「はーい」
少し肌寒さを感じつつ子供たちもいる大部屋に戻ろうとする私に対して、一方のキリエは私を見つめたまま動こうとしない。確かキリエの寝場所も、この部屋だったと記憶しているが
「あれ、キリエは寝ないの?」
「……私はちょっと、キッチンに行ってくるわ」
目線を逸らし、何かを隠すような動作をするキリエ。真夜中、キッチン、隠し事……。ほう……?
「もしや、一人で何か悪いことをしようとしてますな?」
「……なんのことかしら。さぁ、早く休んで」
ほぅ、あくまでも白を切るつもりか。ならばこちらにも考えがあるというものだ。
部屋の中にある私のバックから、今日買ったばかりのお菓子の箱を取り出す。ミオちゃんを送る途中で買ったものだが、どうせ食べるなら人と一緒に食べた方が美味しいだろう。あと、小腹空いたし
「それは一体?」
「真夜中に腹を空かせて彷徨う誰かへの手土産です。これあげるんで同席させてください」
「あれだけ食べてまだ足りないの……?」
「まぁまぁ、ここは見なかったことにしますから」
「急に脅し始めたわこの人」
一時はどうなることかと思ったが、無事にキリエとも仲良くなれて万々歳。そしてこの夜食の時に初めて知ったことなのだが、キリエさんは意外と料理が得意ではなかった。
いや、別に食べられないものではないのだが、何というか料理の仕方が完全に男の人の作る大雑把料理なのだ。野菜をぶつ切りにして鍋にぶち込んでそのまま食べる感じの。
だからキリエに変わって夜食を二つ拵えたのだが……
「あーん」
「いや、あの。何も膝に乗せて食べさせようとしなくてもいいのではないかと思うわけでして」
「……あーん」
「話を聞いてくれないっ!?」
そんなに料理で負けたのが悔しいのか。というかそんなところで家庭的なところをアピールしなくても! ちくしょう私の身長が恨めしい!




