アデアからの手紙
――それから、数日が経過した朝のことです。
「……これで、よかったのだろうか」
空白となった一室――先日までアデアの過ごしていた一室にて、ふと医師の口から言葉が零れます。医師と同じくアデアを担当していた看護師の女性と、次の患者を迎えられるようお部屋を整理していた時のことです。
「……僕は、ずっとアデアさんを騙していた」
続けて、呟くように話す医師。騙していた、とは手紙について。アデアの家族ではなく、医師自身が執筆し読み聞かせていた手紙についてです。そもそも、家族からの手紙など送られるはずがないのです。アデアの家族は皆、不慮の事故によりもう既に還らぬ人となっていたのですから。
ですが、アデアはそのことを知りません。彼はどこかで家族が幸せに生きていること、そしていつの日かまた会えることを心の支えに生きてきました。なので、医師はこの残酷な事実を伝えることがどうしてもできませんでした。そして、アデアが永く生きられないであろうことも医師ゆえに分かっていました。
そこで、医師はある行動に打って出ました。実は、アデアが入院して以降――即ち、彼の居場所が分からなくなって以降も、家族は真摯に手紙を認め続けていたのです。愛する夫の、愛する父の居場所がいつか判明した時のためにずっと認め続けていたのです。アデアの入院からおよそ半年間――不慮の事故にて、家族の皆がほぼ同時に還らぬ人となるまでは。
医師は、家に遺されていた手紙の束から一通ずつ、その中の一字一句に至るまで丁寧に読み込み、文体や思考など差出人の全てを細かく分析し、自身でも書いては直すを繰り返していました。そうした研鑽をずっと続けながら医師自身が妻に、息子に、娘になりきり手紙を認めアデアへ読み聞かせ続けていたのです。
尤も、これが人の道に外れた行いであることは医師自身も承知していました。それでも、医師はアデアに残酷な事実を突きつけたくなかったのです。もう永くないであろう残りの彼の人生を、出来得る限り幸せな気持ちで過ごしてほしかったのです。
「……ドクター、これを」
「……これは?」
「アデアさんからのお手紙です。渡すべき時にドクターに渡してほしいと、生前アデアさんからお願いを受けていました。ちなみに、代筆ではありません。私もお手伝いはしましたが、アデアさん自身の手で全て書かれています。ほとんど目の視えない中で、何度も何度も書き直しながら」
すると、柔らかな微笑と共に看護師が手渡したのは一通の封筒。その表面には【Dear my doctor】――アデアの字を何度か見たことのある医師は、看護師の伝えた通り、これがアデア本人の字であることを確信します。そして、アデアがどれほど懸命に書いてくれたのかということも。
震える手で、おもむろに封筒を開く医師。入っていたのは、果たして一枚のレター用紙。そのほとんど真ん中に、封筒の表面と同じ少し歪な――それでも、心からの想いがひしひしと伝わるアデアの文字がありました。人生の終わりを間近に感じ、それでも懸命に想いを紡いだアデアの言葉がありました。
【――Thank you,my dear family】




