↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/13

第十三話 穏やかな時間

 新しい年を迎えてから、1週間ほどが過ぎた。


 年始の挨拶や来客もようやく落ち着き、アヴェリア公爵邸には、久しぶりに穏やかな時間が流れていた。


 この日は、母は朝から体調がよく、父も仕事が休みだった。


 家族で使う居間には暖炉の火が静かに揺れ、窓辺には母の好きな花が飾られている。


 エマが3人分の紅茶を用意すると、一礼して部屋を出ていった。


 年始の忙しさを終えた使用人たちも、ここ数日は交代で休みを取っているらしい。


 広い屋敷の中は、いつもより少しだけ静かだった。


「こうして3人でゆっくりするのは、久しぶりね」


「そうだな。年が明けてからは、ずっと慌ただしかったからね」


「私も、今日は楽しみにしてたの」


 ルーチェは2人の間に座り、嬉しそうに笑った。


 特別なことをするわけではない。


 ただ3人で紅茶を飲んで、話をするだけ。


 それでもルーチェにとっては、大切な時間だった。


「そういえば、ルーチェ。最近のお勉強はどう?」


 母に尋ねられ、ルーチェは少し考えた。


「歴史と語学は、先生に褒めてもらったの。それから、お花のお世話も前より上手になったの!」


「あら、それはすごいわね」


「うん!」


 褒められて嬉しくなり、ルーチェは笑顔で頷く。


 けれど、すぐに少しだけ困った顔になった。


「でも……ダンスは、まだ難しくて」


 父が小さく笑う。


「始めたばかりなんだから、焦る必要はないよ」


「分かってるんだけど、足を気にすると姿勢が悪くなって、姿勢を気にすると今度は足が分からなくなっちゃうの」


 母が口元に手を添えて、くすくすと笑った。


「少しずつ覚えていけばいいのよ」


「うん。少しずつ練習して、もっと上手になりたいな」


 そう言ってから、ルーチェはもう1つ思い出した。


「それから……お裁縫も、まだあまり上手にならないの」


「あら」


 母が楽しそうに首を傾げる。


「先生には教えてもらってるんだけど……どうしても、縫い目が曲がっちゃうの」


 ルーチェは少しだけ頬を膨らませた。


「お母様はお裁縫が上手でしょう? 今度、元気な日にコツを教えて?」


「もちろんよ。一緒にやりましょう」


「嬉しい!」


 ルーチェの顔がぱっと明るくなる。


 その様子を見ていた父が、穏やかに笑った。


「ルーチェは、この1年でずいぶんいろいろなことに挑戦するようになったね」


「そうかな?」


「ああ。少し前までは、本を読んでいるだけで1日が終わってしまうこともあっただろう?」


「……今もあるよ」


 正直に答えると、父と母が同時に笑った。


「だって、本は面白いんだもの」


「それは知っているよ」


 父の言葉に、ルーチェも笑う。


 それから、ふと思い出したように父を見た。


「そうだ、お父様」


「なんだい?」


「今度また一緒に外国へ行くとき、もし時間があったら、行きたいところがあるの」


 父が少し意外そうに目を瞬く。


「もちろん構わないが……どこなのかい?」


「この前、お父様からもらった本に出てきた場所を、実際に見てみたいの」


 ルーチェは目を輝かせた。


「本には街の様子や建物のことが書いてあったんだけど、読んでいたら、本当はどんなところなのか気になっちゃって」


「なるほど」


「絵で見るのも楽しいけど、自分の目でも見てみたいの」


 父はそんな娘を見つめて、嬉しそうに微笑んだ。


「分かった。今度、都合が合えば一緒に行こう」


「ありがとう、お父様!」


 嬉しくなって声を弾ませると、母が優しく微笑んだ。


「ルーチェは、本当にいろいろなことに興味を持つようになったわね」


「うん。とーっても楽しいもの」


 ルーチェはそう答えてから、少し考えた。


「それに……最近は、前より少しだけ、人とお話しするのも得意になった気がするの」


「まあ」


「以前は、知らない方とお話しするのは苦手だと言っていたものね」


「今でも少し緊張するけど、前よりは大丈夫」


 ルーチェは照れたように笑った。


「新しいお友達もできたから」


「レオルカさまのことかい?」


 父に尋ねられ、ルーチェは頷いた。


「うん」


 そして、自然と表情が明るくなる。


「レオルカさまは本がお好きだから、お話ししてるととても楽しいの。私が読んだことのない本も知ってるし、同じ本でも、私とは違うところが気になったりするんだよ」


「それは楽しそうね」


「うん!」


 ルーチェは嬉しそうに頷く。


「本のお話をしてると、時間がすぐに過ぎちゃうの」


 母はそんな娘を見て、柔らかく微笑んだ。


「素敵なお友達ができて、よかったわね」


「うん」


 ルーチェにとって、それはとても嬉しいことだった。


 今まで本の話をする相手は、大人たちが多かった。


 もちろん、それも楽しい。


 けれど、自分とそれほど年の変わらない相手と、同じ本について話すのは少し違った。


 知らなかったことを教えてもらったり、自分が好きなところを話したり。


 そして時には、同じところを読んでいるのに、まったく違うことを考えていたりする。


 それがルーチェには、とても面白かった。


 しばらく3人で話していると、不意に母が静かに口を開いた。


「……ルーチェ」


「なあに?」


「いつも、私の体調のせいで、一緒に過ごせない日も多くて……ごめんなさいね」


 先ほどまで笑っていた母の顔に、ほんの少しだけ申し訳なさそうな色が浮かんでいた。


 ルーチェは母を見つめる。


 寂しくないと言えば、嘘になる。


 母が部屋で休んでいる日は、話しかけに行くこともできない。


 一緒にお茶をしたいと思う日もある。


 けれど――。


「お母様が謝ることじゃないよ」


 ルーチェはそう言ってから、少し考えた。


「……寂しいときは、あるよ」


 母がわずかに目を伏せる。


 だからルーチェは、その手にそっと自分の手を重ねた。


「だからね」


 ルーチェは母を見上げて、にこっと笑った。


「元気な日は、今日みたいに一緒にいてほしいの」


 母は少し驚いたように目を瞬いたあと、優しく笑った。


「ええ。もちろんよ」


「約束だよ?」


「ええ、約束」


 それを聞いて満足したルーチェは、ふと隣へ顔を向けた。


 そこには、穏やかな顔で2人を見ている父がいる。


 ルーチェはじっと父を見つめた。


「……お父様も!」


「私もかい?」


 突然話を向けられ、父が目を丸くした。


「うん。だって、お父様もお仕事ですぐいなくなっちゃうでしょう?」


「それは……」


「だから、お休みの日は今日みたいに一緒にいてほしいの」


 父は困ったように母を見る。


 母は楽しそうに笑っているだけで、助けてくれる様子はない。


「……分かった。約束しよう」


「本当?」


「ああ。できるだけ、ね」


「“できるだけ”なの?」


 ルーチェが少し不満そうにすると、母がとうとう声を上げて笑った。


 父も困ったように笑い、ルーチェもつられて笑う。


 暖炉の火が、ぱちりと小さな音を立てた。


 外は冬の冷たい空気に包まれている。


 けれど、3人で過ごす部屋の中は、どこまでも暖かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。