26話(束の間の休息)
無事に第一王子との交渉を終えた一行は、束の間、アルファンブラ帝国の市場や街並みを見物していた。
異国の美しい街並みを眺めながら歩いていると、アルベールが隣を歩くルシアンに声をかけた。
「そういえば、第一王子殿下はルシアン嬢、君にずいぶん興味を持っていたようだったな」
帝国の王子をあれほど夢中にさせたのだ。普通の令嬢なら顔を赤らめ大騒ぎするところだが、ルシアンは「ふふっ」といつも通りに微笑むだけだった。
「いやですわ、アルベール様。あのお方は、自国の利益に少しでも繋がるものに興味がおありなだけですわ。つまり、わたくし個人ではなく、わたくしの話した『内容』に興味をお持ちなのです」
あまりにも理性的で、いっそ清々しいほどの自己分析。
(……そういえば、彼女はこういうタイプの人だということを忘れていたな)
アルベールは心の中でふとリチャードを思い出し、思わず同情をしながら苦笑していた。
そんな中、ルシアンは少し前を歩いていたリリアーナに駆け寄った。
「リリアーナ様。今回、こうして第一王子殿下とスムーズにお話し合いができたのは、すべてリリアーナ様のおかげですわ。お姉様への事前のお手紙がなければ、謁見すら叶わなかったかもしれません。本当にありがとうございました」
ルシアンが真摯に頭を下げると、リリアーナは一瞬、頬を赤く染めたが、すぐに得意そうな笑みを浮かべて胸を張った。
「ですから最初に言ったでしょう? 私は役に立つと! ルシアン、私をもっと頼りなさいな!」
照れている顔を、隠すように、後ろを向きながら話すリリアーナの言葉に、周囲の空気は和らいだ。
賑やかな会話を楽しみながら、皆で市場の土産物店を見て回る。
所狭しと並んでいるのは、本国では見たこともない珍しい工芸品や異国の品々ばかりだった。
先ほどまで、周囲を圧倒するほど合理的に交渉していたルシアンは、ここでは一人の少女に戻ったかのように、目を輝かせて、色々な店を覗いていた。
そんなルシアンの微笑ましい姿を見つめながら、アルベール、リリアーナ、ノートル男爵、そして商会長は少し離れて歩きながら、声を潜めて彼女を絶賛していた。
「それにしても、やはりルシアンは凄かったですわ。私のお姉様が、とても感心していらっしゃいましたわ。さすがは男爵の娘ですわね」
リリアーナにそう褒めちぎられ、ノートル男爵は「いえ、あれで天然なところがなければ完璧なんですがな……」と謙遜しながらも嬉しそうに、頭を掻いた。
しかし、男爵はすぐに表情を引き締め、皆に向き直った。
「それよりも、聞いて欲しい。これからが本当の勝負です。帝国での外交は成功を収めましたが、本番はここからです。まずはダッフル侯爵領の港の開港から全ては始まるのです」
男爵の言葉に、アルベールも商会長も、頷いた。
「さあ、これから本国へと戻り、いよいよ港の開港式に向けて出発しますぞ! そしてその時こそ、レイモンド伯爵の罪をすべて白日の下に晒すのです」
男爵の言葉に、全員の目が真剣な眼差しに変わり、気を引き締め直した、その時だった。
「お待たせいたしました! 見てください、この入れ物、とっても素敵なんですの!」
土産物選びを終えたルシアンが、興奮気味に、いつもの朗らかな調子で戻って来た。
あまりの温度差に、場の空気は一瞬で変わる。
(これでは、リチャードも先が思いやられるな……やれやれ)
アルベールは心の中で親友の苦労を察し、またもや苦笑した。
その夜。
翌日には自国に向けて出航するという、帝国での最後の夜だった。
賑やかな夕食が終わり、珍しく父と娘は親子水入らずで、静かな私室でお茶を飲んでいた。
温かいお茶を一口飲み、ルシアンは父に話しかけた。
「お父様。実は、アルファンブラ帝国へ発つ前……リチャード様を、あの下町の食堂へお連れしましたの」
「ほう? あの、私とお前の二人だけで行く秘密の食堂にか?」
父が驚いて目を見開くと、ルシアンはそこに至るまでの経緯を少しずつ話し始めた。
リチャードが他の貴族たちの悪意ある言葉から自分を庇ってくれたこと。そして、その時に幼い日の記憶が蘇り、それを彼に話すと、驚きながらも彼も覚えていてくれたこと。
「リチャード様から、彼が覚えていたという、わたくしの幼い頃の話を聞かされました」
そう言ってルシアンが父を見ると、驚いた顔をしたまま聞き入っている。
「お母様にその話をしたら、教えてくれました。わたくしが幼い頃、お父様に『助けてくれた素敵なお兄様と結婚するの』と言ったことを。そしてそれがリチャード様だったことを」
「……っ!」
ルシアンは真っ直ぐに父を見つめた。
「お父様が、これまで死に物狂いで、必死に商売に励んでこれほどの財を成してこられたのは……すべて、わたくしのあの幼い一言を叶えるため、リチャード様と少しでも釣り合うようにするためだったと、ようやく知りました」
「ルシアン……」
「お父様、本当にありがとうございます。わたくし、お父様の深い愛を知って、本当に幸せ者だと心の底から思いましたわ。ですから……」
ルシアンは力強く決意を語った。
「そんな期待と愛に応えるためにも、これまで最高の教育を施してくださったお父様のために、わたくしは学んできた語学や知識を活かし、全力でノートル家を支えますわ! お父様の右腕となって、この造船事業も必ず成功させてみせますわ!」
瞳をキラキラと輝かせ、情熱を語るルシアン。彼女の胸には父への純粋な感謝が溢れていた。
対するノートル男爵は、娘が口にする自分への感謝の言葉に涙ぐみつつも、同時に猛烈に頭を抱えたい衝動に駆られていた。
(……いや、娘よ。父が頑張った理由が『お前をリチャード殿と結婚させるため』だと知ったなら、どうして着地が『全力でノートル家を支える』になるんだ!? そこは『リチャード様と幸せになります!』じゃないのか!?)
自分への感謝は嬉しい、嬉しすぎる。しかし、これではせっかくルシアンを待っているリチャードの立場がない。
父は心の中で謝った。
(リチャード殿……うちの娘がすまない。どうやら育て方を間違えてしまったようだ)
未来の婿になるはずの男に、ただただ同情しながら、複雑な苦笑いを浮かべることしかできない父だった。




