第78話:古本屋『VOID』の開店記念日
エルムの街に、爽やかな朝の風が吹き抜ける。路地裏にひっそりと佇む古本屋『VOID』の店先には、今日に限って「カフェ開店記念日」と記された小さな看板と、色とりどりの野花が飾られていた。
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【舞台:古本屋『VOID』店内】
店内は、古い紙の芳しさと、キッチンから漂う香ばしいバターの匂いが混じり合っていた。磨き上げられた本棚には、旅先で手に入れた希少な魔導書が誇らしげに並んでいる。
「ふむ……。配置の誤差は0.5ミリ以内。茶葉の温度も完璧だ。アスカ、カフェ開店の準備は整ったよ」
ゼノスが燕尾服の裾を正し、銀のトレイを片手に優雅に告げる。その傍らでは、黒猫のシュシュがカウンターの上で毛繕いをしていた。
「準備はいいですかニャ、アスカ様。今日はお客さんがたくさん来そうですニャ」
「ええ、シュシュ。計算上、開店から15分以内に客足はピークに達するわ。……リサ、そんなところで何をしているの?」
アスカが黒髪を揺らしながら視線を向けると、リサが店の隅で「賢者のオーブン」を物珍しげに突っついていた。
「ちょっと、私を不審者みたいに言わないでよ! このオーブン、エルムの魔力と馴染ませるのに苦労したんだから。……ほら、完璧な火加減でしょ?」
リサが指先で小さな炎を転がすと、オーブンが呼応するように温かな音を立てた。
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【テオとミーナの来訪】
カランカラン、とドアのベルが鳴り、二人の少年少女が顔を出した。ミーナとテオだ。
「お姉ちゃん、おめでとう! 記念日のお祝いに来たよ!」
「アスカさん、おめでとうございます。……うわあ、店の中がさらに不思議な雰囲気になりましたね。あ、これ、お祝いの品です」
テオが少し照れくさそうに、丁寧に包まれた一束の古い栞を差し出す。アスカはそれを受け取り、無機質な瞳にわずかな光を宿した。
「ありがとう、テオ。羊皮紙の質から見て、これは100年前の東方様式のものね。貴重なデータだわ。……ミーナ、あなたも。その花、マナの含有量が高い品種を選んだのね」
「えへへ、お姉ちゃんが喜ぶかなって思って! あ、カイルさんとレオンさんは?」
「あの二人は、店の前の掃除と、押し寄せる客の整理を命じているわ。勇者の筋力と、魔術師の精密な誘導は、記念日の行列処理には最適の変数よ」
アスカが淡々と答えると、テオが感心したように眼鏡を押し上げた。
「相変わらず、アスカさんの采配は合理的ですね。……でも、今日くらいはみんなでゆっくりしましょうよ」
「……テオ様の言う通りですニャ。アスカ様、たまには計算を止めて、お茶を楽しむのも大切ですニャ」
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【賑やかな記念日の昼下がり】
昼を過ぎると、店内は街の人々で溢れかえった。レオンの「熱い」客引きと、カイルの「丁寧な」接客により、混乱もなく賑わいが続く。
ゼノスはまるで舞踏会を主宰するかのように動き回り、客一人一人に最適な紅茶を供していく。
「おやおや、奥様。その本には少々埃がついております。私が今、清めて差し上げましょう。……ふむ、恋のまじないですか。アスカの知性には程遠いですが、一読の価値はありますよ」
「ちょっとゼノス! あんた、接客中に口説いてるんじゃないわよ!」
リサの鋭いツッコミが飛ぶ。
テオとミーナは、店の隅の読書スペースで、シュシュを膝に乗せながら新しい絵本を広げていた。
「ねえテオ、この『黄金のリンゴ』の話、お姉ちゃんたちが言ってた旅の話に似てない?」
「本当だ……。アスカさんたちが実際に見つけてきたものの方が、ずっとすごいんだろうけどね」
その様子を、カウンターから眺めるアスカ。彼女の右手には、リサが焼いた(アスカが精密に監修した)小さなアップルパイがあった。
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【ラストシーン】
日が暮れ始め、最後のお客が店を後にした。 オレンジ色の夕陽が店内に差し込み、古い本の背表紙を赤く染めている。
「……ふぅ。計算以上の稼働率だった。シュシュ、お疲れ様」
アスカがシュシュの耳の後ろを優しく掻くと、シュシュは喉を鳴らした。
「満足ですニャ、アスカ様。エルムの街は、やっぱりいいものですニャ」
ゼノスが最後の一杯の紅茶を、アスカ、リサ、テオ、ミーナ、そして仕事終わりのカイルとレオンの前に置いた。
「アスカ。今日は良い記念日になったね。……君が守ろうとしているこの『日常』という数式は、意外と強固なようだ」
「ええ。不確定要素が多いけれど……嫌いじゃないわ」
アスカは窓の外を見つめた。平和なエルムの街並み。その向こう側、帝国の空には薄暗い雲が立ち込めている。 しかし、今この店の中に満ちている「家族」のような温もりは、どんな巨大な帝国にも侵せない、確かな『定数』としてアスカの中に刻まれていた。
「……さあ、明日からはまた、通常の演算に戻るわ。……でも、今夜だけは。この余韻をデータとして保存しておくことにするわ」
黒髪を揺らし、アスカはわずかに微笑んだ。 それは、どんな魔導書にも記されていない、彼女だけの幸福の数式だった。




