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第56話:紳士的なる宣戦布告

 春の訪れとともに解け始めた雪水が、軒先からリズミカルな音を立てて落ちる。しかし、古本屋『VOID』のリビングに流れるのは、そんな穏やかな音をかき消すような、凍り付いた緊張感だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【舞台:古本屋『VOID』・リビング】


 皇帝ゼノスは、まるで最初からそこが自分の指定席であったかのように、リビングの年季の入った革張りソファへ優雅に身を沈めた。軍服の裾を整え、足を組む動作一つ一つが、古びた内装さえも宮廷の一室へと変質させていく。


「……ふむ。この埃っぽさ、そして古紙の酸化した香り。……リサ、君がこの『掃き溜め』を選んだ理由がようやく分かったよ。君は、自分の美しさを際立たせるための、完璧なコントラストを求めていたんだね」


「掃き溜めって言ったわね、この変態皇帝……! さっさとその高そうな尻を浮かせなさいよ!」


 リサが怒りで震えながら叫ぶが、ゼノスはそれさえも「心地よいBGM」であるかのように、片手を上げて制した。


「怒鳴らないでおくれ、リサ。私の鼓膜は、君の罵倒を愛の囁きへと変換する高度なフィルタを搭載している。……さて、賢者アスカ。君の返事を聞こうか」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【優雅なる脅迫】


 アスカは、こたつの中から一歩も出ることなく、天板に肘をついてゼノスを冷徹に見据えていた。


「……ゼノス。あなたの脳内構造をスキャンするまでもないわね。……客観的事実を無視し、主観的な誇大妄想を現実と混同している。典型的な、権力という名のバグに冒されたシステムよ。……私の返事は、一秒前の親書の焼却(予定)と変わらない。――拒絶よ」


 アスカの毒舌を受け、ゼノスの口角が愉悦に吊り上がった。


「素晴らしい。……君の言葉は、まるで精密な外科手術用のメスのようだ。私の退屈な皮膚を切り裂き、新鮮な刺激を与えてくれる。……だが、アスカ。君ほどの知性なら、私の提案が単なる『勧誘』ではないことくらい、計算済みだろう?」


 ゼノスは懐から、水晶で作られた端末を取り出し、空中にホログラムを展開した。そこには、エルムの街の魔力中継所のリアルタイムな構造図が表示されている。


「この街の魔力供給は、帝国の旧式プロトコルに依存している。……私が指先一つ動かすだけで、この街の暖房、照明、そして君の愛する『魔導こたつ』の全機能は、一瞬で物理的な凍結へと追い込まれる。……市民が春の訪れを喜んでいる矢先に、再び極寒の地獄を見せるのは、あまりに非論理的だと思わないか?」


「……っ、卑怯よ! 皇帝がそんな子供みたいな脅しを使うなんて!」


 リサが食ってかかるが、ゼノスは優雅にハーブティーを一口すすり(それはいつの間にか、彼が持参した最高級の茶葉にすり替えられていた)、アスカを見つめた。


「卑怯? いや、これは『交渉におけるリソースの最適化』だ。……アスカ、君が帝都魔導大学の教壇に立つ。それだけで、エルムの魔力ラインは最新式へと無償アップデートされ、永続的な安定が保証される。……君の知性を数千人の若きエリートたちに共有することは、世界全体のデバッグに繋がると思わないか?」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【知性の対峙】


 アスカの瞳が、怒りと計算によって青白く発光し始める。


「……私を、帝国の管理システムの一部に組み込もうというわけね。……あなたのその『説得』という名の強制プログラム、非常に不快指数が高いわ。……私の演算能力を、帝国の繁栄のために消費させる。それがあなたの導き出した、最も効率的な『収穫』というわけ?」


「収穫、か。いい表現だ。だが、私は君を消費したいわけじゃない。……私は、私と同じ高さから世界を眺め、共に『退屈』という名の絶対零度を焼き払える伴侶――いや、共犯者を求めているんだ」


 ゼノスは立ち上がり、ゆっくりとアスカに歩み寄った。アスカの防御結界がパチパチと音を立てるが、ゼノスはその圧力さえも「心地よい風」として受け流し、彼女の目の前で足を止めた。


「……リサに振られ、退屈で死にそうになっていた私の前に、君という特異点バグが現れた。……これを運命と呼ばずして、何を数式化するというんだい?」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【ラストシーン】


 アスカは、ゼノスの真っ直ぐな、そして狂気的なまでに澄んだ瞳を見つめ返した。 リビングの窓から差し込む春の光が、ゼノスの純白の軍服と、アスカの白銀のドレスを同時に照らし、室内を神聖な、あるいは破滅的な輝きで満たす。


「……いいわ、ゼノス。……あなたのその歪んだ論理、私が帝都で徹底的に解体してあげる。……ただし、覚悟しなさい。……私の講義は、あなたの脳を再起不能フリーズさせるほど過酷よ」


「望むところだ、賢者アスカ。……君に屈服させられるなら、それもまた一つの福音データだ」


 ゼノスはアスカの手を取ろうとしたが、アスカは瞬時に空間転送で手を引っ込め、こたつの中に潜り直した。


「……触らないで。……あなたの熱力学的汚染を防ぐための、最小限の防衛措置よ」


「ははは! 素晴らしい! ……リサ、君の選んだこの賢者は、期待を遥かに超えている!」


 高笑いする皇帝の背中を見送りながら、アスカは机の下で拳を固く握りしめた。 春の嵐は、今、確実にエルムを、そしてアスカの平穏を飲み込もうとしていた。


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