第45話:最適温度の追求
エルムの街は、一夜にして白銀の世界へと姿を変えていた。窓の外では重たい雪が音もなく降り積もり、街路樹の枝がその重みに耐えかねて時折きしんだ声を上げている。古本屋『VOID』の店内も、底冷えのする空気に支配されていた。
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【舞台:古本屋『VOID』・リビング】
「……非論理的。あまりに非論理的だわ」
アスカは、厚手のストールを幾重にも巻き付け、指先を魔法で小さく加熱しながら、山積みになった魔導書を睨みつけていた。
「どうしたのよ、アスカ。朝から眉間に皺寄せて。雪景色、綺麗じゃない」
リサが湯気の立つマグカップを片手に、リビングへ入ってきた。彼女は冬用のローブを羽織っているが、アスカほど寒さに敏感ではないようだ。
「リサ、外気温はマイナス4度。私の指先の毛細血管は収縮し、末端の血流速度は平常時の15%も低下している。……この状態では、魔導書のページをめくる摩擦係数の微細な変化を感知できない。つまり、私の演算効率は著しく阻害されているということよ」
「要するに、寒くてやる気が出ないってことでしょ? 素直に言いなさいよ」
「……違う。私は、この『寒冷』というバグを、居住空間から恒久的にデバッグする必要があると言っているのよ」
アスカはそう宣言すると、部屋の隅に置かれていた古びた木製の机を引きずり出した。
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【魔導こたつ「イージス」の構築】
アスカは机の裏側に、指先で青白い光の術式を刻み込み始めた。
「通常の暖房魔導具は、熱エネルギーを空気中に霧散させる。これではエントロピーの無駄遣い。……私の理論では、熱を『対流』ではなく『閉鎖空間内での循環』に固定するのが最も効率的だわ」
「ちょっと、アスカ。それ、ただのテーブルじゃない。何を作る気?」
「局所的熱平衡維持空間――通称、『コタツ』よ。ただし、私が造るからには、ただの家具ではないわ。……断熱材として、空間歪曲を応用した多層境界膜を組み込む。これで熱の漏出は理論上ゼロになる。……魔力消費量は、常時0.01%以下。王都の魔導師が見れば卒倒するほどの超高効率回路よ」
アスカは澱みない手つきで、机を厚手の特製毛布で覆った。仕上げに、天板の上に自律型の魔力供給結晶を配置する。
「……熱力学第2法則の局所的無効化、完了。……起動」
アスカが指先で天板を叩くと、毛布の下から、まるで春の木漏れ日のような、柔らかい黄金色の光が漏れ出した。
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【禁断の快適性】
「さあ、リサ。私の計算が正しいことを、その非論理的な直感で確かめてみて」
「はいはい……。そんな大層な名前を付けて、中が熱すぎるんじゃないの?」
リサが半信半疑で、毛布の中に足を滑り込ませた。その瞬間、リサの表情が「とろけた」というべき弛緩を見せた。
「……っ!? な、何これ……!? 暑すぎず、寒すぎず……足の先から全身の力が抜けていくみたい……」
「当然。毛布内の温度は常に38.5度に固定。湿度、および酸素濃度も私の演算によって最適化されているわ。……さらに、毛布の繊維には『触覚的快楽の増幅回路』を編み込んである。……これこそ人間の生理現象に基づいた、究極のデバッグよ」
アスカもまた、慣れない手つきでこたつの端に腰を下ろし、恐る恐る足を中へ入れた。 次の瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれ、そしてゆっくりと細められた。
「……っ。……脳内のセロトニン分泌量が、予測値を200%上回っている。……これは、危険な装置ね。……自律神経の……制御権が……奪われる……」
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【ラストシーン】
「お姉ちゃーーん! 遊びに来たよ……って、何これ!?」
そこへ、雪遊びの格好をしたミーナがシュシュを抱えて飛び込んできた。 しかし、彼女が見たのは、いつもの冷徹な賢者アスカではなく、こたつに肩まで潜り込み、艶やかな黒髪を少し乱して、恍惚の表情で「……出られない……」と呟くアスカの姿だった。
「ミーナ、入りなさい。……この空間は、外界の過酷な熱力学から切り離された『絶対聖域』よ。……今、私はこの宇宙の最適解を見つけたわ」
アスカは、もはや魔導書を開くことすら忘れ、天板の上に置かれたミカンのカゴに手を伸ばそうとして――その腕がこたつの外に出た瞬間の「温度差」に戦慄し、慌てて引っ込めた。
「……リサ。魔導腕の術式を展開して。……私の腕を、この聖域の外に出すわけにはいかないわ」
「あんた、賢者の誇りとかどこに行ったのよ……!」
窓の外には猛吹雪が吹き荒れている。しかし、古本屋『VOID』のリビングだけは、アスカが導き出した「38.5度の真実」によって、世界で最も甘美で、最も堕落した「春」が訪れていた。




