第28話:記憶を喰らう蛇
【舞台:エルムの街・時計塔周辺の歪んだ空間】
アスカの放った「再定義」の光が、偽りの日常を焼き払った。 空はひび割れ、そこから漏れ出すのは、人々の記憶が液状化したような、銀色の霧。その霧の中から、ぬるりと、巨大な影が鎌首をもたげた。
それは、数百メートルの長さを持ち、全身が古びた映写機のフィルムのように明滅する異形の怪物。人々の「昨日」を糧にする高次元生命体、「記憶を喰らう蛇」。
「……ようやく、その醜悪な正体を表したわね。……私の演算回路を、これほどまでに浪費させた罪……万死に値するわ」
アスカはリサの肩に支えられながらも、鋭い視線で蛇を射抜いた。その鼻先を拭った指には、まだ赤い血が滲んでいる。
「グシュルルル……観測者よ……。何故、抗う……。忘却こそが、苦痛なき……永遠の安寧……。私の中に、昨日を預ければ……明日への恐怖も……消えるものを……」
蛇の身体がうねるたび、エルムの住人たちの「幸せな思い出」がノイズ混じりの映像となって空間に投影される。
「安寧? ふざけないで。……昨日という不確定なノイズがあるからこそ、明日の予測は価値を持つの。……全住民の記憶を私物化し、世界の確率変動を奪うなど、論理的に万全の拒絶を表明するわ!」
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【師弟の総力戦】
「アスカ、言い草は相変わらずだけど、気合は十分ね! ……レオン、カイル! 蛇の鱗に触れるな! 記憶を直接吸い取られるわよ!」
リサが金色の髪を激しくなびかせ、前線へ飛び出した。
「リサ殿、了解だ! この聖剣、思い出の重みを刃に変えて――断つッ!!」
レオンが黄金の光をまとい、蛇の胴体へ斬りかかる。だが、刃が触れる直前、蛇の身体が「記憶の霧」となって透過し、攻撃を無効化した。
「無駄だ、騎士よ……。私は……概念の存在……」
「……概念なら、定義を書き換えればいいだけ。カイル、魔力共鳴波を最大出力で! 蛇の『実体化周波数』を固定しなさい!」
アスカが空中に指を走らせ、カイルの杖に術式を転送する。
「お任せを、アスカ様! ……因果律固定、共鳴開始! ……これで逃げ場はありませんよ、食いしん坊の蛇さん!」
カイルが放った波導が蛇を包囲すると、透過していた蛇の身体が、実体として固定され、苦しげに悶え始めた。
「今よ、リサ!」
「待ってました! ――師弟合技『黄金の因果崩壊』!!」
リサが拳に金色の魔力を集め、アスカがその魔力に「空間座標の必中定義」を付与する。
ドォォォォン!!
衝撃と共に、リサの一撃が蛇の脳門を直撃し、銀色の血が噴き出した。
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【蛇の反撃と、アスカの窮地】
「オオオオオォォ……ッ! 小癪な……ならば……貴様らの『一番大切な昨日』から……喰らってくれるわ!」
蛇が大きく口を開くと、周囲の空間が急速に暗転した。 アスカの視界から、リサやレオンの姿が消えていく。
「なっ……知覚情報が、遮断された? ……記憶の深淵に、引きずり込まれているのね」
アスカは暗闇の中で独り、周囲を見回した。 そこに現れたのは、かつての地下書庫。 孤独に膝を抱えていた自分だった。
「……これは、私のオリジンの記憶。……リサと出会う、直前の……」
背後から、蛇の冷笑が聞こえる。
「観測者よ……。あの黄金の女を……無かったことにしよう……。そうすれば……お前は再び、完璧な静寂を手に入れられる……」
アスカの足元が、泥濘のように溶け始めた。 リサとの出会いが、ピクニックの笑い声が、砂のように指の間からこぼれ落ちていく。
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【ラストシーン】
「……静寂、ね。……確かに、魅力的だった。以前の私なら、喜んでこの提案を受け入れていたでしょうね」
アスカは、消えかかっているリサの手の温もりの記憶を、胸に強く抱き締めた。
「けれど……今の私には、計算不能な『バグ』が必要なの。……リサという、不条理で最高なノイズを失った世界など……私の解くべき数式ではないわ!」
アスカが瞳をカッと見開くと、暗闇の世界に亀裂が走った。 彼女の背後に、巨大な、幾何学的な魔導陣が幾重にも重なって展開される。
「事象反転――『忘却の否定』。……蛇、よく聞きなさい。……私の記憶容量は、あなたごときが喰らい尽くせるほど、安っぽくないの!!」
アスカの叫びと共に、地下書庫の幻影が砕け散り、現実の世界へと回帰する。 戻ってきた視界の先、驚愕に目を見開く蛇の瞳。
その中心で、アスカの周囲には、これまでに彼女が経験したすべての「騒がしい日常」の断片が、鋭利な光の結晶となって、蛇を全方位から包囲していた。




