第13話:最強の侵入者と、狂い始めた隠居生活
【舞台:古本屋『VOID』・午前10時】
エルムの街の空気は、今日も穏やか……なはずだった。 しかし、古本屋『VOID』の店主アスカは、愛用のティーカップを唇に運ぶ直前で、その指先をぴたりと止めた。 陶器のような白い指先が、わずかに震える。
「……シュシュ。全結界を最大出力で固定。物理防御・概念防御ともに第8階層まで展開して。あと、店の存在確率を0.01%まで下げて……今すぐ」
「どうしたんですニャ、アスカ様? 突然そんな、魔王が復活したような顔をして……」
「……来たわ。私の計算式を根底からバグらせる、唯一のイレギュラーが」
アスカが言い終わるより先に、エルムの街の空間そのものが悲鳴を上げた。
ドォォォォォン!!
爆音と共に、アスカが三日三晩かけて構築した「絶対入店拒否結界」が、薄い氷のように粉々に砕け散った。いや、砕けたのではない。入口の「空間の定義」そのものが書き換えられたのだ。
「やっほー、アスカ! 元気にしてた? 随分と入り口をガチガチに固めてたわね。解くのが面倒だったから、物理的に『ドアじゃなく』しておいたわよ!」
土煙の中から現れたのは、眩いばかりの金色の髪をなびかせた女性。 30歳前後という大人の色香を漂わせながらも、その瞳には少女のような悪戯心が宿っている。アスカの師匠、リサである。
「……リサ。勝手に人の店の因果関係を書き換えないで。……あと、その髪。光の反射率が高すぎて、私の網膜の演算リソースを無駄食いするわ」
アスカは引き攣った笑顔で、ティーカップをソーサーに戻した。手がわずかに震えている。
「あら、相変わらず可愛くないこと。ほら、お土産! あんたが昔好きだった、魔界の激辛ナッツよ。食べたら脳が活性化して、そんな陰気な顔も治るわよ」
リサは土足のままカウンターを飛び越えると、アスカの頬を両手で掴み、ぐにぐにと引っ張った。
「ふがっ……やめ、離して……! 私の、私のパーソナルスペースを侵略しないで……!」
「ダメよ、アスカ。あんた、放っておくとすぐ自分の中に引きこもるんだから。……さあ! 師匠が来たんだから、まずは特製のお酒で再会を祝うわよ!」
リサが指先で空間をなぞると、カウンターの上にどこからともなく高級そうな酒瓶とグラスが出現した。
「アスカ様、申し訳ありませんニャ……。リサ様の持ってきた『魔界マタタビ』の香りで、ボクの脳内メモリはもうとろけてますニャ……」
シュシュはリサの足元ですでにヘロヘロになって転がっている。
「……裏切り者。……リサ、私は今、極めて重要な『静寂の積分』を行っている最中なの。一秒でも早く、その騒がしいオーラを持って退店して」
「静寂? 何それ、美味しいの? 知性は刺激の中にこそ宿るのよ。ほら、飲んで!」
「……飲まないわよ、そんな度数の高そうな――むぐっ!?」
無理やりグラスを口に押し込まれ、アスカの顔が真っ赤に染まる。 そこへ、騒ぎを聞きつけたミーナが店に飛び込んできた。
「お姉ちゃん! 何か爆発した音がしたけど……えっ、誰、その綺麗な人!?」
「あら、この子が噂の『変数』ちゃん? 可愛いじゃない、食べちゃいたいわねぇ」
リサがミーナの頭に手をかざすと、ミーナの頭頂部からポン、と色鮮やかな花輪が現れた。
「わあ、お花! すごい、魔法! お姉ちゃん、この人だれ!?」
「……私の、人生最大のバグよ。……ああ、もう、計算が合わない……」
アスカはカウンターに突っ伏した。 勇者レオンやエリート魔導師カイルを指先一つであしらってきた「最強の賢者」が、今はただの、悪戯な姉に振り回される妹のようにタジタジになっている。
「いい? アスカ。しばらくここに泊まるわよ。あんたの腐った根性を、師匠が叩き直してあげるから!」
「……お断りよ。……リサ、今すぐデリートしてやる……っ!」
アスカが涙目で指先を向けようとするが、リサはそれを軽々とかわし、アスカを背後からヘッドロックした。
「甘いわね、アスカ。あんたの術式構成は、全部私が教えたものだって忘れたの?」
金色の髪が、アスカの視界を眩しく埋め尽くす。 アスカが築き上げた「完璧な隠居生活」は、この自由奔放な師匠の登場によって、修復不可能なレベルで崩壊し始めていた。
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【舞台:古本屋『VOID』】
夜。リサが勝手に淹れた、強烈に苦いが悔しいほど美味しいコーヒーを啜りながら、アスカは店の隅で小さくなっていた。
「……苦すぎるわよ、バカ師匠」
頬を赤くし、少しだけ潤んだ瞳で毒づくアスカ。 窓の外では、リサの魔法によって星々がいつもより賑やかに瞬いている。 最強の賢者が最も恐れた「予測不能な日常」が、今、高らかに幕を開けた。
第2章が始まりました!
早速、師匠リサのペースに巻き込まれ、アスカの「完璧な隠遁生活」が崩れ始めました。
ここからどうなるのでしょうか・・・?
この先の物語もぜひお楽しみに!!
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