第118話:VOIDに落ちた無音の雫
【舞台:VOID・中央演算室 ―― 異変の予兆】
黄昏に包まれたエルムの街。古本屋VOIDの中に新たに設営した中央演算室では、無数の幾何学模様がホログラムとして浮遊し、静謐な空気を震わせていた。 アスカはメインコンソールの前に立ち、流れるような手つきで空中の数式を操作している。その背後では、レイがアスカの指示に従い、観測データの照合を手伝っていた。
「……おかしいわね。因果律の監視網に、奇妙な『空白』が生じているわ」
アスカが指先で空間を弾くと、一つの座標が拡大された。砂漠の小国「ミュート」。通常なら人々の営みや自然の魔力が波形として観測されるはずの場所に、インクを零したような真っ黒な欠落が生じていた。
「アスカ、これは……魔力が枯渇しているのですか?」
レイが不安げに覗き込む。彼女の瞳には、アスカが展開する複雑なグラフが映っていた。
「いいえ。魔力も物質もそこにある。けれど、事象の『出力』が消えているのよ。……レイ、この魔導信号を再生してみて」
アスカに促され、レイが再生ボタンに相当するルーンに触れる。 だが、スピーカー代わりの魔導具からは、ノイズ一つ聞こえてこなかった。静寂。ただ、完全なる、無。
「……アスカ、音がない。風の音も、人の声も……何も。これが、事象の欠落ね」
アスカの瞳に、賢者としての鋭い光が宿る。
「ええ。放っておけば、この『無音』は周囲の空間を侵食し、世界の定義を書き換えてしまうわ。……レイ、準備なさい。今回の観測対象は、この砂漠の国よ」
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【舞台:旅立ちの準備 ―― 継承される装い】
出発の朝、二人は新しい旅の装いに身を包んでいた。
アスカが纏うのは、あの激闘で傷ついたものを、師匠であるリサと共に修繕し、さらなる機能向上を施した純白のドレスだ。布地には独自の高密度魔導繊維が織り込まれ、光の加減で銀色の数式が浮かび上がる。
「物理防御は従来の1.2倍、魔力伝導率は1.5倍まで引き上げたわ。……少し過剰かもしれないけれど、計算外の事態に備えるのは定石よ」
一方のレイが身に纏うのは、鮮やかなロイヤルブルーのドレスだった。 深い海のように気品ある青色はレイの透き通るような肌を美しく引き立て、その裾にはアスカの手によって、聖教国の秘術を応用した強力な魔力障壁が幾重にも編み込まれている。
「アスカ……このドレス、とても素敵です。色も、それにこの守られているような不思議な感覚も。……私、なんだか少しだけ、強くなった気分です」
レイが鏡の前でそっとスカートの端を摘むと、アスカは満足げに頷いた。
「気分ではなく、論理的に強くなっているわ。……さあ、行くわよ」
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【舞台:VOIDの広場 ―― 家族の見送り】
広場に出ると、そこには見慣れた顔ぶれが揃っていた。
「アスカ、レイ。装備の調整は完璧ね?」
リサが腕を組み、アスカの師匠らしい鋭い、それでいて温かな眼差しで二人を見つめた。
「いい、アスカ。理屈で押せない時は、私の教えた『直感の術式』を思い出しなさい。……レイ、アスカが理屈っぽくなったら、あなたがその手を引いてあげるのよ」
「リサ様、レイ様なら大丈夫ですニャ。アスカ様は……ちょっと心配だけどニャ!」
シュシュがアスカの足元に体を擦り寄せ、寂しさを隠すように鼻を鳴らした。
「……でも、あんまり無理はしちゃダメですニャ。美味しいお肉を用意して待ってますニャ」
「リサ、小言は不要よ。演算機の管理は任せたわ。シュシュ、いい子にしてなさい」
アスカはシュシュの頭を一度だけ撫で、最後にゼノスの前で足を止めた。ゼノスは完璧な姿勢で一礼し、二人に銀色の水筒を手渡した。
「砂漠の熱は、精神を摩耗させます。……中には、疲労回復に特化した特製のハーブティーを淹れておきました。アスカ様、そしてレイさん。どうか、ご無事で」
「ありがとう、ゼノスさん。……行ってきます!」
レイが力強く頷くと、アスカは空間を切り裂き、ミュート王国へと続く「門」を開いた。
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【ラストシーン】
門をくぐり抜けた瞬間。 二人を襲ったのは、灼熱の熱気……ではなく、鼓膜が痛くなるほどの「静寂」だった。
目の前に広がるのは、黄金色の砂丘が波打つ、果てしない砂漠。 だが、そこには風の唸りもなく、砂が崩れる音さえもしない。 アスカが隣で何かを言おうと口を開いたが、その唇の動きに反して、声は一音も聞こえてこなかった。
「…………!」
レイが驚いてアスカの手を握る。 アスカは落ち着いた手つきで、空中に青白い魔導陣を展開した。 瞬間、無音の世界に、色鮮やかな波形がホログラムとして浮かび上がる。 アスカの声は聞こえない。けれど、魔導陣に映し出された文字が、レイの脳裏に直接語りかけてくるようだった。
『――落ち着きなさい、レイ。ここからは私の数式が、あなたの耳の代わりになるわ』
アスカはレイの手をぎゅっと握り返した。 音を失った黄金の海で、白と青のドレスが砂漠の風に揺れる。 それは、絆さえも数式に変えて戦う、二人だけの孤独で、そして特別な旅路の始まりだった。




