第109話:因果の帰結 ―― 賢者の慈悲と皮肉
【舞台:大聖堂跡地 ―― 崩壊の玉座】
聖獣オブリビオンが霧散し、空に本物の朝陽が差し込んだ。しかし、事態はまだ終わっていない。 アスカ、レイ、シュシュの三人は、かつて聖都の権威の象徴であった大聖堂の廃墟へと足を踏み入れた。崩れた天蓋から降り注ぐ光の中に、一人の老人が立ち尽くしていた。最高司教グラシウスだ。
「……計算外だ。あのような巨大な負の質量を、たかだか一人の賢者が解体するなど……」
グラシウスの声は震えていた。その手には、まだ鈍い光を放つ魔導杖が握られている。彼は失脚を拒むように、周囲に残存するわずかな魔力をかき集めていた。
「いや、まだ終わらぬ! 私には、千年積み上げた教義と、この地に根付いた魔導回路がある! 聖女がいなくとも、私自身が回路となれば――」
「グラシウス。あなたのその『数式』は、もう変数一つ守れないほどボロボロよ」
アスカが、泥に汚れ、引き裂かれた純白のドレスの裾を静かに翻し、前へ出た。彼女の背後には、青白い魔導陣が、まるで静かな湖面のように安定した輝きを放って展開されている。
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【舞台:知性の蹂躙 ―― 奪うのではなく、還す】
「黙れ! 異端の賢者が!」
グラシウスが杖を突き出す。凝縮された破壊の魔力がアスカへと放たれた。しかし、アスカは指先一つ動かさない。彼女の周囲に浮かぶ魔導陣が、飛来する魔力を衝突の瞬間に「分解」し、光の粒子へと変えてしまった。
「……無駄よ。あなたの魔導記述言語は、もう私に解析し尽くされている。今のあなたは、私にとって中身の透けた安っぽい計算機と同じ」
アスカは一歩、また一歩と、冷徹な足取りで近づく。
「アスカ様、あいつ、往生際が悪いんですニャ! 私がその髭を全部むしってやるですニャ!」
シュシュが黄金の瞳を鋭く光らせ、身構える。レイもまた、毅然とした表情でグラシウスを見据えていた。
「待って、シュシュ、レイ。……彼には、死よりもふさわしい『結末』を用意してあるわ」
アスカが右手をグラシウスにかざした。彼女の魔導陣が青白く、かつてないほど神々しく発光する。
「グラシウス。あなたは他人の痛みから目を背け、それを権力の源泉に変えてきた。……なら、その魔力の『所有権』を剥奪するわ。あなたが奪ってきたものは、もともとこの大地と、人々の命から吸い上げたもの。……あるべき場所へ、全額返金なさい」
「な……何を……!? 私の魔力が……抜けていく!? 止まれ、止まれぇ!!」
アスカが展開した術式は、グラシウスを攻撃するものではなかった。彼を「導線」とし、彼が溜め込んできた膨大な魔力を、周囲の環境へと強制的に「還元」する回路だった。
グラシウスの体から溢れ出した魔力の奔流が、大聖堂のひび割れた床から土へ、そして周囲の枯れ木へと流れ込んでいく。見る間に、瓦礫の隙間から青々とした苔が芽吹き、枯れ果てていた老木が瑞々しい若葉を広げ始めた。
「……私の……私の奇跡が……! ただの草木を育てる肥料に……!?」
「奇跡じゃないわ。これが本来の『循環』。……お疲れ様。あなたの計算機としての寿命は、今、終わったわ」
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【舞台:決着 ―― 剥奪された権威】
最後の一滴まで魔力を吸い出され、グラシウスの杖はただの朽ち木となって砕け散った。 そこに立っていたのは、豪華な法衣に身を包みながらも、中身はただの、足腰の震える弱々しい老人だった。魔力という「虚飾」を失い、彼はただの人間へと戻ったのだ。
「……殺せ。魔力も権力も失い、このような惨めな姿で生きていけと言うのか……!」
グラシウスは崩れ落ち、震える声で懇願した。アスカは彼を見下ろし、冷たく、そして最高に皮肉めいた微笑を浮かべた。
「殺す? ……いいえ。そんな非効率なことはしないわ。……だって、死んでしまえば、明日からこの国の人々が感じる『痛み』を、あなた自身も味わうことができないじゃない?」
アスカはしゃがみ込み、絶望に染まった老人の耳元で囁いた。
「安心なさい、グラシウス。あなたはこれから、この国で最も長生きする『ただの老人』として生きるのよ。……聖女がいなくなった世界で、自分の膝の痛みや、冬の寒さを、一分一秒噛み締めながら。……それが、あなたがずっと国民に強いてきた『安寧』の対価よ」
「あ……ああ……あああああ……!」
グラシウスの絶望の叫びは、もはや魔法的な力を持たず、朝の静寂に虚しく吸い込まれていった。
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【ラストシーン】
「行きましょう。……ここには、もう数式に残る価値のあるものは何もないわ」
アスカは背を向け、レイとシュシュの方へ歩き出した。 泥だらけの純白のドレスの裾が、瓦礫の上をサラリと音を立てて滑る。
「アスカ様、最高にかっこよかったですニャ! あのじいさん、今頃自分の膝が痛いことに気づいて驚いてるはずですニャ!」
シュシュが誇らしげに胸を張り、アスカの足元に寄り添う。
「アスカ様……ありがとうございました。私、初めて……今日という日が、自分の人生の始まりなんだって、そう思えます」
レイが、澄み渡った空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
アスカはふと立ち止まり、朝日に照らされる聖都を見渡した。
「……さて、レイ。聖女のお仕事は廃業だけど、これからはもっと忙しくなるわよ。……『痛みを持ち寄って生きる』ための、新しい計算式を組み立てなきゃいけないんだから」
アスカは、レイとシュシュの手を引くようにして、瓦礫の山を下りていった。 壊れた大聖堂の背後で、暖かな太陽が昇り、セレスティアの地を真っ白な光で包み込む。 それは、偽りの平和の終焉であり、最も困難で、最も美しい「人間の物語」が始まる合図だった。




