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階段を上がって一階に出て、辺りを見渡す。
個室の扉のひとつが開けっぱなしにされていた。
この慌ただしい物音、ゴルベトが何かを伝えに戻ってきたとしては、少し腑に落ちない。
どうして今更個室に飛び込む必要があるというのか。
俺に何かの報告をするために戻ってきたのではないかと考えたのだが。
俺は念のため、何かあったらすぐ攻撃できるよう、魔導書を開きながら部屋へと入った。
部屋の中では、ゴルベドが血眼になってあちこちを散らかしていた。
何かを捜すのに没頭しているらしく、俺のことにもまだ気付いていない。
ゴルベドは勢いよく机の引き出しを開け、そのまま引き抜いて机上に乗せる。
ガシャンと破壊音を伴って、引き出しが破損する。中に入っていたものが飛び散る。
机の上に積まれていた書類が押し退けられ、床に舞った。
ゴルベドは落ちた書類を躊躇いなく踏みつけ、引き出しの中へと手を突っ込んで掻き回し、中にあった指輪やらを手中に収める。
「よし……よし、よしよしよし!」
ゴルベドは息を荒くしながら、溢れんばかりに手に貴重品を詰める。
手ががくがくと震えており、指の隙間から金の指輪が落ちた。
ゴルベドは「くそうっ」と言いながら机の角を蹴り、それからようやくこちらを振り返った。
俺を見たゴルベドは手を開いて掴んだばかりの貴重品をばら撒き、その場で尻餅をつく。
「ひぃっ! い、いつの間に!」
「何をしている。私兵の配置はどうした?」
「む、無理だ! 迎え討つなんて、無理な決まっている! 戦う気のあるものなどおらん! あいつらも、逃げるつもりだ! お、俺も逃げる! 俺も逃げるぞぉ!」
ゴルベドはそう泣き喚き、落としたネックレスを拾って力任せに引き千切った。
どうやら戦うのは不可能と判断し、貴金属をいくらか掴んでここを去るつもりだったらしい。
「既に逃げた兵は殺された。もうここは300以上の兵に囲まれている。お前は、特に優先的に捜されるだろう。逃げ切れると思わない方がいい」
「そ、そんな……」
俺がそう言うと、ゴルベドは力なくその場に膝をつく。
実際には、逃げた兵は運悪く黄坂に捕まったから殺されたのだ。
アイルレッダの兵は、戦う意思のないものを殺すのは嫌がっていた。
あの様子から見て、最初から降伏しておけば下っ端ならば捕虜、場合によっては見逃してもらえることも考えられる。
が、わざわざそんなアドバイスをしてやるつもりはない。
こっちの事情が優先だ。
ゴルベドの私兵は貴重な戦力だ。逃げられてたまるものか。
もっとも私兵はともかくゴルベド本人はまず見逃がしてもらえないだろうから、考えをそのまま伝えてもゴルベドが私兵に話すことは考えにくいが。
「なぜ、どうして俺がこんな目に遭う! あり得ん! 俺が何をしたぁっ!」
ゴルベドは拳を作り、泣き喚きながら自らの頭をガンガンと叩く。
ゴルベドは大声を出すと少し冷静になったのか腕の動きを止め、ゆっくりと深呼吸をして息を整える。
それから俺へと顔を上げた。
「う、嘘だ! そうだ、嘘に決まっている! 300もこんなちっぽけな領に寄越してくるものか! 第一、なぜ屋敷に篭っていた貴様にそれがわかるのだ!」
声を荒げてそう吠えた。
受け入れたくないのだろう。
「俺の手の内を明かすつもりはない。だが、スィニーという男が逃げただろう?」
「うぐっ、な、なぜそれを知っている!」
「俺はここにいながらでも、遠くの状況を把握できる術を持っているからだ。これでもまだ、俺が適当なことを言っていると思うか?」
「だ、だが、どの道王都の兵が来たのなら、ここの戦力では持ち堪えられんのだ! 無理だぁ! 無理に決まっている! 死ぬ、皆殺される! そうに決まっている!」
「だから、足りない分は俺が補うと言っている。お前は兵がこれ以上逃げないよう、逃げた奴はすでに全員殺されたと言っておけ」
「しかし……しかし……こんなの、無理に決まっている……」
ゴルベドは頭を抱え、その場に蹲る。
最初に顔を合わせたときの余裕がまったくない。
人間、追い詰められればこんなものか。
一度召喚魔法で、俺の動かせる戦力を見せて希望を持たせた方がよさそうだ。
俺は禁魔道書のページを捲る。
「邪悪の化身よ、我に付き添い、従うがいい! 今この地を地獄と繋げ! 召喚、『破壊の巨人』」
深緑色をした醜悪な巨人、グリントロルが現れる。
グリントロルの体格が大き過ぎたため、天井を頭が貫いた。
木屑が舞い、部屋内が大きく揺れる。
シャンデリアが床に落ち、ガラス片を撒き散らしながら盛大に損壊した。
グリントロルは背を屈め、ゴルベドを睨む。
「ヴァルブゥ……ヴゥルヴグァアアッ!」
「ひ、ひぃっ! ババ、バケモノォッ!」
「後数体ほど、グリントロルクラスの魔物を召喚する。敵の大まかな配置も伝えるから、こいつらを軸に私兵を配置し、なんとしてでも持ち堪えろ」
「きき、貴様は一体なんなんだ!」
俺は泣き喚くゴルベドを無視し、足許へと目を走らせる。
書類や木屑、シャンデリアの破片……それら残骸の中から、インクの入った瓶を見つけた。
俺はそれを蹴って、ゴルベドの足許へと転がす。
「な、何をしろと……」
「領地の地図と、魔物を考慮した兵の予定の配置を描け。かなり大まかでいい。すでにここは囲まれているから、そのことを忘れてくれるなよ」
エレの精霊魔術で敵の数や位置は音で把握ある程度把握できるが、さすがに地形までは無理だ。
ゴルベドは腐っても領主だ。自分の領地の形くらいはわかっているだろう。
「わわ、わかった。紙とペンは……えっと、確か……」
ゴルベドが残骸の山へと顔を向けてから、必死に首を動かして目的のものを捜す。
「壁に描け。そっちの方が見やすい。今更惜しくはないだろ。さっさと指で描き始めろ」
「あ、ああ……そう、だな」
ゴルヘドはシャンデリアの残骸へと目をやってから、力なく頷く。
きっとあれも金が掛かっているのだろうが、今から領地ごと放棄するのだ。
わざわざ電球や壁紙を惜しむのは馬鹿らしい。
今はとにかく、猶予がない。
紙を探しているのも時間が勿体ない。
そのことはゴルベドもわかっているようだった。




