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レッドタワーは、その名の通り赤煉瓦が積み上げられて造られている建物だった。
疑似ダンジョンというだけあり、横幅もかなり広い。
その上八階建てと、なかなかの規模だ。
エレの力で情報収集を行い、街でレッドタワーの内部の図面をなんとか手に入れることができたのだが、中はかなり複雑な形になっているようだ。
骨董品屋の主人が持っていたもので、設計図候補の中で最も有力だったものの写しらしい。
細部は所々違うかもしれないし、古いせいで字が掠れていたり破れているところもあるが、信憑性の高そうなものはこれしか手に入らなかった。
魔術師の試験に使われるせいか、流通に制限が掛かっているらしかった。
裏通りの店に自称A級魔術師が描いたという地図がいくつか出回っていたのだが、どれも描いていることがバラバラだった。
国がわざとダミーを撒いたという噂もあるらしかった。
クラスメイト達が来るのは明日の昼なので、それまでに間違っているところがあれば修正しなければならない。
図面を見るに所々広間もあるが基本的には細い通路が多く、簡単な迷路のような設計になっているようだった。
上に登る階段がふたつある階層もあるらしく、その点は特に気をつけたいポイントだ。
各階層の階段の数を把握し切れていなければ、クラスメイトを逃がしかねない。
レッドタワーと王都の間で待ち構えるという案もあったが、結局レッドタワーで追い詰めるという策を取ったのは、相手が大人数だろうが出口を塞いでしまえば逃がさずに済むという点が大きい。
じっくりと追い詰め、復讐を果たすことができる。
逃がして警戒されればアイルレッダは国を挙げてクラスメイト達を守るだろうし、指名手配されかねない。
大きな扉に手を掛ける。
聞いていた通り鍵が掛かっているらしく、扉は開かなかった。
俺は数歩下がり、魔導書を捲る。
「その者が通るとき、人間だけでなく小動物や草木はおろか、秩序なき混沌さえもが頭を地に着け、ただ震えてその者が過ぎて行くのを待っていた。禁魔術、『万物の王』」
扉に魔法陣が浮かび上がり、ガチャリという音を立てた。
『妾の下僕よ、壊しても良かったのではないか? その魔法は、消費が激しいであろう』
「内側からまた魔法で閉め直したい。こんなことで疑われて、逃げられたらしょうもないだろう」
まあそれもそうではあるな、とトゥルムが答える。
中に入って後ろを振り返ると、エレが付いてくるところだった。
「……ところで、トゥルム。昨晩、メアリーと何を話していたんだ?」
昨日の夜中、目を覚ましたとき、メアリーがぼそぼそと魔導書と何か話しているのを目にしたのだ。
あのときはメアリーと話すなんて珍しいと思っただけだったが、朝になってからメアリーがあっさりと留守番を了承したのが気に掛かっていた。
迷いが晴れたような、そんな顔をしていた。
『む、気付いていったか。気になるか?』
トゥルムがただ前向きなアドバイスをしたと、そういうふうには思えない。
ミーデニガンドの地下奴隷オークションでの一件の後も、俺が禁魔術使用後特有の感情の落差に苛まれている間、それにつけ込んで俺に俺の代わりを用意させたほどだ。
最初は悪魔の癖にどこか気の抜けた奴だと思っていたが、むしろ俺に警戒されないためのポーズだったのではないかとさえ思ってしまう。
こっちとしては使い潰されるようが、目的さえ果たせられればいいのだが。
「ひょっしてメアリーは、これを機に俺から離れるつもりなのか?」
『と、言ったらどうする?』
「…………」
試すような、からかうな、そんな物言いだった。
俺が無表情で黙ったのが気に喰わなかったのか、つまなさそうに『ふん』と零す。
『からかいがいのない』
「どういう反応を期待しているんだ」
ここ最近は特に、トゥルムの考えていることが読み辛い。
これは別に、魔導書の反動で俺の感受性が薄くなったとか、そういう理由ではないような気がする。
何か隠していて、俺に言っている他の行動原理を持っているような……そんな感じがする。
「何を考えてるのかはわからないが、他に目的があるんだったら言ってくれよ。俺は復讐の方の目的さえ完遂できるのなら、他に何か厄介ごとを背負わされたとしても、喜んで引き受けるぞ。下手に隠されていて、予測できていない方が互いに不利だろう」
『はて、何が言いたいのかさっぱりであるな』
あくまでも言うつもりはないらしい。
俺の考え過ぎか?
重要な隠し事にしては、お粗末にも思える。
いや、しかし、メアリーに何か仕掛けたのは間違いないはずだ。
だったら、メアリーから引き出した方が早いか?
トゥルムの違和感についてはとりあえず今は忘れ、レッドタワー全体の把握に入ることにした。
エレと一緒に登り、植物魔法で魔物を散らしていく。
犬型の魔獣やらゴブリンやらと、外にも現れるような魔物ばかりだった。
低階層だからかと思ったが、階段を上がっても大した魔物は出てこない。
赤いゴブリンは多少素早かったが、魔法の蔦よりは遅い。
人間サイズの二足歩行する蜥蜴は多少タフだったが、『破滅の豪炎』をぶつければ即座に肉片と化した。
試験用だと言っていたし、こんなものか。
骨董品屋の爺さんに売ってもらった図面はエレに持たせ、彼女に加筆や修正を頼んでいた。
候補の図面でしかないという話だったが、ほぼ図面通りのようだった。
破れていたり、インクがぼやけていたりして読めない部分の修復だったりが彼女の仕事となっていた。
「もうこの階層はいいか。次に行こう」
「いいのですか、御主人様?」
「ここは広すぎる。他階層に繋がる階段の数と位置さえ把握できれば、それでいい」
階段さえ押さえれば、まず逃がすことはない。
窓……というより空気穴はあるが、人の通れる大きさではない。
追い詰めたらここから跳んで逃げられる……なんてこともないはずだ。
「トゥルム、あいつらはこの壁を崩す魔法を持っていると思うか?」
『この壁を砕くとなれば、それなりの威力を要するの。しかし、10人近く来るのだろう? 連中を率いるのが、レイアから変更してもっと上級の魔術師が来る可能性もある。絶対崩されないと、そう断言はできんな』
なるほど。
階段を押さえたとしても、壁を崩して逃げられる場合もあるのか。
できることなら、何か対処法を考えておきたい。
「ひょっとしたら、レッドタワーの中に脆い壁があるかもしれないしな。追い詰めたら、壁を壊して逃げられる可能性もある……か」
『しかし、階段をすべて制御するなどできるのか? 階段をいくつか魔法で潰していくつもりか? それでも、向こうがばらけたら……』
「そこのところは考えてあるから大丈夫だ」
『む、そうか。ならばいいのだが』
追い詰め過ぎたら壁を崩して逃げられることを前提とするとして、それを防ぐにはどうしたらいいか。
外側の通路を通行不可能にしておくか? いや、キリがない。
魔物を呼び出して塔の壁に這わせるか?
しかし全体を覆おうと思えば数がいるし、前もって準備する必要がある。
それにあいつらが来る前に壁を魔物だらけにしてしまえば、異常な事態になっていると一目で警戒され、台無しになってしまう。
壊されるのは防げないとして、だったら壁を壊しても外に出られない状況に追い込めばいい。
「この塔の五階から飛び降りても助かるような魔法を、あいつらが持っている可能性はあるかな?」
『カタリのように大型の植物を造れば可能ではあるが、その規模の魔法が使えるものはおらんであろう。後は空を飛べる召喚獣を使われるか、風魔法の精密なコントロールができればどうにかなるかもしれん』
召喚獣か、精密な風魔法か。
「で、それをあいつらは持っている可能性は?」
『召喚魔法は、まぁ、恐らく持っておらんであろう。魔獣と契約するか、固有の魔法陣を誰かから伝授してもらうしかない。ひょっとするとレイアが持っているかもしれんが、基本的に人を運べるサイズで空を飛べるのは上位魔獣であるから、C級魔術師が持っているのは考え辛いの。
風魔法に関しては、わからん。しかし、飛び降りて風でコントロールしようなどと、窮地の思い付きでできるものではない。精密な風魔法を持っていたとして、実現できるのはやはり付き添いの魔術師くらいであろう』
話を聞いている限り、付き添いの魔術師を不意打ちで倒してしまった方が良さそうだ。
それか敢えて逃げやすそうな状況を整えて罠を張り、動いた人間から潰すか。
「六階に上がる階段はひとつしかないようだな」
「はい、そのようです」
六階層に上がり、通路を歩く。
この辺りから、行き止まりやら何やらが増え、より迷路らしさが増してきた。
ほとんど図面通りなため迷いはしないが、全体を把握するのは少々面倒だ。効率よくマッピングをしていきたい。
階段の確認に重きを置きながら調査を進め、七階、そして八階へと上がり、そして屋上へと登る。
塔の縁に立ち、一面に広がる森を見渡す。
「あの、あのっ! 綺麗な景色でございますね、御主人様っ!」
エレが横に寄ってきて、そう口にする。
「きれい?」
ついそう返してしまう。
俺が森を見ていたのは、ひょっとしたらこっちに近づいてくるイレギュラーな集団がいたりしないだろうかと、ふと思っただけだ。
別に、景色を楽しもうと思ったわけではない。
しかし、なるほど、確かになかなかの光景だ。
暗がりが差してきた景色に、ほんのりと色とりどりに光る魔法樹が生えている。
元の世界での、巨大なイルミネーションのようだ。いや、それよりもずっと美しく、神聖で、また自然としての力を持っているようだった。
「確かに、綺麗だな。こういう景色が楽しめるのは、これが最後かもしれない」
心が禁魔術に浸食されているせいか、幻想的で美しいはずだというのは確かに伝わってくるのに、そこから先がない。
復讐が終わるころには、きっと景色を楽しめる感性なんて、俺には残されていないだろう。
「また、来ましょうよ。御主人様」
じぃっと俺を見つめるオッドアイの瞳孔がわずかに大きくなり、それからにっこりとエレが笑う。
ダークエルフ特有の黒い肌が、空に登り始めてきた月の明かりに照らされる。
エレのこの笑顔も、いずれは色褪せて見えるのだろうか。
「でも、この塔は……」
野暮なことを言いかけ、俺は口を閉じる。
別に、今言わなくともいいことか。
「あの、御主人様」
「どうした、エレ?」
「メアリーさんは御主人様に酷いことを言ったり、御主人様の前から去ってしまうかもしれません。でも、でもエレは、絶対に御主人様を裏切るようなことは、しませんから! だから……えっと、安心してくださいね」
勢いで喋っていたのか、途中で言葉を探りながら、それでも必死に自分の想いを話そうとしているふうだった。
「そんなに、俺が寂しそうに見えるか」
冗談交じりに返すが、エレの表情は崩れなかった。
「御主人様……普段はそんなことはないのですが、たまに、物凄く寂しそうに見えます」
意外な返答だった。
俺はつい言葉につまり、ふと夜空を見上げる。
「そうか。まぁ、そうなのかもしれないな」
深く考えずに、俺はそう答えた。
考えるに足らないことだからなのか、あるいは考えたくないことだからなのか、その判断は自分でもつかなかった。
なにはともあれ、レッドタワーの階段の位置と、内部の大まかな把握は完了した。
降りながらところどころに罠を張り、クラスメイト達を待ち構えることにしよう。




