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こぼれ話② お嬢様陥落作戦

こちらも流れの関係でカットした部分です。おまけ的な感じでお楽しみいただければ幸いです。




 場違いをひしひしと感じながら、私は廊下を進んでいった。高い天井、絨毯敷きの広い廊下。点々と続くランプの明かりに導かれるように、ひたすら進む。どこまで続くのだろうと思った頃に階段が現れ、私は磨かれた大理石と思しき手すりを、掴みたくはなかったけれども仕方なく掴んで、慎重に下りて行った。

「お嬢様、どちらへ?」

「……!!」

 階段を下りる途中で、不意に声を掛けられた。慌てて声の主を探すと、階段下にいわゆるメイドの格好をした女性が立ってこちらを見上げていた。

「あっ、あの……! えっと、智、くんは」

 しどろもどろになって答えると、女性はにっこりと微笑んで返してくれた。

「智志様は執務中です。書斎にいらっしゃいますがご案内しましょうか」

「は、はい……! お願いします!」

 「智くんは」と尋ねて「智志様は」と返されたので一瞬戸惑ったが、同一人物を指す名前だと思い出した。どうやら屋敷の人たちはあの子を元の名前で呼んでいるようだ。

 肋骨を折っていた私はしばらくの間動けず、今日ようやく立ち上がって自力で部屋を出てきたところで、もう数週間お世話になっているお屋敷なのにこうして歩くのは初めてだった。ゆっくりと階段を下りるのを待っていてくれたメイドさんの後ろをついていく。

「こちらです」

 少し歩いた先のドアの前で、メイドさんは立ち止まった。私は頭を下げてお礼を言おうとした。が、その前にメイドさんがドアをノックし、「お嬢様がお見えです」と中に声を掛けた。

「えっ、あの!」

 お嬢様って、さっきもそう呼ばれたけど、ベッドにいる間もそう呼ばれてたけど、私そんなんじゃないんです……!

 戸惑っているうちに、部屋の中からドアが開かれた。ドアを開けてくれたのは白髪の男性だった。

「どうぞ、お入りください」

 男性はにっこり微笑んでお辞儀をしてくれた。そしてそのままの姿勢で、私の返事を待っている。

「は、はい」

 慌てて返事をし、生まれて初めてかもしれないほどの丁重な扱いにどきどきしながら私は部屋に足を踏み入れた。毛足の長い絨毯の、ふわっとした感触。立っているだけで恐ろしかったけれども、それはここまで歩いてきた廊下だって大差なかった。

「ケリー? どうしたの、起き上がって大丈夫なの?」

 聞きなれた声が近づいてきた。すこし高めの、子供の声。かっちり着込んだスリーピースのスーツが七五三にならないのは、内面からにじみ出る落ち着きと貫禄のせいだろうか。少年――智はトコトコと近づいてきてごく自然に私の手を取った。そしてそのまま、ソファーにエスコートされる。

「うん、もう大丈夫。それで、あの……。智に話があって来たんだけど」

 革張りの立派なソファに座らされて、私は智を見上げる形になった。うん? と首を傾げるその仕草は、何とも言えず可愛らしい。

「私、そろそろ帰らないと、と思って……」

 高級なのが一目でわかる調度品に囲まれて落ち着かないまま、わざわざ訪ねてきた目的を口に出す。隣から見上げてくる智の視線を感じながら、その先の言葉がうまく紡げない。

 ずっとここにお世話になるわけにもいかないし、ケリーの両親も心配しているだろう。荷物はホテルに置きっぱなしだったものを智が引き取ってくれていて、パスポートも現金もある。だからお世話になったのを何も返せないのは心苦しいけれどせめて、これ以上負担にならないうちにここを離れたい。そう思ったのだが。

「そう、ですか。……では飛行機を手配しますから、一週間ほど待ってくださいね」

 そういう意味じゃないのに、とパッと顔を上げると、智はにっこり笑って首を傾げた。

「気にしないで。すぐに手配させるよ」

 智が部屋の隅に待機していた男性に視線を遣ると、白髪の男性――執事と言うのだろうか――は、一礼をして部屋を出て行った。

「いえ、あの、智。これ以上迷惑掛けられないし、私もう元気になったし、一人でなんとかできるわ。今までお世話になった分も、治療費とか両親に話して負担してもらうから……」

「いいんですよ、そんなことは気にしないで。それよりまだ骨折は完全に治っていないのだから、準備ができるまで休んでいたほうがいい。部屋まで送りましょう。それとも、何か召し上がりますか?」

 智は私の話を一切無視して、手を差し出してきた。ああ、もう。これだからお金持ちは。

 内心で大きくため息をつきながらも、エスコートしてくれようとする智の小さな手の平にそっと自分の手を乗せた。途端にきゅるる~とお腹の音が鳴り、私は赤面して手を引っ込めた。ちゃんと朝ご飯食べたのに!

「ふふ、元気になってきた証拠ですね。何かつまみに行きましょうか、せっかく部屋を出てきたのだし」

 智は気にしない素振りで私の手を取り、少し強引に立たせてくれた。私は恥ずかしさに俯いたまま、無言で頷いて歩き出す。

 まだ足元が若干覚束ない私を気遣ってゆっくり歩いてくれるところも、時々振り返って話題を振ってくれるところも、つむじが見えるほどの背丈の違いさえなければ本当に立派な紳士なのに。

 手を繋がれているのか、こちらが繋いであげているのか、傍から見たらどうなんだろうと思いつつ、私は智に従って歩いていく。握った手は小さく、柔らかい。子供そのものの体の中に、正真正銘の紳士がいるなんてやっぱり不思議だ。自分のことは棚上げして先を行く智を見つめる。……浅川、社長。

会社の大きな行事の時くらいしか社員の前には顔を出さなくて、ちょっとミステリアスで。でも三十という若さで社を引っ張り、経営も順調。どんどん新しいプロジェクトも進行させて、寝る暇とかあるのかな、なんて平社員の分際で心配したこともあった。女子社員の間では専らイケメン社長って騒がれて、社長ウォッチングを趣味にしたり盗撮したりとか危ないことをしてる人もいた。

 ……本人はそんなこと知ってたのかな。

「……ケリー? 具合が悪いですか?」

「えっ? 全然!? ごめんなさい、ちょっと考え事を……」

「そうですか、ならよかった」

 途中から智の話を聞いていなかったのを申し訳なく思いつつ、質問をしてみることにした。

「あの……智? 聞いてもいいかな」

「え? なんでしょうか」

「智は今も、社長のお仕事続けてるの?」

 子供の体になってまで仕事をしていると聞けば、社長職を続けているのだろうと思って聞いてみた。智は「ええ」と当たり前のように頷いて笑った。

「陰ながら続けていますよ。名目上は今、兄に社長をしてもらっていますが……。ほら、式典や行事、大きな取引等の時などに社長不在ではまずいでしょう。そういうときには兄に頑張ってもらって、僕は内々の仕事を処理しているんです」

「ああ……そうなのね。大変じゃない?」 

 大変なのは当たり前だと口出してから気づく。余計なことを言ったな、と口に手を当てると、智は面白そうにくすくす笑った。

「大変は大変ですね。誰かに見られないように“かくれんぼ”しなければなりませんから。まさか自分の会社を動かしているのが小学生だと知られたら、役員重役たちが大騒ぎするでしょうね」 

 そういう意味で大変なのね、と思わず私も笑ってしまう。平社員では気づきようもないけれど、重役は社長と会う機会も多いのだし、お兄さんに社長を代わってもらわなければこの姿で社長を続けることはできないはずだ。

「あれ……でも、かくれんぼしてるってことは、内緒なの? その……会社の偉い人たちにも?」

 何がかは暗黙の了解だ。智は神妙な顔で頷く。

「僕の事情を知っているのは父、兄、叔父。この屋敷で働く者だけです。会社の人間には話していません。信用問題、というよりはむしろこんな話、信じる人の方が少ないですし」

 経常利益数十億の会社社長、浅川智志の体は死に、意識のみが少年・智の体に宿った。こんな空想の中でしか通用しないような話を誰が素直に信じるだろうか。それに信じる、信じないの問題とは別に、もしもこの事実をマスコミに売られたりしたらと考えるだけでぞっとする。この事情を明かせない理由など、考える必要もなかったのだ。

 間近で彼に接する人だけが、信じざるを得ない事実だと気づける。そして彼を想う人だけが、一緒にその秘密を抱えてくれる。

「あ、もう一人いましたね、僕の秘密を知っている人」

「え、誰?」

「やだなぁ、あなたですよ、ケリー」

 ふふっ、と笑いながら見上げられて、ああ、そっか。と間抜けにも思う。その少ない人間の一人に私も入っているのね。この、子供の姿になっても陰ながら仕事を続ける、真面目な社長の秘密を握る人の内に。

「大丈夫、私は誰にも言わないから」

 握った手にきゅっと力を籠め、智の目を見つめて言うと、智はくしゃっと顔を歪めて笑った。

「あなたのことを疑ったりしません」

 呆れたような、照れくさそうな。そんな笑みだった。



 その後、初めて食堂に行った私はその内装の豪華さに驚き、案内された席に着いても落ち着かずそわそわし。何が食べたいかリクエストを聞かれてもしどろもどろで答えられず、智が笑いながら「シェフ特製のサンドウィッチでどうですか」と助け舟を出してくれて。

 ああ、なんて余裕なんだろうと、クールに座っている智をちょっと恨めしくも羨ましくも思ったのだけれど。

「智志様、タイが曲がってらっしゃいます」

「智志様、コーヒーはほどほどになさってください。今はお子様の体なのですよ」

「智志様、智志様もお召し上がりください。昼食は軽めに準備いたしますから、さあ」

 ……なんて、食堂にいた人たちが入れ替わり立ち代わり智に声を掛けていく。

 サンドイッチをおいしくいただきながらさり気なく智の様子を見ていたら、最初はみなさんをクールにあしらっていたのに、だんだん眉が寄り、仏頂面になっていって。その顔がもう、可愛くて。

「今は子供の姿でも僕はもう三十なんだぞ! みんな自分の仕事をしろっ!」

 ついには声を上げて威嚇までして。真っ赤になった顔でサンドイッチに齧り付いた姿さえ愛らしいのを、本人だけが気づいていないのだろう。怒られた人たちは黙ってお辞儀をするのだけれど、それぞれ嬉しそうに去っていく。

 みんな構いたくて仕方がないんだろうな、なんて思って微笑ましく見ていたら、食堂のドアが開き、先ほどの白髪の男性が入ってきた。

 白髪なのに老人と呼べないのはすっと伸びた背中と歩き方が若いから。近づいてきた顔をよく見ると、年月を過ごしてきた証が温和な顔をさらに優しくしていた。

「そういえば陣内に会うのは初めてでしたか?」

 サンドイッチを飲み込んだ智が、ふと気づいたように言ってくれたので、私は勢いよく頷く。

「そうでしたか。執事の陣内です。僕が子供の頃から世話をしてくれている人です」

「はい、わたくし陣内と申します。どうぞご遠慮なくお申し付けくださいね、お嬢様」

 陣内さんは胸に手を当て、綺麗にお辞儀をしてにっこりと笑ってくれた。私は立ち上がるタイミングを逃して、慌てながら頭を下げた。

「わ、私のことはケリーと呼んでください! お嬢様なんて……!」

 お屋敷にいる全員にそう言ってほしいと思った。これまでの人生、そういった呼称とは無縁に生きてきたのだ。それは体が変わって国籍が変わった後も同じで、ケリーの家はごく普通の家だったし。

「左様でございますか。ではケリー様と呼ばせていただきますね」

「いっ、いえ、『様』も要りません! ただのケリーで……」

「ケリー、それは無理ですね。陣内の性格から言っても呼び捨てはありえないし、あなたはお客様だから」

 慌てる私の隣で、智はコーヒーカップを傾けながら涼しげに言う。少しは私の味方をしてくれてもいいのに、と思ったが、笑顔の陣内さんに押し切られる形で、結局私は様付けで呼ばれることになってしまった。

 お嬢様でも『ケリー様』でもないんだけれど。私は、少なくとも意識の上ではしがない会社員のアラサ―女なのに。ぼんやりしている内に陣内さんは椅子を回り込み、智の隣へ立った。

「智志様、一週間後の便が手配できました」

 嘘、もう? その仕事の早さに感心して陣内さんを見上げると、陣内さんは私を見てにっこり笑い、そして懐から何か書類を取り出した。

「それから、こちらを」

 智は書類を受け取ってさっと目を通した。小さな子供の体に似合わない、洗練された仕草。足を組んで座っているのが格好いいのに、ちょっと違和感がある(ちなみに床に足は届いていない)。

「ふふ、いいタイミングだ。僕の分ももちろん手配済みだな?」

「ええ、もちろん。では渡航の準備をさせていただきます。ケリー様は何かご入用のものはございますか?」

 何の話かついていけずに二人を交互に見ていた私だったが、陣内さんが急に話を振ってきたので、驚いて何を言ったらいいか分からなくなる。

「え、あの、今は、特には……」

「では思いつかれましたらご遠慮なくおっしゃってくださいね。……失礼いたします」

 にっこりと柔らかく微笑まれ、何かの力に促されるように私は頷いてしまった。一礼して去っていく颯爽とした姿を目で追って、小さく息を吐いた。

「……なんか……有能な執事って感じ……」

 ぼそりと呟くと隣で智が吹き出すように笑った。

「感じ、ではなく陣内は本当に優秀な執事ですよ。あれは仕事をするのが趣味みたいな人間ですから、遠慮しないでなんでも言いつけてあげてくださいね。……さて、一週間か、忙しくなりますね。早く仕事を片づけて準備しないとケリーに置いていかれてしまう」

 笑いながらそう言った智は、飲み終わったコーヒーカップを置いてさっと椅子から下りた。

「ん? ちょっと待って? その言い方……智もアメリカに行くの?」

 そういえばさっきも、『僕の分も手配済み』なんて言っていた。まさか、私を送りに? そこまでするもの?

 ところが智は上機嫌ににやっと笑って、ひらりと一枚の紙を私の前に突き出した。

「……コー……ユニバーシティ!? エンター……入学許可、じんない……さとる……。え、何これ!」

 英語で書かれたそれは大学の入学許可証だった。智の名前が入っている。

 驚きに目を見張っている私を見て、智はくすくすと楽しそうに笑う。

「ええ、僕は大学に編入するつもりなんです。いわゆる飛び級というアレですね。今さら小学校の勉強したって仕方ないですし、かといって“智”にだって学歴は必要でしょう? ですから手っ取り早く大学に。しかしいいタイミングで届きました。ちょうどケリーと一緒にアメリカに行けますね!」

 聞いていて頭がくらくらするような内容だった。確かに浅川社長は大学も、ひょっとしたら大学院だって卒業しているかもしれないから、今さら小中高通う必要なんて全くないのだろうけれども! でもだからと言って何でこの大学なの!? うちの……ケリーの実家の近くじゃない!

 そんな都合のいい話が、と智を見れば、『いいでしょ?』と言わんばかりの満面の笑みで私を見上げてきて、結局何も言えなかった。何を思ってケリーの家の近くの大学を選んだのか……偶々なら……でもそんな偶然あるの!?


 智と話をしたかったのだけれど、なんだかんだ話をはぐらかされ続け、結局出立の日が来てしまった。両親にお土産などを買ったりしていたら、一週間という時間はあっと言う間に過ぎてしまったのだ。

私は状況がつかめないまま、上機嫌な智とともに空港に送られ、ゲートをくぐった。当たり前のごとく ファーストクラスのラウンジに入っていく智と陣内さん(一緒にアメリカへ行くらしい)に連れられて、そのまま初めてエコノミーではない座席に乗り込んだ。自分に与えられた空間の広さと場違いさにまたも眩暈がしたが、智に余計な心配を掛けさせたくなかったのでひたすら堪えてじっとしていた。

 ……アメリカに着けば。空港を出たら智とはお別れだ。

 たとえ家の近くの大学に進学するのだとしても、近所である以外に接点はない。私――ケリーはまだ高校生で大学に行くことはない。アメリカに戻ったらもう私は本当にケリーとしてこれからを過ごす。高校に復学してちゃんと卒業して、その後のことはまだ考えていないけれどとにかく卒業できるように頑張るつもりだ。英語は話せるようになったとはいえ、難しい文章などはまだ読めない。高校の授業についていけるのか心配だし、万一留年ということになってはケリーに申し訳ない。頑張らないと。

 これで最後かもしれない、そう思えば、とてもお世話になった智とさっとお別れするのもちょっと寂しい。ふと視線を上げれば、悠々とファーストクラスのシートに身を埋めた智が、英字新聞を広げて読みふけっているのが見えた。いちいち外見にそぐわないことをしているが、見た目としては子供が背伸びをしているようで……正直言って可愛くて仕方がない。

 そんなことを考えていると知られれば智が怒るに違いないのでさっと視線を逸らし、数時間過ごしてようやく慣れてきた豪奢なシートに体重を預けた。少し眠くなってきたのでシートを倒して毛布をかぶる(ファーストのフルフラットシートで眠れるなんて絶対に最初で最後なので、分不相応なのは重々承知の上で体験しておきたかった)。

 ふかふかな枕に頭を預けて、うとうとしながら考える。智がせっかく近くにいるのなら、時々は一緒にご飯を食べたりとか、誘ってもいいのだろうか。智は嫌がったりしないだろうか。それとも助けてもらった分際で、恩人を誘うとか、本当はいけないのかなぁ……。


  *


 到着ロビーで待っていてくれたケリーの両親に、絞殺されそうなほどの勢いで抱きしめられた。数週間のことだったけれど、とても心配させてしまったようだった。それもそうか、日本に行って怪我して帰って来たのだもの。

 詳しいことは話していない。自殺しようとした、なんて言ったら、この人たちが発狂してしまうかもしれないからだ。ただちょっとした事故があって怪我をして遅くなったと、数日前に電話をしておいた。『帰る』と言った時のママのほっとした声が妙に切なかったのを思い出して泣きそうになった。

本当に……死ななくて良かった。智が助けてくれて良かったと今なら心から思える。この優しい人たちを、これ以上悲しませるなんて。

 心からの感謝の気持ちを込めて、ここでお別れする智を振りかえった。陣内さんと並んで立った小さな少年は、嬉しそうな笑顔でこちらを見ていた。

「智……本当に、ありがとう」

 また、会えるよね? と続けるつもりだった。もしも迷惑でなかったら、会って話ができると嬉しい。こちらには友達はおろか知り合いさえいないのだから。でも、私の声を聞いたケリーのパパが、大きな声を上げて智を見た。

『サトル? おお、キミがサトルか! ケリーがお世話になったそうで……ああ、陣内さんまたお目にかかれましたね』

 そう言って二人に近づき、握手を求めるパパに続き。

『あら! あなたがサトルくんなの、とっても可愛らしいのね! 息子ができたみたいで嬉しいわ。これからよろしくね?』

 と、ママも突然はしゃぎだしてそちらに近づいた。感動の親子の再会から一変、ひとり取り残された私は状況が飲み込めずに立ち尽くす。

『初めまして、スミスご夫妻。僕は陣内智です。これからお世話になります。よろしくお願いします』

相変わらずの淀みない英語で挨拶し、ぺこりと頭を下げた智が、一瞬私を見てにこっと笑った。

『ケリー、言い忘れていたけど、僕、スミスさんの家にホームステイすることになったんだ。よろしくね!』

 それは言い忘れじゃなくて、わざと言わなかったんじゃ!?

 先ほどの含みのある笑顔といい、申し訳なさそうな陣内さんといい、私をからかっていることは明白である。

『ケリー? どうしたんだ、そんなに震えて……ああ、わかった嬉しいんだね? いやぁ、私たちも恩人に恩を返すことができて嬉しいよ。日本でケリーがお世話になった代わりに、今度はこちらで私たちがサトルを精一杯お世話するよ!』

 ……パパ! 間違ってはいないけど確実に嵌められてる!!

 にこにこ楽しそうなパパとママ、そしてその向こうで無垢に見える笑顔を振りまく智。別に智がホームステイすることに文句はないけれど、でも!

 なんだかしてやられたような気がして複雑だ。

 やりきれない感情を持て余していた私のところへ、すっと寄ってきた智が小さく呟いた。

「……これからはずっと一緒ですって言ったでしょう?」

「……っ、き……」

 聞いてない……! と言いたかったけれど、あれ、でもそんなことを聞いたような気も、と一瞬記憶が混ざる。ん? と考えている内に、智は私の手を取り、歩き出してしまう。

『ちょっと、智……!』

『楽しみですね、ケリー! 早く行きましょう!』

 ぐいぐい引っ張っていくその様子が本当に楽しそうで。私は文句を言うのも忘れて一緒に歩き出した。もうしばらくの間、一緒にいるのもいいかな、なんて思ってしまった。

 ……それが、良くなかったのかもしれない。智がその後も私の人生にずっと関わってくるなんて、その時は夢にも思わなかったから。




本当はもっとぐだぐだ続いたはずのお嬢様陥落作戦(笑)ですが、途中で書くのをやめてしまったのでちょっとだけ残っていた部分を。完全に蛇足ですがこんなのもあったのね、と思ってください。

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