8.出会いは突然に
やはり料理には新鮮な野菜がいい。離宮の厨房の野菜ももちろん新鮮なものが多いけど、やっぱりもぎたてにはかなわない。
私はなったばかりのトマトによく似た赤い実をもぎとって食べる。うん、美味しい。
これはレトルの実というものだ。実じたいはトマトとよく似ているが、トマトよりも甘く、サラダ以外にもスイーツに使えそうだった。
よしよし、これで今度はまた新しいスイーツのレシピを考えよう。
そう思ってにやにやしているとすぐ後ろに控えていたルイザが小さなため息をつく。
「あの姫様」
「なによ?ルイザも食べる?」
「もちろん頂きますが、それより本当に料理人になるおつもりですか?」
ルイザは私からレトルの実を受け取りながら苦い顔をしてそんなことを言う。
何を言っているんだろう。私は首を傾げる。
「そのつもりだけど?」
「ええ!?だって、最初はあんなにも陛下にお会いしたいと言っていたのに!?」
信じられないとばかりにルイザは目を見張る。
そんなに驚かなくてもいいと思うけど。
「だって、結局会えないし」
「それはそうですが」
「それにやっぱり恋愛なんて、しなくても楽しく暮らしていけそうだし」
ここでこうして畑を育てて、料理をして、いずれ街に店をだして、そう考えるだけでもわくわくしてくる。
「やっぱり、私に恋愛は向かないかも」
ちらりと前世の死に際が脳裏によみがえり、内心ごめんねと前世の私に謝る。
だって、しょうがないじゃない。王様ったら全然会ってくれないし。相手に会えなければ、恋愛なんてできない。
それに、これはこれで楽しい生活になるはずだ。前世の時と同様に恋愛なんてしなくても、生きていける。王妃ともなれば生活も安泰だし、老後を心配をする必要もない。むしろ前世よりも条件はいいくらいだ。だから恋愛なんて無理にしなくてもいい。
そう、これでいい。これで。
ちくりと胸の奥が痛んだ。そっと胸を押さえる。大丈夫、これは気のせいだ。
また野菜を作って、料理をして、忙しい毎日を送ればきっと忘れる。
そう思っていたその時だった。ルイザがあっと声を出す。
どうしたのかと視線を追い、私もまたあっと息をのんだ。
視線の先には見知らぬ男達がいた。離宮で働く人達の顔は既に覚えている。それなのに見覚えがないということは彼らが離宮の外からきた人物だということだ。
男達をまじまじと見る。その立派な身なりからして、使用人などではなく、おそらく王宮からやってきた使者だろう。
この離宮に王宮の使者がやって来ることは今まで何度かあったけど、いつも知らぬ間に来て、使用人に言付けだけして帰って行くので、私も実際に見たのはこれが初めてだった。
離宮へやってきた男達は全員で4人いた。
1人はいかにも神経質そうな顔をした眼鏡をかけた初老の男。4人の中では一番年が上に見えるが、位としては一番高い訳ではないらしい。男は一歩後ろを歩いていた。
そしてその更に後ろを歩く2人はおそらくは護衛の騎士だろう。私の護衛をしてくれている騎士よりも立派な制服をきており、身体もがっしりとしていた。
そして残った1番前を歩く人物。おそらく彼が王宮の使者だろう。他の3人よりもずっと立派な身なりをしていた。
きらきらとまるで太陽をそのまま溶かしたような鮮やかな金髪。新緑を思わせるような深緑色の瞳。目をひくような整った顔。女性であれば誰もがその顔に惹かれるだろう。
ただ惜しいとすればその眉間に深く刻まれた皺と不機嫌そうにつり上がった目元だろう。
まさに今寝起きですとでも言いたげなその顔は、せっかくの整った顔をあきらかに台無しにしていた。
これでツヴァイのようににこにこと笑っていれば完璧であっただろうに。なんともおしい。
そんなことを思っていると4人はまっすぐ私に向かって歩いて来た。
ついに来たか。実はいずれはこうなるんじゃないかとうすうす感じてはいた。
ツヴァイによれば王宮にも私のしたことは届いているらしい。ならばこうなることは時間の問題だと思っていた。
離宮にいる間、何をしてもいい。確かにアルフガルト王はそう言った。しかしまさか姫君が庭に畑を作り、料理人のまねごとをしだすとは、さすがの王も思っていなかっただろう。
そう、いずれは事の次第を確認しに、誰かが王宮からやって来ると思っていた。
そしてまさに今、予想どおりに目の前にいる。
王宮の使者と思われる男が私から少し離れた位置で足を止め、じろりと私を無遠慮に見下ろす。背が高く、体つきもいいため、その圧迫感は凄まじい。
うわあ、前世でもこういう嫌な上司いたな。そんな懐かしい記憶が一瞬よぎった。
王宮の使者は私をまっすぐと見つめ、そして静かに言った。
「何をしている?」
低い低音。ぴりっと空気が張り詰めるのがわかる。
そうこれは監査のようなものだ。下手な返しかたをすればここまでやってきた事が全て水の泡となる。私は努めて平気な素振りをし、にっこりと笑う。
「畑を耕しています」
「何故お前がそんなことをしている?」
もっともな問いかけだ。うん、何でだろう。私も聞きたい。
「料理をつくる為ですよ。美味しい料理を作るにはやっぱり新鮮な野菜が必要ですから」
これ以上ぼろをだしてはまずい。なんで私が料理することになったか経緯がわかれば、この国の料理が口に合わないことが分かってしまう。
それはこの国への批判と変わりない。私は王宮の使者が次の問いをする前に口を開いた。
「疑うならどうぞ。ぜひ私の作ったレトルの実を食べて下さいな」
私はすぐそばにあった熟したレトルの実をとり、王宮の使者へ差し出す。
そう食べればわかるはずだ。ルイザを初め、誰もが最初は躊躇したり、咎める様な事を言うが、実際食べれば皆、納得する。
そう、つまりどんな言葉でごまかそうと、そんなものしょせんただの言葉だ。必要なのは言葉よりもそれを納得させるだけの証拠。
私が差し出したレトルの実を見て、王宮の使者はますます眉間の皺を深くする。訝しんでいる。そんな感じだ。
食べてもらえなければ証明できない。私は内心焦りながらも、相手が安心出来るように、できるだけ穏やかな笑みを浮かべた。
「どうぞ、食べてみて下さい」
私のその言葉に王宮の使者は何も言わない。ただただ、私をじっと見つめる。何かを探るように、私の顔を穴があくんじゃないかと思うほど見つめる。
その様子に後ろで見ていた初老の男が苛立ったように声をあげる。
「お前!何を言っている!?この方が誰だかわかって言っているのか!?」
「わかっています!」
男の苛立った声にかぶせるように私はすぐ答えた。わかっている。この人は王宮の使者。
この人は間違いなく陛下に私のことを報告する。その報告しだいで今後の私の身の振り方が決まる。
私は穴があくほどこちらをみる男の視線から逃れなかった。まっすぐと正面からその瞳を見返す。
こういう時は少しでも怯えている姿や逃げる態度を見せてはいけない。見せればその時点で負け。前世の社会人生活から私が学んだことの一つだ。
見つめ合っていた実際の時間はきっと短いはずだ。でも、その時間が私には酷く長く感じた。
やがてゆっくりと男は私に近づき、手の中のレトルの実を受け取った。そして、その実をしげしげと一度みてから、迷わず口に運んだ。
いつの間にかしんと静まりかえった庭園に男が咀嚼する音と飲み込む音だけが聞こえる。数口、口に運んだ後、男は食べるのは止め、私の方を見る。
「うまいな」
無造作に告げられた一言。勝った。思わず口元がほころぶ。
「はい、おいしいでしょう!このレトルの実を使って、今度は美味しいスイーツを作ろうと考えているんです!」
私の言葉に男は表情一つ変えない。相変わらずその顔は不機嫌なままだ。
「できたらぜひ食べに来て下さい。私の料理はそのレトルの実より美味しいですよ」
自信満々でそう言い、ここぞとばかりに胸をはる。それに男の口角が僅かに上がった。
「そうか。ならまた来るとしよう」
男はそう言うとレトルの実の残りを口に運ぶ。全て食べ終えた後、男は私に背を向け、歩き出す。その後に残りの3人が続く。そしてあっという間に庭園から立ち去った。
私はふうと大きく息をはいた。大丈夫だったはず。
これで王宮の使者であるあの男は間違いなく悪い報告をしない。あの様子からして料理を食べにきたい気はあるのだろう。下手な報告をして料理が食べられなくなるような事態にはおそらくしない。
「あー、つかれた」
それにしてもいくら王宮の使者とはいえ、偉そうじゃない?何がまたくるとしよう、だ。自分は食べさせてもらう側だというのに。
「まったく、ああいう男性は苦手だわ」
そう言って、レトルの実の新しいスイーツをどうするか考えていると、突然ルイザが私の肩をつかみ、激しく身体を揺する。
「れ、レティシア様!?あなたは一体何をお考えで!?」
「なによ、ルイザ。そんなに慌てて、って言うかそんなに激しく揺すらないで!気持ち悪くなる!」
「これが慌てずにいられますか!レティシア様!本当にあの方が誰か分かっているのですか!?」
「分かっているわよ」
王宮の使者でしょ。もう、私だってわかって喋っていたって。おかげでうまく言ったじゃない。
そう私が言うよりも早くルイザが叫ぶ。
「本当にわかっています!?アルフガルト王ですよ!?本当に陛下だってわかって、あんなことをしたのですか!?」
ルイザの一言に思考が止まる。
え、何?陛下?え?陛下ってあの、陛下?
あの、一度も会いに来てくれなかった、半年後に形だけ夫婦になるあの陛下?
あの不機嫌そうな男が陛下?私の夫になる人?
「あれがアルフガルト王なの?」
震える声で私がそう問いかければ、ルイザが神妙な顔で頷く。
私は額に手をやり、そして天を仰いだ。
「あー、やってしまったわ」
何が誰かわかってますだ。
全然わかってなかった!
まさか、あんなに会いたがっていた陛下とこんな出会い方をするなんて!
「やっぱり私は恋愛なんて諦めた方がいいかもしれない」
私はそう小さく呟くと、前世の私に心の中で深く深く謝罪した。