40.あの人に会いたい
「陛下、今日も来ないな」
思わず口から出た一言に私は慌てて、手で口を覆う。
誰かに聞かれたらどうしようと思ったけど幸い周りには誰もいなかった。ほっとしたのと同時に寂しさを覚える。
ラフットをやって、陛下と中庭のテラスでお茶をしてから、もうかなりの日がたった。陛下はあれ以来、離宮には一度も来ていない。
前までは確かに数日空けて、突然ふらりと来ることがあったけど、ここ最近はほぼ毎日のように離宮に顔を出すようになっていた。それなのに。
あの日を境にもうひと月近く、陛下はここに来ていない。
「仕事が忙しいのかな」
ありえない理由ではない。なんせ国の王様なのだから仕事はいくらでもあるだろうか。
それなら別にいい。
ただ、それだけじゃない気がずっとしていた。
「やっぱりあんなこと言わなきゃ良かった」
前に会った時の陛下との会話を思い出す。
陛下に側室をもつことをどう思うかと聞かれ、私は嫌だとつい答えてしまった。その結果、陛下は側室を持つことをやめるとそう言ってくれたのだ。
嬉しいかと言われれば、もちろん嬉しい。
陛下が側室を持ってしまえば、そのうち私なんてきっと相手にされなくなってしまうだろうから。
側妃候補のフランチェスカ様は確かに性格は悪いが、顔は私よりも美人だった。しかも陛下の前での振る舞いはとてもお淑やかで、公爵令嬢というのも伊達ではない。側室になるご令嬢はきっとみんなそういう感じなのだろう。
美人で、お淑やかで、女性らしくて。
それに比べれば私はやっぱり弱い。
特別容姿がいいわけでもなく、身体の発育もいまいち。女性らしさや淑やかさもだいぶ足りない。
唯一のセールスポイントは料理や畑仕事それに運動ができるぐらいだけど、王妃としてはどれも必要がない。
だからこそ陛下が側室をもたないと言ってくれた時、実は内心でほっとした。
これで陛下を誰にもとられないですむ。そう思ってしまったのだ。
それが余計に陛下を追い詰めることになると少し考えれば、わかったことなのに。
「陛下はやっぱり、それでここに来れなくなってるのかな」
この離宮にいると外で何が起こっているか全くわからない。
離宮の外から来るものがほとんどいないから、外からの情報が離宮まで届かないのだ。
それでも外のことが、王宮でのことがどうしても知りたくて、離宮内の使用人達全員に聞いて回った。
結果は散々で、皆申し訳なさそうにわからないと答えるばかりだった。
離宮内の使用人達はほぼこの離宮から出ないので当然と言えば当然だ。王宮の情報自体この離宮には伝わりにくい。
結局、陛下が今どのような状態になっているかわからないままだ。
私は大きなため息をつき、使用人達が用意してくれたお茶を静かに見る。
いつもの中庭のテラスだが、今日は私の周りには誰もいない。ラルフ達も使用人達も皆、中庭の入り口で待機している。
どうしても今は笑って、誰かとお茶をする気分になれなかったのだ。
本当は一人で考え事をしたかったけど、前みたいに部屋で籠ってしまうとまたみんなに心配されてしまうかもしれない。だから、わざわざここでお茶を飲むふりをしてずっと考え事をしていた。
いくら考えたって、わからないことはわからないんだけど。
それでも考えるのをやめることはできない。
「とりあえず、外のことが知りたい。王宮で陛下がどうしてるかとか、側室の話がどうなったとか」
もはやこの離宮内でその情報を手に入れる手段はない。
残された手段はひとつし。そう、外に出ることだ。この離宮の外に。
「出たいんだけど、すっごく出たいんだけど、それって、すっごく難しいんだよね」
離宮の外に出る事は正直、最初に考え付いていた。しかし未だに実行にうつせていない。
なにせ、離宮内の入り口は一つしかなく、そこには四六時中見張りの騎士達がいるのだ。
今までずっと住んでいてなんとも思わなかったけど、今思うとこの離宮はまさに監獄のような場所だった。
「王妃候補が逃げないようにしているのかな」
前にラルフもちょっと私が逃げるんじゃないかって疑ってたし。
「でも、外に出ないとどうなってるかなんてわからないし」
とはいえ、もしも私がこの離宮から出た場合、間違いなく大事になるだろう。
「どうしたらいいんだろう」
そんなふうに考えていた時だった。不意に離宮の入り口から見慣れた人が入ってきた。
私は思わず、立ち上がる。あっちも私に気づいたらしく、こちらに向かって手を振る。
そう言えば彼は以前離宮と王宮を行き来していると言っていた。ということは、何か知っているかもしれない。手を振る彼のもとへ私は駆け寄る。
「ツヴァイ!」
私が名前を呼ぶと彼はいつものように爽やかな笑みを浮かべた。
「姫様こんにちは。どうしましたか?そんなに息をきらして」
「ツヴァイは王宮と離宮を行き来してるのよね?」
「そうですが?」
「じゃあ、今まで王宮にいたの?」
「はい」
やった。思わずガッツポーズをとる。
これでやっと王宮での情報が手に入るかもしれない。
私は思わずツヴァイに詰め寄る。ツヴァイは私のその剣幕に驚き、目を白黒させている。
「どうしました?」
「その、陛下に変わりはない?最近全然来ないから!」
「陛下ですか」
ツヴァイは少し悩むような仕草をする。あまり言いたくない、そんな感じがした。
もしかした誰かに口止めされているのかもしれない。そう思って、私は必死に両手を合わせ、懇願する。
「お願い!もうツヴァイしかいないの!今王宮で起きてることを教えて!」
祈るような気持ちでそう言うとツヴァイは困ったような顔をする。
「参ったな。本当は姫様には絶対言うなって言われているんですけど」
「本当にごめん!後で私も一緒に謝るから!お願い!」
そう言って、何度も何度も頼み込むとツヴァイは遂に「わかりました」と言って、降参というように両手を上げた。そして私を見ながら、いつもより少し真面目な顔をして言う。
「陛下はしばらく来られないです」
「え?何で!?」
「理由はなんとなくわかっているでしょう?」
ツヴァイのその一言に私の胸がずきりと痛む。
聞きたくない。でも、ここで聞かないともう確かめることはできない。
私は意を決するとツヴァイに尋ねる。
「側室をもたないって、そう言ったから?」
私のその問いかけにツヴァイは頷く。私は思わず頭を抱える。
やっぱりそうだ。あんなこと言うんじゃなかった。
今更後悔してももう遅い。後悔の念に襲われる私にツヴァイは静かに言う。
「当然ながら貴族の反発が強くてですね。その不満を抑えるのに現在陛下は大忙しなんですよ」
予想していたとおりだ。やっぱり私があんなこと言ったから大変なことになったんだ。
私はぎゅうと目を瞑る。
今頃陛下はきっと大変な立場になっている。それなのに私は何もできない。それがどうしようもなく歯がゆかった。
「姫様?」
「悪い事しちゃった」
私のその一言にツヴァイは困ったような顔をする。
「姫様は何もしていないでしょう?」
「そうだけど。でも、陛下が側室をもつのは嫌だって言ったの」
「それだけです。どうするか最終的に決めたのは陛下です。姫様が気にする必要はないでしょう」
「でも、陛下はああ見えて、優しいから。たぶん私のことを気にしてくれたんだと思う」
「それはそうでしょうが」
ツヴァイは心配そうに私を見る。
私のせいではない、彼はそう言いたいのだろう。私だってわかっている。全部が私のせいだなんて、そんな傲慢なことは言わない。でもその一端は間違いなく私にあったに違いない。
ツヴァイだってそれがわかっているから強く言わないのだ。
「ねえ、ツヴァイ」
「何ですか?」
「陛下に会うにはどうすればいいの?」
「その質問に答えることはできません」
私の問いかけにツヴァイははっきりと答えた。すがるようにツヴァイを見たが、ツヴァイは首を振る。
「今の状況で姫様ができることはありません。陛下来るのをこの離宮でお待ち下さい」
「ただ待っていろって言うの!?陛下が大変な状態の時に!?」
私はもう考えすぎて段々わからなくなってきた。
ただここで待つ。それが本当に正しいのか。
陛下は今、私がこうしている間もずっと辛い立場にいる。そんな時に私は本当にこうして待っているだけでいいのか。
わかっている。例え陛下のもとへ行ったところで私にできる事なんて何もない。私がそばにいてもただ陛下の面倒ごとを増やすだけだと。わかっている。
それでも、それでもだ。ここでこうしているよりはましなんじゃないか。そう思う自分もいる。
どうすればいいのだろう。私はどうすれば陛下の力になれるのだろう。
そう思っていた時だった。後ろから大きな声で呼ばれる。振り返ればラルフがこちらに向かって歩いてきていた。
私が呼んでもないのに来るなんて珍しい。
どうしたんだろう。
ラルフは笑って私に言う。
「姫様、そろそろ離宮内に戻りましょう」
「え?」
有無を言わせぬそれに私は驚く。
急にどうしたんだろう。ラルフが私の行動に意見してくるなんて。
そう思っているとツヴァイはさっと私から離れる。
「では、姫様、また」
「え、待って!?」
まだ聞きたいことがあるのに!
そう思って引き留めようと手を伸ばすがツヴァイはさっと避けて、さっさと行ってしまう。私は慌ててそれを追いかけようとした。しかし私の前にラルフが入り、それを止める。
「ラルフ?」
「姫様、離宮内に戻りましょう」
「でも!」
「姫様。ツヴァイをこれ以上困らせないで下さい。姫様に情報を漏らせば漏らすだけツヴァイの立場が危うくなるのです」
ラルフのその一言に私ははっとする。
そっか。そういうことなんだ。
きっとツヴァイだけじゃない離宮の使用人や騎士達は皆、王宮での情報を口止めされている。
誰がしたのかはわからない。でも予想はできた。
きっと私に情報を流さないように口止めした人は悪気があってした訳じゃない。私が気に病まないように、私が心配しないように、そう思ってそうしたのだろう。
あの人は優しい人だから。
そしてそうなったら、もう私のやることはひとつだった。
「ごめんなさい」
私は素直にそう言い、わざとらしく元気そうなふりをする。
ラルフは何も言わず、少しだけ困ったような顔をした。
「姫様、陛下なら大丈夫です。きっと近いうちに来てくださいますよ」
ラルフの言葉に私は頷く。黙って、離宮内へと戻る。
ラルフは黙って後からついてきた。だから私の顔は見ていない。
私は決めた。誰も教えてくれない、みんなここで待てと言う。
言っていることはわかる。みんなが心配してくれてるのもわかる。
でも私はそれが正しいとは思わない。
こうしている間にもあの人はきっと一人で戦っている。たぶんそういう人だから、そうやって生きてきた人だから。確かに私がそばにいったって何もできないかもしれない。私が行くことで余計に邪魔になるかもしれない。私が行ってもどうせ怒られるだけだ。
それでも、それでも、そこに行かなきゃできないことだって、きっとあるはずだ。
やることが決まったなら後は準備をするだけだ。
私は必死に考える。どうやったらここを出ることができるかを。




