38.波乱の予感
楽しい一時を過ごした後、ギルベルトは王宮へと帰った。
政務室に入るとオーランドが呆れた顔をして待っていた。
「陛下。やっとお戻りなりましたか」
「ああ」
席につき、やりかけだった政務を片付けていく。ペンを持つ手が軽い。気分がずいぶん良くなっていた。
見透かしたようにオーランドがため息をつく。
「その顔はずいぶん楽しかった様ですね」
「オーランド」
「何ですか?」
ギルベルトはペンを止め、オーランドを見る。それにオーランドも重要な話だと気づき、背筋をただし、どうぞと続きを促す。
「側室はもたぬ」
ギルベルトのその一言にオーランドは目を見開く。そしてその顔がすぐに歪んだ。
「それは決定事項でしょうか?」
「ああ」
もはやギルベルトはそう決めている。それでもオーランドは言わねばならない。それが宰相であり、唯一ギルベルトに意見できる己の立場なのだから。
「苦言を申しますが宜しいでしょうか?」
「構わぬ」
「はっきり申しまして貴族達の反発は必至です。おそらく大勢の者から異論がでます。今でさえ陛下が姫様に目をかけているのをよろしく思っていない者が多いのです。そのもの達を刺激することになります」
オーランドの言うとおりだった。実は以前からギルベルトは側室をやめることを考え、一度側室の話をとめていた。しかしやめるに至れなかった理由はそれだ。
貴族の反発。そしてその危害がレティシアにいくことを恐れてだ。
しかし、もはやギルベルトがレティシア以外の誰かとそうなることはあり得なかった。
「姫様の身にも危険が及ぶ可能性がでてきますぞ」
「だが、決めたことだ」
「そんなにレティシア様を気に入られたのですか?」
「そうだ」
「レティシア様でないといけないのですか?」
「そうだ。あれでなければいけない。他は必要ない」
側室をとってしまえば、今のようにレティシアだけを相手にすることはできない。それによってレティシアが傷つくのも許せないし、ギルベルト自身がそれを望んでいなかった。
オーランドは渋い顔をして、黙り込む。どれほどそうしていたことだろうか。
ずいぶん時間がたってからようやくオーランドは諦めたような顔をし、頷いた。
「わかりました。陛下がそう仰るならばそういたしましょう」
「オーランド」
「何ですか?」
「すまない」
「何を仰ってるのですか?」
オーランドはギルベルトが生まれる前からギルベルトに仕えていた。次代の王に忠誠を誓うこと、それを幼い頃から徹底的に教え込まれ、そしてギルベルトが誕生するその日を心待ちにしていた。
そしてギルベルトが生まれ、ギルベルトはオーランドが望む通り、立派な王になった。
これほど仕えがいのある王は他にいない。オーランドはそう自負している。その王から頼み事だ。
断れるはずがなかった。
「貴方は良い王になられました。国民を思い、国を思い、自らの意思や感情を捨て、皆が望む国王を演じてきました。誰でもできることではありません。貴方だからこそできたことです」
オーランドのその言葉にギルベルトは何も言わない。いや、言えなかった。
正直オーランドがそこまで認めていたとは思っていなかったからだ。
「ただ正直、心配もしていました。貴方は我々の前では常に王であった。貴方自身ははたしてどこにいかれたのかと」
オーランドは言わなかっただけで、しっかりと覚えていた。まだギルベルトが幼い頃、確かにギルベルト自身はそこにいた。しかし周りが、環境がそれを許さず、幼い少年はあっという間に王になった。
そこにはかつての少年の姿はみじんもなく、その事実にずっと心を痛めていた。
「レティシア様のことは、正直私は好かないです。王に対してのあの態度はいかがなものかと思います。ですが、それが良いと貴方が言うならそうなのでしょう。王妃は王の一部。貴方が選ぶべきものです」
ギルベルトがそう言うなら仕方ない。そうオーランドは言いながらも、しかしできればもう少しお淑やかで、王妃として礼儀作法のしっかりした姫君が良かったと言う。
それにギルベルトは笑う。もしもレティシアがそうであったなら、彼女はギルベルトの特別にはならなかっただろう。
今の彼女だからこそなったのだ。
「オーランド」
「礼を言う」
「よして下さい。明日、雪でも降らす気ですか?」
オーランドはそう言い、窓の外を見る。オーランドが冗談を言うとは珍しい、そう思ってギルベルトはその顔を見て、言葉を失う。
オーランドは真面目な顔をしたままだった。ギルベルトはそこで気付いた。
冗談ではなく、彼が本気でそう言っていたことに。
「今なんと仰いましたか?」
そう問われ、オーランドは目の前の男を睨む。
オーランドと年が同じか僅かに若いか。それぐらいの年齢の立派な衣服を身にまとう銀髪の男は、王とオーランドを前にしても態度を変えない。
そう、その人こそフォルト公爵だ。間違いなく王を貶める者が国にいるとしたらこの男だろうとオーランドは踏んでいた。
「陛下は側室をもたぬとそうお考えです」
「それはいくらなんでも容認しかねますぞ。側室をとる件は既に陛下もご承知であったはず。それを急に撤回するなど、道理が通りません」
フォルト公爵はそう言いながら、ギルベルトへ視線を移す。探るようなその目を感じつつ、ギルベルトは一切表情を崩さず、威圧的な態度のまま見返す。
「文句があるのか?」
「まさか。ただ陛下が約束を違えるなど珍しいと思っただけで」
挑むようなその視線にギルベルトは表情を一切変えずに受ける。余計なことを悟らせてはいけない。
それが己の命取りになる可能性があるのだから。
「説明を頂いても宜しいですか?何故、陛下は側室をもたぬなどと仰ったのですか?」
理由は明白であるにも関わらず、フォルト公爵はあえてそう尋ねる。はかっているのだ。
ギルベルトがどれほどレティシアに肩入れしているかを。
すかさずオーランドが割って入り、話を終了させる。
「陛下のご意志は絶対です。我らは臣下。陛下のご意志に逆らうことなどありえません」
「しかし」
「話は以上です」
オーランドがそう言うとギルベルト黙って立ち上がり、さっさと部屋から出て行こうとする。それにフォルト公爵の後ろにいた上位貴族が声を上げる。その中にレンドルト侯爵もいた。
彼は静かにフォルト公爵を見る。その顔は何故か笑っていた。
「陛下!」
立ち去り際にフォルト公爵はギルベルトを呼び止めた。オーランドが無視するように促したが、ギルベルトはそうしなかった。
「側室をもたぬというその決定がどのようなことを意味しているかわかっておいでですか?」
「わかっている」
「それでもなお正妃しかとらぬと?」
「そうだ」
「そうですか」
フォルト公爵はそう言うと静かに頷く。それを見届けてギルベルトは部屋から出る。
その後ろ姿をフォルト公爵は見送る。
「ならば後悔するがいい。この私を侮ったことを」
誰にも聞かれない程の小声でそう呟くとフォルト公爵は笑った。




