四日目【3】
久しぶりに足を踏み入れた部屋は、覚えている頃と変わっていないようだった。
流石に百年単位で間を置いているため詳細までははっきりと記憶していないが、雰囲気は何も変わらない。
部屋に明かりをつけて見渡せば、十二分の広さを持つ室内の全域が露になった。
備え付けの本棚に飾ってある絵画。
白檀様のよりは一回り小さいベッドがあり、備え付けのサイドボードの上には一輪挿しが乗っている。
本棚の隣には執務机があり、その横のベッドとの間にベランダへ抜ける窓がある。
埃一つない部屋は白檀様の力で時を歪めているからだ。
床に敷かれた毛足の長い絨毯と、夜になれば月光すら透かす薄い色のカーテン。
白檀様の城の一室でありながら、『勇者』が持ち込んだ私物で埋まった部屋はどこか違和感を感じた。
「これが・・・勇者の部屋」
入り口付近で足を止めていたフレドリックが、引き寄せられるよう室内へと踏み入る。
きょろきょろと辺りを見渡し、まるで記憶と重ねるようにぶつぶつと何事か口ずさみながら一つ一つを確認していった。
ドアにもたれてそれを眺めていると、不意にフレドリックが顔を上げる。
真っ直ぐな瞳でこちらを見ると、操られたように緩慢な動きで手招いた。
首を傾げるが訝しげにしている私の様子も気付かぬように彼は同じ動作を繰り返す。
違和感を感じながらもとりあえず従うと、近くまで来た私にフレドリックは満足気に頷いた。
「伽羅」
「・・・え?」
呼び声に混じった『何か』に首を傾げる。
感覚に触れたのは微小なものだが、波紋を広げるように変だと直感が訴えた。
しかし何が変かは見分けられず瞳を眇める。
警戒する私に微笑みかけた彼は、本棚の奥を指差した。
「ここにある、伽羅」
「フレドリック?」
「ここを開けて欲しい。今の俺では開けれない」
淡く苦笑したフレドリックは本棚を指差すと中心にある留め金の掛けられた箱を指差した。
見覚えがあるようなないようなそれに近寄ると、覚えのある力の波動が伝わってきた。
随分と弱くなっているが、間違えるはずがない。
この力は、私のもの。
顔を上げて傍にいるフレドリックを見詰めると、期待を込めた眼差しを向けていた。
まるで子供のような無邪気な笑顔に益々違和感が深まるが、何が違うと断言出来ずに押し黙る。
「開けてくれないか、伽羅」
「───これが貴方が求めていたもの?」
「そうだ。・・・いいや、違うな。そうであり、違う」
自分でも理解していないのか、否定と肯定を繰り返すフレドリックにどうしたものかと思案した。
これを開けるのは容易い。
鍵があるがこれの施錠は目で見える鍵ではなく、力で施してある。
人間にしては強い力なので、場所も考えると『勇者』自らが封を施したものなのだろう。
この箱自体もどこかで見たような気がするが、はっきりと思い出せない。
私の力を感じるのだから私に関連した何かが入っている可能性が高いが、私に関連する何かを勇者に渡した記憶もない。
黙っていると、もどかしげにフレドリックがまた声を掛けてきた。
「伽羅、開けれないのか?」
「・・・開けれないわけじゃないわ」
「なら、早く開けて欲しい」
「その前に一つ確認するわ。これは魔王様に害為すものではないのね?」
「ああ」
「万が一害を為すものであった場合、私は貴方を攻撃するわ。それでも敢えて受けると誓えるかしら?」
「・・・言質を取るつもりか?」
「ええ。私から一方的に貴方を攻撃することは赦されないけれど、貴方が誓いを破ったのなら別よ。意味のない攻撃に言質があれば防衛は赦される。この世界の規律の一つね。誓えるのかしら?」
淡々と問えば、きっと柳眉を逆立てたフレドリックは私に掴みかからんとばかりに顔を寄せ、歯軋りしながら頷いた。
酷く立腹しているようだが、言質を取れたなら私も心置きなく箱の封印を解除できる。
箱から感じる力程度であれば、万が一白檀様に向かっても先に私が打ち消せるし、それを理由に勇者への攻撃も認められる。
理由なき力の放出に対する報復だ。殺せなくとも傷は負わせられる。
それであるなら条件としては我慢できるので、私は箱に掌を翳した。
私の力を僅かに流し、箱を戒めていた封を握り潰す。
ぱきん、と甲高い音を立てて封は弾け、それをそのままフレドリックへ渡した。
頬を赤く染め興奮したように瞳を輝かせた彼は、恭しい手つきで掌ほどの箱を受け取る。
両手で持ち、徐に蓋へと手を伸ばした。
「・・・これが」
感動を堪えるように震えた声を出したフレドリックは、箱の中身へ釘付けになる。
視線より随分上にある上に、ちょうど蓋が邪魔をして私には中身が見えなかった。
しかし箱を開けたそこから感じる力は微弱で、警戒するにも当たらない物体だと推測はつく。
確認させろと訴えるべきか、それとも後に勝手に確認するか。
どうしようかと考えていると、私の前にフレドリックは跪いた。
「伽羅」
「何?」
「これを、覚えているか?」
私の視線の下に移動した箱の中身を、よく見えるように傾ける。
そうして目にしたものに、私は僅かに驚いた。
私の力を纏った『何か』。
それは在りし日に私自身が作り上げた、薔薇の形をした力の結晶だった。