二日目【1】
目が覚めてまず感じたのは、重いの一言だ。
腰に回った腕は、子供の姿になっている私の足よりも太く、緩く抱いてるように見えながらも絶対的に抜けない拘束。自身の足を使い挟むようにして私を抱きしめる相手は、色々な意味で重い。
取り敢えずは物理的な重さを除去しようと自身の魔力を使い拘束する腕を無理やり捥ぎ放せば、その力で目を覚ましたらしい菊花が、眼鏡をしてるときにはついぞ見せない甘ったるい表情で私の姿を瞳に映した。
とろとろに蕩けるのではないかと思える柔らかな顔は、私個人においては割りと良く見かけるものだが、城の他の面々が眺めたなら腰を抜かすかもしれない。むしろ贋物と勘違いし、武器を向けられるかもしれない。むしろ向けられろ、と目が覚めた瞬間から冴える思考を働かせつつ、上半身を起こした。
「・・・おはようございます、伽羅」
「おはよう、菊花」
魔族にはない銀色の瞳の瞳孔が大きくなり、身を起こした彼はゆっくりと唇を近づけた。
それを避けるでもなく受け、力を渡す。暫く口内を我が物顔で蹂躙した舌は、満足したのか唾液の橋を作りながらゆっくりと離れていった。途切れたそれが口の端を汚すのを見て、嬉しげにまた近寄ると唇から顎を舐め取る。
「いい加減になさい、菊花。もう、朝よ」
「───駄目、ですか?」
「駄目。私は、白檀様を起こしに行くわ。離れなさい」
「・・・御意に」
強めに放たれた言葉に、渋々と菊花が身を放す。自分とは違う温もりが完全に自分を解放するのを感じ、開放感に背筋を伸ばした。
カーテンが引かれているわけでもないのに、この部屋は薄暗い。否、この城の全ての部屋に日の光は届かない。現在白檀様が存在するこの空間は太陽を拒絶して作られている。故に、この部屋に光が射すなら夜に輝く月明かりだけだ。
裸のままベッドから降りると、自分の体を一瞥しため息を吐きたくなった。
体中に散らばる赤い華。その数はどう控えめに断じても粘着質であり、つけていない場所を探す方が苦労する。
胸、鎖骨、腹、腕、腿にはもちろん。手の甲足の甲まであるのは、些かいきすぎではないだろうか。しかし文句を言っても彼がこれを止めた事はないので、押し問答になるのも面倒で現在は黙認している。
どうせ、簡単に消せるものだった。
指先をふり力を使えば、みるみる間に体から痕が消える。鋭い視線が体に刺さり、菊花が私を見つめているのも気づいているが、全て無視。私の体に他人の痕を残す予定はなく、それはこれからも変わらない。
私の体に痕を残していいのは白檀様のみで、他の誰かにそれを許すつもりはないのだから。
もう一度指をふると自分の魔力で衣服を作り出す。黒い布が幾重にも広がるドレスがあっという間に出来上がり、頭には白檀様から頂いたリボンを結わえ準備は完了した。
人のように布で出来た衣服を纏うのも悪くないが、急ぎの場合は自分で作る方が手っ取り早く理想のものが出来る。襟ぐりには繊細なレースがあしらわれたそれは、以前白檀様に買って頂いたドレスを模倣したものだった。
人間と違い風呂に入る必要もないが、暫し考えると伝心で香へと風呂の準備を頼んでおく。魔法で体を清潔に保てるが、ゆったりとした湯船に浸かるのもいい。人間達の趣向の中で数少ない感心した一品だった。
それに風呂は気分の切り替えに丁度いい。この後しなくてはならない義務を考えると、少しは気を落ち着ける必要があった。
「伽羅」
「何?」
「───いいえ、何でもありません」
中途半端な部分で言葉を区切った相手を、首だけで振り返る。
しかしながらすでに衣服を纏い、眼鏡を身につけた菊花からは何か感情を読み取ることは出来なかった。
ひょいと肩を竦めると、移動しようと力を使う。普段は歩くのだが、起床の時間が迫っていた。
「それじゃあ、また後で」
「はい。また、後で」
簡潔に別れの挨拶を済ますと、意識を彼へと飛ばした。