二日目【2】
R15です。残酷表現がありますのでお気をつけ下さい。
この城の中でも一際大きく立派な造りの扉を前に、軽く深呼吸する。宝樹と呼ばれる樹を切りぬいたドアは繊細な細工と掘り込みがしてあり、磨きぬかれているため触りごこちも滑らかだ。
小悪魔の状態でなくとも見上げる高さのそれは、今の状態だと私ではドアノブが顔の前にある。じっとそれを見てから心を決め、ノックを四回する。心を落ちつけるために瞼を閉じ、一拍おいて正面を見た。
「おはようございます、白檀様。伽羅です。失礼します」
私はこの城で───否、幾つも存在する世界の中で、唯一かの人の返事を待たずとも室内に入る許可を経ている。それは彼の腹心である菊花や、同じく側近を勤める梅香、そして彼の身内である誰もかもを含め得られていない特権で、私はそれをいつでも行使できる立場にあった。
本当は名乗りすらいらないと言われているのだが、それでも一応名乗るのは自分が覚悟を決めるためだ。
白檀様の部屋に、足を踏み入れる覚悟を。
暫く待っても返事がないのでいつも通りドアノブに手をかけると、自力で回すには重たいそれに魔力を注ぎ軽く捻る。そうすると僅かな軋みもなく、ドアは内側に開いた。
白檀様の部屋は、普段から混じり気ない闇に包まれている。元々この時期この世界のこの場所に彼が光りが注がないよう操作しているのも理由の一つであったが、さらに幾重にも遮光カーテンが引かれ新月の夜より暗い部屋が出来ている。
私は悪魔なので闇の中でも視力は衰えないが、人であれば指の先すら見えない闇に恐怖を抱くに違いない。
事実以前乗り込んできた人間を、白檀様の部屋と似た造りの牢獄に居れたところ、三日と持たず発狂した。闇は己の中の恐怖心を引きずり出し、想像力を膨らませる。思いこみで人は死ねると白檀様は仰ったが、実際にその通りだった。
悪魔は基本的に光りより闇を好むが、白檀様の好悪は徹底している。そして彼はこんな闇の中でないと眠れないと、私は知っていた。
寝室専用になっているこの部屋は、寝酒を楽しむためと称し皮張りのソファーが用意してある。寝転びながら酒を嗜むのは行儀が悪いと幾度注意しても利き入れてもらえず、そのソファーはもう何百年も代替わりしながら低位置にあった。
窓は大きいものが三つ。朝の間は全て遮光カーテンで覆われているそれは、大体成体形の私と同じくらいの大きさがある。他は毛足の長い肌触りのいい絨毯。天蓋付きのベッド以外に置いてある家具はそれくらいで、物欲のない主の性格を明確にあらわした部屋になっていた。
室内に一歩足を踏み入れると同時に足を覆っていたブーツを消す。
毛足の長い絨毯を味わうためと、白檀様はこの部屋で履物を履くのは私に禁止していた。
小さい歩幅で五十歩ほど歩いた場所に目的のベッドはあり、その上の皇かなシーツの上で目的の人が眠っているのが見え、自然と顔が綻ぶ。入り口から数歩の場所で羽を出し広げると、羽ばたき目的の場所まで飛んだ。
音を立てないよう極力気を使い黒いシーツの上にふわりと膝から降りる。ちょうど白檀様の顔の横だが、大柄な彼が五人眠ってもまだ余裕がある広さのそこは、私一人乗ったところで狭さは感じない。
低反発の魔力因子を集めて造られた極上のベッドはきしむ音すらなく私を受け止める。闇の中でも見間違えない美しい彼に手を伸ばすと、額の髪を掻き上げキスを落した。
「おはようございます、白檀様。朝ですよ」
「・・・・・・」
「起きてください」
もう一度、ちゅっとリップ音を響かせながらキスをする。朝の挨拶と教えられたこの仕草は、私が白檀様に拾われてから毎日欠かさず続けられる日常だ。何があってもどんな場合でも、何処に居ても変わらない所作は、それでも衰えぬ胸のときめきを呼び起こす。
ゆったりと眠りから覚めるように梳いている髪に触れる手すら熱く、胸が高鳴り頬が熱くなる。幾度繰り返しても緊張するが、この瞬間ほど愛しいものはない。
眉を寄せ寝返りを打とうとする白檀様の顔を両手で包むと、今度は頬に唇を落す。幾度か繰り返すと漸く意識が浮上し始め、今だ半分まどろむ黒の瞳が漸く私を映し出した。
「・・・伽羅?」
「はい。おはようございます、白檀様」
寝起きで掠れた声で名を呼ばれ、頷きふわりと微笑む。偽りでなく心から浮かぶ笑みは、彼の前でだけ無防備に曝け出せた。
そんな私を目を瞬き暫く眺めていた白檀様も、不意に目元を和ませる。そのまま腕を伸ばすと、私の身体を包み腕の中に閉じ込めて髪に鼻を埋めた。
人形を抱く子供の仕草と、それは似ているかもしれない。
きゅっと繊細なガラス細工を扱うように加減された腕に包まれ、うっとりと目を細め幸せに浸る。養父であるこの人との他愛無い触れ合いは、優しい感情を私に与える。彼だけが私をこんな気持ちにしてくれ、彼だけを心から信用し、信頼していた。否、違う。信用や信頼などではなく、最早心を全て預けていると言った方が適切だろう。白檀様のためになるなら、私は何でも出来る。彼が望むなら、何でも出来た。
それが例え、自分の心に沿わないことだったとしても。
伸ばされた腕が頬を撫でる。ぬるり、とした感触と鼻につく匂いは、初めからこの部屋に充満しているものと同じで、塗りつけるように撫でまわす手を止めた。
闇になれた目にしっかりと映るこの光景。ほぼ毎日なので無視していたが、相変わらず彼は慣れない。その繊細さが愚かしくも愛しい。
部屋のそこかしこに転がる元は同族だったろうものの遺体。女性の凹凸が伺える切り離された胴体でしか性別は判断できない。顔だったものは潰され、腕や耳も転がっている。右足は入り口付近にあったのに、左足はベッドの脇に落ちていた。無造作にちぎり捨てられたそれは美しくなく、ひっそりと眉を顰める。
「また、ですか?」
「ああ、まただ。兄上の悪趣味な贈り物は要らないのにな」
抱きしめる、というより縋りつくように腕を回され呼吸が苦しくなる。血塗れの彼に抱かれ、私にもとうに血臭は移っている。
彼が黒を好むのは、この血の色が目立たないからだ。乾いても黒は他の色ほど血を反射せず、そして闇の部屋に篭るのも同じ理由。しかし彼のこの脆さを知るのは私だけで、それが密かな優越感を抱かせる。
他の誰を抱こうとも、弱さを曝け出すのは私にだけ。それは彼に拾われた私の特権で、体をつなげるより遙かに重要な絆だった。
「伽羅。───俺の、伽羅」
「はい、白檀様」
「血塗れの俺は醜いか?」
悪魔の癖に、酷く繊細な質問をする白檀様を可哀想だと思う。けれど同時に彼が悪魔にしては愚かにも繊細であってくれてよかったとおもってしまう。
だからこそ、彼は私を拾い育ててくれた。私を彼のものにしてくれた。それがどれ程の幸福かなんて、他の誰にも判らない。
もっと、依存してくれればいいのに、と思う。けれどそれは駄目だと、頭のどこかで私が呟く。
だからこれ以上は、と理性が自分を引き止める内に、顔を上げて微笑みかけた。
「血など洗えば流れます。───私も血塗れになってしまいました。共にお風呂に入りましょう」
「・・・そうか。そう、だな」
こんなに小さい悪魔相手に、安堵のため息を殺す白檀様の泣きそうに歪んだ顔に掌を当て、もう一度頬にキスをした。
不安定なときにしか呼ばれぬ名が、彼に安定をもたらしてくれれば良いと、切ないまでに神でも本来あるべき自分たちの王でもなく、彼自身へと願った。




