第32話 「ミカヅキ・カグラ」
「決まりだな」
シンの言葉に、仲間たちはそれぞれ頷いた。
オルド・アルカナ大闘祭。
10月4日に開催される、学園最大の武闘行事。
入学してまだ間もない彼らにとって、それはあまりにも大きな舞台だった。
だが、誰一人として、その舞台に立つことを諦めようとはしなかった。
シンはチラシに記された二つの名前を、もう一度見つめる。
ルクス・レガリア・レクス
カルム・レガリア・レクス
昨年度の優勝者と準優勝者。
そして、ルキナの従兄弟たち。
(どれくらい強いんだろうな……)
異世界に来てから、様々な人間と出会ってきた。
この学園にも、まだ見ぬ強者が大勢いるのだろう。
その中で、自分はどこまで通用するのか。
考えるだけで、胸の奥が少し熱くなった。
「……楽しみだな」
シンは小さく呟いた。
こうして、彼らの目標の一つに、大闘祭が加わったのだった。
「じゃあ、そろそろ教室に戻るか」
シンがそう言うと、仲間たちはそれぞれ頷いた。
「そうですわね。そろそろ次の授業の準備もしませんと」
「えー! もうちょっと見ていこうヨ!」
「メイリン、さっきからずっとチラシを見ているじゃないか」
「だって、大闘祭だヨ! 楽しみじゃない!」
メイリンは目を輝かせていた。
大闘祭まで、あと半年。
それまでにどれだけ強くなれるのか。
考えるだけで、自然と期待が膨らんでくる。
「よし、気合入れてかねぇとな…………っと、皆んな先戻っててくれ、俺ちょっとトイレ行ってくるわ」
「あ、はい。分かりましたわ」
「早く戻ってきてネ!」
「はいはい」
軽く手を振り、シンは仲間たちと別れた。
◇
用を済ませたシンは、教室へ戻るために廊下を歩いていると、窓を隔てた向こう側から、一人の女子生徒が歩いてくるのが見える。
黒髪を後ろで束ねた、見慣れない少女だ。
シンは一瞬、その姿に目を奪われた。
黒を基調とした和風の装束。
胸元は大胆に開き、肩や脚も露出している。腰には刀が差され、細身の衣装からは女性らしい抜群のスタイルがうかがえた。
学園の制服とは、あまりにも違う。
(……え? 何? 忍者?)
歩きながら、そう思った次の瞬間。
少女もまた、角を曲がってきたシンに気づいた。
鉢合わせる形になり、シンは避けようとしたが、躓いてしまった。
「あっ」
「うわっ!?」
ポフンッ!
「……っ!?」
シンの顔が、少女の胸元に真正面から埋まった。
柔らかな胸が衝撃を受け止め、押し返すようにふわりと形を変える。布越しにも分かる、予想以上の弾力と温もりが、シンの顔全体を包み込んだ。
「……っ、ん……」
少女の口から、かすかな息が漏れる。
シンの鼻先は胸の谷間に押し込まれ、視界は黒い布地と白い肌で完全に塞がれていた。逃れようとして身を引くより先に、反動で胸元がもう一度柔らかく揺れ、シンの顔を包み込む。
ほんの数秒の接触だった。
だが、シンにとっては妙に長く感じられた。
柔らかい。
温かい。
そして、近い。
心臓の鼓動まで聞こえそうな距離だった。
「…………」
「…………」
時が止まった。
シンは息をすることさえ忘れ、目を見開いたまま固まっていた。
鼻腔をくすぐる、ほのかな香り。
頬に触れる柔らかな感触。
胸元に押しつけられたままの顔。
状況を理解した瞬間、シンの顔が一気に赤くなった。
「!? ご、ごめんなさい!!」
慌てて後ろへ飛び退く。
その勢いで、少女の胸元もわずかに揺れた。
(やっ、やっべぇ! ラクさんの時といい、なんでまたこうなるんだ…………!!)
彼女はゆっくりとシンを見上げる。
表情は、ほとんど変わらない。
「……ヘンタイ」
「ごめんなさい!! まじでごめんなさい!! いや本当にごめんなさい!!」
「…………」
「…………」
少女はしばらくシンを見つめていた。
切れ長の瞳。
整った顔立ち。
そして、何を考えているのか分からない無表情。
すると、少女がふと口を開いた。
「……一年生?」
「え? あ、ああ、はい。そうですけど……」
「……私は二年生」
(先輩っ…………!)
「す、すみませんでしたぁぁ!」
シンが深々と頭を下げる。
しかし、少女は淡々と続けた。
「……私も、おトイレに来た」
「……え?」
「……おトイレ」
「あ、はい…………お邪魔しました…………」
シンが顔を上げる。
少女はシンを見つめたあと、今度は彼の腰元へ視線を落とした。
「……剣、使うの?」
「はい…………魔剣士科なんで…………」
「……そう」
それだけ言うと、少女は小さく頷いた。
「……大闘祭、出る?」
「えっ?」
突然の質問に、シンは顔を上げた。
「……さっき、聞こえた」
「聞こえた……ああ、チラシの前で話してた時ですね…………」
「……うん」
少女は淡々と頷いた。
「……出るなら、頑張って」
「は、はい! ありがとうございます…………!」
(なんか独特な雰囲気だなこの人…………)
「……ミカヅキ・カグラ」
「え? あ、ヤマト・シンです。よろしくです…………」
「……うん」
カグラは小さく頷いた。
それから、シンの顔をもう一度見つめる。
「……シン」
「はい?」
「……さっきの」
「うっ!?」
シンの顔が再び赤くなる。
「す、すみませんでしたぁっ…………!」
「…………」
カグラは無表情のまま、じっとシンを見つめていた。
そして。
「……許す」
「えっ?」
「……事故なら、仕方ない」
「……! あ、ありがとうございます…………」
「……うん」
カグラはそれだけ言うと、くるりと踵を返した。
「……じゃあ、バイバイ」
「は、はい!」
シンが再び頭を下げる。
あっさりした別れだった。
カグラはそのまま廊下を歩いていく。
黒髪が揺れ、腰の刀が小さく音を立てた。
シンは、その後ろ姿をしばらく見送っていた。
「…………」
そして、ぽつりと呟く。
「……なんだったんだ、今の」
独特な雰囲気が頭から離れない。
二年生。
忍者の様な服装。
刀。
そして、あの妙に落ち着いた態度。
「……まあ、学園にはいろんな人がいるんだな」
シンはそう結論づけ、教室へ向かった。
◇
「——で、遅かったですわね、シンさん」
教室へ戻ると、ルキナが不思議そうに声をかけてきた。
「いや……ちょっと変なことがあってさ」
「変なこと?」
メイリンが身を乗り出す。
「何があったの?」
「二年生の女の子に会ったんだけど……」
「女の子!?」
ウルが反応した。
「えっ、何!? 誰!?」
「いや、だから普通に廊下で会っただけだって!」
「ふーん?」
ウルがニヤニヤと笑う。
「それで?」
「……いや、それでって言われても」
シンは困ったように頭をかいた。
「黒髪で、刀を持ってて、忍者みたいな格好をしてて……」
「忍者みたいな格好?」
プルが首を傾げた。
「二年生で刀を持っている……?」
ルキナも考え込む。
その時、フェリックスが何かを思い出したように声を上げた。
「……まさか!」
「え? 何か知ってるのか?」
シンが尋ねると、フェリックスは真剣な表情で頷いた。
「ミカヅキ・カグラさん……ではないか?」
「……え?」
シンは目を瞬いた。
「二年生の剣士だ。ヒノモト皇国の出身で、学園でも相当な実力者だと聞いたことがある」
フェリックスは腕を組む。
「その剣の腕は、二年生の中でも群を抜いているらしい」
「へぇ……そんなに強いのか」
「……ただ」
フェリックスが少し言葉を切った。
「彼女については、もう一つ有名な話がある」
「何だ?」
「服装だ」
「……あ」
シンは思わず声を漏らした。
あの大胆な忍装束。
そして、露出した胸元と脚。
あれほど目立つ格好なら、話題になっていても不思議ではない。
「確か、学園の制服を着ていないにもかかわらず、特別に認められていると聞いたことがある」
「やっぱり、あれ校則違反なんだ……」
「校則には反しているが、特例があるらしい。詳しい事情までは知らないがな」
「なるほど……」
シンは納得したように頷いた。
が、頭を抱えた。
まさか、入学して間もないこの時期に、学園でも有名な剣士とあんな最悪な出会い方をするとは思わなかったと。
「……今度会ったら、普通に挨拶しよう」
シンは小さく呟いた。




