7.ヘルマンの隠しごと
詰所に帰ると、入れ替わりでコジマは夕食を受け取るために炊事場へと向かった。
手伝いを申し出たヘルマンを断って出ていったのは、ふたりの間の不穏な空気を察したからかもしれない。
主従は卓を挟んで座り、ウルリーケは口を引き結び、手は体の前で交差して肘をつかんでいた。
「嘘ではありませんよ。私の器は兄弟の中で一番小さい。その上、三男ですから、よほどのことがなければ後継問題にもかかわりません。はじめから期待されていないのです」
ヘルマンに動揺は見られないが、それでも眉間にしわが寄る程度には困っているらしい。
「ヘルマンは通信石を使えるでしょう。石に魔力を通せるということは、精霊石も作れるはずよね? なら、貴族の資格はあるわ」
「ご覧になったでしょう。私の器は、声を伝えるしかできない程度のものです」
小さなこどもをなだめるように優しく話すヘルマンに、ウルリーケは意識して毅然とした態度をとる。
「わたくしは世間知らずなのでしょうけれど、本だけはたくさん読んでいるの。通信石を使って姿を映し出せるのは王族か、王族に準じるほどの器がある者だけ、と表の書庫の本に書いてあったわ」
困った末の苦笑がこぼれ、ヘルマンはふうっと息を吐いた。
「通信石の知識をおもちだったのですね」
自嘲したヘルマンの笑みの意味を取り違えたウルリーケは、より不機嫌に語気を強めた。
「ヘルマンの器は貴族として不足はない。そうでしょう?」
明らかに怒っている主人に、ヘルマンはようやくあきらめた風を装った。
「養子の話も嘘ではありません。今の私はヘルマン・レニエです。王城に上がる際に、アイレンブルク伯爵家の家名を名のるのは、差し障りがありました。父の妹の嫁ぎ先がレニエ家で、その叔母夫婦の養子となっています。周囲には表向きの説明をしています。実際にレニエ家に入った時期は違いますが」
「どのような差し障りがあるというの? 伯爵家でしょう? ああ、わたくしに伯爵家から護衛を出すなどできないということかしら」
ヘルマンはそうではない、と急いで首を横に振った。
「違います。私がエテリンデ様の縁者である、と知られないようにするためです。王妃殿下を刺激しないよう、ウルリーケ様に平民の騎士見習いを念の為に付けるだけ、という形にしたのです」
その言い訳にウルリーケは納得できなかった。誤魔化されているようにしか思えないが、ヘルマンはこれ以上話してくれそうもないので、残りの問いを投げた。
「なら、自ら望んだ、とは? それに、近衛騎士は王家を守る騎士でしょう。わたくしひとりが貴方の主人ではないわ」
窓から入った夕方の陽の光が、ウルリーケの胡桃色の髪にさした。樺色の瞳も一段と明るく見える。
白い頬には朱がさして、それが怒りによるものであっても美しく見えた。
「ウルリーケ様」
「なに?」
「ウルリーケ様をこのような境遇においている王家への忠誠心など、ありません。しかし、私が望んだだけでは、ウルリーケ様にお仕えすることはできなかったのです」
「それは、エティコーネンのお祖父様が国王陛下にお願いしてくださったのでしょう?」
「いいえ、失礼ながら子爵のお力でも無理な願いです」
「どういうこと?」
エティコーネン子爵の願いは、孫娘を引き取ることだ。ウルリーケの王女としての地位がなくなっても、爵位を返上してでも。しかし、どれほど請願しても国王は聞く耳をもたなかった。
その代わりに子爵には密旨が下った。
「エティコーネンの縁者から、護衛の候補を出すようにと陛下から密命がありました。それに私が志願したのです」
「陛下からですって?」
「はい。実力が確かで、目立たぬ振る舞いのできる者、との条件でした。私は城下の警護隊の見習いになる予定でしたが、急遽、近衛の見習いへ取り立てられました。その際に貴族籍から抜けたのです。それも王家の指示でしたが、こちらとしてもそのほうがよいと考えていました」
警護隊に入隊するための条件は、見習い五人と手合わせを行い、ひとりでも倒すこと。ヘルマンは五人全員から勝ちをおさめた。
伯爵家で一通りの剣術を修めていたとはいえ、歳上の、しかも正式な騎士訓練を受けている者を十六歳の若者が破った。王都の騎士の間で話題になっていた。近衛騎士団に鞍替えするのに異論は出なかった。
しかし、その後家名を変え、詰所のお姫様の護衛となったヘルマンの噂はすぐに立ち消えとなり、今となっては覚えているのは団長くらいだろう。
「志願した……、どうして? ヘルマンはわたくしのことなど知らなかったでしょう?」
ヘルマンの口もとが、二度三度と開きかけては閉じることを繰り返し、絞り出すような声がもれた。
「……存じ上げておりました」
ウルリーケはいぶかしげに樺色の瞳を鋭くした。
「十六歳の騎士見習いが、王家が必死に隠している王女の存在を知っていて、そのお守りに志願したというの?」
「コジマからの報告で、子爵はウルリーケ様の扱いに憤っておられましたが、私にはまさか、という思いがありました。王女殿下がこのような扱いを受けているなど、考えられませんから。まして、護衛をつけるというのに。しかし、実際にここへきて、報告通りの現状に驚きました」
「……答えになっていないわ。ヘルマンが、望んでここへきたのはなぜ?」
ヘルマンは明らかにいい渋っている。このようなことははじめてで、ウルリーケは己の感情を持て余し、もっとも簡単な怒りに身を任せてしまった。
「嘘はついていないといったわね?」
「もちろんです」
「でも、話せないのね」
「それは」
「貴方が、わたくしにあえて話していないことを教えなさい。これは命令です」
ヘルマンは目を閉じて苦悶の表情を浮かべると、頭を下げた。
「……どうか、ご容赦ください」
ばん! とウルリーケは両手で卓を叩いた。
「もういいわ! それなら、今後は貴方を護衛とは思いません。今後は近衛騎士団にいけばいいわ」
「私は、ウルリーケ様の護衛のために、王城にいるのです!」
「隠しごとをしている人に、護衛をまかせられないわ。ヘルマンがいないとどこへも行けないというのなら、わたくしはもうこの詰所から出ません!」
「それは……エイリーケ殿下は禁書を読むように仰ったのですよね。おそらく必要なことです。どうか、ご自身のためになさってください」
ウルリーケは、ヘルマンに対してこれほどまでに怒りを感じたことはない。ずっと信頼を寄せていたのだ。頑なに話そうとしないのはなぜなのか。いったいなにを隠しているのか。
苛立ちが、自制心を圧倒していた。口にしてはならない、それだけはいってはならないとわかっていたはずの言葉を、抑えられなくなった。
「わたくしが、一番恐ろしい思いをしたときに……、ヘルマンは守ってくれなかったわ……」
ヘルマンの表情が固まった。そのまま脅えるように青ざめるようすを見たウルリーケも、呆然として口を閉じた。
王妃の振る舞いを諌められるのは、国王しかいない。恨みをかっているウルリーケの護衛が、王妃の所業を止めることなど出来はしない。
あの場でヘルマンが下手にウルリーケを庇えば、さらなる怒りを招いたであろうことは、想像に難くない。
それは、ウルリーケもわかっていた。
誰も助けてくれないのではない。誰も助けられないのだと。
ヘルマンはあのとき、必死に耐えるウルリーケの隣で震えていた。怒りに震えていたのだ。
王妃の暴虐に。無関心な王太子に。見ぬふりをする側近たちに。
なによりも、なにもできない己の無力に。
理解していたから、翌日熱を出して寝込んだウルリーケの手を握り、謝罪し続けるヘルマンを責める気持ちはなかった。あのとき、大丈夫よ、とかすれた喉を震わせていったのは、本心からだった。
それなのに、口にしてしまったのは、誰かに助けてほしい、ここから救い出してほしいという思いを、とうとう堪えられなくなってしまったのだろうか。




