第五十四話:開戦の決定と王の優しさの証明
その日、アクアの当番は、夜の帳が降りた後の静かな時間、寝室ではなく執務室から始まった。ふぅ、と息を吐きながら、ヒカルは疲れを隠せない様子で椅子に座る。傍らには蒼玉の理性竜姫アクアが優しい目線を彼に向けている。
アクアは大きな戦略盤を起動させ、この世界の地図を映し出した。
「もう、王よ。せっかくの、わたくしと貴方だけの貴重なお時間ですのに……。仕方ありませんわね。開戦を決定する前に、改めてこの世界の構造を確認しましょう」
アクアはそう言いながらも、少しだけ頬を膨らませてみせる。理性的なアクアが感情を表に出すのは珍しく、ヒカルは思わず苦笑した。
「すまない、アクア。だが、お前との二人きりの時間だからこそ、俺は最も論理的で重要な話ができる。これは、お前の当番の時間の、最優先の仕事だと思ってくれ」
その言葉に、アクアはすぐに表情を引き締め直した。
「……もういいですわ、承知いたしました。では、始めます。我々が今いるのは、アルテリア大陸と呼ばれる『統一大陸』です。大陸は、巨大な海に囲まれており、陸続き外界にも世界が存在する可能性は不明ですが、現時点では、我々の戦略的焦点はこの大陸内部に限定されます」
ヒカルは地図を見つめ、静かに問う。
「確認するが、この大陸は、どのような勢力によって構成されている? 私の人間としての知識と大きく乖離はないと思うが、念のため確認させてくれ」
アクアは地図を指し示し、世界の勢力図を説明した。
「何の問題もございませんわ。王もご認識の通り、この大陸は、長寿の種族と人類の国家群、そして魔族領によって複雑な構造を成しています。人類の国家群、最大勢力はグランツェリア帝国で、最も豊かな地域を支配しています。これに辺境諸国連合、通商連合、そしてその他多数の小国が存在します」
「辺境諸国連合と通商連合はかねてから帝国ともギクシャクすることがあった。彼らは我々に取り込める可能性があるな」
「ええ。さすがはヒカル様。私もそれが対抗手段として有用と考えています。さらに、長寿の種族:我々竜族に加え、東方には知識と長寿に優れるエルフ族、北方には技術と重工業に優れるドワーフ族が存在し、それぞれが人口はさほど大きくないですが、強大な勢力を持っています」
「これらの勢力とは対立はしたくないものだな」
「はい、できれば人類と竜の戦争には、中立を保っていただきたいですわね」
アクアは、そういうと、地図の反対側に目を向けた。
「そして、最も厄介なのが魔族領。この大陸の辺境を支配するのが魔王率いる魔族です。魔族領は、我々竜族の国(かつての古王領)から見て、最も遠い位置にあり、その間は険しい『終焉山脈』によって隔てられています。物理的に隔絶されておりますが、脅威を常に内包しています」
ヒカルは統一領の位置を確認し、静かに頷く。
「我々が戦うべきは、人類の憎悪か、魔族の恐怖か、それともこの大陸の秩序そのものか…」
アクアは、冷静な瞳でヒカルを見つめ返した。頬の膨らみは消えている。
「王よ。我々の開戦は、人類の憎悪を断ち切り、人類と竜族の共存という、この大陸全体の新たな秩序を確立するための、論理的な最初の一手です。そのために、わたくしは貴方を全力の愛で支えますわ」
アクアはそう言って、ヒカルの頬に触れると、静かな情熱を込めて囁いた。
「はい、レクチャーはおしまい! お礼として、このあとしっかりと可愛がってくださいましね」
「ありがとう、アクア。お前がいてくれるから、俺は論理を保てる」
◇◆◇◆◇
調和の座の玉座の間は、十二誓約軍団の将が一堂に会し、静かで張り詰めた空気に満ちていた。議題はただ一つ、人間社会への宣戦布告だ。
玉座に座るヒカルは、深い葛藤を抱えていた。
「俺は、復讐のためにこの盟約軍を血で染めたくない。俺の理想は、人間と竜が争わずに済む世界の創造だ。カインを討つことは、その理想と相反するのではないか?」
彼の言葉は、玉座の間全体を重く静まり返らせた。
紅蓮の激情竜姫レヴィアが、玉座の脇で炎を燃やし、情熱的に口火を切った。
「夫! 貴方を裏切った人間をそのままにしておくべきではない! 貴方の心の傷を癒やすのは、貴方の憎しみの種を、この世界から焼き尽くすことよ! それが、私への最大の愛の証明だわ!」
最高戦略官アクアが、レヴィアの激情を冷徹に受け止めて発言した。
「王の感情は理解します。しかし、カインを放置することは、論理的に見て我々の未来の種への最大の脅威です。私の理性的な愛は、王の理想を護るための戦争を選びます」
磐石の守護龍テラが、大地のような重みのある声で王を支える。
「主よ。主の心に燻る憎悪という火種を、優しさという名の平和な大地へ戻すには、その根源を断つ必要があるのです。わらわの防御は、主の心を守るためにあります」
純白の調和聖女ルーナが、光の調律を放ち、静かに訴えた。
「ヒカル様。共存の道は、清らかな魂の上にしか築けません。人間社会の膿を浄化することこそ、私たちの最初の献身です。どうか、私たちの総意を受け入れてください」
◇◆◇◆◇
六龍姫の情熱的な訴えに続き、官僚と六天将が現実的な脅威を突きつける。
後方戦略総司令官のシエルが、カインの対竜特化兵器(Dragon Specialized Weapons: DSW)開発の脅威を玉座に示した。
「王よ。感情を排して申し上げます。対竜特化兵器(DSW)の開発を放置すれば、ユニゾンの理論自体が脅かされます。これは未来の種にとって看過できない脅威です。DSWが完成する前に、その根源を断つべきです」
空虚の斥候王ゼファーが、流動的な魔力を放ちながら、実務的な懸念を表明した。
「団長。我々の物流・通商ルートは、人間社会との接触によってのみ維持可能です。戦争を避ければ、経済制裁で王国は立ち枯れます。攻めは最大の防御です。私とセフィラの自由を、その攻めに活かさせてください」
物流・貿易次長の放浪の運び屋が、皮肉めいた笑みを浮かべ、現実的な意見を述べた。
「全く、その通りです、団長さん。ビジネスの観点からも、このまま不確実な平和を続けるより、一気に膿を出す方が投資効率は高い。現実的なリスクを取るのが新しい王の義務というものです」
古王軍編入部隊総司令官のユグドラが、武人の誇りを込めて進言した。
「王の理想は、武人として羨むほど美しい。しかし、誇りは、平和のために振るわれなければ意味がない。我々旧古王派の兵は、王の優しさに命を救われた。その命を賭して、王の平和を勝ち取るのが、武人の唯一の道です」
財務官僚長官のギルティアが、冷徹な論理を突きつける。
「王よ。経済は成長を求めます。人間社会への介入は、財政的存続のための義務です。優しさは最も利益を生む投資であると、私が証明いたします」
そこに、学術顧問の知識の守護者は、知恵の重みを込めてヒカルの理想を補強した。
「王よ。歴史は、独善的な支配の上に共存の土台が築かれないことを知っています。この戦いは、歴史の必然です。我々の知識が、王の平和を支持します」
◇◆◇◆◇
ヒカルは、六龍姫の激しい愛と、六天将の冷徹な戦略が、すべて「王の理想」を支えるために集約されていることを理解した。彼の復讐心は、未来の希望へと調律された。
深淵の孤高竜姫ヴァルキリアが、玉座の間で声を上げる。
「契約者。貴方の優しさは、弱さではない。その力を、裏の汚れ役として、このヴァルキリアに振るわせなさい。闇の特務機関は、総意に従います」
漆黒の工作師シェイドが、冷静に補足した。
「我々闇の王族は、王の平和を影から支えます。この作戦は、闇の力の正当な行使に他なりません」
ヒカルは、ルーナに視線を送ると彼女は優しくらい微笑み返してきた。そう、ルーナは光の竜の意志を無言で示したのだ。
そして、疾風の遊撃竜姫セフィラに最後の言葉を求めた。
セフィラは、軽やかに玉座の間を飛び交い、全員の言葉を集約した。
「団長! みんなの愛と戦略は『GO』だって言ってるよ! 最高の冒険を始めよう!」
ヒカルは、セフィラの笑顔に応えた。
「わかった。お前たちの愛と忠誠を受け入れよう。俺の理想は、決して復讐ではない」
ヒカルは玉座から立ち上がり、全員の視線を受け止め、王としての最初の宣言を世界に放った。
「この戦いは、人類を敵に回すのではない。ドラゴンスレイヤー教団と帝国の膿を排除し、人間と竜が真に共存できる世界をつくるために、優しさが最強の力だと証明する戦いだ!」
レヴィアは、そんなヒカルを優しく見守っていた。彼を支えていけることが彼女の幸福なのだ。
「最高戦略官アクア! シエル、ユグドラ、ギルティア、そして知識の守護者を伴い、開戦の第一波作戦を立案せよ! 作戦の核は貴様らの頭脳だ!」
蒼玉の理性竜姫アクアは、その重責に背筋を伸ばし、冷静に答える。
「御意! 王の合理的判断は、私の論理的な愛をもって必ずや勝利に導きます!」
六龍盟約軍の旗が、人間社会への介入という新たな目標のもとに翻る。
愛と優しさを武器とする竜の王の戦記は、ここにきて大きくその目的を変えるのだった。
ヒカルは王座から立ち上がった。
「竜の王国の統一にかかった一年間は、終わった。これより、私たちは半年間の準備期間を経て、人類との戦争へと移行する!! 人類側に悟られぬよう慎重かつ迅速に事を進めるのだ!!」
彼は王の義務を果たすため、その重い足を踏み出した。
【第55話へ続く】
【第2部「人類統合戦争」につづく】
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