第1節 「誰のせいに」
◆ロビー
刃沼はロビーの近くを歩いていた。ツルツルに磨かれた床の上に、二人倒れている。タコヤマとツミキだった。頬に殴られたアザがあり、失神している。
刃沼「見たことはある顔だな。誰だっけ」
さして関心のない刃沼は、放っておいて通り過ぎようとした。そこへ。
ヘレネー「ああ、こりゃア、レッドパスにやられたんだな」
刃沼「やぁ」
ヘレネー「おう。おはようさん」
刃沼「まだ……眠い」
ヘレネー「相変わらず、寝不足気味だな」
「で……、レッドパスがどうたらって」
「ああ。昨日のこと、気づかなかったか。結構どたばたやってたんだが」
「昨日は、大体寝ていた。一昨日も大体寝ていた。明日も大体寝ている」
「それが刃沼にとっての修学旅行なのか」
「この学校の修学旅行はいいね。予定を組まない、ずっと自由行動だから」
「修学旅行としては、おかしいけどな。おまけに日程まで曖昧にされてる」
「一週間ぐらいの旅行です、と説明されたきり。あとは良く覚えてない」
「まぁ、想像はつくよ。お前さん授業中も眠ってて聞いてないだろ」
「先生の話は子守唄だよ……。ふぁぁああ……」
大きくゆっくり欠伸をした。
刃沼「あ、そうそう、レッドパスってあいつのことー。名前知らなかった。デガラシから教えてもらった」
「そのレッドパスがこの島に来てんだよ。オレと一緒の民宿に泊まってる」
「なんの用だろ?」
「この島が怪しいんだと」
「なるほど、なるほど……。で、昨日のどたばたは、その敵と戦ったーと?」
「いや、昨日は一部の生徒が暴れてな、レッドパスを襲いかかったんだ」
「日頃のストレスかな?」
「違うだろ。殺人事件 起きたの聞いてねえのか? あれをレッドパスの仕業だと、当てずっぽう」
「ふぅん、大体分かった。教えてくれてありがとう。私は大体寝ていて状況が分からないからねー。助かる」
また刃沼は欠伸をした。
「刃沼、前より体力の消耗、激しくないか?」
「平気だよ。眠いだけで。そういう体質なんでしょー」
どことなくまだ寝ぼけている気配がある。
「そうか。んじゃまあ、あとでな。話し込んで悪いな」
「ほい」
その後、刃沼は売店に向かい、「眠気スッキリガムは~~」と云うような独り言をしながら、店内をふらついていた。
◆888号室
3階の奥にヘルの泊まる888号室がある。刃沼たちのいる909号室の一つ手前だ。今この888号室にはヘルしかいない。とも子は部屋に帰らなかった。崖下にいたとも子の遺体は片づけられていた。みんなはヘルに、とも子のことを何も云わなかった。
部屋のドアがノックされる。開錠すると、ツミキがいた。「いますぐに100号室に来なさい」と云い、ヘルの腕を掴み、引っ張って行った。「痛い。痛いよ。離して」、ヘルの言葉にツミキは耳を貸さない。
◆100号室
100号室へ連れて行かれたヘル。部屋にはタコヤマ、ツミキ、その他数人の生徒が、机を挟んで座っていた。それはまるで裁判所を思わせるような、人と机の配置だった。
タコヤマ「まずは昨日起きたことの説明を頼もうか、ツミキ」
はい、と応答したツミキはヘルの方を向く。
ツミキ「ヘルさん? あなたは昨日の殺人事件の犯人として、レッドパスさんが怪しいと発言しましたね?」
ヘル「……」
「発言しましたね?」
周り全員は、突き刺す冷たい視線で、暗黙の攻撃をしていた。
ヘル「……はい」
ツミキ「よろしい。その後、それを知った生徒30人余りは、レッドパスさんを懲らしめようとしたんです。ところが、それが原因で生徒たちはケンカになり、多数の重軽症者が出ました」
ヘル「……」
タコヤマ「誰のせいだと思うね?」
ヘル「レッド……パス」
生徒「もう一度、云ってくれ」
ヘル「……」
ヘルは誰とも目が合わせられなかった。
ツミキ「あなたのせいなんですよ?」
ヘル「……」
生徒「そうだな」、「うん」、「そういうことだ」、「どう償う」
生徒たちは同調した。
タコヤマ「ヘルよ。これからお前には、償いとして、色々な者たちから試練が与えれるだろう。それに反抗することなく受け入れること。分かったな?」
ヘル「ぇ……ぁ……」
ツミキ「タコヤマ会長の云うこと、分かりますか?」
ヘル「ぁ……、はぃ……」
ツミキ「分かりましたか?」
生徒「分かってんのか?」、「それくらいの理解力はあるだろ?」、「これがゆとり世代か?」
タコヤマ「改めて聞く。……分かったな?」
ヘル「はい…………」
タコヤマ「よし。今の言葉、忘れるんではないぞ。もし自分の云うことに嘘を付いたら……分かるな? ――さあ、自分の部屋に帰れ」
ヘルは部屋の外に出された。
◆廊下~888号室
ヘルは部屋に戻るため廊下を歩いていった。すれ違う生徒数人がヘルに反応し仲間内でボソボソと何かを云っていた。やがて888号室にたどり着き、ドアを開ける。
「……!」
缶ジュースはテーブルに置いていたはずだった。布団は綺麗に畳んであったはずだった。しかし今は、布団は点々とジュースのこぼした跡が付いていた。のみならず、残った缶ジュースの中には消しゴムのカスが浮いていた。
「また……、なんで……」
ヘルの膝はガクリと布団に落ちた。フラッシュバックが発生する。嫌な記憶と嫌な思いが吐き気とないまぜに襲う。給食のパンに鉛筆を差されたこと。プールの授業のあと、服が無くなっていたこと。机の上に菊を差した花瓶が置かれていたこと。教科書にマジックで悪口を書かれたこと。「ヘルしね」と書いた紙が、学校中から見つかったこと。トイレに閉じ込められ上から水をかけられたこと。……可愛がっていた野良猫が、目の前でカッターで引き裂かれたこと。
前のめりに倒れる上体を支えた両腕には、手首に切り傷が見えた。それから長い間、ヘルはわんわん泣いた。
部屋の前ではツミキたちが、息を殺しながらもニヤニヤと嫌な笑いを浮かべて、歩いて行った。
「は……はは。ハハハハハ……ふふふ」
ヘルの涙が枯れたあとには、乾いた笑いが表れるばかりだった。




