王都ルドン4
一座の全員への挨拶を終えネス達とも別れたヴィーは、馬の背に揺られて石畳の道を進む。持って来ていた簡素なドレスに着替え、上からマントを羽織っているが顔は出している。ヴィーの乗る馬の手綱を引くのはマントのフードを目深に被ったライで、二人の後ろには同じくフードを被って顔を隠したオンブルが荷を乗せた馬の手綱を引いて歩いていた。
三人が城門に着くと、宰相から話を通されていた為に門番は素早く対応する。そうして城門を通り、城へと辿り着いた三人を迎えたのはイライアスとブルック、親衛隊の騎士と数人の侍女だった。
ライの手で馬から降ろされたヴィーは出迎えの人々の前へと進み、淑女の礼をする。女性らしい声音で出迎えへの感謝を述べるヴィーを見て、ブルックは驚きで軽く目を見開き、イライアスは柔和な表情を崩さずに挨拶を返した。オンブルはまた、いつの間にか姿を消していた。
「陛下、何処へ行かれるのです?」
城の中へと入り、当然のようにヴィーと共に行こうとしたライを止めたのは笑顔のイライアスだ。
「シルヴィアは一人でこちらにいらしたのだ、何かと不安だろう。私が案内する。」
「お忙しい陛下のお手を煩わす訳には参りませんわ。わたくしは大丈夫です。どうか民の為、お仕事をなさって?」
「愛しい女。会えてすぐ離れねばならないとは身を切られるようだ。夕食は共にとってくれるだろうか?」
「もちろんですわ。」
ライはヴィーの手を取り口付けを落とす。それから侍女達へと後の事を頼み、ライは踵を返して執務室へと向かった。
ヴィーには侍女達と親衛隊の半分が残され、侍女の先導で部屋へと向かう。馬に乗せていた荷物の中に、マーナに持たされたドレスが数着ある。その荷解きを自分でやる事は許されないのだろうかと考えながら、ヴィーは淑女らしく淑やかに城の廊下を進んだ。
執務室にはイライアスだけで無く、ブルックもついて来た。中で仕事をしていた宰相補の二人は王の入室に気が付き素早く立ち上がって礼をとる。それに笑みを向け、気にせず仕事をするように告げてからライはマントを外した。
イライアスとブルックが順に不在の間の報告をするのを聞きながら、ライはイライアスが用意した紅茶を片手に新たに積まれていた書類に目を通していく。
「シルヴィア王女、お前を追い掛けて来たらしいじゃないか?」
報告を終え、自分も仕事をしつつイライアスがにやりと笑うと、ライは蕩けた笑みを見せる。
「なんて愛らしいのでしょう。シルヴァン王の許可も得ているようですし、このまま正式に手に入れてしまいましょうか。」
「まだ待て、ライオネル。見極めさせろ。」
イライアスをチラリと見て、ライは肩を竦めた。
「手放す気は無いですが、好きにして下さい。彼女に危害を加える事だけは許しません。」
「オンブルがついているなら私もおいそれと手は出せないよ。それに彼女、ただの姫では無さそうだしね?」
「美人な上にあの身のこなし、ルミナリエ様を彷彿とさせるな。」
男装の時もドレス姿の時も、彼女に隙は一切見られなかった。ライの膝に捕まり慌てていた時ですら、さりげなく周りの気配を探り警戒しているようだった王女を思い出し、ブルックは苦く笑う。
「美しさの裏に毒を隠し持っていては困るね、ルミナリエ様のように。」
「出会ってからずっと監視はさせています。彼女は信じるに値する人物だと私は判断しました。ですがイライアス。貴方は貴方の方法で、見極めて下さい。」
「国王である貴方の為となるのであれば、ライオネル、君に嫌われようと構わない。」
「そうはならないと思いますよ、イライアス。」
恋は人を盲目にさせる。それが自分の主君にも起きていなければいいがと、イライアスは書類の陰で溜息を吐き出した。
城の中の一室を与えられたヴィーは、そこで侍女の手によって浴場で体を磨かれ、ドレスを替えさせられた。髪を結われて化粧も施され、出された紅茶で一息ついていると、突然扉が開け放たれてヴィーは苦笑を浮かべる。
「お初にお目に掛かりますわ、ルミナリエ様。シルヴィアと申します。」
微笑みを浮かべて立ち上がり淑女の礼をとったヴィーを見て、質素な黒いドレスに身を包んだ金の髪の美女は嬉しそうに微笑んだ。
「突然の訪問申し訳ないな、シルヴィア王女。息子の唯一だという貴女が訪れたと聞き、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。」
そう言ったルミナリエは侍女達を下がらせる。するとすぐにオンブルが何処からともなく現れて、ルミナリエの為に紅茶の支度を始めた。
「ジークから話は聞いた。今は妾とジークと貴女だけだ。どうか楽に。ヴィーとお呼びした方が良いのかな?」
「いえ、どうぞシルヴィアとお呼び下さい。ジーク、というのがオンブルの本当の名ですか?」
そうだと告げたルミナリエが椅子に腰掛けて、ヴィーもそれに続いて座る。オンブルもルミナリエから座るように言われて、三人での小さなお茶会をする事になった。
「息子が攫って来なかったと聞いた時にはがっかりしたが、貴女の方が追い掛けて来るとは、中々気概がある娘さんだな。」
「お恥ずかしながら、彼の不在に耐えられず追って来てしまった愚かな女です。遠く離れた場所ではなく、側で彼を支えたいと望みました。イルネスの王である弟も、自分勝手な姉に理解を示してくれました。」
女性らしく高い声ではなく、普段通りの声で話すヴィーを見るルミナリエの瞳には、興味がありありと浮かんでいる。
「ルミナリエ様の悪い癖です。あまりそのように見つめるのはどうかと思いますよ。」
「良いじゃないかジーク。それに仕事でない時には母と呼べと言っているであろう?」
「私は仕事中です。」
「護衛対象と紅茶を飲むとは優雅な仕事だな。」
「そう仰るのであれば再び姿を消しましょうか?二人切りでは恥ずかしいのでしょう?」
「意地悪な息子だ。恥ずかしくて緊張してしまうのだ。嫁だぞ?私はどうしたら良いのだ?」
「普段通りになされば良いのではないですか?彼女も貴女同様、突拍子も無い事をする姫のようですしね。」
「それは仲良くなれそうだな!シルヴィアは何をするのが好きなのだ?」
仲の良い親子の会話に目を細めていたヴィーは、ルミナリエに聞かれて少し考える。好きな事として思い浮かぶのは、剣と旅だ。そう告げると一座の護衛時代の話を強請られて、ヴィーは旅の間に出会った様々な事をルミナリエに話して聞かせた。そのお返しというように、ルミナリエはライの幼い時の話をヴィーにしてくれる。
「幼い頃からあまり泣かない子でな。妾や姉姫達とレミノアの前では常に笑顔を絶やさずにいた優しい子なんだよ。そんなあの子に、妾はとても重たい荷を背負わせた。」
自嘲の笑みを浮かべたルミナリエに手を伸ばし、ヴィーは彼女の手をそっと握って微笑んだ。
「分ければ負担も減ります。彼の背負う物、私も共に背負うつもりです。」
ヴィーの言葉にほっとしたように微笑んだルミナリエは、子供を想う母の顔になっている。
「シルヴィアは、あの子のして来た事の全てを知っているのか?」
「全てかどうかはわかりませんが、ある程度の事は知っています。私の能力をご存知ですか?」
真剣な表情で頷いたルミナリエに、ヴィーは穏やかに微笑んで言葉を紡ぐ。
「風や動物達は、人の心の内までは見通せません。ですが、彼らはこの世で起こる出来事を見守っています。私は彼を理解したいと望み、探れる限りの事を聞きました。それを知った上で無ければ、彼は私を受け入れてはくれないと思ったからです。」
ライはヴィーを愛している。それは心からの物だ。だけれどライは、自分がやって来た事への罪悪感を抱えながら生きている。上辺だけで愛していると告げても、きっと彼の抱えている物を本当の意味で共に背負う事は出来ないと、ヴィーは思うのだ。
風は何処にでもいる。目的の為に冷酷に物事を進め、多くの血に塗れて来たライが、人知れず流した涙や苦悩する姿を風は知っていた。
「私は、ライの全てが、愛しくて堪らないのです。」
はにかんだ笑いを浮かべたヴィーを、オンブルは優しい瞳で見つめ、ルミナリエは泣きそうに顔を歪めて微笑んだ。
ライがして来た事は許される物ばかりではない。それは本人も、周りも理解している。それでも歩みを止めない彼が望むのは、多くの人間の幸せと笑顔なのだ。その目的の為には己を顧みず、手を汚し、彼は突き進む。
だけれどと、彼を大切に想う者たちは考える。
どうか、彼自身にも幸せが訪れて欲しいと、自分勝手にも、願わずにはいられないのだ。




