王都ルドン5
お茶の後、ヴィーはルミナリエの住む離宮へと訪れた。オンブルにライへの言伝を頼み、傾き始めた陽の光の中、ルミナリエと共に離宮の厨房に立つ。ルミナリエから、ライがバークリンに戻って以降仕事の片手間で取れるような簡単な食事しか取っていないと聞き、それならこの機会に約束を果たしてしまおうと考えたのだ。
「料理が得意な王女など、変わっているな?」
「得意ではないです。ライに食べさせたくて、習って来ました。」
「それは、あの子も喜ぶ。」
変わっていると言ったルミナリエ自身、野菜を刻むのは得意なようで、ヴィーの隣に並んで手伝っている。アーシャに仕込まれた料理を作るヴィーは、ルミナリエが何処かから持って来た黒と白のお仕着せ姿で、ルミナリエ自身も同じ物を着ている。ドレスよりも動き易くて気に入っているのだと笑ったルミナリエに、ヴィー自身も袖を通してみて同意した。二人とも、お仕着せのスカートの下には短剣とナイフを忍ばせている辺り、似た者同士なのかもしれない。
日が完全に沈み切る頃には温かな料理の香りが厨房の中を満たし、ヴィーはルミナリエと会話をしながらテーブルのセッティングをする。オンブルの分も用意しようとしていたヴィーを、ルミナリエが止めた。
「初めての手料理なのだろう?好いた男にだけ振る舞いなさい。嫉妬させては可哀想だ。」
ルミナリエの言葉で、ライが意外と嫉妬深かった事を思い出してヴィーは笑う。イルネスでの虫除けと称したライの行動を簡単に話すと、ルミナリエは楽しそうに聞いていた。
「シルヴァン陛下の気持ちが理解出来た気がします。」
気配無くライが現れ、ヴィーは振り返る。シルヴァンの気持ちとはなんだろうと首を傾げていると、歩み寄って来たライの腕に閉じ込められ、瞼に口付けられた。
「仕事をしている間お側にいる事が叶わないというのに、他の人間が貴女と共にいる時間が多いのは悔しいです。」
「貴方の母上だぞ?」
「関係ありません。閉じ込めて、独り占めしてしまいたい気分です。」
髪に編み込んでいた赤紫のリボンへと口付けられ、ヴィーは蕩けるように笑ってライの胸元へと擦り寄る。
「本当はドレスに着替えてから迎えるつもりだったんだが、間に合わなかったな。このような服ですまない。」
「いいえ、この服もまた、貴女が着ていると堪りません。このまま堪能させて下さい。」
取られた手の平から手首へと口付けられて、ヴィーは顔に熱が上る。ルミナリエがすぐ側にいるというのに何をするのだと止めると、ライの顔が珍しく不満気に歪められた。
「我が息子殿のそのように蕩けた顔が見られるとは、妾は嬉しい。好きなだけやれ。」
「母もあのように言っています。食事も魅力的ですが、貴女も魅力的ですね、ヴィー?」
「折角作ったんだ!食べるぞ!離せ!離せ、ライ!」
暴れ始めると解放され、ほっとした彼女が厨房へ向かおうとするとライの手が腹に回って背中から引っ付かれる。
「動き辛い。」
「このまま、支度をしましょう。手伝います。」
「駄目だ。疲れているだろう?座って待っていてくれ。」
「嫌です。」
駄々を捏ねられて困ってしまったヴィーが赤くなって固まっていると、首筋に顔を埋めて息を吸い込んだライが耳元に唇を寄せて囁いた。
「貴女からの口付けを頂けるのなら、大人しく待つとお約束しましょう。」
ライの声で甘く囁かれると、ヴィーの思考は蕩けてしまう。まるで耳から甘い毒でも流されているようだ。
心臓の音が耳の中で五月蝿く鳴り響く。
ライの腕の中で体を反転させたヴィーは、軍服の胸元を掴んで引き寄せた。優しく唇を押し当てて、すぐに離れる。
恥ずかしくて目だけで見上げた先のライの顔は、嬉しそうに蕩けていた。
「すぐ用意する。大人しく待っていろ。」
「とても、お腹が空きました。」
大人しく椅子に向かったライと、厨房へと向かうヴィー。二人を見守っていたルミナリエは、優しく穏やかな表情をしていた。
ドレスに着替える事は諦めて、ヴィーは手早く料理を仕上げて皿に盛る。健康を考えて野菜も多めだ。椅子に座って待っているライとルミナリエの前に料理を次々と並べて、ヴィーも椅子に座った。
「ライの子供の時の話を聞いたぞ。」
大喜びで食事を進めるライを微笑んで眺めていたヴィーが告げた言葉に、ライは困ったような顔になる。
「どのような話ですか?」
「アリシア殿とナーディア殿にドレスを着せられたらしいな?」
幼いライは、そこらの令嬢よりも愛らしかったのだ。それでドレスを着せてみれば似合うと、喜んだ姉姫達に度々着せ替え人形にされて遊ばれた。
「今でも似合いそうだがな?何せ妾に似ておるしな。」
「流石に今はどうでしょう?合うドレスが無いと思いますよ。」
苦笑するライを見て、ヴィーは考える。顔は化粧をすれば問題無い。問題は体だ。筋肉の付いた体に似合うドレスというのは難しそうだなと真剣に悩んだ。
「ヴィー、見てみたいと顔に書いてあります。着ませんよ。」
「どうしても駄目か?」
「駄目です。」
残念だと呟きはしたが、こっそりと似合うドレスを探しておこうとヴィーは心に決めた。
「あぁ、あと、ライは刺繍と裁縫が得意なのか?」
なんでも出来る男だと感心していると、ライは苦く笑う。
「ここが孤児院のような場所でしたから、繕い物は自然と出来るようになります。刺繍は、レミノアに教える為に覚えました。作った物は街に売りに行っていたんですよ。」
懐かしいなと、ライは微笑む。
刺繍が得意だったのはルシエラで、ナーディアは苦手だった。ルミナリエも細かい作業は苦手で、ルシエラが年頃になり嫁いでしまうとレミノアに刺繍を教える人間がいなくなってしまったのだ。ルシエラから教わった事のあったライは、戦から戻った時にはレミノアに乞われて教えていた。作った物を貯めておくだけでは勿体無いと、梟達と街に出て売って子供達の食費の足しにもした。
「ここはライの家なのだな。そこまで穏やかな表情の貴方を見るのは初めてだ。」
「はい。大切な場所です。」
微笑むライを見て、鼻を啜ったのはルミナリエだ。歳を取ると涙腺が緩むらしいと呟いて、彼女は手巾を目頭に当てる。その手巾にも刺繍がされている。レミノアが好きな淡いピンク色の薔薇。形が辿々しい事から、レミノアが練習で刺した物だろうかと考えて、ヴィーは顔を綻ばせた。
温かな思い出のある場所で、その思い出話を聞きながら取る食事の時間は穏やかで、時折ルミナリエが見せる涙も優しくて、ヴィーもライも幸せそうな笑顔をずっと浮かべていた。
食事を終えた後、ルミナリエとオンブルが片付けを申し出て、ヴィーはライと二人きりとなった。微笑むライに手招きをされて長椅子に座ると、彼の頭が膝に乗せられてヴィーは驚いて体を固くする。
「すみません、少しだけ、目を閉じていても良いですか?…イライアスが来るまで…」
その声に滲む疲労を感じ取って、ヴィーはライの髪に手を伸ばして飾り紐を取った。少しでも休めるようにと軍服の襟元を寛げてやる。そうするとそのまま手を握られて、ライの唇へと掌が押し付けられた。
「少しでも、休んでくれ。」
「ありがとう、ヴィー…」
ライの体から力が抜けて、彼が眠ったのがわかった。握られているのとは反対の手で、ヴィーは金茶色の柔らかな髪を撫でる。
いくら事前に準備をしていたとはいえ、崩れていた国を立て直すというのは想像を絶する労力がいるのだろう。隈が出来て顔色が悪いライを見下ろして、彼の為に自分が出来る事をしようと、ヴィーは改めて心に決めた。
そうしてしばらく、静かにライの寝顔を眺めていたヴィーは、離宮の外に馬と人の気配を感じた。それがイライアスという名の宰相だと気が付いたが、ヴィーは黙ってライの頭を撫で続ける。許されるギリギリまで、彼の眠りを妨げたくなかった。
「眠って、いるのですか?」
離宮に入って来たイライアスが、長椅子に座るヴィーと、その膝の上で身動ぎもせずに目を閉じているライを見つけて驚きに目を見開く。イライアスの問い掛けに頷いた後にライを起こそうと動いたヴィーの姿を瞳に映したままで、イライアスは表に出した以上に驚愕していた。
幼い頃から暗殺者に命を狙われていたライの眠りは、常に浅い。部屋の外に人が来ただけですぐに目を覚ますのだ。その為に、イライアスがライの寝顔を見たのは初めてだった。その彼が、優しく揺すられても中々目を覚まさない程に熟睡している。それ程疲労が溜まっているのかもしれないが、もっと辛い状況だった戦場でも、ライは人前では眠らなかった。
「ライ、迎えだぞ。大丈夫か?」
イライアスの視線の先で、ヴィーはライの顔を覗き込んで声を掛けている。それにピクリと反応したライの手が動いて、ヴィーの後頭部を捕らえた。そのまま濃厚な口付けが始まってしまい、流石に狼狽えたイライアスは咳払いで存在を主張する。
「ヴィー、愛しています。食事、とても美味しかったです。また作って下さいますか?」
「も、もちろんだ。いくらでも作る。」
「貴女の唇も、とても美味しいです。」
体を起こしたライがぺろりとヴィーの唇を舐めて、そのまま再び深く口付ける。が、ヴィーに頭を叩かれて渋々という風に離れた。
「ひ、人前は、嫌だ…」
「では人前ではない時にまた。」
赤い顔のヴィーにとろりと微笑み掛けて、ライは立ち上がる。それを慌ててヴィーが追い掛けて、手にしていた飾り紐でライの髪を結った。
大人しくされるに任せているライの姿にイライアスはまた驚く。身内の姫達以外で、彼の髪に触れる事を許された女性を見たのも、初めてだ。
「仕事、頑張れよ。…いってらっしゃい。」
「いってきます、愛しい私のシルヴィア。」
幸せを全身から醸し出しているライの後に続いて歩き、イライアスは目を伏せる。こんなに幸せそうにしているライの幸せを壊したくはない。だから、これから見極める彼女の人となりが悪いもので無ければ良いと、願った。




