騎士と姫君6
部屋の中にはいつの間にかランプに火が入れられて、窓の外には宵闇がせまっていた。
レミノアに教えてもらいながら刺繍を刺していたミアはふと顔を上げ、そろそろ帰らなければと考える。ネスを迎えに行こうと窓辺で本を読むヴィーに声を掛けようとして、ヴィーが立ち上がった事で言葉を飲み込んだ。
「ライ」
呟いたヴィーが窓を開け、ひらりと人影が窓から部屋へと降り立つ。金茶色の髪を赤紫のリボンで結った、いつもの簡素な服装のライだ。
「ヴィー、そのドレスもお似合いです。」
跪いたライがヴィーの手を取って、指先にキスを落とす。ヴィーを見上げたライの表情はとろりと甘い。
「兄上、ここはわたくしの部屋ですし、何階かご存知かしら?」
「そうだ、三階だ…」
レミノアの言葉に呆然としたのはミアだった。しかもライが入って来た窓にはバルコニーは無く、側には木もない。
「やぁ、レミノア。君には黄色も良く似合う。ミアもドレス姿、素敵ですよ。」
笑顔で立ち上がったライに褒められて、ミアはぽっと頬を染めた。お城の中、ドレスを着て本物の王子様に褒めてもらえるだなんて、まるで夢のようだなと感じる。
「ありがとうございます。それで?兄上はシルヴィア様に会いにいらしたの?」
「レミノアに会うのであれば扉から訪問するだろう?ヴィー、ロイド殿とビアッカ殿から伝言です。"明日はいつもの時間に発つ。それまで子供達を頼む"と。」
「あぁ、泊まりの許可か。ネスは今どうしている?」
「近衛騎士達と意気投合したようで宿舎の方にいます。食事もそちらで済ますようで、頃合いを見計らってザッカス殿が連れ出すようです。」
「まるで貴方が"梟"だな。」
「貴女の為ならば、私は夜空を舞う鳥になりましょう。」
握ったままだったヴィーの手に再びキスをしてライは微笑む。
それを見たレミノアはやれやれという風に肩を竦め、ミアは二人の醸し出す甘い空気に胸が高鳴る。まるで、姫に懸想した騎士のようだなとライを見て思った。
「ミア、今夜は私と共に眠ろう。明日の朝送るよ。」
「お城にお泊りなんて…良いの?」
「大丈夫じゃないか?ついでだから、王の執務室でも見学に行くか。マーナ、先触れを頼む。」
「畏まりました。」
お辞儀をしたマーナは素早く部屋を出て行ってしまった。
突然の事に、ミアはついて行けずおろおろとしてしまう。そんなミアにレミノアが近付いて、手を握って微笑んでくる。
「お邪魔でなければ、わたくし、ミアさんともっとお話しをしたいわ。同じ年頃の娘さんと腹の探り合いではない会話なんて滅多に出来ませんもの。」
「お、 お姫様って、大変なんですね。」
「えぇ。でもそれが日常ですから。」
にっこり笑うレミノアを見て、ミアは庶民で良かったなと考えてしまう。
窓際では、ライがヴィーの手を握ったまま、二人は微笑み合って会話をしていた。
「では私は着替えて参ります。」
「今日はもう外へは行かないのか?」
「はい。ネスとミアと過ごせる最後の夜です。私も、共に過ごしたい。」
「そうか。ではまた。」
「後ほどお会いしましょう。失礼致します。」
顔に掛かった髪を払うようにヴィーの額からこめかみへと指を滑らせて、来た時同様、ライは窓から去って行く。ヴィーがそういう事が出来る人間だから、ライもきっとそうなのだろうとミアは無理矢理自分を納得させた。
「さて、ではヴァンの所に泊まりの許可と、晩餐の相談に向かうか。」
レミノアは部屋に残り、ヴィーとミアを笑顔で見送る。ミアは執務室とはどんな所なのだろうと考えながらヴィーの後をついて行った。
王の執務室は階段を一つ降りてしばらく廊下を歩いた場所にあった。今日だけで城のあちらこちらを歩き、広さを実感したミアは珍しい体験に興奮し続けている。
ヴィーが執務室を警護している騎士に声を掛けるとすぐに中に通された。部屋の中にはシルヴァンとデュナス、宰相とマーナが待っていた。
「やぁヴァン。マーナから話は聞いたか?」
にこりと笑ったヴィーの言葉に、シルヴァンは苦笑を浮かべて頷く。
「先触れの意味が謎だな。まぁいい。泊まりの許可は出す。晩餐も用意させよう。」
「ライとレミノア姫も一緒だ。ヴァンはどうする?」
「その二人が同席するならば俺もいた方が良いだろう。もう仕事も終いだ。」
「ネスは騎士の宿舎にいるらしい。ザッカスが面倒を見てくれていて、食事もそちらのようだ。」
「なんだ、あの子供は騎士にでもなるのか?」
「ならないよ。そうだ、ヴァン。私は明日以降、茶会とやらを開いてみようと思うのだが構わないだろうか?」
「?どうした?そういうものは嫌いだろう?」
「煩わしいが、私はレミノア姫を妃に推す。それを示す。」
にこりと笑んだヴィーの言葉に反応したのはデュナスだった。ぴくりと片方の眉を上げて、ヴィーを見る。
「ライオネル殿下に何か?」
「いや、私の意志だ。どちらにしろ膠着状態だったんだろう?私が新しい風となる。」
「何やらルミナリエ殿の思惑通りとなるようで、私としては恐ろしいですな。」
宰相のトリルランが零した言葉に、ヴィーはニヤリと笑った。
「いくらルミナリエ殿でも人の気持ちは操れない。ヴァンとレミノア姫が想い合うのは、二人が過ごした時間故だ。」
「お、俺は別にレミノアの事を想ってなどっ!」
真っ赤になって焦り始めたシルヴァンを執務室の誰もが温かい眼差しで見つめる。シルヴァンの気持ちなど、周知の事実なのだ。
ぐっと息を飲み込んでから咳払いをしたシルヴァンは片目を開けてヴィーを見る。その頬はまだ、ほんのり赤い。
「茶会でもなんでも好きにすれば良い。マーナ一人では大変だろうから、侍女を数人付けよう。」
「宜しく頼む。人選は任せるよ。」
話が済み、ヴィーは唐突にミアを振り返ってにっこりと笑った。
「ミア、あそこの厳めしい顔の老人は宰相のトリルラン卿。あと庭にも来ていたそこの男はデュナスと言ってな、やつはなんと食どーー」
「ヴィアっ!!貴女という人は!!晩餐の為に母上の着せ替え人形にでもなって来なさい!!」
「このドレスでは駄目なのか?」
「それは昼用です!バークリンのお二方も同席するのですから正装が必要です。さぁ、貴女の大好きな、着替えの時間ですよ?」
にぃっこりと笑うデュナスに追い出されるように執務室を後にして、マーナの先導で廊下を歩き出す。隣でくすくすと笑うヴィーを見上げて、ミアは先程のやり取りはなんだったのかを考える。とりあえずあのやり取りでわかった事は、ヴィーはお城でも上手くやっていけているのだなという事だった。
綺麗なドレスを着ての晩餐は最初こそ緊張したものの、ライとレミノア、シルヴァンとヴィーの四人全員が、テーブルマナーなど気にせず食事を楽しめば良いと言ってくれ、ミアの知らないヴィーの小さな時の話などで盛り上がった。
食事を終えてヴィーの部屋に戻ると擦り傷だらけのネスが待っていて、興奮した様子で訓練や仲良くなった近衛騎士達の事をミアとヴィーに話して聞かせた。
「俺、思い出したんだけどさ、すっげぇ小さい頃は、ヴィーによく抱っこしてもらったなって。」
寝る支度を整えて、ヴィーを真ん中に三人で大きなベッドへと潜り込む。ぽつりと零すようなネスの言葉に、ヴィーはふっと優しく笑った。
「身体つきをまだ誤魔化せた頃はな。」
「えー?私はないよ?」
必死に記憶を探るが、ミアは思い出せない。まさかネスだけかと思うと悲しくなって涙が滲む。
「覚えていないだけだ。ミアも抱っこしてやった事、あるぞ。」
「本当?いつ?」
「四、五歳の時はよく私にくっ付いていた。でもネスの方が多かったかもな。すぐ何処かに消えていたから。」
「迷子になった時だろ?必ずヴィーが迎えに来てくれてた気がする。」
「何故か物陰に隠れる癖があって、しかも隠れ方が上手いんだ。」
優しい笑い声をヴィーが立てて、ネスは照れて鼻の頭を掻く。ミアはそういえばそうだったなと頷いた。
「それ確か、ヴィーしか見つけられなかったよね?みんな総出で探しても、必ず連れ帰って来るのはヴィーだった気がする。」
「探し物が得意なんだよ。」
穏やかな笑みを浮かべて、ヴィーは両手で二人の頭を抱き寄せる。二人の赤毛をくしゃりと撫でて、目を閉じた。
「さぁ、もう眠ろう。明日はまた、新しい街へと旅に出る。」
ミアとネスは静かに従い、姉であり、兄でもあるヴィーに擦り寄って目を閉じた。
出発日の一座の朝は早い。
日の出と共に起き出して朝食を取り、荷物を纏めて馬車へと積み込む。
城で一夜を明かしたミアとネスは、ヴィーに起こされて朝食を取ってから野営地へと戻って来ていた。
ヴィーは夜色マントに黒手袋の姿で出立準備の手伝いをして、まるでこのまま一座と共に今まで通り旅立つような、いつもと変わらない準備風景だった。
だけれどやはり、出立前に違いがやって来た。
ライと共にフードを被った四人の人影が現れて、騎士達が整列する。
「皆、どうか気を付けて。元気でな。」
震える声でヴィーが手を振り、ミアは泣き笑いで手を振り返し、フードを被って見送りに来ていたマーナにも挨拶をした。
ネスはライに歩みより、ぽすんと腹へと拳を叩き込む。
「ヴィーの事、頼むからな。」
「はい。ネスはどうか、ヴィーの大切な家族を守って下さい。」
「言われなくたって、わかってる。」
涙が零れないように歯を食い縛り、ミアとネスはヴィーに背を向けて駆けて行く。
騎士達は敬礼をして、街道の先へと一座の姿が消えるまで見送った。
騎士達が敬礼を解くと、ヴィーはフードを目深に被って隣に立つライの服を掴む。
ぐいぐいと服の裾を引かれ、苦笑したライは手を伸ばしてフードを被ったヴィーの頭を抱え込んだ。
「行ってしまいましたね。」
嗚咽を噛み殺し、ヴィーはライに縋り付く。
その姿をフード越しに見て、シルヴァンとガーランド一家は踵を返して城へと戻る。彼らがいては、ヴィーが素直に泣いて、別れを悲しめない事を四人はわかっていた。
パタパタと零れる涙がライの胸元を濡らして染みを作る。夜色マントに身を包んだマジェンタの瞳の姫は、失った日常を取り戻す代わりに、もう一つの穏やかで自由な日常を失ったのだった。




