騎士と姫君4
城内の一室に連れて来られて、ミアは鼻を啜りながら紅茶を口に含む。鼻が詰まってしまっている為に香りがわからない。微かな渋みと温かさが口の中に広がって、飲み込んでからふうっと息を吐き出した。
訓練場で抱き合って泣いてしまっていたら、お団子に纏めたプラチナブロンドの髪に赤茶色の瞳の上品な雰囲気の女性がやって来てザッカスを叱り付けた。
ヴィーがマーナと呼んだその女性はザッカスの妻で、泣いていたミアを部屋まで連れて来て紅茶を淹れて菓子を出してくれたのだ。どうやら騎士の誰かが見兼ねて呼びに行ったらしい。
「うちの人が申し訳ございませんでした。良い人材を見つけると、何も考えずに勧誘してしまうのよね。悪気はないんですが、仕事馬鹿と言うのかしら?息子もあの人に似たのね。」
ヴィーの後ろに控えるように立っているマーナは、困った人だわと右手を頬に当てて優しく微笑む。その笑みを見て、ミアは慌てて首を横に振った。
「いえ、私の方が取り乱してしまって、すみませんでした。」
「いいのよ。シルヴィア様を私達が奪ってしまったばかりですものね。弟までと思えば、悲しくなってしまうわよねぇ。」
「ミア、このお菓子、美味しいぞ?」
向かいに座っているヴィーに勧められた菓子を口に入れ、ほわりと解れた甘さにミアは顔を綻ばせる。
ネスは訓練に参加して勉強させてもらうとあの場に残った。ライは自分が見ているとネスの本当の勉強にはならないと、よくわからない事を言って何処かに行ってしまった。その為部屋にはミアとヴィー、マーナの三人だけ。
「ねぇヴィー?ライが言ってたのって、どういう意味?」
去り際のライの言葉が気になって、ミアは菓子を食べているヴィーに聞いてみた。ヴィーは、あぁ、と呟いてから口を開く。
「他国の、それも王太子だからな。騎士達も本当の実力はライには見せないよ。休戦協定を結んでいて今は友好的といっても、今後どう転ぶかわからないから。」
「なんか…難しいのね?」
「そうだな。あいつは微妙な立場だ。妹姫もだが、今バークリンがイルネスに何かをすれば、真っ先に人質にされる。」
ミアには現実味の無い話でよくわからない。カップの淵を指先で撫でて黙っていると、ヴィーはふっと笑った。
「あの二人を捕らえるのは一筋縄じゃ行かないがな。そうだ、ミア!風呂に入らないか?」
「お風呂?」
「そう。ここの風呂は無駄に広いんだ。私は今まで男だったから共に入れなかったが、一緒に入らないか?」
旅で周る先には温泉街もあって、みんなで温泉に浸かったりもしたのだ。男のふりをしていたヴィーは男性陣と入る訳にもいかず、そういう時はふらりと何処かに消えていた。
お城の風呂にも興味があるし、ヴィーと初めて風呂に入るというのもワクワクする。ミアは笑顔で頷いた。
紅茶を飲んでいたヴィーの部屋の居間から寝室に入る。そこから浴場へと続く扉があった。
「ここはな、先先代の王妃の趣味で作られたらしい。」
一人で入るには確かに広い風呂で、湯には花びらが浮いて良い香りが漂っている。
マーナもついて来ようとしたのだが、ヴィーが何かを頼んで何処かに行ってしまい、今はミアとヴィーの二人きり。二人はそれぞれに体を洗い、湯へと足を踏み入れた。
「ふあー、気持ち良いー」
口から声が漏れて、ミアは湯の中で脱力する。両手の平で花びらが浮いた湯を掬い、くんくん香りを確かめる。
「お姫様っていつもこんなお風呂に入ってるの?」
「私はいつもではないよ。夜会のドレスを着る時、この香りを体に纏う為らしい。」
「ふーん。良い香りだよね。」
「ミアの為に用意してもらったんだ。元気になって良かった。」
鼻唄を歌いながらミアがパシャパシャと湯で遊んでいるのをヴィーは穏やかな笑みで見守っていた。
お湯を貯めるのも花びらを散らすのも時間が掛かる為、ヴィーは昨日の内にマーナに頼んでおいたのだ。男達の汗臭い訓練をずっと見ているのは、年頃の娘には退屈だろうと予測しての配慮だ。
「ありがと、ヴィー。私までお姫様になったみたい!」
くすくすと上機嫌に笑い、ミアはヴィーをまじまじと観察する。ずっとマントにフード姿だったヴィーをここまで丸裸で観察出来るなんて機会はもう来ないかもしれない。
「やっぱり筋肉質だね。でもちゃんと女の人だ。柔らかい。」
「ミアは全部ふにふにだな。」
「でも太ってはないもーん。」
二人でくすくす笑い合って、お互いの二の腕やら腹やらを摘み合う。
「お姉ちゃん?」
「……なんだ?」
「また会える?」
「会えるよ。会いに行く。困った事があったら私を呼べ。遠くても、駆け付ける。」
「うん!ヴィー、大好き。」
「私もだよ。離れていても、お前達を想っている。」
ミアはえへへと笑い、零れ落ちた涙は、花の香りの湯へ溶けた。
風呂から上がった二人を待っていたのは、笑顔のマーナと五人の侍女だった。全員、うきうきとやけに楽しそうに笑っている。
「うんと、綺麗にして差し上げますわ!」
「え?あの?ヴィー?」
「何故こんなにいるんだ?私は騎士服が良いと言ったのに。」
「騎士の服を王女殿下が纏うなど許されるはずが無いでしょう?シルヴィア様もドレスに慣れて頂かないと!」
「ケチくさいな。ライなら借してくれるんじゃないか?」
「そもそもサイズが合いません!諦めて下さいませ!」
えー、と不満気な声を上げたヴィーと、状況が飲み込めていないミアは侍女達に囲まれて、されるがままにドレスを着付けられ、髪を結われ、化粧を施されたのだった。
ミアのドレスは瞳に合わせた若葉色。胸元はスクエアカットで、長い袖はラッパ型に広がっている。胸元と裾の部分には濃い緑の糸で刺繍が施されていた。豊かな赤毛は複雑に編み込まれて纏められ、自分では再現出来ないなと心の中でミアは思う。
「元が美しいから、やはり似合うな。」
完成したミアの姿を嬉しそうに眺めているヴィーもドレスを着せられている。淡いすみれ色で形はミアと同じ。違うのは刺繍の柄と色で、ドレスの下に短剣とナイフが仕込まれているのをミアは目撃した。腰まであるプラチナブロンドの髪は左側に纏めて緩い編み込みをされ、濃い紫のリボンが一緒に編まれている。
「ミア、腹は減ったか?」
「んー?紅茶とお菓子をさっき食べたからな。食べるならしょっぱい物かな。」
昼を少し過ぎた頃。いつもならばとっくに昼食は済ませている時間だが、紅茶とお菓子のお陰で空腹は感じていない。
「ネスはザッカスに任せている。もう一人客人を招いているんだ。彼女と共に外で食べないか?」
「お客さん?」
首を傾げたミアの耳にノックが聞こえ、頃合いを見計らったかのように客人の訪れが告げられた。ヴィーが許可を出すと、金茶の髪に緑の瞳で、ふんわりとした黄色いドレス姿のお姫様が姿を現した。
「シルヴィア王女殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。お招きに預かり、光栄でございます。」
「あぁ、レミノア姫。ミアが緊張してしまう、堅いのは無しだ。ミア、彼女はライの妹だよ。」
「え、えぇ?!は、はじめまして、ミアです!踊り子をしています!」
ぺこりとお辞儀したミアの頭の中は大混乱だ。ライはバークリンの王子様で、その妹ならばお姫様だなと納得はしたが、どう話したらいいのかがわからない。だけれどそんな葛藤は、レミノアが吹っ飛ばした。
「まー!ミアさんね!わたくし、あなたの舞を見ましたわ!とっても妖艶で、お美しかったです!お会い出来て嬉しいわ!」
「あ、ありがとう、ございます。」
「どうか緊張なさらないで?兄上とも仲良しなのでしょう?」
「ライ、オネル様には、良くして頂いています。」
「あら、気にしないでいつもの呼び方で構わないのよ?兄上が許したんだもの。呼び方を変えると言いづらいでしょう?」
「は、はい…」
「レミノア姫、貴女が嫌でなければ、外で共に昼食はいかがかな?」
「嫌だなんて有り得ませんわ!ご令嬢方とだと堅苦しくて疲れておりましたの。国では母と兄と共に良く遠乗りに出掛けましたのよ。」
「ならば行こう。ミア、おいで。」
穏やかに微笑んだヴィーに促されて、ミアは隣に並んで部屋を出る。三人並んで歩く前には二人騎士がいて、その後ろにはマーナ。三人のすぐ後ろには昼食らしき籠を持った侍女二人と、その後ろに三人の騎士が付いて来る。これが朝ヴィーが言っていたやつかと、驚きつつもミアは納得した。
「護衛はいらないんだがな。」
ぽつりと零したヴィーの言葉に反応したのは、意外にもレミノアだった。
「わたくしにも不要なのですが、陛下は過保護なのですわ。」
「レミノア姫は他国の姫君なのだから仕方がないだろう。何処から何が来るかわからない。」
「あら、それを仰るのならシルヴィア様もではありませんこと?」
「まぁな。皆が皆好意的など有り得ない。」
ふふふふ、と笑顔で交わされる姫君達の会話に、ミアは冷や汗を流した。優雅に見えるお城という場所は、怖い場所なのかもしれない。
「お言葉ですがお二方、シルヴァン王が治めるイルネスは他国とは違いますわ。そんなに警戒なさらずとも大丈夫です。」
「だがな、マーナ、備えあれば憂い無しと言うではないか。」
「いつ何時何が来ても対応出来るよう、最悪の事態を想定しておく事は悪い事ではありませんわ。」
「まぁ冗談はこのくらいにして、ミア、怯えるな。冗談だ。」
ぽんと肩を叩かれて、ミアはびくりと肩を揺らした。視線の先のヴィーとレミノアは楽しそうに笑っている。
「つい、ミアさんの反応がお可愛いらしく、興が乗ってしまいましたわ。」
うふふふと片手で口元を隠して笑うレミノアを見て、ミアは目を丸くする。からかわれたらしいとわかり、頬を膨らませた。
「お姫様も冗談を言うんですね。」
「勿論言いますわ。日々楽しく過ごしましょうがわたくしの目標ですの。ミアさんは、日々を楽しんでいらして?」
「楽しいです。あちこち旅をして、私の舞で人が喜ぶのを見るのが好きです。」
「素敵ですわね。好きな事だから、ミアさんの舞は人を惹きつけるのですね。」
優しい笑顔で言われてミアは照れる。
旅で周った土地の話をヴィーと共にレミノアに聞かせながら歩き、一行は城の庭に出た。色とりどりの花が咲き乱れるその場所は、一座が公演したのとはまた違うようだ。
侍女二人が布を広げ、その上に昼食の用意をする。一緒に来た騎士達はそこを囲むように離れて立つ。侍女達も離れ、すぐ側にはマーナだけになって三人は靴を脱いで布の上に座った。
「ここは陛下のお気に入りのようで、よくいらっしゃるんですの。」
「あぁ、幼い頃、抜け出してよくここに来たんだ。」
懐かしそうに目を細めたヴィーは、素手で食べ物を掴んで口に運ぶ。フォークやナイフも用意されているが、使う気は無いようだ。
「わたくしも、座学やダンスのレッスンなどが嫌になると、兄上がよく連れ出して下さいましたわ。」
レミノアまでが手で食べはじめて、ミアも気にするのはやめて同じように食べる。
「ライって、優しいお兄ちゃんって感じですよね?」
「えぇ、とっても優しいですわ。でも怒る時も笑顔で、それが余計に怖いんですの。ミアさんには弟がいるのよね?」
「はい。今は騎士の訓練に参加させてもらってるんです。」
「中々筋が良いと兄上が褒めていらしたわ。」
ネスを褒められて、ミアは嬉しくてにこにこしてしまう。
女三人集まれば姦しいとはよく言ったもので、相手がお姫様だという事も忘れて、ミアはレミノアと時折口を挟むヴィーとの会話を綺麗に咲き誇る花を見ながら楽しんだ。




