番外82 森の都
眼下には見渡す限り森が広がっていた。
地図と方位磁石を見ながらハーピー達の住まう山岳地帯を越えて北東方向へ抜ければ――そこは広大な森林の広がる地。獣人達とエルフが住まうエインフェウス王国だ。
一応道も整備されているが、空から見れば深い森の中に道が垣間見えるという印象で、他の国の街道のように広々としているわけではない。
ヴェルドガルよりも北に位置するため、気候としてはやはり冷涼と言って良い。春先で肌寒く、夏で涼しく感じる程度の気候だろう。精霊の加護があるので気候の変化ぐらいは問題にはならないが、そんなことで人目を惹いてしまうのもなんなので、一応土地柄に合わせて上に重ねて着るものぐらいは用意してきている。
目立たないよう迷彩を施して高空を移動しながら、その最中に色々とエインフェウスに関する話を聞く。
「掻い摘んでではあるが、地図上ではこの位置に都。それからこれらの位置に拠点がある」
艦橋の机の上に広げられた地図に、イグナード王が小石を置いて目印にしていく。
「エインフェウスの中央部は獣王が直接治める森の都となります。大森林のあちこちに大樹や湖があって……そこには大体大きな拠点があるわけですね」
と、オルディア。
どうやらその大樹や湖のある場所がエインフェウスにとっての都市部、ということになるらしい。大森林中央――森の都には大樹と湖の、両方を示す記号的な絵が描かれている。
「そして中央から獣王と氏族長達の名代として複数の官吏を送り、地方を統治する、というわけだ」
「つまり、大きな拠点1つに数人の官吏がいるわけですか」
「そうなります。力の強い氏族が力の弱い氏族を虐げたりしないように、様々な獣人達が手を取り合って、という考えが元になっていますから、複数の氏族から官吏が選ばれます。獣人達が集まって国を作る……。これは初代獣王陛下の理念に基づいてのものなのです」
そして東の拠点に派遣されている官吏の1人がディグロフということになるわけだ。
「エルフは……エインフェウスではどういう立ち位置なのかしら?」
ローズマリーが尋ねると、レギーナが答える。
「エルフの方々も氏族の1つとしての扱いです。ただ、やや気難しい部分もありますが公平ですから、力の弱い氏族からは慕われていますね。誰に対しても態度が一貫しているので、彼らの暮らし方を理解してしまえば、付き合っていて理不尽なこともありませんから」
「それはある、かも知れんのう。エルフは外の者に対しては警戒感が強いが、一度同じ森で生きる仲間と見なして受け入れれば家族のように扱うところがある」
と、アウリアが言った。ふむ。アウリアはやや型破りではあるが、公平であるとか力の強い者に阿ったりすることがない、という点ではエルフらしいとも言えるのかも知れない。職場を抜け出したりはするが、ギルド長として敬われているのも間違いはないからな。
イグナード王が腕組みをしながら目を閉じて言う。
「まあ、そういった背景や理念もあり、獣王は氏族間の諸問題を解決するという役割があってな。いざこざを調停したり、力で勝る氏族が弱い氏族を虐げることがないように取り計らったりもする。地方に官吏を送り、暮らしやすい拠点にて様々な氏族がより良い暮らしを享受できるように目を光らせるというわけだ。エルフ達はそういう意味では獣王の果たすべき役割と方針が一致している味方、とも言えるな」
その割にエルフ達は獣王位そのものにはあまり興味がないらしく、獣王継承戦に出てくることもないのだとか。
逆に、自分の氏族だけを贔屓して権益を広げようとするような、野心的な者には邪魔な存在、かも知れない。もっとも、氏族長との合議もあるから、獣王としての立場や役割を無視した暴走はしにくくなっているという部分はあるのだろう。
通常の王家の成り立ちとはまた違う。様々な獣人達の集まりの中から生まれた王だからこそ、か。
「しかし、現実的には理念通りにとはいかない部分、なっていない部分も多い。そういった部分をできるだけ是正してきたつもりではあるのだがな」
と、イグナード王は若干悩んでいる様子ではある。敵の言い分というか大義名分としては……イグナード王が力の弱い氏族に肩入れし過ぎて武力が衰退する、というものだったか。
外にあまり情報の出ないエインフェウスについて、俺達は客観的な評価を述べるというのは難しい。イグナード王自身としては敵の掲げた大義名分が、本当に当てはまっているかどうか、気にしてしまうところがある、というわけだ。
「僕達はエインフェウス国内の事情について詳しいわけではありませんが。もし連中の言い分が正当なものであるなら、別の方法での問題提起もできたはずです」
特に獣王の理念や氏族長との合議を行っているのなら尚更だ。獣王が強すぎて意見が言えない、という風潮ではないように思える。
「誘拐して人質を取るなんて方法を選んでいる時点で、その主張が共感を集められるものではないと、彼らも分かっているのでしょう」
クラウディアが目を閉じて言う。俺やみんなもその言葉に同意するように頷いた。
「……そうだな。少々気弱だったかも知れぬ」
と、イグナード王が苦笑して頷くと、オルディアとレギーナも穏やかに笑った。
そんな相手の言い分をも聞いて自分の執政が正しいのかと顧みることができるイグナード王とでは……比べるべくもないだろう。在位が長いだけで偉大な獣王とは呼ばれることもあるまい。
そして仮に、連中の目的が獣王ではなくオルディアにあるというのなら尚の事。建前以外の何物でもないしな。
オルディアの能力を目的としている場合……か。その可能性を視野に入れて動かないとな。
そうしてあれこれとエインフェウスの国内事情等々の話をしながら進んでいくと――やがて眼下に広がる森林の彼方に一際大きな巨木と透き通るような湖が見えてくる。
「また……凄い巨木ですね」
月光神殿の霊樹とはまた違うが……スケール感としては似たようなところがあるかな。森の都の名に相応しく、都市部と森とが完全に一体化しているようだ。
巨木に寄り添うように聳える城も見えてくる。何というか……建材としては石ではあるのだろうが、あちこち蔦や苔が絡んで森と一体化したような印象の城ではあるが。
「あれが森の都レステンベルグです」
と、オルディアが言った。
「一旦レステンベルグに立ち寄り、氏族長達に話をしてから東部へ赴く形になるか。通常であるならば、官吏であるディグロフも東から動いていないはずであるからな」
「そうですね。副官のホークマンの話によれば、東部まで彼らが竜籠で向かう予定だったとのことですので」
「氏族長達は、信用して大丈夫な方々なのですか?」
グレイスが尋ねるとイグナード王は少し思案した後に頷く。
「基本的には儂の方針に賛同や協力をしてくれている。政策の段階にまで行くと意見の細かな違いが出て来ぬわけではないが、それをして深刻な対立とまではいかぬな」
「確かに……合議制で言いたい事があるなら、方針の段階で問題提起をしそうですね」
そうだな。力の強い氏族が軽んじられて国力の衰退を招く、というのは将来における可能性の話でしかない。国の中枢に働きかけられる立場にあって、本当に危惧しているというのなら、尚更イグナード王に主張して是正できるよう働きかけるべきなのだ。
けれどそうはしなかった、という時点で、氏族長までは関わりがないだとか、或いはディグロフ達がわずかでも正当性を唱えるためにでっち上げた建前に過ぎないのではないかと、俺は思う。
多数の氏族長が陰謀に加担している、ということもあるまい。ディグロフに話を聞くというコンセンサスを作るなら、氏族長達に明かして話を通しておくというのはどうしても必要になる。
まずは……俺達もヴェルドガル王国からの付き添いとして氏族長達に挨拶をしてくるか。
シリウス号は城の近くの湖のほとりに停泊させれば大丈夫とのことなので、誘導に従ってそちらへと向かい、少し離れた場所から迷彩を解いて姿を現し、ゆっくりと高度を落としていくのであった。