第五十七話「妹侍女の生まれた日」
ここはシーローン王国にある小さな町。
そこにある宿。
アスラに行くにしても、ミリスに行くにしても、この町までは一緒。
ここで道が別れる。
ゆえに、ここでリーリャたちと別れる事となる。
俺はテーブルを挟んで、リーリャと向かい合っていた。
窓の外から、アイシャとエリスの話し声が聞こえる。
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「そうよ! ルー……カイヌシは凄いんだから!
本気だせば雨がザーザー降る森もカッチカチに凍らせたりできるしね!」
「それは魔術なんですか! 凄いです!」
「もちろんよ! それよりもっと凄い話もあるんだから、聞く?」
「聞かせてください!」
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エリスはカイヌシさんの偉業について自慢げに語っているようだ。
俺はそんな会話に苦笑しつつ、リーリャに意識を向けた。
彼女はテーブルを挟んだ向かい側に座っている。
彼女とは、昔からポツポツと話をした程度だ。
さて、何を話すべきなのか。
迷っていると、リーリャの方から話しかけてきた。
「改めて、お礼を申し上げます、ルーデウス様。
一度ならず二度までも命をお救い頂き、感激の念にたえません」
「やめてください。今回、僕は何もしてません」
「いいえ、ルーデウス様がかすかな筋から情報を得て、
わざわざシーローンへと寄ってくれたと聞き及んでいます」
リーリャはそう言って、深々と頭を下げている。
俺は人神の言うとおりにしただけだ。
その後は、本当に何も出来なかった。
無様に罠に嵌り、助けだされただけだ。
これで感謝しろなんて言えたら、生前の俺はもっと大物になれたはずだ。
「ルイジェルドとエリスに感謝してください。
彼らがうまい具合に動いてくれたから、スムーズに事が終わったんです」
「彼らとも少し話をしましたが、全てはルーデウス様の策略だと……」
「そんなわけないでしょう」
「…………ルーデウス様がそうおっしゃるのであれば」
不満そうだ。
俺は黒を白と言えなんて言ってないはずだ。
「時に、アイシャは何か失礼なことはしませんでしたか?」
リーリャは窓の外をチラリと見て、そんなポツリとそんな事を聞いてきた。
「全然。優秀な子ですね。六歳であそこまで考えて行動できるなんて普通はできませんよ」
まあ、ちょっとツメが甘かったようだけど。
黙っておこう。
俺も人のことは言えないしな。
「ルーデウス様ほどではありません……。
この数年で、できる限りのことは教えたつもりですが。
未だにルーデウス様の素晴らしさを分からない愚鈍な娘です」
「愚鈍は言い過ぎでしょう」
大体、俺は例外だ。
生前の記憶を持っているからな。
うちの妹もその可能性はあるのかと思ったが、
試しにテレビやら携帯やらの存在について聞いてみても、きょとんとされるだけだった。
妹は単に天才なだけなのだ。
パウロの遺伝子ってのは案外凄いね。
「ルーデウス様。アイシャをどう思いますか?」
ふとリーリャが、思いついたように聞いてくる。
「え? だから、優秀ですと」
「そうではなく、見た目です」
「可愛いと思いますが」
「私の娘です、成長すれば胸も大きくなるでしょう」
ほう、胸が……?
いやいや。妹の胸になんざ興味はない。
というか、なんだ、なんの話をしているんだ。
「ルーデウス様。アスラへと旅を続けるのなら、
是非ともアイシャを連れていってください。
私は旦那様の所に行かなければなりませんが、
アイシャの方はそちらに付いて行っても大丈夫でしょう?」
「理由を聞いても?」
俺は反射的に聞き返した。
「ルーデウス様。アイシャには常日頃から、将来はルーデウス様に仕えるのだ、と教えています」
「らしいですね」
「娘には、私の知る、ありとあらゆることを教えてきました。
今はまだ幼いですが、四年もすれば男好きのするいい体になるでしょう」
男好きて。
「ちょっとまってください。彼女は妹ですよ?」
「ルーデウス様が女好きなのは、存じております」
存じておりますか、そうですか。
でもな。
どうやら、生前と違って、血のつながった相手にはあんまり欲情しないみたいなんだ。
だから、アイシャが育ったよ、さぁ食べちゃってね、と言われても困るのだ。
と、まあ、そういう理由も本音の一つだが。
本音はもう一つ。
「あの子は、まだ六歳でしょう? 親と一緒にいるべき年齢です」
「…………ルーデウス様がそうおっしゃるのであれば」
リーリャはガッカリしていた。
俺は間違ったことは言ってないはずだ。
アイシャは幼い。親と一緒にいた方がいいだろ?
あくまで日本人としての感覚だが、小さい頃は父と母、両方と一緒にいるのが望ましい。
どちらかだけでもいいとは思うが、どちらもいないのはダメだろう。
「承知いたしました。確かに、まだアイシャは未熟。
未熟な者をルーデウス様の供にするわけにはいきませんね」
「あの、あんまり変なこと教えないでくださいよ?
その、変態がどうとか」
「私はルーデウス様が素晴らしいお方だとしか伝えておりません」
「そのせいで、やや反発しているようですが……」
「そうですね。まあ、今だけですよ」
リーリャはふふっと笑い、顔を上げた。
晴れやかな顔だ。
アイシャは連れていけない。
だが、俺はもう大切なものをリーリャから受け取っている。
その片方は革紐を通して俺の首にぶら下がり、
もう片方は箱に入れて大切に保管されている。
二度と手放したりはしない。
「このペンダント(とパンツ)、ありがとうございます」
「いいえ、ルーデウス様にとって大切なものだと聞き及んでおりましたので」
口に出していない部分も汲んでくれた。
リーリャには本当に世話になる。
「……あの、やっぱりパンツを持っていると変態とおもわれるでしょうか?」
「変態? それはアイシャに言われたのですか?」
リーリャがガタッと立ち上がった。
どうどう、ストップストップ。
座らせる。
リーリャは小さくため息をついた。
「あの子は比較的自由に城内を動けたので、
誰かに変なことを吹きこまれたのでしょう」
変なことか、うん。
そうだな、変なことだ。
「パンツぐらいで変態などと言っていては、アスラ王宮に勤めたらどうなってしまうのか……」
「アスラ王宮、ですか? そういえば、昔後宮に務めていたそうですね」
「はい。あそこに比べれば、旦那様やルーデウス様など変態の内に入りません」
「そう、ですか……」
俺は自分のことはそれなりにアレだと自覚しているが、
そうか……それ以上か。
アスラ王宮ってのはそういう所なのか。
考えてみれば、辺境貴族ですらケモナーだったりするもんな。
いや、グレイラット家にかぎらず、
シーローン王家もひどいもんだった。
「中には女性のおりも」
「いえ、具体的な描写はいいです」
これ以上はいけない。
「とにかく、王侯貴族の方は倒錯した趣味を持つ方が多いのです。
それに比べれば、あこがれの方の下着に興味を持つことなど普通です」
リーリャは遠い目をしていた。
きっと、嫌なことを思い出しているのだろう。
「父様には、よろしく言っておいてください」
「承知いたしました」
「あ、路銀は渡しておきますが、足りなくなりそうなら冒険者ギルドで父様の部下を探してください」
「承知いたしました」
「護衛の兵士は信用できると思いますが、
知らない相手なのでくれぐれも気をつけてください」
「問題ありません。皆顔見知りでした」
「あ、そうですか、ええと……」
「ルーデウス様」
あれこれ考えていると、リーリャがふと立ち上がり、こちらに歩いてきた。
そして、俺の頭を胸に抱いた。
彼女の豊満な胸が俺の顔に押し付けられる。
思わず鼻息が荒くなった。
「あの、リーリャさん、当たってますよ?」
「ルーデウス様は、昔から変わりませんね」
リーリャはそう言って、くすりと笑った。
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翌日。
出発直前。
俺はエリスやルイジェルドと、馬車に不備が無いかの最終点検をしていた。
道中で壊れたら困るしな。
リーリャたちは先に出るようだ。
あっちには馬車の修理ができる人もいるらしい。
俺も暇があったら習ったほうがいいのだろうか。
「カイヌシさん、カイヌシさん!」
アイシャが小走りでやってきた。
「なんですか?」
「ちょっと」
と、俺の裾を引っ張って、どこかへと連れて行こうとする。
なんだろう。
とりあえず、ルイジェルドに目配せをして、付いて行くことにする。
連れて行かれたのは、道端の茂み。
アイシャはしゃがみ、俺にも座るようにとジェスチャ。
しゃがむ。
まるで内緒話だ。
いや、内緒話なのか。
「カイヌシさん、実は内密にお願いがあるのですが」
「お願いですか? 僕に出来ることなら」
可愛い妹の頼みなら、なるべく叶えてやりたい。
ノルンには嫌われたが、アイシャには嫌われたくないからな。
今の所は好感触だが、しかしそれは俺がカイヌシさんだからだ。
兄と打ち明ければゴミを見るような目で見てくるだろう。
「どうか、あたしを旅の仲間に加えてください……!」
そんな事を言われ、俺は目が点になった。
…………リーリャか。
「それ、お母さんに言われたんですか?」
自分が頼んでダメだと思えば、今度は娘の泣き落とし作戦にきたか。
意外とやるね、あの人も。
「いいえ、お母様がいいって言うわけないです」
「ん?」
あれ。
先日の話だとリーリャは俺についていかせたいという話だが……。
どういう事だ?
「お母様は、日頃から言っているんです。
あたしは将来、腹違いの兄に仕える事になるのだと」
「言ってましたね」
「ですが!」
アイシャは、ドンと拳を地面にたたきつけた。
「あたしはゴメンです!」
よほど俺の事がゴメンらしい。
パンツに興奮するからだろうか。
ゴメンなさい。
「先日も話しましたよね。
兄は変態なんです。
カイヌシさんの言うことはわかりますが、あたしはそんな人に仕えるなんて絶対に嫌です」
「そうですか……」
そこまでいうことはないと思うんだがなぁ。
「是非とも、あたしを救ってください。
先日、救ってくれたように。
変態の魔の手から、颯爽と!」
「お断りします」
冗談じゃない。
一緒に旅なんかしたら、名前がバレるじゃないか。
バレた時に嘘をついてたなんて知れたら……。
あれ?
でも家族だし、いつかはバレるよな?
「なんでですか! 変態なんですよ!」
「それは、君の想像であって、真実ではありません」
よし。ここで、少し誤解を解いておくことにしよう。
リーリャにまかせておいたら、きっといつまで経っても変態のままだからな。
王宮にはもっと凄いのがいたといっても、
実際に見なければわからんよ。
「実際に会ったことはないんでしょう?」
「でも、パンツは確かにあったんです!」
「何か、理由があったのかもしれません」
「パンツを大事にする理由ってなんですか!?」
なんで、なんでって言われてもな。
ほら、例えば某宗教だと、聖人の身に着けていたものは御神体として崇めるだろ?
ましてパンツだぜ?
ロキシーがソロプレイに使った時のパンツだぜ?
一流のプレイヤーのアイテムだぜ?
シーンに注目するリスナーなら、どうする?
そりゃ後生大事にとっておくさ!
うちの宗派のモットーは、性欲も勉強も大事にしましょう。
エロスタディのダブルスタンダードだ。
ま、それはさておき。
「その、ロキシーという人は、お兄さんの家庭教師なんですよね?」
「はい」
「ということは、お兄さんに多大な影響を与えたはずです」
「そうでしょうか……」
そうとも、俺が言うんだから間違いない。
20年近く出来なかった事を、出来るようにしてくれた人だもん。
俺がこうして生きているのは、彼女のおかげだもん。
「そんな人の身に着けていたものなら、
なるべく持っておきたい、と思うのではないでしょうか」
「うーん……」
納得行ってないようだな。
では、先程命を助けてくれたカイヌシさんの所持品を上げてみよう。
俺は懐から、一つのものを取り出す。
「この鉢金は、僕がずっと使っているものです」
「なんですか、いきなり」
「これを差し上げましょう」
俺は荷物から鉢金を取り出し、彼女に手渡した。
昔、リカリスの町で購入したものだ。
洗濯はしているが、結構使っているため、俺の汗が染み込んでいると言えよう。
それを手にすると、彼女は少しハッとした顔になった。。
「あ! なんか、わかります」
「言葉ではなく、心で理解できましたか?」
「はい、出来ました! 兄は変態じゃなかったんですね!」
というわけで。
俺は古くなった鉢金を、手放す事にした。
この子、チョロイな。
「カイヌシさんは本当に良い人ですね!」
「それほどでもないですよ」
キラッと、ルーデウスマイル。
アイシャは俺をきらきらした目で見ていたが、
ふと気づいたように、「あ、そうだ」とつぶやいた。
「今、兄は行方不明なんですが。
もしどこかで死んでたら、カイヌシさんに仕えさせてくれませんか?」
「いや、それは、どうでしょう」
「ダメですか? お母様を見ればわかると思いますけど、
あたし、結構育つと思いますよ! 男好きのする体に!」
「男好きって、意味わかって言ってます?」
「子作りをしたくなる体ってことですよね!」
「子供が子作りとか言っちゃいけません」
大きなお友だちに攫われて、お赤飯の日すら消滅させられますよ。
まったく、誰だそんなことを教えたのは。
「どうしてもダメですか……?
私のこと、嫌いですか?」
目をうるませる妹。
うーむ、可愛い。
もちろん嫌いじゃない。
「わかりました、お兄さんが見つからなかったら、いいですよ」
「ほんとうですか?」
騙すようで心苦しい。
彼女が成長する頃には旅も終わり、また家族で仲良く暮らせるようになっているだろう。
「じゃあ、変態って言ったことは怒ってないんですね?」
「ええ、もちろ…………え?」
なんつった、今。
「ありがとうお兄ちゃん!」
最後に、彼女はそう言って、バッと立ち上がった。
そのまま三人の護衛の待つ馬車へと走っていく。
俺が呆然としていると、馬車が進みだす。
アイシャは手を振り、リーリャもぺこりと頭を下げる。
そして、最後に。
「じゃあね、お兄ちゃん! また会おうね! 約束だよ!」
馬車が行く。
それを見届けて、俺も自分の馬車に戻った。
まだ呆然としている。
エリスがしらけた顔で言った。
「なによ、やっぱりバレバレじゃないのよ」
「あ、あれぇ……?」
ルイジェルドが馬の手綱を引いた。
馬車が動き出す。
そもそも、考えてみれば、気付かれる場面は多かった。
最初に名前を呼んでしまったし、
その後もエリスやルイジェルドと話している時、
彼らがふとルーデウスと洩らした時もあったはずだ。
すでにバレていたのだ。
では……なぜ知らないフリを?
考え、考え。
すぐに答えが出た。
おそらく彼女は、兄を信頼できる人物か、見極めようとしたのだろう。
俺があそこでカイヌシと偽ったまま彼女を連れて行こうとすれば、
彼女は俺を見限っていたに違いない。
「ははっ」
それに気づいて、俺は笑った。
アイシャは本当に賢く、聡い子だ。
将来が楽しみである。




