第百四十四話「空中城塞」
魔法都市シャリーアから北に歩いて半日。
馬車で小一時間もかからない場所。
そこに、遺跡があった。
遺跡というか、砦の跡だな。
地面には石畳の名残のような瓦礫がゴロゴロしており、太い石柱が横たわっている。
パルテノン神殿を、さらに崩したような感じだろうか。
立派な建物だったのは間違いあるまい。
歴史の感じられる遺跡だ。
「スコット城塞の跡ですね。
ラプラス戦役の時に人族が建築したもので、
魔族侵攻の際に数千の人族が立てこもって抵抗したそうです。
最後には力及ばず、攻め落とされてしまったとか」
俺の隣でそんな説明をしたのは、綺麗な金髪を編み込んだ女性。
清楚な見た目に、高価そうな旅装をして、遠目にもカリスマを感じさせる人物。
アリエル・アネモイ・アスラである。
「……」
もしかして、俺に話しかけたのだろうか。
そう思って周囲を見る。
すぐ後ろに、ルークとシルフィがいる。
さらにその後ろから、ロキシー、ザノバ、クリフ、エリナリーゼの四人がついてきている。
前にはナナホシ。
アリエルの視線は俺を向いており、俺との間には誰もいない。
「アリエル様、よくご存知ですね」
無視をするのも失礼だろう。
そう思って答えると、アリエルはふわりと柔らかく微笑んだ。
「このあたりの民謡にもよく出てくる場所ですからね」
「民謡に興味があるんですか?」
「このあたりの貴族の方々と仲良くするには、そうした事も必要ですからね」
アリエルはすまし顔で答えた。
貴族と仲良くするためには、昔話も覚えなきゃいけないらしい。
ご苦労なことだ。
「しかし、本当にこんな所から行けるのでしょうか。ペルギウス様の所へは」
「さて、どうやって移動するかはわかりませんが……」
俺は前を歩くナナホシを見る。
大きなバックパックを背負った彼女は、地面の瓦礫のせいで歩きにくそうだが、脇目もふらず、まっすぐに歩いている。
言われるがまま付いてきたが、本当にここから行くつもりなのだろうか。
確か、ここは例の転移魔法陣のノートには載っていなかったと思うが。
それとも、ノートに書いていないだけで、転移魔法陣があるのだろうか。
「これだけ大人数で押しかけて迷惑に思われないか、俺としてはそっちの方が心配ですね」
そう言うと、アリエルはコロコロと笑った。
「ルーデウス様は変わった事を言いますね。
相手は仮にも『王』の名を頂く、英雄ですよ?
これぐらいの人数を迷惑に思うなど」
「そうですかね……」
ちらりと後ろを振り返る。
俺、ナナホシ、アリエル、シルフィ、ルーク、ロキシー、ザノバ、クリフ、エリナリーゼ。
総勢九名。
大所帯に思えるが、王族から見ると、そうでもないのか。
王族だと十人単位で客が来るだろうし、客数が一桁のうちはまだまだ余裕か。
ちなみに、ノルンは学校でやることが多いからと辞退した。
生徒会も剣術も頑張ると言ったばかりだから、遠慮したのかもしれない。
まあ、彼女を連れてくるとなれば、アイシャも連れてくる事になっただろうから、いいとしよう。
「ペルギウス様は隠遁生活を送っておられますが、ラプラス戦役後はしばらくアスラ王国に住み、アスラ王とも対等の立場にあったと言われています。
何十、何百という侍従を従えてアスラ王宮に訪問したこともあるとか。
そうした方が、たかだか九名程度の客人を迷惑に思うとは思えません」
「そういうもんですかね」
アリエルの声は魔性だ、耳当たりが良すぎる。
突然押しかけて迷惑じゃないはずがないのに、アリエルに言われると本当に大丈夫な気がしてくる。
「……王宮の生活に嫌気がさしたのなら、客人自体を嫌がるかもしれませんよ」
「そうですね。ですが、本当に嫌なら、ナナホシ様も私が付いてくる事を良しとはしないでしょう」
「ナナホシはあんまりそういう事は考えていないと思いますが」
そう言いつつ、俺はアリエルがこの場にいる理由について思い出していた。
あの時、ナナホシからペルギウスの名前が出てきた時、俺は年甲斐もなくワクワクしていた。
『甲龍王』ペルギウス。
彼の事は俺も知っている。
この世界にきてすぐの頃に、本で読んだ。
400年前のラプラス戦役の英雄だ。
本によると12体の使い魔を操り、古の空中城塞を復活させ、何人もの仲間と共にラプラスと戦ったとある。
ラプラスを封印した後、彼の功績をたたえて今のこの世界の暦『甲龍歴』が使われるようになったのだ。
『甲龍王』ペルギウスは、王として君臨も統治もすることなく、今もなお空中城塞ケィオスブレイカーで世界中の空を飛び回っている。
そんな人物に会えるのだ。ワクワクもするだろう。
なにせ、あの空中に浮いている、城に行けるのだ。
ラピ○タに!
子育てや研究で忙しいのは確かだ。
しかし、行ってみたい。
純粋に行ってみたい。
ごめんルーシー。お父さん、好奇心には勝てなかったよ。
でも、必ずおみやげもらってくるからね。
シルフィは、そんな利己的な考えを持った俺と対照的だった。
彼女はナナホシにある事を進言したのだ。
「アリエル様も連れていってもらえますか?」
「アリエルを?」
ナナホシは渋い顔をしていた。
彼女はアリエルから、何度も勧誘を受けている。
ナナホシはアスラ王国とラノア王国間の流通に太いパイプを持っているし、仲間に引き入れておきたかったのだろう。
もっとも、ナナホシはこの世界にあまり関わりたくないので、鬱陶しそうにしているだけだったが。
「はい、ペルギウス様は隠遁して長く経ちますけど、アスラ王宮ではいまだに一目置かれている人物だって聞いた事があります。アリエル様は、その……今後の事も考えると、そういった人には会っておきたいと思うんです」
アリエルは各所にコネを持っている。
それは後々にアスラ王国の王位を手に入れるためのものだ。
実際に王位を取れるかどうかは分からず、かなり厳しい戦いになるらしい。
アリエルが一年後、卒業してどうするつもりかは分からない。
まだ力を蓄えるのか、それともアスラに戻って一戦交えるのか。
家族に危害が及ばない範囲でなら手伝ってもいいが、
そのへんは俺としても立ち位置は未定だ。
ゴタゴタには巻き込まれたくないというのが本音だが、妻の職場であるため手伝ってやりたい気持ちもある。
もっとも、アリエル自身はシルフィをアスラ王国に連れて行くつもりはあまり無いらしい。
シルフィも子供が生まれたし、ルーシーを置いて死地に赴くつもりは無いだろう。
かといって、じゃあバイバイという感じでもなく、今のうちにアリエルの力になりそうな事をあれこれとやってはいるようだ。
今回の提案も、その一環だろう。
戦いにおいて、コネとは非常に重要なものだ。
特に、アスラ王国でも一目置かれている英雄『甲龍王ペルギウス』の後ろ盾を手に入れられれば、アリエルのアスラ王国王位争奪戦は想定していたものよりグッと楽になるだろう。
「まあ、あなたには世話になったし。いいわよ、連れてきても」
断ると思ったが、ナナホシは許可を出した。
後から聞いた話になるが、ナナホシは俺がいない間、かなりシルフィに世話になっていたらしい。
料理のおすそ分けに、衣料品の調達、病気になった時の解毒なんかも。
子供が生まれてからというもの、滅多に来なくなったが、風呂にもよく入りにきていたのだそうだ。
「本当? ありがとう。アリエル様、喜ぶぞ……」
シルフィはぐっと拳を握り、嬉しそうに笑っていた。
そうした経緯でアリエルとルークが一行に加わった。
シルフィの話によると、アリエルは珍しくはしゃいだらしい。
有名人に会えると知れば、どこのどなたでもあまり変わらないというわけだ。
俺もはしゃいだもんなぁ。
なんていうか、本物の英雄だし。
どんな人物か楽しみだ。
気むずかしい人でなければいいが。
……そういえば、思い出した。
かなり昔に、一度ペルギウスの配下と会った事があった。
転移事件の直前の話だ。
光輝のアルマンフィ。
確か、俺を転移事件の首謀者と見て、いきなり襲いかかってきたんだったか。
ギレーヌが説得すると矛を収めてくれたし、悪い人ではなかったように記憶しているが、いきなり殺そうとするあたりに危機的なものを感じたのは確かだ。
もしかすると主人のペルギウスも危ない人なのだろうか。
ちょっと不安だ。
いや、配下が危ないからって、主人まで危ないとは限らない。
それに、もしペルギウスがあの転移事件で何が起こるかを予想し、事前に察知して阻止しようとしたのだとすれば……。
行動としては、むしろ褒められるべきだ。
でも殺されかけたのは……。
まあいいか、昔の事だ。
水に流そう。うん。
初めて会う相手に喧嘩腰じゃいかんよな。
相手を許す心が大事だよ。
「ついたわ」
なんて考えていると、ナナホシが遺跡のちょうど中心あたりで足を止めた。
何もない場所だ。
と、思ったが、よく見ると腰掛けに最適な石が一つ埋まっていた。
石碑だ。
七大列強の石碑。
恐ろしい力を秘めた者達の紋章がボンヤリと光る、石碑。
世界の各所にあるらしいが、ここにもあったのか。
だが、魔法陣の類はない。
まさか、七大列強の石碑がワープ装置って事はないだろうな。
石碑の前で呪文を唱えると、別の石碑にテレポートできるとか。
「ここでどうするんだ?」
「呼ぶわ」
ナナホシはそう言うと、バックパックをおろして、中から金属製の笛を取り出した。
音色を奏でるための穴がない。いわゆるホイッスルだ。
ナナホシはそれを口に加えると、大きく息を吹き込んだ。
フスーッ!
音は鳴らなかった。
ただ、息が漏れる音だけが響いた。
犬笛か何かだろうか。
「音が鳴ってないぞ?」
クリフが怪訝そうに聞いてくる。
「人には聞こえない音が鳴ったのよ。これで、少ししたら来るはずよ」
ナナホシはそう言って、近くの石に腰をおろした。
人には聞こえない音。
それがペルギウスの所に届くのか。
普通なら届かないだろう。
ってことは、あの笛は魔力付与品か。
「クリフ」
ふと、エリナリーゼが真面目な顔でクリフを呼んだ。
「なんだ?」
「今のうちに言っておきますわ。
もしかすると、行った先で馬鹿にされるかもしれませんけれど、
決して声を荒げて罵倒し返したらいけませんわよ?」
「…………わかってるよ。僕だってもう子供じゃないんだから」
クリフは勉強をしろと言われた子供のように口を尖らせた。
エリナリーゼはそんなクリフにしなだれ掛かり、耳元で何かを囁いた。
クリフの表情が緩んだ所を見ると、謝罪か愛でも囁いたのだろう。
「かの空中城塞には、どんな像が飾られているのか、今から楽しみでなりませんな!」
ザノバはいつも通りだ。
こいつはペルギウスの所に行けるとわかった瞬間、「ではペルギウス様にも、我らの所業を聞いてもらいましょうか」と、俺の作ったルイジェルド人形や、その他幾つかのフィギュアを箱に詰めて、荷物にまとめた。
そんなチャンスがあるかどうかは分からないが、俺がバーディガーディにそうしたように、営業をしてくれるらしい。
仕事熱心な事である。
ちなみに、この場にジンジャーはいない。
ジンジャーは、俺の家族の護衛をしてくれている。
ザノバの命令でだ。
ジンジャーはザノバに付いてきたかったろうに。
まあ、俺としても家族の面倒を見てくれる人が一人でも多ければ安心できるってもんだ。
そう長いこと留守にするつもりはないが。
「あんまり好みを押し付けるなよ、なにせ向こうは400年も生きている人なんだから」
「ははは、バーディ陛下はもっと長生きではござらんか。長く生きていて、師匠の人形の良さのわからぬ者はおりませぬよ」
「そうかなぁ……ん?」
遠くの空で、何かが光った。
「きたわね」
ナナホシがそう呟いた次の瞬間。
そいつは姿を現した。
まさに、いつの間にかとしか言えないぐらい、唐突に。
金髪に、白い学生服のようなカッチリした前留めの服、ズボン。
おそらくイケメンであろう顔は、黄色い仮面に隠されている。
キツネに似た動物をモチーフにした仮面。
腰には、大振りのダガーが下げられている。
「光輝のアルマンフィ。参上」
本当に、唐突だった。いきなり出現したような感じで、俺達の中心にポンと立っていた。
恐らく、飛んできたのだろう。
光の速度で、あの空中城塞から。
あの時もそうだった。
フィットア領消滅直前の時も。
「……」
ふと、アルマンフィがこちらを向いた。
俺の事は覚えているのだろうか。
いつぞやのように襲い掛かられるのは怖い。
密かに魔眼を開眼し、杖を握りしめる。
しかし、アルマンフィは俺の事など覚えていなかったらしい。
特に留意することなく、ナナホシの前へと歩いていった。
「……多いな。ずいぶんと」
周囲を見渡し、アルマンフィはナナホシに向かって話しかけた。
ナナホシは「ええ」と頷いた。
「問題ないでしょう? 12人まではいいって言ってたし」
「人数はかまわぬ、だが……」
アルマンフィはそこまで言うと、ロキシーを見た。
「魔族はダメだ」
「えっ、な、なんでですか?」
ロキシーは冷水を浴びせられた猫のような顔をした。
「魔族を我らが空中城塞に入れるわけにはいかん」
「そ、そうですか」
ロキシーは打ちひしがれたように、ションボリと肩を落とした。
ペルギウスはラプラス戦役で魔族と戦争をしていた。
やはり、魔族に対しては思う所があるのだろうか。
「どうにかならないの?」
「ペルギウス様は寛大なお方ではあるが、魔族はお嫌いだ」
ここらでは魔族差別もあまり無いので忘れていたが、風潮は残っている。
ペルギウスは伝説の人物とはいえ、戦争の当事者だ。
ルイジェルドと同じように、戦争中の何かを引きずっているのかもしれない。
でも、ロキシーだけ来れない、というのは少々かわいそうだな。
「いえ、いいんです。そういう事でしたら、わたしは留守番をしています。元々、ペルギウス……様、に会うのは怖かったですし、教師の仕事もありましたし、丁度いいでしょう」
ロキシーは肩を落としつつも、あっさりと諦めた。
しかし、行って見たいという気持ちはあったのだろう、残念そうだった。
彼女は俺の方を向いて苦笑した。
「ルディ。家のことは任せておいてください」
「わかった。お土産、もらってくるから……」
「お土産はいりません。帰ってきた時にギュっとしてくれれば、それでいいです」
今、してやった。
ゆっくりと10秒ほど、ロキシーの心臓の音が早鐘を打ち始め、俺のアトミックバズーカに核弾頭が装弾される前に離した。
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
ロキシーは居心地が悪そうに顔を赤らめつつも、しかし満足気に口元を歪ませて、俺達から少し離れた。
帰ったら、もっとイチャつこう。
「済んだか? 話は」
俺がロキシーとの別れを済ませている間に、アルマンフィが近くに来ていた。
彼はバトンのような棒を俺に差し出した。
見ると、他の面々も同じものを手にしていた。
「持て」
俺は言われるがまま、それを受け取る。
二十センチ程度の金属の棒で、表面には複雑な文様が刻まれている。
両端についているのは、魔力結晶か。
恐らく、魔道具だ。
「持ってどうするんですか?」
「持っているだけでいい。ペルギウス様が転移魔術で空中城塞に呼び寄せる」
転移魔術って、これ転移魔術の魔道具かよ。
そんなのあんのか?
便利だな、おい。
あれ? でも人間は召喚出来ないって話じゃなかったっけか……?
いや、これは転移か。
どう違うんだか。
この棒から空中城塞までの転移、という形になるのだろうか。
「あ、帰る時はどうするんですか?」
「似たようなものだ。帰る時も」
アルマンフィは事も無げに言った。
そう言うからには、一応方法はあるのだろう。
帰りが徒歩では、ルーシーが大人になってしまうからな。
それを聞いて安心した。
「全員持ったか? きちんと素手で握りしめているように」
ナナホシは全員が頷くのを見て、アルマンフィに合図を送った。
「待たれよ。しばし」
アルマンフィは頷くと、光となって彼方へと消えていった。
これから、準備オーケーとペルギウスに伝えに行くのだろうか。
「……なんかドキドキしますね」
「そうですね」
アリエルが嬉しそうにシルフィに話しかけていた。
確かにちょっとはしゃいでいるかもしれない。
ルークも苦笑している。
それにしても転移か。
もし失敗したら、どっか変な所に飛んで行ったりするんだろうか。
怖いなぁ。
ペルギウスがどれだけ凄い人だとしても、人である以上、ミスはするだろうし。
「……おぅ?」
なんて考えていると、ふと手元の棒が熱を帯びた気がした。
手のひらを伝って、棒へと引きずり込まれるような感覚が襲ってくる。
ここで手を離せば、どうなるんだろうか。
失敗になるのだろうか。
でも、こんないきなり変化があったら、離してしまうやつもいるんじゃ……。
「あれ?」
そう思って周囲を見渡すと。
すでに誰もいなかった。
否、シルフィがこちらを見ながら消える瞬間だった。
ぽつんと残される俺とロキシー。
あれ?
置いて行かれた?
そう思った瞬間、俺の意識は棒の中に吸い込まれた。
---
気づけば、真っ白い場所を飛んでいた。
何もない、真っ白い空間。
そこを、見えない糸で引っ張られるように高速で飛んでいた。
パワーウインチで無理やり一本釣りされる魚が、こんな気分を味わうのだろうか。
前方、やや遠目に、シルフィが同じように引っ張られているのが見える。
召喚される、というのはこんな感じなのだろうか。
それにしても、この場所。
どこかで見た気がする。
どこだったか。
そうだ、人神だ。
いつもあまり記憶に残らないが、この場所は人神が夢に出てくる場所によく似ている。
一つ違う部分があるとすれば、俺の体が前世のものではない、という所か。
俺はいつものローブ姿で、空間を飛んでいく。
そして、前方に、大きな光が見えた。
光は複雑怪奇な魔法陣の形をしており、俺はそこへ吸い込まれた。
---
気づけば、地面に立っていた。
「はっ!」
唐突に眠りから覚めたような感覚。
気を失っていたのか。
いや、そんな事はない。
俺は確かに、何もない空間を飛んだ。
「これが……ペルギウスの転移魔術か」
奇妙な感覚だ。
だが、これと同じ感覚を、俺はかつて味わっている。
転移事件だ。
あの時も空を飛んでいるような感覚があった。
だが、今回はあの時とは違った。
なにより、安定感があった。
転移事件の時が暴走車から飛び降りるような感じだとすれば、今回はタクシーだ。
安全に送り届けられた、そんな感覚がある。
「……なんか、憶えのある感じだったね」
シルフィがひそひそと話しかけてくる。
やはり、彼女も同じように感じたのか。
「ああ」
俺は返事をしつつ、周囲を見渡した。
アリエル、ルーク、ザノバ、クリフ、エリナリーゼ、ナナホシ。
ナナホシとエリナリーゼ以外は全員、狐につままれたような顔をしている。
ともあれ、全員無事らしい。
「なんてでかい魔法陣なんだ……」
クリフのつぶやき。
そこでようやく、俺は自分の立っている場所に気づいた。
俺たちが立っているのは、巨大な魔法陣の上だった。
半径10メートルはあるだろうか。
陣は大理石のような綺麗な石に直接掘り込んであり、溝には水が流れ込んでいた。
水は淡い光を放っている。なんらかの魔術が掛かっているのだろう。
水はともかく、光の色は見覚えがある。ベガリットへの転移遺跡で見たものと同じだ。
つまり、これは転移魔法陣の一種だろう。
あの棒と、この水と、転移魔術には色々と準備が多いらしい。
「うっわ……」
俺の目を奪ったのは、魔法陣のさらに奥であった。
巨大な城があった。
高さにして、50階ぐらいはあるだろうか。
横幅も広く、高いだけでなく、どっしりとして見える。
奥行きはわからないが、ハリボテではあるまい。
前世の記憶を探ってみても、これだけの巨大な建築物は咄嗟に出てこない。
東京ドームの上に城を乗せたような感じだ。
これが空中城塞か。
地上から見たことはあるが……しかし、こんなにでかかったのか。
そりゃ、遠方からでも存在感があるわけだ。
「すごいね、アスラの王宮より大きいよ」
シルフィの声を聞きつつ、視線を下げていく。
城の前には、これまた広大な庭が見えた。
迷路のように植えられた木と、色とりどりの花。
庭の手前には水路があり、水が光を反射してキラキラと光っている。
遠目にも、よく手入れされているのがわかった。
「ル、ルディ……後ろ」
「おぅ?」
シルフィに言われ、後ろを振り返ってみる。
魔法陣の外側。金属製の柵のさらに外。
そこに、真っ白な雲海が広がっていた。
「雲か……」
前世では、小学生のころに一度だけ飛行機に乗った事がある。
その時の光景に似ているだろうか。
しかし、窓越しでなく肉眼で見るのは初めてだ。
雲を上から見るというのは、どうしてこう、感動するのだろうか。
登山家は、こんな感動を味わいたくて山に登るのだろうか。
「……」
クリフとルークは、揃って口を半開きにしていた。
アリエルもまた、目を丸くして眼下に広がる雲海を見ている。
言葉もなく、ただその光景に驚いているようだった。
仕方あるまい。
この世界には飛行機もなければ、山登りという概念すらないのだから。
こんな光景を見る事は、あるまい。
ふと、シルフィが俺のすそを掴んでいた。
「うぅ……ボク、高い所ニガテなんだよ」
見ると、シルフィの足は小刻みにふるえていた。
高い所が苦手だとわかっていて、空中城塞についてきたのか。
頑張るなぁ。
もし足がすくんで動けなかったら、俺が抱っこしてあげるとしよう。
「空中城塞ケィオスブレイカーからの風景は、お気に召していただけたでしょうか」
唐突に、後ろから知らない声がした。
あわてて振り返ると、そこに一人の女性がいた。
ちょうど、魔法陣のすぐ外に彫像のように立っていた。
彼女は白髪に近いブロンドを肩口までたらし、顔には白い鳥の仮面をつけていた。
美人かどうかはわからないが、体の線で女性だとわかる。
彼女は法衣のような純白の衣装を身にまとい、杖を持っていた。
透明度の低い黒い魔石が先端についた杖だ。
間違いなく、いいお値段のする杖だ。
なんでもかんでも金に結びつけるのもどうかと思うが、とにかくあれは高い杖だ。
俺の愛杖よりもずっと高いだろう。
まあ、それはいい。
彼女の外見で特筆すべきなのは、杖でも法衣でもない。
その背中だ。
驚くべきことに、彼女の背中には、漆黒の翼があった。
「天人族……?」
その翼は、圧倒的な存在感を持っていた。
だというのに、彼女のたたずまいはあまりにも静かで、存在を感じさせない。
奇妙な感じのする女だった。
俺たちの視線が集まった瞬間、その女はスッと頭を下げた。
「皆様、本日はようこそおいでくださいました」
優雅な礼であった。
礼儀作法に疎い俺でも、彼女の動きが洗練されたものであることはわかる。
「わたくしはペルギウス様の第一の僕、空虚のシルヴァリルと申します。皆様を空中城塞ケィオスブレイカーへと、ご案内させていただきます」
「自分はこちらにおわすアスラ王国第二王女の騎士、ルーク・ノトス・グレイラットと申します。ご丁寧な挨拶痛み入ります。よしなに」
即座に返礼したのはルークであった。
彼はアリエルの前に立ちつつ、シルヴァリルと名乗る女に、やわらかい笑みを向けた。
シルヴァリルのサイズは大きすぎず、小さすぎずといった感じだが、あのぐらいでも守備範囲なのだろうか。
いや、違うな。
違う、社交的ってやつだ。
「アスラ王国第二王女、アリエル・アネモイ・アスラでございます」
ルークの紹介を経て、アリエルがスカートの端をつまみ、ゆっくりとお辞儀をした。
これまた洗練された動作である。
ちょっと真似できないな。
それに釣られるように、俺たちは一人ずつ自己紹介をしていく。
クリフやザノバもかなり綺麗な礼をする。
この中では、俺が一番礼儀知らずかもしれない。
「はい、皆様、どうぞよろしくおねがいします」
シルヴァリルは内心でどう思っているのかは知らないが、丁寧に対応してくれた。
最後に、ナナホシが軽く会釈をする。
「久しぶりね、シルヴァリルさん」
「はい、ナナホシ様も……お元気ではなさそうですね」
「ちょっと調子が悪いだけよ」
二人は短くそう会話をしただけだった。
しかし和やかな雰囲気だし、問題はなさそうだ。
「それでは、こちらへどうぞ」
シルヴァリルは踵を返し、音をまったく立てない動作で歩き出した。
頭がほとんど上下しない。法衣で足元が見えにくいため、まるで幽霊のようだ。
ナナホシが当然といった顔でそれに付いていく。
俺たちは顔を見合わせつつ、それに続いた。
---
シルヴァリルは、庭をまっすぐに突っ切る道へと進んだ。
その先には、巨大な門がある。
門といっても、凱旋門のような石造りのゲートである。
その門を前にして、ザノバがうなるような声を上げた。
「うぅむ、素晴らしいレリーフですな」
人形にしか興味のないザノバではあるが、人形以外の芸術品についてもそこそこ詳しい。通じるものがあるからだろう。
対する俺にはこうした文様の良し悪しはわからないが、ザノバがいうのなら、さぞ素晴らしいものなのだろう。
なにせ、人形でないにも関わらず、感嘆の声を上げるのだから。
いわれて見てみると、なるほど、確かに素晴らしいものに見えた。
凱旋門のようなゲートは、内側にまで細かくレリーフが刻まれている。
なにせ、アーチの内側、天井にまで精緻な模様が描かれているのだ、見上げさせずにはいられない。
見上げながら歩いていると、前方からシルヴァリルの解説が聞こえてきた。
「この門は、冥龍王マクスウェル様の手によって作られました。
マクスウェル様はこうした細工や魔道建築を得手とされる方で、
現在も残るものとしては、ミリス神聖国のホワイトパレスへと掛かる――」
「うおおおぉぉ!」
唐突にザノバが叫び声をあげた。
何事かとシルヴァリルが振り返る。
「いかがなされましたか?」
「そ、そのっ! マクスウェル殿は、いまはいずこに!?」
興奮したザノバは、門のある一点を見ながら、わなわなと震えていた。
何かあるのだろうか。
そもそも、どこを見ているのかもわからないが。
「冥龍王マクスウェル様は流浪のお方。
お亡くなりでないのであれば、今も地上のどこかを彷徨い歩いていると思われます」
「そ、そうでありましたか、なんと……なんと……そんな偉大な方が……」
ザノバは興奮を隠し切れない様子だった。
大体ザノバはいつも興奮を隠していないが。
「進んでもよろしいですか?」
「お、おお、これは申し訳ない。あまりの素晴らしさに感動してしまいましてな」
「左様でございますか。城内に入れば、他にも素晴らしい作品の数々がございます。ごゆるりと堪能していかれるがよろしいでしょう」
シルヴァリルは、やわらかい口調でそういうと、先を歩き出した。
おそらく仮面の下で微笑んでいるのだろう。
それと同時に、ザノバが寄ってくる。
俺の耳元に口を当て、ひそひそとつぶやいた。
「師匠、ご覧になられましたか」
「ああ」
「大発見ですな。きてよかった、これはナナホシ殿に感謝せねばなりますまい」
何が大発見なのだろうか。
どうにも、俺とザノバで気にした部分が違う気がする。
「すまん。お前が見つけたものが何かわからない。あとで時間のある時に教えてくれ」
そういうと、ザノバはあからさまに落胆した表情をした。
「なんと、師匠ともあろうお方が見つけられなかったとは」
といいつつ、後ろに下がっていった。
すまんね、俺はお前ほど、モノを見る目は養われてないんだよ。
「ん?」
ふと、門を通り抜けた瞬間。
前を歩くシルフィの体から、何か白い粒子のようなものが散った気がした。
「おや?」
シルヴァリルは立ち止まり、振り返ると、俺とシルフィを見た。
仮面のせいでその表情はうかがい知れないが、しかし気配が変わった気がした。
ていうか、俺からも出ていたのだろうか。
「あの、何か問題がありましたか?」
恐る恐る、シルヴァリルへと尋ねる。
以前、アルマンフィはいきなり襲い掛かってきた。
今回も似たようなことがないとは限らない。
なら、事前に話を聞いて、誤解を解いておきたい。
誤解でなく、まずい事があるなら、敵対せずに退場したほうがいい。
ペルギウスに聞きたい事はあるが、敵対するぐらいなら帰った方がいい。
「いいえ。さしたる問題ではありません。あなたのような方は、地上には大勢いますので」
「そうですか?」
あなたのような方ってなんだろう。
不安だな。
城の中に入ったら、いきなり没シュートされて結界の中、とかないだろうな……。
魔眼、開いとくか。
「ですが、お二方に、一つだけ質問をしてもよろしいですか?」
「なんでしょうか」
「ヒトガミという名前に、聞き覚えがありますか?」
俺は努めて無表情を作った。
ヒトガミ。
そんな単語を聞いて、俺はオルステッドを思い出した。
以前、オルステッドに聞かれ、答え、殺されかけた。
今回もそうなるのだろうか、それは嫌だな。
逡巡する。
知っているといって、また敵対したら困る。
確かに、俺はあいつの手の平の上で踊っているし、助けてもらってもいる。
手先であるつもりは無いが、似たようなものである自覚はある。
「いえ、ありません」
俺が迷っていると、シルフィが首を振った。
「では、その名前を聞いて、胸の奥から例えようもない怒りや殺意が湧き出してきたりは、しますか?」
シルフィは無言で首を振った。
俺も首を振る。
だが、こっちには心当たりはある。
オルステッドが、そんな感じだった。
そこを気にするという事は、ペルギウスはオルステッドと敵対しているのだろうか。
よくわからんな。
「でしたら、わたくしから申すべき事はございません」
シルヴァリルはそう言って先を歩き出した。
---
空中城塞ケィオスブレイカー。
名前は中二の夏真っ盛りといった感じであるが、その外観は見事の一言だった。
いったいどうすればこんな巨大建築物を作れるのかというほどの城。
しかし、それほど巨大であるにもかかわらず、各所に精緻な石像が置かれ、一つ一つの装飾にも職人の丁寧な技が見て取れた。
外だけではなかった。
城内には金色の刺繍のされた絨毯が敷かれ、壁には絵画が、通路には高そうな壷や像などが並べ飾られていた。
ザノバはそれらの芸術品を見ては、「この彫刻、ガノン派の面影がありますが、もしや本人のものでは?」だの「エランジンの騎士像ですか。ここで実物を見れるとは、なんという僥倖」だの、やかましく解説してはうれしそうにしていた。
最初はシルヴァリルやアリエルがその言葉に相槌を打っていたが、やがて二人も疲れたのか、苦笑するだけにとどまるようになった。
普段ならこういう時、もう一人うるさいやつがいるのだが。
そう思ってクリフを見ると、彼はかわいそうなぐらい緊張していた。
目は見開かれ、口は何かを聞かれるまで絶対にしゃべるもんかという硬い意思で結ばれている。
隣にいるエリナリーゼは、そんなクリフの手を引いて、お母さんのように歩いていた。
まあ、二人がうるさくなると大変だから、いいか。
「こちらが謁見の間でございます」
長い廊下の末、シルヴァリルは一つの扉の前で立ち止まった。
両脇にドラゴンが描かれ、銀で装飾がされた、重厚な扉である。
魔法陣からここまで来るのに、一時間ぐらい掛かったような気がする。
広いってのは大変だな。
セグウェイとか導入した方がいいんじゃなかろうか。
「ペルギウス様は寛大なお方ですが、くれぐれも粗相のないようにお願いします」
シルヴァリルはそういうと、扉に手を掛けた。
ノックとかしなくていいのだろうか。
「失礼ですが、我々は旅装のままです! このままお会いになるのは失礼に当たるのではないでしょうか?」
あわててそう言ったのは、アリエルだ。
言われてみると、確かにこういう場合、待合室のような所で待たせられるのが相場だろう。
そこで旅装から礼装へと着替えて、準備万端になってから、謁見する。
確か、シーローンで国王に会った時は、そんな感じだった。
俺は礼装なんて持ってなかったから、汚いローブのままだったけど。
まずいな、そういう事考えてなかったが、言われてみると謁見なのか。
俺も礼服を持って来るべきだったか。
「ペルギウス様は、服装を気になさる方ではありません。
むしろ、アスラ王国の堅苦しさに嫌気のさしたお方。
着替えるより、そのままの方が、印象がよろしいかと思われます」
そんな事を言われて、アリエルは口をつぐんだ。
何か、そういった逸話でもあるのかもしれない。
ペルギウスが空中城塞に住むようになったのは、アスラ王国でのイジメが原因だった、みたいな。
「でも、せめて上着と荷物ぐらい置かせていただけないでしょうか」
「わかりました。ではこちらへどうぞ」
アリエルの懇願ともいえる言葉に、シルヴァリルはうなずいた。
大きな扉から離れ、斜め向かいにある部屋への扉を開けた。
中は俺んちの寝室と同じぐらいか。
城の大きさからすると狭くて簡素だったが、テーブルやロッカーから、ハンガーといった小物を見るに、品のよさがにじみ出ている気がする。
「ご配慮、痛み入ります」
「ペルギウス様はすでにお待ちですので、お急ぎを」
シルヴァリルはそう言って、扉を閉めた。
アリエルはそれを確認した後、即座に上着を脱いだ。
ルークが即座に上着を受け取り、シルフィが荷物の中からブラシを取り出し、アリエルの髪を梳き始めた。
同じくして、ザノバも上着をぬいでハンガーに掛け、荷物の中から別の上着を取り出して羽織った。
エリナリーゼもまた、クリフの服装や髪型にチェックを入れている。
俺のほうも、一応ながら埃を払い、襟元を正しておく。
礼服は無いが……大切なのは服装じゃない、ハートだよ。
私服で来いと言ったのだから、私服で望もうじゃないか。
ちなみに、ナナホシだけは何もしていなかった。
せいぜい、前髪を気にしていた程度だろう。
ていうか、こいつだけ今日も制服姿だ。
こっちの服は着たくないのだろうか。
「よし」
最後に、シルフィがサングラスをはずし、全員の準備が完了した。
10分も掛かっていないだろう。
だというのに、アリエルは見違えるほど変化があった。
もともと気品はあるのだが、なんとも上品な感じに仕上がっている。
王族というのは、限られた時間内でオシャレをする技術を磨く必要があるのかもしれない。
「お待たせしました」
「はい。ではこちらへ」
外で待っていたシルヴァリルに合図をすると、
彼女は何事もなかったかのように、先ほどの扉の前まで移動した。
龍の模様が刻まれた、大きな扉だ。
この先に、ペルギウスがいるのだ。
そう考えると、俺も少し緊張してくる。
「すぅー……」
扉を開ける寸前、アリエルの深呼吸が聞こえた。