第百三十八話「水王級」
魔法大学の一角から、艶かしい声が聞こえてきた。
「だめ、だめです」
ある生徒が体育倉庫と呼んでいる倉庫の前。
そこで一人の青年が、水色の髪をした少女の腕を掴んでいた。
「ね、いいでしょ? 先生、お願いしますって」
「ダメです」
青年に対し、少女はあまりにつれなかった。
ぷいっと顔をそむけ、つんと唇を尖らせている。
青年は、それでもなお食い下がった。
「一回だけ、一回だけでいいんです」
「嫌です。離してください。お昼休みが終わってしまいます」
「そんな事を言わずに!」
青年は手を離さない。
少女は困った顔で周囲を見渡す。
体育倉庫の前とはいえ、それなりに人はいた。
彼らは少女の助けを求める視線に対し、静かに目を逸らした。
なぜならば、青年が怖いからである。
青年は、この界隈では一番のワルとして有名な男であった。
周囲の人々は思う。
例え自分が助けに入っても、少女の運命は変わらないだろう、と。
それどころか、自分まで悲惨な目に合うかもしれない、と。
それを分かってまで少女を助けようとする、勇気ある者はいなかった。
「先生、よく考えて見てください。互いに悪い話じゃあないはずですよ。
確かに、今はちょっと嫌かもしれませんが、
でも長い目で見れば、きっとお互いにとってプラスになる」
「それは……確かに……」
「俺の頼みを聞いてくれたら、先生の頼みをなんでも聞きますよ?」
「うう、でもですね……」
渋る少女に、さらに青年は畳み掛ける。
耳元に口を寄せて、囁くように。
そんな動作に、少女の顔はみるみる赤くなっていく。
三つ編みにした髪をくるくるといじり、恥ずかしげに顔を伏せる。
「生徒会だ!」
と、そこにこの学校で一番の美男子と言われる男がやってきた。
その後ろ、サングラスを掛けた白髪の少女も一緒だった。
「キャー! ルーク様よ!」
「『無言のフィッツ』だ!」
生徒会役員のルークとフィッツであった。
「ルーク様、今日もカッコイイ!」
「抱いてー!」
「フィッツ先輩、最近ぐっと可愛くなったよな」
「素顔が見たい」
人々の声援をうけながら、二人は青年と少女の前に立った。
「ルーデウスが女生徒を襲っているという通報がきたんだが……」
ルークははぁと溜息をついた。
彼の目に映るのは、ルーデウスと呼ばれているこの青年と、そしてロキシーと呼ばれる少女である。
女生徒でもなければ、襲っているわけでもない。
そんな事実を確認し、くるりときた道を戻り始めた。
「フィッツ、あとは任せる」
「…………うん」
フィッツは耳をぽりぽりと掻きながら頷いた。
「はぁ」
ルークが歩み去った後、ロキシーもまた、ため息をついた。
「女生徒ですか」
「仕方ありません。まだロキシー先生が教師だという認識は薄いみたいですし」
ルーデウスはわかったような顔で頷いた。
「ん? シルフィ、どうしたん?」
彼はふと、フィッツが少々不機嫌そうな顔をしているのに気づいた。
片頬が若干、ぷくっと膨れているのだ。
「あのね、ルディ。いくら結婚したからって、無理はよくないよ。女の子には嫌な時もあるんだからね?」
「え? うん、もちろん分かってるさ」
「そりゃ、ロキシー先生の方が上手かもしれないけどさ、ボクだっているんだから……」
ごにょごにょと言うフィッツ。
「……もしかして」
ルーデウスは感動を隠せない顔でフィッツに近づいた。
彼はフィッツの膨らんだ頬をつんつんと突いてみる。
フィッツは頬を引っ込め、逆の頬をプクッと膨らませた。
「ああ! シルフィが嫉妬してくれてる!」
ルーデウスはフィッツをギュっと抱きしめた。
フィッツはまんざらでもなかったが、しかし怒った顔は崩さない。
「し、嫉妬ってほどじゃないけど……!」
「心配いらないよシルフィ。もちろん、シルフィを仲間ハズレにするつもりなんてないから」
「えっ、そんな、じゃあ、三人でってこと……?」
ルーデウスはフィッツの耳元で、囁いた。
「ああそうさ。俺とシルフィと、二人で一緒に、ロキシーに教えてもらおう」
「えっと、ロキシーが教えてくれるの?」
「そりゃそうさ、彼女はこの道の第一人者だからね」
フィッツがちらりと目を向けると、
ロキシーはぷいっと顔をそむけた。
「わたしは、まだいいとは言ってません」
「そんな事を言わずに。シルフィだって習いたいだろ?」
「そ、そんな、恥ずかしいよ……」
もじもじとするシルフィは、先ほどからルーデウスに抱きしめられっぱなしである。
男装をした彼女。
サングラスで表情は見えないが、しかしその奥には潤んだ瞳が隠されている。
「で、でも、ルディのためだったら……いいよ?」
「シルフィ!」
ルーデウスは感極まって彼女の髪に顔を埋め、やわらかい、いい匂いだと感動し、さらに腕の力を強めた。
フィッツは腕のたくましさにうっとりとなり、もうどうなってもいいやと体の力を抜いた。
かなりチョロい。
ロキシーはその光景を羨ましそうに見ていた。
そんなロキシーに対し、ルーデウスは畳み掛けるように問いかけた。
「どうして教えてくれないんですか?
もしかして、俺の事が嫌いなんですか?」
ルーデウスがショックを受けたように言うと、ロキシーはうっとたじろいだ。
「いえ、そんな事はありません! ルディの事は大好きです、あ、愛しています」
「では、どうして?」
「その、これを教えてしまうと、ルディに勝てるものが無くなってしまいますし……」
「そんな、勝てるも何も、ロキシーは存在自体が俺より上位じゃないですか!」
「あのですね、ルディ。この際だから言っておきますけど、わたしはあなたが言うような大それた人間ではありません。自分の弟子に追い抜かれるのを恐れるような、みみっちい人間です」
「問題ありません。そのみみっちさも含めて、素晴らしいと思っていますから!」
「大体、あれを習得するのに、数ヶ月も掛かったんですよ? ルディやシルフィは、わたしよりも才能がありますし、それよりずっと早く習得しそうですし……」
そこで、フィッツも自分の認識が間違っている事に気づいた。
うっとりとした表情をやめて、自分の男へと問いかけた。
「えっと、ごめんルディ。何の話だっけ?」
シルフィの問いに、ルーデウスは答えた。
「ああ。ロキシーに水王級魔術を教えてもらおうと思って頼んでたんだ」
そういう事であった。
--- ルーデウス視点 ---
青春のママチャリ。
それはすなわち、年頃の男子と女子の二人乗りの自転車の事である。
男子が漕ぐ自転車の後ろに、女子が乗る。
女子は荷台に横座りになり、男子の腰に手を回してギュッと密着、あるいは少し体を離して乗る。
男子が漕ぐものの、自転車は女子のものである場合も多い。
そして、この自転車が現れるのは、夕方の河川敷である。
夕暮れの赤い太陽が、二人の若干赤く染まった頬を隠してくれるであろう。
俺は今、似たような状況にある。
日はまだ高い。
だが、すぐ目の前にシルフィのうなじが見える。
鼻を突っ込めば、シルフィの甘く切ない香りを存分に楽しめるであろう位置だ。
俺の手はシルフィの腰に回され、へそのあたりで交差。
上半身は完全に密着していた。
シルフィのドクドクという心臓の音を胸で聞ける。
素晴らしい。
ちなみに、下半身はちょっと離している。
理由はいわずともわかるだろう。
嫁とはいえ、親しき仲には礼儀あり。
まあ、運転中のドライバーに性的なイタズラをして事故を起こした、なんてニュースは前世でもよく聞いたからな。
乗っているのは馬とはいえ、たずなを握る相手へのオイタは厳禁だ。
「マツカゼはいい馬ですね。いう事も聞くし、おとなしいし。力もあります」
シルフィの前から声がした。
肩越しに見てみると、水色の頭が見える。
ロキシーである。
彼女はシルフィの前に座っていた。
「そうだね。こんな立派な馬は滅多にいないよ」
俺たちは、仲良く一頭の馬にまたがって移動していた。
前からロキシー、シルフィ、俺の順番である。
我が家で最も放置気味なペット、馬のマツカゼは三人を乗せても気にするそぶりは無く、力強く歩を進めている。
「確か、ジンジャーさんが選んだんだよね。あの人、馬を見る目があるよ」
「シルフィは馬の事に詳しいんですか?」
「えっ、いや、そんな事はないけど、でもアスラ王宮で最上級って呼ばれてる馬は何匹も見たよ。騎士団長さんが乗ってるのとか」
「さぞ立派なのでしょうね」
その言葉に、マツカゼがブヒンと鳴いた。
「ああ、すいません。もちろんあなたも立派ですよ。何せ、グレイラット家の馬ですからね」
ロキシーは慌ててマツカゼをなだめる。
こっちの馬は人語を解するのだろうか。
それとも、ロキシーは馬語を話せるのだろうか。
いや、どんなペットでも、毎日話しかけていれば、返事ぐらい返してくれるようになるもんだ。
アイシャだってジローやビートには毎日のように話しかけている。
「しかし、この歳で前に乗るのは、少々恥ずかしいですね」
ロキシーは人とすれ違うたびに、顔を赤くして帽子で顔を隠していた。
たずなを持つ者の前に座るというのは、自転車のベビーシートに乗せられているようなものなのだろうか。
「なんでしたら、わたしはジローでもよかったんですよ?」
「ダーメ。そう言って、ロキシー逃げるつもりなんでしょ?」
「子供じゃないんだから、逃げませんよ」
仲のいい妻達の会話を聞きながら、俺は周囲を眺める。
現在、俺たちは郊外にいる。
右手には綺麗な小川が、左手には何もない原っぱと森が見える。
北方大地とはいえ、この季節は緑も多い。
先ほどまでは芋畑や麦畑なども見えていたが、今は何もない野原が広がるのみだ。
何時間移動したかは定かではないが、人の姿が見えない所まではきたらしい。
川の中で魚が光を反射してキラリと輝いていた。
この川はシャリーアの傍を流れる川の支流である。
ここまで来なくとも、天気のいい日に町の近くで釣りにでもくれば、気持ちいいかもしれない。
まあ、釣りなんてやった事もないが。
「教えると決めたからには、きちんと教えるつもりです」
なぜそんな場所にいるか。
その理由は、ロキシーが折れてくれたからだ。
たび重なる俺の要求を、ロキシーは聞き届けてくれたのだ。
「水王級魔術『雷光』を、教えます」
ロキシーは少し残念そうだった。
俺はシルフィの脇越しにロキシーの肩をぽんとなでた。
それにしても、ライトニングか。
名前だけ聞くと、ありがちな電撃魔法って感じだ。
しかし、思い返してみると、この世界に電撃魔術というものは存在していない。
その上、王級だ。
どんな凄まじい術なのだろうか。
「っと、このへんでいいでしょう」
ある地点で、ロキシーはひらりと飛び降りた。
彼女は自分の太ももぐらいの太さの木に、マツカゼを結んだ。
それを見て思い出すのは、懐かしい記憶だ。
あの時、水聖級魔術を覚えた時も、こうして郊外にきて、馬を木に結んだ。
「先生、カラヴァッジョを覚えていますか?」
「はい。パウロさんの馬です。懐かしいですね……」
ロキシーはそう言って、遠い目をした。
当時、俺はまだ5歳だった。
あれから12年。
いろいろと出来る事も増えたが、ようやく王級だ。
ずいぶんと遠回りをしてしまった気がする。
っと。
あの時は、雷で馬が死に掛けてしまったのだ。
ギリギリ無事だったが、即死してもおかしくなかった。
ロキシーが忘れているかもしれないし、対処しておいたほうがいいだろう。
「今回は大丈夫なんですか?」
「問題ありません。でも、マツカゼが風邪をひくといけないので、土砦で囲ってあげてください」
「了解」
俺は指示されるまま、マツカゼを土砦で囲ってやる。
マツカゼは抵抗する事もなく、土のドームの中へと隠れた。
「えっと、ボクは離れていた方がいいかな?」
「いえ、問題ありません。一度しか使えませんので、見ていてください」
シルフィとロキシーはそんなやりとりをしつつ、雨具を着込んだ。
聖級ではびしょ濡れになってしまった。
雨が降るのであれば、こうした用意も必要だろうと持ってきたのだ。
「準備はいいですか?」
「はい」
「大丈夫です」
ロキシーは頷くと、遠くに見える木を指差した。
巨木である。
遠く離れているのに幹が凄まじい太さを持っているのが見て取れた。
「あの木に使います。一度しか使えないので、よく見ていてください」
「はい」
ロキシーは俺の返事に頷くと、深呼吸をした。
「すぅー、はぁー」
杖を握り、目を閉じて精神統一を始める。
いつになく、前準備が長い。
聖級の時はあっさり使ったが、王級は違うのだろうか。
「ふぅー……」
今のロキシーを魔力眼で見れば、魔力が立ち上っているのがわかるのだろうか。
ロキシーはしばらくそうしていたが、
やがて、ぽつりと言った。
「では、はじめます」
俺も気を引き締めた。
ロキシーは杖を地面に突き立てた。
左手で柄を握り、右手で魔石を包むように手をかざす。
そして、一文字一文字を確かめるように、ゆっくりと詠唱を開始した。
「雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ!
我が願いを叶え、凶暴なる恵みをもたらし、矮小なる存在に力を見せつけよ!
神なる金槌を金床に打ち付けて畏怖を示し、大地を水で埋め尽くせ!」
途中で気づいた。
これは、違う。
「ああ、雨よ! 全てを押し流し、あらゆるものを駆逐せよ!」
一天にわかにかき曇り、空が真っ黒になった。
同時に、叩きつけるような雨が降り始める。
横殴りの暴風が吹き荒れ、一瞬にして俺のローブを水浸しにする。
天は稲光に溢れ、今にも落雷に変化しそうである。
だが、これはただの――水聖級攻撃魔術『豪雷積層雲』だ。
「雄大なる光の精霊にして、天を支配せし雷帝よ!」
そう思った瞬間。
ロキシーが詠唱を続けた。
「そびえ立つ者が見えるか! 傲慢なりし帝の御敵が!
我は神なる剣にて、かの者を一撃に打倒せんとする者なり!
光り輝く力を以って、帝の威を知らしめん!」
一節ごとに、空が縮んだ。
真っ黒い雲が、ぎゅうぎゅうと一点に押し込まれていく。
圧縮された雲が、身じろぎするようにバチバチと光を放つ。
やがて雲は、豆粒のような大きさにまで縮んで……。
「『ライトニング』!」
光の柱が立った。
そうとしか言いようが無い。
圧縮された雲から、光の柱が地面に向かって立てられたのだ。
稲妻だった。
バッッガァァアアアン!!
一瞬遅れて、轟音が響く。
視界の端で、シルフィが顔をしかめて両耳を押さえた。
俺はただただ、その凄まじい光景を見ていた。
「……」
何も、何もいえなかった。
言葉が出てこない。
いつしか握り締めていた拳がブルブルと震えている。
生唾をごくりと飲んだ。
轟音の後には、何も残っていなかった。
空の全てを覆い隠すような漆黒の雲も、
大地の全てを洗い流してしまうような大雨も、
昼間のように明るい稲光も。
そして、遠くに見えていた巨木も。
何も、無かった。
空には、晴天が広がっているだけだった。
大雨の名残のように、地面が濡れているだけだった。
巨木の名残か、黒い粒のような消し炭が見えるだけだった。
「あっ……」
ロキシーがふらりとよろけた。
杖から手を離し、その場に倒れこもうとする。
俺は咄嗟にその体を抱きとめた。
「大丈夫ですか?」
「成功してよかった。わたしの魔力では、杖を使っても一度で限界ですので……それより、『雷光』、見ましたか?」
「はい、先生」
見た。
確かに見た。
詠唱も一言一句覚えている。
「使えそうですか?」
「やってみます!」
ロキシーをシルフィに任せ、俺は自分の杖を握り締める。
アクアハーティア。
10歳の時から苦楽を共にした相棒。
恐らく、無くても出来るだろう。
だが、俺は杖を掲げた。
今見た光景を思い出しつつ。
天に向かって声を張り上げる。
「雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ!
我が願いを叶え、凶暴なる恵みをもたらし、矮小なる存在に力を見せつけよ!
神なる金槌を金床に打ち付けて畏怖を示し、大地を水で埋め尽くせ!
ああ、雨よ! 全てを押し流し、あらゆるものを駆逐せよ!」
凄まじい量の魔力が、手の平から杖を伝わって天へと登っていく。
雷雲が出来上がり、魔力が暴れ狂う。
ここでキュムロニンバスと唱えれば、魔術は完成する。
だが、魔術は完成させない。
そうか、完成させてしまうと、恐らく、あの圧縮が出来なくなるのだ。
魔力を安定させないまま、次のステップへと移るのだ。
「雄大なる光の精霊にして、天を支配せし雷帝よ!
そびえ立つ者が見えるか! 傲慢なりし帝の御敵が!
我は神なる剣にてかの者を一撃の元に打倒せんとする者なり!
光り輝く力を以って、帝の威を知らしめん!」
一文字毎に、魔力が暴れ狂った。
それを無理やり押さえつけて、懸命に一つの所に押し込む。
力技だ。
この魔術は、力で制御しなければならない。
今まで、これほどまで強引に制御しなければならない魔術は無かった。
これは失敗するかもしれない。
いや、違う。
ある。
この感触は覚えている。
これは、岩砲弾の威力を高める時の感覚に似ている。
そうとわかった瞬間。
すっと制御が楽になった。
「『ライトニング』!」
唱えた瞬間。
圧縮された魔力の真下に、穴が開くような感覚があった。
そこから魔力が突き破って。
バガァァアアアン!!
……落ちた。
轟音を響かせ、稲妻が。
標的は無い。
だが、確かに俺が目標とした地点に、雷光が落ちた。
「……」
そして、何も残らなかった。
空には黒い雲はない。
ただ綺麗な蒼天が広がっていた。
地面は雨で濡れていた。
雨具には、たくさんに水滴がついていた。
眼の奥には光が焼けつき、轟音がわんわんと耳に残っていた。
成功だ。
「…………すごい」
シルフィの驚く声が、後ろから聞こえた。
俺は水王級魔術師となった。
---
「ちょっと悔しいな」
帰り際、シルフィはそう言った。
あの後、成功した俺につづいて、シルフィも同じように試してみた。
彼女は一度の失敗の末、水聖級魔術『豪雷積層雲』に成功した。
しかし、『雷光』はできなかった。
失敗し、彼女の魔力は枯渇した。
どうやら魔力の圧縮は難しいらしい。
俺が出来たのは、普段からそうした使い方をしていたからだろうか。
シルフィも器用な方だし、もう何度か頑張ればできそうな気はする。
「わたしでも、五回に一回は失敗しますから」
ロキシーはそういって、シルフィを慰めていた。
俺はあっけなく成功してしまったが、シルフィが出来なかった事でロキシーの面目は保たれた……と思う。
ああして比べてみるとわかるが、どうやらシルフィの魔力はロキシーのそれを上回るらしい。
幼少期から何度も使っていたせいか。
ロキシーも決して魔力総量は少なくないはずなのだが。
「ルディは一回で成功だもん。やっぱり凄いよ」
「そうですね。そうなるだろうとは思っていましたが、ああも簡単に成功してしまうと、ちょっと凹みます」
「……」
俺は二人に掛ける言葉は無かった。
確かに俺は2~3歳の頃から魔術を使って、魔力総量の増加に努めてきた。
だが、それでもここまで増えたのは、きっと俺の体が特異体質だからだろう。
努力はしたが、ズルもしている。
だから、なんと声を掛けていいか、わからない。
何はともあれ、疲労困憊の嫁二人を、家に送り届けるまでが仕事だろう。
家に帰ったら、肩でも揉んであげよう。
今日はエロい事は無しだ。
お疲れ様だもの。
「あ、ルディ。みて、綺麗な夕日だよ」
言われて西の空を見ると、真っ赤な太陽が沈んでいく所だった。
こうした大自然の美しさは、どこの世界も変わらないな。
「ああ、綺麗だな」
君の方が綺麗だよ、と言ってあげた方がいいのだろうか。
「ふぅ……」
シルフィも疲れたのか、若干俺に体重を掛けている。
日が落ちきる前には帰れるだろうが、注意はしておこう。
今、二人は魔術を使えないからな。
魔物でも出たら、俺が片付けよう。
周辺警戒だ。
「……最近、自分が夢でも見ているんじゃないかと思う時があります」
ぽつりとロキシーが言った。
シルフィが怪訝そうに首をかしげる。
「夢?」
「はい。わたしは今でもあの迷宮の中にいて、死ぬ間際に幸せな夢を見ているだけなんじゃないかと」
俺は、周囲を警戒しつつ、ぼんやりと二人の会話を聞く。
二人は疲れた声音で、ゆっくりと言葉を交わしはじめた。
「わたしは、この半年で、ずいぶんと幸せになりました。
結婚もできましたし、教師にもなれました。
シルフィにとっては邪魔者かもしれませんが、
わたしはこうして三人でこうして馬に乗れている事を、好ましく思っています」
邪魔者、という所で、シルフィの体がぴくりと震えた。
「ううん。邪魔だなんて、そんな事は無いよ。
ボクだって、ロキシーと仲良くできるのは嬉しいもの。
ルディの取り合いになったら、多分ボクは、勝てないからね」
シルフィが自信なさげに言ったので、ちょっと強めに抱きしめる。
彼女は手綱から片手を離し、「わかってるよ」とでも言いたげに俺の手を撫でた。
「ボクの場合は、運がよかったんだ。小さい頃のルディに出会えたから……。そうじゃなきゃ、ボクなんてルディには見向きもされないよ」
「そんな事はないと思いますが……」
「ボクはルディに会えなかったら、きっと今、ここで生きていないよ」
もし幼い頃にロキシーやシルフィと会えなかったら。
俺はどんな別の人生を歩んでいただろうか。
少なくとも、ロキシーに会えなかったら、俺は引きこもりのままだったろう。
外には出ず、シルフィとも会わず、転移事件が起きて、魔大陸で生きて行けただろうか。
シルフィと出会わなかったら。
少なくとも、城塞都市ロアには行かなかっただろう。
エリスにも、ギレーヌにも出会わなかった。
でも、学校には行ったかもしれない。
どのみち魔術に関しては行き詰っていたから、やっぱりラノアの魔法大学に行きたいと言い出したかもしれない。
状況が違えば、パウロも12歳になるまでと言わず、オッケーを出したかもしれない。
でも、そこにシルフィはいない。待っていても来ない。
あるいは、リニアやプルセナと同級生となり、色々あって彼女らと恋仲になったかもしれない。
そして、卒業と同時に大森林に行き、獣族として生きていくとか。
いや、その前に転移が起こるだろうから、アスラに帰るかな。
ともあれ、まったく別の人生を歩んだだろう。
けれど、どこかで会えて、こうして結ばれていたような気もする。
SFでいうところの、因果律ってやつだな。
運命と言い換えてもいい。
ディスティニー。
「……」
俺は手を伸ばし、シルフィとロキシーを二人まとめて抱きしめた。
「ルディ……」
なんでもいい。
起こらなかった事なんて。
重要なのは、この腕の二つを大切にすることだ。
夕暮れの中、俺達は家路についた。
---
家に帰って、水王級攻撃魔術についてまとめてみた。
『雷光』。
この魔術の原理は簡単だ。
空に大量の魔力を広げ、それを圧縮して、指定した場所へと落とす。
それだけだ。
雲を作り、雷を落とす。
そう考えると『豪雷積層雲』と『雷光』はワンセットの術といえる。
威力は今までの魔術の中で随一だ。
俺の知る中で最も高い魔力消費量を誇る『豪雷積層雲』のエネルギーを一点に集中するのだ。
あるいは、最大チャージの岩砲弾をも凌ぐかもしれない。
この力を使えば、きっと未来にだって飛べるはずだ。
名前こそ『雷光』だが、この魔術の極意は魔力の圧縮にある。
もしかすると、他の王級魔術も、同じ原理で扱えるのだろうか。
ともあれ、俺は一度詠唱すれば、以後は無詠唱で再現できる。
次回からは、『豪雷積層雲』と合わせて、極めて短時間で落雷を発生させることもできる。
練習はしておくが、使う機会はそうそう無いだろう。
単純に単体を攻撃したいなら、岩砲弾で十分だしな。
『雷光』はオーバーキルすぎる。
もう少し威力を落とせないか。
そう思ってあれこれためしてみると、偶然にも電流を発生させる事に成功した。
無詠唱にて小型のキュムロニンバスを作り圧縮、狙った場所に『雷光』を放てば、そこに電撃が飛んでいくのだ。
それも、電圧が低いのか、放電している割に威力を抑えられている。
どういう仕組みになっているのかわからないが、都合がいい。
もっとも、威力が低いといっても手元でやったら自分も感電して痛い目を見ることになる。
まあ、死ぬほどではない。
一定時間しびれて起き上がれなくなる程度だ。
この手の攻撃魔術は自分に被害が及ぶから、危なくて使えたもんじゃないな。
でも、もう少し練習してみよう。
相手を無力化するにはいい技だ。
電撃は物体に向かっていくから回避困難だし、
電気にて神経を麻痺させるというのは、闘気をまとった相手にも効くかもしれない。
今のところ実験台はいないが、もしバーディガーディが帰ってきたら、頼み込んで試させてもらうとしよう。
いざという時の切り札になるかもしれない。
ちなみに、この魔術は『雷光』であるが、
区別を付けるために『電撃』と名付けてみた。
いい魔術を習ったっちゃ。
学校の噂 その6
「番長はエキセントリック」