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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第14章 青年期 日常編

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第百三十七話「威厳のある父親」

 さらに三ヶ月の月日が流れた。

 季節は夏。
 雪はすっかり溶けて、カラリと暑い日が続いている。


---


 この一年、俺はルーシーにぞっこんだ。

 暇があれば、ルーシーを見ている。
 なんせ、初めての自分の子供だ。
 愛おしくないわけがない。

 今も、一階の一室に誂えたベビールームにて、ルーシーを見ている。
 天使のようなあどけない顔を見ていると、
 自然と頬は緩み、口元がだらしなくにやけてしまう。

 しかし、俺は一応、この家の大黒柱だ。
 さして威厳なんてものは無いが、妻や妹の前で格好をつけたいと思う。
 子煩悩だと思われてしまえば、格好良さは薄れるだろう。
 だからそう、子供に対しては厳格で行こうと思う。

 そう。厳格だ。
 恐らく、俺を見た時にパウロもそう思った事であろう。
 父親とは偉大であり、目標であるべきだ、と。

 かつて、俺はパウロを見て情けない男だと思った。
 しかし、今は違う。
 パウロは偉大な父親だった。
 ダメな所もあったけど、偉大だった。
 確かに、女関係に関してはアレだけど、それは俺が言えた事じゃないから、偉大な部分だけを見るべきだ。

 今ならこう言える。
 俺もパウロのようになりたいと――。

「あーん、あー」

 おっといかん、ルーシーがグズり出してしまった。
 今日はシルフィがいないのだ。

「はーい、ルーシーたん。パパでちゅよー。ベロベロバー」
「あきゅわー、きゃっきゃ!」

 ああ、可愛い。
 笑顔のルーシーほど可愛いものがこの世に存在するのだろうか。
 この世に天使がいるとしたら、まさにこの子の事だろう。

 っと、いかん。
 父親の威厳の話だったな。
 俺が思うに父親とは、親しくも遠い存在であるべきだと思う。
 普段は優しく包み込んでくれるが、時には厳しく叱咤する事もある。
 しかし、何かあれば身を挺して子供をかばい、助けてくれる。
 そんな存在だ。
 理想の父親とは、きっとそういうものだ。
 うん?
 このままだとそのまんまパウロだな。

 俺にとってはパウロが理想の父親なのだろうか。
 俺は子供にダメな奴とはあまり思われたくない。
 だがダメな部分があったからこそ、俺はパウロに親しみを覚えた。
 学ぶ部分は多い。

 それに、俺から見るとダメなオヤジだったが、
 ノルンから見ると、いい父親だった。
 でなければ、ああもノルンが懐くわけがない。

 どうであれ、子供を大事に考える事こそが――。

「あー、あばー、ばー」

 いかんいかん、ルーシーがまたグズり出してしまった。

「あーい。ルーシーたん。パパでちゅよー。抱っこちまちょうねー。よちよちー」
「うきゃー、あきゃーきゃー!」

 ルーシーを抱き上げて揺らしてやる。
 ルーシーはご満悦だ。
 俺の逞しく鍛えられた腕に揺られ、キューピッドのような笑みを見せている。
 ああ、カワイイ。

「なぁ、旦那様よ」
「なんですか、スザンヌさん」

 ルーシーをあやしていると、乳母のスザンヌが話しかけてきた。
 彼女は元冒険者で、俺の知り合いだ。

「お嬢様をあやすぐらい、あたしがやりますよ?」
「俺の至福の時間をとらないでくださいよ」

 彼女とは、俺が一人で冒険者稼業を始めた頃に知り合った。
 それから4年近くも会ってなかったが。
 乳母を募集した所にやってきたので、びっくりしたものだ。

「ま、やりたいってんなら止めないがね」
「やりたくない男なんているんですか?」
「うちのダンナはやりたがらないねぇ」
「そいつは父親としての自覚が足りないんじゃないですかね」

 彼女に会った時の事はよく覚えている。

 当時、俺は12歳。
 エリスと別れ、失意を押し隠すように北方大地へと渡った。
 バシェラント公国の片隅の町にて、一人で『デッドエンド』のパーティを解散した時の寂寥感は、うまく説明できない。
 当時の俺は、その寂寥感を紛らわすように、一人では到底達成しえないような依頼を受けようとした。
 自暴自棄になっていた部分もあっただろう。

 そこに現れたのが、スザンヌのパーティだった。
 戦士2、治癒術師1、魔術師1の4人パーティ。
 パーティランクはB級だったが、ベテランの4人だった。

 スザンヌは戦士だった。
 お世辞にも剣の腕は達者ではなく、B級でも下の方に位置していた。
 だが、その面倒見の良さで、周囲からも一目置かれている女だった。

 彼女は、一人で依頼を受けようとしている俺に話しかけた。
『その依頼は一人じゃ無理だよ。手伝ってやろうかい?』
 とか、そんな感じだったと思う。
 俺は『ああ、それならお願いできますか。知名度を上げたいんですよ』と答えた。

 そんな俺を見て、スザンヌは驚いたらしい。
 よほど荒れていたように見えたそうだ。
 しかも、荒んだ目をしながら敬語で話してきたから、驚くを通り越して不気味に思ったんだと。

 そう思ったにも関わらず、スザンヌは俺を助けてくれた。
 俺が町を去るまで、何度も固定でパーティに入らないかと誘ってくれた。
 結局、パーティの誘いは断ったのだが、飯食ってるかー、なんて言って飯をおごってくれる時もあった。
 今思えば、色々と面倒を見てくれたのだろう。
 ありがたい話だ。

 スザンヌはあの後、パーティに一人いた魔術師と結婚したらしい。
 そして、魔術師の故郷であるシャリーアで暮らし始めたんだそうだ。

 現在は二児の母。
 ただ、三人目は未熟児で、残念ながら生まれてすぐに死んでしまったらしい。

 子供は死んでも母乳は出るもの。
 そして、母乳というものは売れる。
 乳母の募集を探してみた所、俺の名前を発見したそうだ。
 こういう偶然もあるものだ。

「……それにしても、あんたも変わったねぇ」
「そんなに変わりましたか?」
「そりゃあ、昔のあんたは、他人の女房の前で夫をけなすなんて事はしなかったさ」

 確かに。
 思えば、あの頃の俺は、他人の気分を害する事を極端に恐れていたように思う。
 今でもその気持ちはあまり変わっていない。
 けれど、色々あったせいか、薄れたらしい。

「お気に触りましたか?」
「いいや。そのぐらいがいいよ。面と向かって軽口言えるぐらいが。あたしとしても付き合いやすいってもんさ」

 学校に行ったのもあるだろう。
 タメ口で軽口を叩くぐらいの距離感。
 ザノバもクリフも、それぐらいの距離感を望んでるし、俺も楽だ。

「その薄気味悪い敬語だって、やめてもらってもかまわないんだよ? あんたは雇い主なんだからね」
「まぁまぁ、親しき仲にも礼儀ありってことで」
「そうかい」

 スザンヌはそう言って苦笑した。
 彼女には感謝している。
 なんだかんだ言って、北方大地における冒険者の常識を教えてくれたのは彼女だ。

「ま、あたしとしては給金さえもらえりゃいいんだけどね」
「もちろん、色を付けさせていただきますよ」

 金さえもらえりゃ。
 なんて言ってるが、スザンヌはよくやってくれている。
 前世ではベビーシッターが幼児を虐待する事件も起こっていたから少し不安だったが。
 スザンヌはまるで我が子のようにルーシーを扱ってくれている。
 まあ、家にはリーリャかアイシャが常時いるし、知り合いの子供をどうこうする人じゃないのは俺も知っているがね。

「そういえば、息子さんの方はどうですか?」
「二人とも元気なもんだよ。おじいちゃんおばあちゃんにベッタリだけどね」

 スザンヌは、結婚相手の両親と一緒に暮らしているらしい。
 もちろん、そうでなければ、子供を持ちながら乳母などできまい。

 姑と暮らすのは色々と大変らしく、よくリーリャに愚痴っているらしい。
 リーリャはどちらかというと姑の立場だが、スザンヌとは同い年らしく、話も合うのだとか。
 ちょくちょく一緒にお茶を飲んでいる所を目撃している。

「……あんたも最初の子供は男の子がよかったんだろ?」
「いえ別に、なんでですか?」
「ほら、跡継ぎだよ」
「あぁ」

 子供が生まれてから、何度かそんな話はした。
 ザノバや、アリエルも言っていた。
 やはり王族・貴族連中は生まれた子供の男女には拘るらしい。
 アスラ王国の地方貴族ボレアスでも、生まれた男の子は本家筋に取り上げられるって話だった。

「別に、俺は貴族でも商人でもありませんからね。健やかに育ってくれればいいですよ」

 むしろ、女の子の方が可愛い。
 最近、家の中の男女比率が酷いことになっているが。
 しかし、可愛い女の子に囲まれてる現状に特に不満はない。
 理不尽に虐げられてもいないしな。
 みんな俺を立ててくれる。

「いいねえ。うちのダンナなんて、妊娠してる時から、男が生まれたらああするこう育てるって……女が生まれた時の事なんざ考えてすらいなかったんだよ」
「それで男の子が生まれたんだから、いいじゃないですか」
「まあねえ。でもちょっと複雑な気分だよ。三人目は女の子だったからね」
「ああ、それは……残念でしたよね……」

 もしルーシーが死産だったら。
 そう考えると、ぞっとするものがある。

「いいのさ。また産めばいいんだから」

 しかし、スザンヌはケロっとしていた。
 そういうものなのだろうか。
 一人だめなら二人。
 そんなあっさり考えられるものなのだろうか。

 少なくとも、俺はそうは考えられまい。
 シルフィはあまり妊娠しやすくない体だそうだし。
 それだけじゃない。
 彼女の事だ、俺以上に凹んで、涙目で「ごめんね、ルディの赤ちゃん、ちゃんと産めなくてごめんね」なんて言いそうだ。

 おお、想像しただけで胃が痛くなる。
 やめやめ。
 こんなのは想像だ。
 ルーシーは生まれ、シルフィは健康そのもの。
 夢オチでもなんでもないのだ。

「おや?」

 ふと、スザンヌが俺の後ろに視線を向けた。

「母さん」

 振り返ると、ゼニスがいた。
 後ろにリーリャが付き従っている。

「……」
「失礼します、ルーデウス様」

 ゼニスはボーッとした表情でゆっくりと歩いてくると、俺の隣、ルーシーの顔が見える位置に座った。

「母さん。今日もルーシーは元気ですよ」
「……」

 ゼニスは何も喋らない。
 しかし、ルーシーをじっと見つめている。

 ゼニスはこの家に来てから、より能動的に動くようになったと思う。
 ノルンがいれば一緒にご飯を食べようとする。
 アイシャがいれば、一緒に草むしりをしようとする。
 俺がルーシーを見ていると、こうして様子を見に来る。
 シルフィやロキシーにも、それぞれ違った反応を示す。

 表情は変わらないし、言葉も喋らない。
 しかし、動きはある。
 変化がある。

 少しずつだが、回復に向かっているのだろう。

「……」
「あきゃわー! きゃあん!」

 ゼニスがルーシーに対して手を伸ばす。
 ルーシーは満面の笑顔で、その手を握った。

「ルーシー、おばあちゃんが大好きでちゅもんねー」

 当初、俺はもっと警戒していた。
 ゼニスはいわゆる痴呆老人のような感じだし、
 もしかすると、何らかの感情の変化でルーシーに危害を加えるかもしれない。
 なんて思った。

 しかし、杞憂だった。
 ゼニスは、ただ静かにルーシーを見つめるだけだった。
 そこに悪感情は一切無い。
 むしろ、孫を見つめる優しい祖母の雰囲気を出していた。

 なぜ危害を加えるなどと思ったのだろうか。
 そもそも、ゼニスは今まで暴れたことすら一度も無かったのに。

「あはー! きゃうん!」

 ルーシーもそれをわかっているのか、
 ゼニスと触れ合う時は、いつも笑顔だ。
 祖母と孫の、心あたたまる光景だ。

 とはいえ、ゼニスの容態もどうなるかわからない。
 この光景を見てどうにかなるとは思えないが、何が起こるかわからない以上、目は離すべきではないだろう。
 お互いのためにも。
 その気はなくとも、事故は起こるんだから。

「……」

 ふと、ゼニスが顔を上げた。
 俺の顔を見てくる。
 なんだろう。
 何かを訴えるような目線に見える。

「あーん! あーん!」

 直後、ルーシーがグズりだした。

「ゼニス様。失礼致します」

 リーリャがゆっくりとゼニスを赤子から引き離す。
 スザンヌが近寄り、ルーシーを抱き上げてあやし始める。
 同時に、おむつの状態や背中がかぶれてないかなども確認。
 うん、と頷いた。

「そろそろ。お乳の時間だわね」

 もうそんな時刻か。
 言われてみると、シルフィが朝に乳をあげてから、それぐらいは経過しているな。

「では、俺は退出させていただきます」
「別に見てっても構わないけどね」

 スザンヌはそう言ったが、俺は申し出を固辞した。
 知り合いで、人妻の乳なんて見るもんじゃない。

 なにせ、スザンヌはゼニスやリーリャに負けず劣らぬ大きさを持っている。
 しかも、搾乳期間だからか、さらにドンだ。
 そんなものを目に入れてしまえば、俺の中の仙人が目覚める事になる。
 それがリーリャあたりの口からポロッと漏れてみろ。
 シルフィとロキシーがしょんぼりするかもしれないじゃないか。
 確かに、彼女らの胸が足りないのは否定しようもない事実だ。
 だが、俺は乳で選んだわけではないのだ。
 余計な心配なのだ。


 それにしても、ゼニス。
 もしかして、ルーシーがお腹が減っている事に気づいたのだろうか。
 ……二人も育てた経験があれば、そういう事もわかるか。


---


 部屋の外にでる。
 窓の外を見ると、生憎と雨だった。
 時刻がわかりにくいが、お乳の時間であるなら、もうすぐ正午だろう。

 ルーシーに構っていただけで、こんな時間になってしまった。
 もっとも、時間を無駄にしたとはまったく思わない。
 これが一番大事な時間だろうしな。


 俺は自室へと入る。
 自分の研究用に用意した、一階の小さな部屋だ。
 最近家族が増えて部屋数も少なくなって来たが、あるだけ有効活用しないとな。
 でも、客間は一つ残しておこう。

 自室に誂えた机に向かう。
 机の上に置かれているのは、魔石とレポートだ。

 この半年、俺もただ妹や娘と戯れていたわけではない。

 例の魔石の事も調べてきた。
 ヒュドラ戦で苦戦を強いられた、魔力を吸い取る魔石だ。

 この魔石は一見するとただの薄緑色の鱗だ。
 透明度が無ければ、石にすら見えなかっただろう。

 図書館でこの魔石について調べてみると、いくつかの事がわかった。

 まず、魔石の名前。
 『吸魔石』と言うらしい。
 マナタイトヒュドラが体内生成する石で、周辺の魔力を吸い取るものだと言われている。
 マナタイトヒュドラが大陸消滅と同時に絶滅したため、現在では幻の魔石の一つである。

 ドラゴン系の生物は体内で魔石を作る事が多いらしい。
 真珠か、もしくは胆石みたいなものなのだろう。
 俺の杖に使われているのも、海にいるサーペント系のドラゴンが作ったものだ。

 その効能は様々だが、基本的には魔力に関係する物が多い。
 魔力を増幅させて消費魔力を抑えたり、同じ魔力で倍の威力を発揮したり。
 なら、逆に魔力を吸い取る魔石があってもおかしくは無いだろう。

 問題は魔力を吸い取る原理である。

 この魔石、こうしてただ置いてある分には、魔力を吸い取らないのだ。
 どうすれば魔力を吸い取るようになるのか。
 そう思っていくつか実験してみた。

 すると、案外早い段階であることが判明した。

 この魔石には『表と裏』が存在する。
 見た目ではわかりにくいが、確かに存在する。
 裏側に手を当てて魔力を送ると、表側の魔力を吸い取るのだ。
 その際には、ヒィンという高い音が鳴る。

 自動的なものではなく、手動でスイッチを入れたり切ったりできるのだ。
 言ってみれば、タコの吸盤みたいなものだろう。
 どうやら、あのヒュドラは魔術を見てから魔石を発動させ、飛んでくる魔術を無効化していたらしい。
 素晴らしい反射神経だ。
 だが、当然だろう。
 野生動物ってのは、人間より圧倒的に動体視力もよく、反射も早いものだ。

 思えばルイジェルド――スペルド族の額についているのも、こうした魔石の一種なのだろうか。


 さらに実験してみると、どうやらこの魔石が『魔力を吸い取っているわけではない』らしい事がわかった。
 自分の放った魔術に対し、石を手に持って「今だー!」と叫んでかざしてみても、使った分の魔力が回復する事は無い。
 むしろ、使ったのと同じだけの魔力を消耗しているようにすら感じる。

 その辺はもっと詳しく調べてみないとわからないが、一つの仮説を立ててみた。

 裏側から入力された魔力を『魔力で生成されたものを瞬時に分解する波』に変換して出力しているのではないか、というものだ。
 効果としては乱魔に似ているが、より高度なレベルで分解しているように思う。


 無論、それだけでは色々と説明の付かないものもある。
 例えば、この波を当ててみても、俺が作った人形は壊れなかった。

 人形は大丈夫で、岩砲弾はダメ。
 その差は何なのだろうか。
 作られてから時間が経過すると、魔力が安定して壊れなくなるのだろうか。
 うーむ……。

 悩んだ所で仕方が無い。
 そもそも魔力とは何なのかという事すらわかっていないのだ。
 今のところは細かな原因より、どう使うか、どう対処するかを優先して考えたい。

 そう考えて、ある実験を行った。

 この魔石を使えば、乱魔では対処できなかったものを破壊できる気がしたのだ。
 そう、例えば『魔法陣』だ。

 実験はクリフに手伝ってもらった。
 その結果、描いてもらった結界魔術を魔法陣ごとぶち壊す事が出来た。
 紙に描かれたスクロールの魔法陣は消えないが、発動中のものであれば、問題なく消去できるらしい。
 もっとも、ヒュドラのいた部屋にも魔法陣はあった。
 あの血色の魔法陣だ。

 また、魔道具内に内臓された魔法陣を消す事も出来なかった。
 描かれているのではなく、刻まれているからだろうか。
 どちらにせよ『消せないものはある』と覚えておくとしよう。

 ともあれ、大抵のものは大丈夫だろう。
 これでいつ罠に陥って結界内に閉じ込められたとしても、自力で脱出できるというわけだ。
 もちろん、一番大事なのは閉じ込められないように立ち回ることだが。

 『ザリフの義手』の手の平にでも組み込んでおけば、いずれ何かの役に立つかもしれない。
 ただ、その場合は魔術との兼ね合いが難しいだろうな。


---


「お兄様。お客様がお見えになっておられます」

 しばらく研究室にこもっていると、アイシャがすまし顔で現れた。
 外面用の顔だ。

「誰?」
「ザノバ様です」

 ザノバか。
 何の用だろうか。
 いや、用が無くてきちゃいけないって事はないか。
 遊びにでも来たんだろう。

「リビングにてお待ちしてもらっております」
「わかった」

 俺はおざなりに言って立ち上がる。


 ザノバと言えば、彼の研究も進んでいる。
 自動人形の研究だ。

 現在、腕の研究を終えて、足の研究へと入っている。
 その過程で『ザリフの義()』を作ったが、それはあくまで副産物だ。

 足の方も、仕組みとしては手と同じだそうだ。
 一応プロトタイプを作るのには俺も手伝った。
 ザノバが設計図を引き、俺が型を作り、クリフが魔法陣を刻む。
 中々手間の掛かる作業だ。
 一つ作るのに1ヶ月近く掛かった。
 いつか義手と義足をセットで売り出したいが、量産化はまだまだ先の話になるだろう。

 さて、この手と足の研究を終えた後、ザノバはとうとうボディへと研究を進めた。

 ボディに入った合わせ目を丁寧に切り取り、内部を分解した。
 すると、胸の丁度中心部あたりに、大きな魔石が存在していたのだそうだ。

 赤く、クリスタルのように綺麗な形をした魔石。
 しかし、それは、いわゆる一つの石ではなかった。
 表面にビッシリと魔法陣の刻まれた小さな魔石を、いくつも組み合わせてあったのだ。

 間違いなく、これが自動人形のコアだろう。
 このコアに書いてある文様を解析できれば、
 同じものを作り上げる事が可能となるのだ。
 そして、そこからさらに研究を発展させれば、夢のメイドロボだ。

 とはいえ、ザノバはここで少々行き詰ってしまったらしい。
 文様の内容があまりにも複雑怪奇。
 しかも、かつ古文書の内容も但し書きや注意書き、斜線による打ち消しばかり。
 要するに、例の自動人形の製作者も、コアについては研究途中だったのだとわかってしまったのだ。

 既存品は失敗作であり、製作者が何を目指していたのかも不透明。
 ここからの研究は困難を極めるだろう。
 しかし、ザノバはそれこそ我が使命とばかりに、決意を新たにしていた。
 頑張って欲しいものだ。

「待たせたな」

 リビングに行くと、座って茶を啜っていたザノバが立ち上がった。

「これは師匠。お邪魔しております!」

 ザノバに合わせるように、部屋の隅に控えていたジュリとジンジャーも、無言で頭を下げた。

「今日はどうしたんだ?」
「近くに寄りましたので、ご挨拶にと」

 遊びに来ただけか。

「そうか、まあゆっくりしていってくれ」

 珍しい事だが、無碍にする事もない。
 そう思っていると、ジュリがトトッと近づいてきた。

「グランドマスター。これ、出来ました」

 そう言って、俺に人形を差し出してくる。
 課題として与えておいた、ルイジェルド人形の複製だ。

「よし、だんだんと良くなってきてるな。この調子でどんどん作ってくれ」
「はい!」

 ジュリは元気よく頭を下げた。

 俺が旅に出ている間、ジュリは人形を一つ、完成させていた。
 ジュリの作ったルイジェルド人形は、中々の出来であった。
 俺の作ったお手本を元に作ったのだろうが、ぶっちゃけ俺のより出来が良かった。
 何せ、ポーズに隙が無い。
 素人目に見ても、カッコ良さが伝わってくる。

 ノルンにも見せてみた所、小声で「欲しい」と呟いたので、プレゼントしてしまった。
 今は、寮の棚に飾ってあるらしい。

 成功と見た俺は、ジュリにルイジェルド人形の量産を命じた。
 まだまだ一つ作るのに時間は掛かるが、ゆっくりでも一つずつ作っていけばいい。
 魔力鍛錬の修行にもなるし、いずれ販売する時も、数はあって損は無い。

「昨日、ノルン先生と、学校で会いました」
「おっ、そうか、会ったのか。何か言ってたか?」
「ありがとうって言われたので、わたしもありがとうって返しました」
「そうかそうか、よかったな」

 俺はジュリの頭をなでなでしてやる。
 ジュリはちょっと体を硬直させていたが、素直に撫でられた。

 そう、最近になってノルンの方も本を完成させていた。
 ノルンは剣の稽古を始めてからも、執筆の方をやめていなかったのだ。
 短い物語で、文体も拙く、荒い。
 エピソードも一つだけ。
 ルイジェルドがあくまで主君のために戦い、裏切られ、復讐を果たすという、あの槍のエピソードだ。
 しかしルイジェルドの頑固さと悲哀、そしてカッコ良さは十分に伝わってくる。
 少し手直しすれば、若者向けの本として売り出せるだろう。

 それをジュリに読んで聞かせてみると、これまた大絶賛だった。
 もっともっとと催促され、3回も読まされてしまった。
 ジンジャーが止めなければ、4度目を読まされただろう。

 聞いた話によると、ジュリは小さな頃にこういう読み聞かせを受けた事は無かったらしい。
 炭鉱族にはそういう文化が無かったのか。
 それとも、両親が忙しくて娘に構う暇がなかったのか。
 どちらでもいいか。

 そうした事もあり、折を見て二人を引きあわせてやりたいと思ったが、先に会ってしまったか。
 先生なんて呼ばれて、ノルンもさぞこそばゆかっただろう。

 何はともあれ、仲がいいようで何よりだ。
 お互いがお互いを認め合うってのは、良好な関係を築くための第一歩だしな。

 ともあれ、スペルド族のイメージ改善計画も順調というわけだ。


 研究に鍛錬。
 やれることはやっている。
 これ以上やれば、流石にキャパシティオーバーになるだろう。

 一つの事を特化して鍛えた方がいいかもしれない。
 けれど、恐らく俺はトップには立てない。
 前世でもそうだったし、今世でもそうだろう。
 いつだって上には上がいる。
 確かに学校ではトップに立てるかもしれないが、しかし世界を見渡せば強い奴はゴロゴロしている。
 努力では覆らない本当の才能というものは存在するのだ。

 だが、無理に勝つ必要はない。
 色んな分野で勝負すればいいのだ。
 真正面から戦って勝てないなら、側面から叩けばいい。

 そうは思ってはいるが。
 しかし、あのヒュドラのような事は起こりうる。
 いざと言う時に、家族を守れるぐらいには強くならなきゃいけない。
 あまり喧嘩とか、得意じゃないんだけどな。

「そうだザノバ。ルーシーを見ていくか?」
「おお! 御息女をですか!? よろしいのですか?」
「見ちゃいけないってわけじゃないだろう」
「そうですな! しかし、どこの国かは忘れましたが、5歳になるまでは家族以外と会わせないという風習もあるそうで」
「色んな人に祝福してもらった方がいいと思うんだがなぁ」

 まあ、今のところは、難しく考えるのはやめよう。
 いつだって、目の前の事を一つ一つやっていけばいいのだ。
 毎日体を鍛えて、魔術の練習をして、研究をして、色んな奴と交流して仲間を作って……。
 前世の俺とは比較にならないほど充実している。
 今の状況は俺にしては、上出来といえる。
 だから、焦る事はない。
 焦れば、周りが見えなくなるし、見えなくなれば落とし穴にはまる。
 ヒュドラの時みたいな。
 だからコツコツと、一つずつだ。

 俺の次のステップはなんだろうか。
 義手は手に入れた。
 研究は進んでいる。
 妻との関係も良好。
 妹も娘も元気。
 金銭的な余裕はある。
 生活も安定している。
 ……あとは。

 そろそろ、ロキシーに水王級を教えてもらうか。
学校の噂 その5
「番長は小さい子が大好き」
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