#02:母の告白【指輪の過去編・夏樹視点】
今回は指輪が見せる過去のお話です。
夏樹の20歳の誕生日のお話。
気がつくと、目の前には十四年前に亡くなった母親の笑顔があった。
私は母から渡された指輪を指にはめているところだった。
「ああ、あなたにピッタリね。よかったわ。この指輪はね、本当の所有者の指にしかはめられないと言われているのよ。これで、この指輪の所有者はお母さんからあなたに移ったのよ。大事にしてね。」
母の言葉に驚いたものの、この指輪をはめているとすんなりとその言葉が心に収まった。
「わかった。大切にするわ。でも、こんな指輪をお母さんはどうして持っているの?」
私の質問を聞いた母は、目に少し悲しみを漂わせ瞳が揺れている。そして、私の目に目線を合わせると、決意したように話し出した。
「今日は夏樹の二十歳の誕生日でしょう。あなたも大人の仲間入りだから、今まであなたに言っていなかった本当の事を話そうと思うの。今から言う事、何も言わずに聞いてくれる?」
あまりにも真剣な母の表情と声に、私はただ黙って頷いた。
「あなたの父親である彼とは、お母さんが都会の会社に勤めていた時、仕事の関係で出会ったの。何度か仕事で会ううちにお互いが好きになって付き合うようになった。一年ぐらい付き合った頃、彼にプロポーズされて、その指輪をもらったわ。彼は二十歳の誕生日に母親から、本当に愛する人にこの指輪を贈りなさいと渡されたそうなの。代々彼の家に伝わる指輪で、不思議な力があるそうで、指輪に付いている三つの宝石は、白はダイヤモンドで成功や富を現わしていて、青はサファイアで誠実を、赤はルビーで愛や勇気を現わしているんだって。そして、その指輪は真の所有者にしかはめられないって、彼は言っていたわ。彼から指輪を渡された時、ドキドキした。もしも、私の指にはめる事が出来なかったらと思うと怖かった。彼が指輪をはめてくれた時、吸い込まれるように指輪が指に通って行った時、とても嬉しかった。でも、その時初めて彼が何者であるか知らされたの。それまで、彼は普通の会社員だと思っていたけれど、実は大きな会社の御曹司だった。普通のサラリーマン家庭に生まれ、その頃には両親ともに亡くしていた私には、とても釣り合いのとれる相手じゃなかった。だけど、彼はそんな私の気持ちを察して、自分が絶対守るから信じてついて来てほしいと言ってくれた。その時は私も彼を信じてついて行こうと思っていたの。でもね、いくら彼が私と結婚したいと言っても、周りが許すはずなかったの。ある時、彼の家の執事と言う人が私を訪ねて来て、彼には婚約者がいて結婚式の予定も決まっているから、黙って身を引いてほしいって言われたの。彼は今熱に浮かれているようなものだから、冷静になったら無理な事だとわかるはずだからと。あなたが側にいると、彼を不幸にしてしまうと……」
「そんな、酷い」
私は思わず口を挟んでしまった。母は私の顔を見て、悲しみをたたえた瞳でうっすらと笑った。私が小さく「ごめん」と言うと、母は静かに首を振ってまた語り出した。
「その執事さんに手切れ金を渡されたけれど、受け取らなかった。その代わり、指輪は返さなかった。私が真の所有者なのだからと思ったから。彼への愛はゆるぎないものと思っていたけれど、私はやっぱり怖かったんだと思う。彼の背後にある会社や親族が。そして、自分の両親はすでに他界していたし、兄弟もいなかったから、味方になる親族もいなかった。結婚は祝福されてしたいもの、反対されている中に一人で入って行く勇気が無かった。
だから、彼の目の前から姿を消す事にしたの。もう二度と彼に逢えない場所まで距離を取らないと自分が諦めきれないと思ったから、仕事を辞めて長野にいる親友の玲子を頼って行ったの。そんな時、あなたを妊娠している事に気づいた。嬉しかった。何もかも無くしてしまったと思ったけど、愛する人の子供が残されたから、これからも生きていけると思ったわ。玲子たち夫婦は、結婚したばかりだったけれど、とても良くしてくれて、お母さんとあなたを助けてくれた。今までお父さんは亡くなったって言い続けてきたけど、本当は結婚もしていないし、今も生きている。ごめんね。今まで嘘をついて。でも、お父さんの名前や会社の名前は言えない。彼はあなたの存在さえ知らないの。だから、逢いに行ったりできないし、して欲しくないから、彼の正体は明かせない。ごめんね。本当ならお嬢様として何不自由のない生活が出来たかも知れない。お母さんの我儘で貧しい生活をさせてしまったね。あなたからお父さんを奪ってしまって、本当にごめんね。でも、お母さんはあなたが生まれてくれて本当に嬉しかった。愛する人の子供が生めて、本当に幸せだった。これだけは信じてね、あなたのお父さんとお母さんは本当に愛し合って、そしてあなたが生まれたの」
母は涙を流していた。両手で私の両手を包みこんで握りしめると、また、ごめんねと繰り返した。私は、大きく首を振ると、握りしめられた手を解いて、母の背に手をまわして抱きしめた。
しばらく二人で抱き合って涙を流していた。それから、お互い苦笑いしながら体を話すと、母はまた口を開いた。
「ねぇ、夏樹。お母さんと二つ約束してほしいの。それはね、遊びでも仕事でも、都会へは行って欲しくないの。あなたは私の若い頃にそっくりだし、名前も私が夏子だから、一字違いでしょ。もしも、私の昔を知っている人があなたを見て名前を聞いたら、私の事を思い出すかも知れない。そうすると、どこであなたのお父さんに知られてしまうかもしれない。ううん。彼よりも彼の周りの人たちに知られてしまうのが怖いの。あなたを取られるんじゃないかって、ずっと心配していたの。あなたの名前はお母さんとお父さんの名前から一字ずつ取って付けているから、勘のいい人は気付くかもしれない。あの家の人たちはあなたの事をどんな扱いするかわからないから、絶対知られたくないの。本当は名字を変えようかと思ったんだけど、養子縁組してくれるような人も無かったし、結婚で名字を変える事は簡単だけど、したくなかった。だって、あなたのお父さん以外、もう愛する事は出来ないのに、相手の人に失礼だものね」
「それで、首都への修学旅行の時、知らない人に声をかけられても絶対に名前を言うなって言っていたんだ」
私は中学生の頃、母が嫌に真剣な顔して、名前は絶対に言うなと怒ったような、泣き出しそうな顔して言っていた事を思い出した。本当は行かせたくなかったのだろう。何も知らなかった私は、見た事のない母の表情に、妙な違和感を覚えたのだった。
でも、実の父親に私の存在を知ってもらえないと言うのは、少し淋しい気もした。母の気持ちを考えると、仕方のない事だとは理解できるのだけれど、母はよほど別れて欲しいと言ってきた執事さんの言葉や態度に傷ついたのだろう。
「大丈夫。絶対に私の存在を知られないようにする」
それで、母が安心するならと、都会への憧れも諦めようと思った。
「それから、もう一つは、これからあなたは結婚したいと思う人と出逢うと思うけれど、お母さんのようにお金持ちの人は好きにならないで欲しい。シングルマザーの母子家庭は社会的に何ら恥ずかしい事はないと胸を張って言えるけれど、結婚になるとやっぱり相手の親族も関係してくるし、こちらの事情が気になる人もいると思う。それがお金持ちならなおさらだ。だから、あなたが出逢う男の人は、好きになる前にどんな家庭の人か調べて欲しい。お母さんと同じ辛い想いはして欲しくないの。夏樹には幸せな結婚をして欲しいの」
母の無茶な願いも、事情を聞けば分かる気もした。
「わかった。私、お金持ちは好きにならない。こちらの事情を理解して受け入れてくれる人で、生活レベルの同じような人と結婚する」
私は宣言するように笑顔で約束した。
※指輪の宝石の意味を、何も考えずに勝手に決めたのですが、実際の宝石の持つ意味を調べて、変更しました。お話には影響ありません。(2010.10.9)
2018.1.24推敲、改稿済み。