#19:ガールズトーク(前編)【現在編・夏樹視点】
今回は現在のお話です。
夏樹、35歳の誕生日の翌日。
覚醒。ゆっくりと頭の中で扉が開く。
一瞬自分の存在があまりにも不確かで、何処にいるのか、何をしていたのか、何もわからなくて、まるで白い霧の中を手探りしながらそろりそろりと進むように、現在のリアルな自分を探した。それは僅かな時間だったと思うけれど、途方も無く長い時間に感じていた。やがて、一条の明かりのように指輪が頭に浮かんだ。
(そうだ、また指輪をはめて、過去の夢を見たんだ。いや、過去へ戻ったのか?)
その時、ふと「トリップ」という言葉が浮かんだ。なぜだかこの言葉がしっくりくるような気がした。
そう言えばさっきは、洗面で指輪をはめた筈。なぜ、ソファーにいるのだろう? 自分で移動したのだろうか?
時計を見て、驚いた。もう午後九時を過ぎている。確か、舞子に電話したのは午後八時過ぎ。知らない間に一時間が過ぎている。今まで、指輪のトリップは長くても過去に居る時間は数時間で、現実の時間経過は数分程度だったと思う。でも、今回のトリップは、長かった。時間的には24時間程だが、2日にわたっていた。その所為で現実時間の経過も長くなったのだろうか?
(ああ、そんな事はこの際どうでもいい)
さっきのトリップでもやはり、指輪をはめていた。
指輪のある過去。大筋は実際の過去と同じように繰り返えされているようだけど、少しずつ違ってきているような気がする。なんと言っても九年前の事、記憶の方が定かでない。
あの時あんな事言ったっけ? とか、あんな事したっけ? とか、ハッキリ違うと言い切れるのは指輪がある事ぐらいだ。
そう言えば、浅沼さん、指輪の事、聞いたよね?
でも、浅沼さんとの会話もほとんど覚えていない今となっては、すべての会話が記憶と違うような気さえしてくる。
杉本さん……祐樹のあの笑顔で私、参っちゃったんだよね。あの時のまま時間が止まってくれれば良かったのに。その後の事なんか、何も知りたく無かった。
私は頭を左右に振ると、電話でタクシーを呼んだ。そして、舞子に電話すると遅くなった事を詫び、今から出る事を告げた。
舞子達のマンションは、舞子の実家のすぐそばだった。十階建てのセキュリティがしっかりした豪華マンション。入口には警備員が立っていて、常に管理人も常駐している。
最上階のその部屋は4LDKで、広いリビングに先進的な機能満載のキッチンや水回り。来るたびにやはり庶民とは違うと実感させられる。
いつもお金持ちを意識してしまう私が、舞子と友達でいられる事が不思議だなと思う。舞子はそんな事を感じさせない雰囲気を持っていて、どんな事も決して差別しないし見下したりしない。心から信じられる貴重な友達だった。
「本当に圭吾さん追い出しちゃったの?」
舞子以外の人の気配が無い事に気づき、電話での舞子の言葉を思い出した。
「ふふっ、たまには独身気分でガールズトークをどうぞ、って実家へ行ってくれたの。今頃友達と飲んでいるんじゃないのかな?」
悪戯っぽい舞子の笑顔は、幸せそのものに見える。
「それでは、圭吾さんの理解と優しさに甘えて、ガールズトークをしましょうか?」
二人で顔を見合せひと笑いした後、リビングのテーブルにおつまみと夏樹がお土産代りに持参したワインとグラスを用意した。座り込んでワインをグラスについでいると、舞子がワインボトルを持つ私の手元を見ている。
「夏樹、その指輪……」
「え? 指輪? あ、そうそう、この指輪、覚えているかな? 以前話した事あったでしょう。母の形見の指輪の事」
「え? もしかして、真の所有者にしかはめる事の出来ない不思議な指輪の事?」
私はボトルをテーブルに置き、指輪をはめた右手を舞子の目の前に差し出した。
「そう。昨日、仕事で外へ出た時、アンティークショップのショーウィンドで見つけたの」
「え? ほんとう?」
指輪を見つめていた舞子が驚いて顔を上げる。
「私も驚いた。なぜこんな所にあるのって。それで、お店の人に言って指輪を出して貰って指にはめたら、お店の人が驚いていた。この指輪はあなたのですねって」
「お店の人、真の所有者にしかはめられないって知っているんだ」
「そうみたい。今までいろんな人がはめようとしたけど、駄目だったって。それで、この指輪はあなたのだから、代金は要らないって指輪を返してくれたの」
「嘘、代金も取らずに指輪を渡してくれたの?」
「うん。この指輪はあなたのものだから、代金を頂く訳にはいかないだって」
「そっか。とにかく指輪が戻ってきて良かったね」
舞子は、もう一度指輪を見つめると、感嘆の溜息をついた。
「シンプルなのに、何か惹きつけられるわね」
そう呟いた舞子の言葉は、指輪のトリップで初めて舞子に指輪を見せた時のセリフと同じだった。
「ところで、相談事があるんでしょ?」
指輪の話が一段落した頃、舞子はガールズトークの本題に入った。
「ん……そうでした。舞子、私ね、仕事を辞めて田舎へ帰ろうと思っていたの」
「えー! なぜ? うそ? もう決めたの?」
「まあ、待ってよ。帰ろうと思ったんだけど、いろいろな事が起こって来て、どうしたらいいかわからなくなって、舞子に相談する事にしたんだから」
「でも、田舎へ帰るなんて、今まで一度も言わなかったじゃない。ねぇ、もしかして、祐樹さんが結婚するって話したから?」
舞子の鋭い突っ込みに怯んだけれど、この気持ちを舞子に隠すのは慣れている。
「何言っているのよ。祐樹とは五年も前に終わった事なの。そんなにいつまでも引きずらないわよ」
そう言うと、舞子は大げさにため息を吐いた。
「夏樹、もうポーカーフェイスはいいわよ。私にいつまでも意地張って隠さなくても。もう何年、親友してきたと思っているの? 夏樹の気持ち分からないと思っているの? 圭吾さんは二人の事だから口を出すなって言うんだけど、あまりにも夏樹が意地っ張りだから、痺れ切らしてあんな事言ったんだけど……」
(え? わかっていたの? バレていたの?)
でも、一方でさすが舞子、私の親友だって嬉しくなる私がいた。
「ま、舞子。な、何言っているのよ。祐樹の事なんて、もう過去の事なんだから……」
ああ、素直になれない私。もう長くこうして来たから、今更素直に認められない。
「夏樹! たいがいにしなさい。もう、本当に最後のチャンスなんだから。本当に手遅れになっても知らないわよ。そんな事ばかり言っていたら、親友をやめるわよ」
舞子の怒りの勢いに、すっかり毒気と言うか、意地も吹き飛んだ。
「ご、ごめん、舞子。舞子の言うとおりだよ。圭吾さんは祐樹の友達だから、舞子の前でも意地張るしかなかったの。私から別れを告げたのに、この気持ちがあなたたちを通じて祐樹に伝わるのが怖かったの」
「そんな事、わかっているわよ。だから、時々さりげなく祐樹さんの情報を伝えていたんだし、夏樹の情報も祐樹さんに伝えていた。祐樹さんも夏樹の事を諦めきれずにアメリカ行きを拒んでいたんだけど、会長であるお祖父様の命令は絶対だし、夏樹は夏樹で勝手に別れを言って連絡を絶ってしまったでしょう、祐樹さんも動くに動けなかったみたい。それにね、祐樹さんの立場も辛いものなのよ。御曹司だなんて言っても、今の時代、会社が大きくなればなる程、創業者の親族がその能力如何にかかわらず後を継ぐと言うのは、周りの反感を買うものなのよ。だから、誰もが認める実績を積み上げるしか無い訳。祐樹さんがニューヨーク支社立ち上げから向こうへ行って頑張っていたのも、そう言う訳だったの。そして、実績を積めば、自分が選んだ女性との結婚も認めてもらえると信じて頑張ってきたのよ。ようやくニューヨーク支社が軌道に乗ってきて、祐樹さんも早く日本に帰って来たかったみたいだけど、お祖父様が婚約者との結婚を承諾しないと、日本に戻る事を許さないって……」
「それで、承諾して帰ってきたんだ……」
私は昨日再会した祐樹が、婚約者の事を否定しなかった事を思い出した。
「それは、日本に戻るために仕方なく。でも、婚約者と言ってもお祖父様が勝手に決めた人らしいから、祐樹さんは相手の事何とも思ってないのよ」
祐樹の気持ちなんて関係なく、お祖父様はさっさと結婚話を進めてしまうだろう。その相手の女性が、仕事上重要な取引先や協力企業のお嬢様だったら、無下に引き伸ばしたり、断ったりできないだろう。
「でも、一度承諾してしまったら、お祖父様がどんどん結婚話を進めてしまうんじゃないの? 政略結婚なら無闇に断れないだろうし」
そうなんだけど……と言いながら思案顔の舞子が、キッと真剣な顔になって私の目を見た。
「だから、夏樹の気持ちが肝心なのよ。本当にいいの? 祐樹さんが結婚してしまっても。後悔しない? もう、今回が最後のチャンスだよ」
最後のチャンスって。祐樹が何を望んでいるのかもわからないのに。私には何もない。祐樹にプラスになる様なものは。あの時、祐樹のお祖父様に言われたっけ。
『君は祐樹と会社のために何ができるのかね?』
なにも言えなかった。私が祐樹のためにできたのは別れを言う事だけだった。この事は誰にも言えなかった。
母と娘、親子二代で同じ事繰り返して。あの時、心底母が身を引いた辛さがわかった気がした。
2018.1.28推敲、改稿済み。