#123:指輪が導いた運命【指輪の過去編・夏樹視点】
お待たせしました。いよいよ最後です。
年内間に合いました。
後もう一回エピローグがあります。
急いで更新しますね。
私はただ黙って、祐樹さんが出て行った病室のドアを見つめていた。
「夏樹ちゃん、追いかけなくていいの?」
玲子おばさんの問いかけに、私はゆっくりと振り向く。
「追いかける? 追いかけてどうするの? 祐樹さんにとって私の存在が苦しみでしかないのに……」
「夏樹ちゃん、それは違う!」
それまで息子を傷つけた事にうなだれていた浅沼さんと雛子さんは、私の言葉に驚いて顔を上げた。そして、雛子さんは私の言葉を否定した。
「祐樹は、ずっとお祖父様の考えに影響されて、お祖父様の言われるまま会社にとって有益と思える相手と結婚しようとしていたの。結婚は目的達成のためのアイテムだなんて言っていたぐらいなの。その祐樹が愛のある結婚がしたいなんて言う程変えたのは夏樹ちゃんの存在なのよ。だから、そんな夏樹ちゃんの存在が苦しみになるはずが無い」
そう言えば、いつだったか、浅沼さんが嬉しそうに息子の話をしていたっけ。息子が頼って来てくれたって……。愛ある結婚がしたいから、許嫁の相手を断りたいから一緒に相手の家に話をしに行って欲しいと頼ってくれたって……。
あれは、祐樹さんの事だったと、今更ながら思い出した。
「夏樹ちゃん、君の誤解を解きたくてここまで来たのに、かえって悪い状況にしてしまったみたいで、本当に申し訳ない。私達がもう少しうまく話をしていたら、祐樹をこんなに傷つけずに済んだかも知れなかったのに……」
浅沼さんは申し訳なさそうに謝罪の言葉を言った。
「いいえ、私さえ祐樹さんに出会っていなければ、知らずに済んだ事なんです。お二人が死ぬまで秘密にしようと思っていた事を、話す事になったのは、私のせいなんですから」
「いや、夏樹ちゃんの所為じゃないよ。結局は私達のまいた種なんだ。でもね、祐樹と夏樹ちゃんが出会った事は、あの指輪が導いた運命の様な気がするんだよ。だから、いずれこの事は祐樹に話さなければいけなかったんだと思う。たとえ祐樹を傷つける事になってもね。……祐樹は今、戸惑っているんだと思う。この真実を自分の中でどんなふうに折り合いをつけたらいいか分からなくて、素直に受け止める事も出来ないんだと思う。でもね、私達は祐樹を信じているよ。祐樹はこれまで浅沼家の長男として大き過ぎる期待を背負って頑張って来た。アイツは自分の立場を充分分かっているはずだから、そんなに簡単に投げ出したりはしない。それにね、夏樹ちゃんへの気持ちも本当だから、こんなことぐらいで気持ちが変わるとは思えないよ。だから、夏樹ちゃんも自分の気持ちに正直に、祐樹にぶつかって欲しいんだ」
指輪の導いた運命。
浅沼さんにそう言われると、そんな気がしてくる。
指輪の存在は、就職してあの街で暮らす日々の中、すっかり忘れきっていた。舞子には話の流れで話した事はあったけれど、出して見る事さえしていなかった。
それがあのパーティの日、突然あの指輪の事を思い出し、どうしても指輪をして行きたくなった。
そして、祐樹さんに出会った。因縁めいた繋がりのある私達が、あの大きな街の中で、出会う偶然は奇跡の様なものだろう。でもそれが、あの不思議な指輪に導かれたものだとしたら……?
「ねぇ、さっきから指輪、指輪って言っているけど、何の話なの?」
しばらく私達の会話の様子を窺っていた玲子おばさんが口を挟んだ。そして、今更ながら、玲子おばさんには母も指輪の話をしていなかった事を知った。私は、二十歳の誕生日に母から譲り受けた指輪の話を、簡単に説明した。
「そう、それで、さっき浅沼さんと夏樹ちゃんが親子である事の証拠に、指輪の話が出て来たのね?」
そして、玲子おばさんは、その指輪を見た事があると告げた。
私は驚いて玲子おばさんの顔を見つめると、彼女は遠い目をして過去の記憶を手繰り寄せようとしているようだった。
「あれは……夏樹ちゃんが生まれて、お宮参りをした日だったわ。それまで指輪なんて付けた事が無かった夏子が、指輪をしていて驚いたの。それで、指輪の事を尋ねると、彼に貰ったものだって言うのよ。夏樹ちゃんの為にも、無事に産まれて来てくれたお礼を、指輪を彼の代わりにして、一緒に言いたいって……。とても幸せそうな笑顔で言うから、もう私何も言えなくて……」
玲子おばさんは、感極まった様にそれ以上何も言えなくなって、顔を伏せてしまった。玲子おばさんの話を聞いていた浅沼さんも、膝の上の握りこぶしを震わせて、泣いている様に見えた。そして、浅沼さんはゆっくりと立ち上がると、私の前に来た。
「夏樹ちゃん、ハグしてもいいだろうか? 私の娘として君を抱きしめたいんだ……」
私は浅沼さんに言われるまま、ゆっくりと立ち上がると、優しくそっと抱きしめられた。そして、小さな声で「生まれて来てくれて、ありがとう」と浅沼さんが囁くように言った。その言葉を聞いた時、私の胸は震えた。ほんの数秒だったと思うけれど、生まれた時から心の片隅に満たされずにいた部分が、埋められたような気がする時間だった。私は小さく「お父さん」と呟いていた。
「夏樹ちゃんありがとう」と言って自分の席に戻って行った浅沼さんに、玲子おばさんは、やけに真剣な顔で訊いた。
「浅沼さん、あなたは夏樹ちゃんの事、自分の娘だと認めるんですね? そうしたら、この後、どうするおつもりなんですか?」
玲子おばさんの真剣さに、私は驚いた。しかし、これはとても大変な問題なのだと、今更ながら実感した。
「佐藤さん、本当なら夏樹ちゃんを正式に娘として迎えたい。でも、そうすると、戸籍上だけれど、祐樹と夏樹ちゃんは本当の兄妹になってしまう。だから、私としては、祐樹と夏樹ちゃんが結婚する事によって親子となれたら、それで充分だと思っている。相続とかの関係は、雛子とも話をして、遺言状を書くことにしたんだ。でも、これは、こちら側の一方的な要望で、佐藤さんの方はどうお考えですか?」
私は頭がクラクラした。
こんなこと考えもしなかったけど、祐樹さんと結婚する事になったら、いろいろ考えなくてはいけない事は多いのだろう。……でも、私は、私の父が浅沼さんだったという事実だけで、充分満足だった。それ以上は何も望まないのに……。
「私達は、夏樹ちゃんが幸せになる事が、一番の望みです。浅沼さんのお宅とは、やはり身分違いだと思います。夏子は最後まで言っていました。身分違いの恋愛はさせたくないと……」
ええっ? 玲子おばさんは反対なの? 祐樹さんが社長の息子だから? 浅沼家がお金持ちだから?
私は玲子おばさんの話の途中で、無意識に叫んでいた。
「玲子おばさんも、お母さんの様に諦めろと言うの?」
今まで母の言葉は、私の人生の中で大きく影響していた。でも、何も知らなかったからとは言え、祐樹さんへの想いがこんなに大きくなってしまった時に、知らされた兄妹かもしれないと言う事実。兄妹と言う禁忌の前には、身分違いなんて大した障害に思えなかった。それが今、兄妹では無いと分かり、どこか安心していた。たしかに、祐樹さんの受けた傷を思うと、私の存在は祐樹さんを苦しめるんじゃないかと心配にはなったけれど……。
さっきから浅沼さんと雛子さんの言葉を聞いて、改めて祐樹さんへの想いを噛みしめた。そして、自分の気持ちに正直に、祐樹さんに本音でぶつかろうと決意していた。
そんな矢先、思いもよらなかった玲子おばさんの言葉。どちらかと言うと、応援してくれると思っていた。
「夏樹ちゃん、先走らないで。私が言いたいのは、夏樹ちゃんにそれだけの覚悟ができているのなら、夏樹ちゃんが好きな人と結婚するのは、私達も嬉しい事なのよ。私達は、夏子の様に自分勝手に諦めないで欲しいと言う事なの。夏子を責める訳じゃないけど、恋愛は二人でするものなのに、夏子は相手に相談もせずに、自分で勝手に結論を出して、諦めたのよ。その所為で、浅沼さんを苦しめ、あなた達も苦しんだ。……でもね、夏子と同じ過ちはしないで欲しいと思うけれど、やはり、大変な責任を負った人と結婚するんだと言う事を、きちんと自覚して、二人で話し合って、これからの事を決めて欲しいの。今、祐樹さんは、思いもよらなかった真実を聞かされて、一人余計な事も考えていると思うの。だから、早く祐樹さんの所へ行って、二人でしっかり話し合いなさい。祐樹さんが夏子の様に一人で勝手に結論を出してしまわない内に……」
玲子おばさんの話を聞いて、私は立ち上がっていた。浅沼さんと雛子さんの方を見ると、笑顔で頷いている。私は「玲子おばさん、ありがとう」と言うと、すぐに祐樹さんを探すために病室から駆け出した。
祐樹さんを探して、病院の中をキョロキョロと速足で歩きまわる。玲子おばさんの病室のある階の休憩スペースやその下の階も順番に見ながら下へと下りて行く、休日の病院はいつものような活気は無いけれど、見舞客や退院する人を迎えに来た家族とか患者や病院職員以外の人達とすれ違う。一階まで下りて、いつもなら外来患者で溢れかえっているロビーも今日は照明が消されている所為か、天井まである窓から差し込む日差しの灯りだけで、どこか薄暗い。ロビーのカウンターに向かって配置された無人の椅子の列の中に、背中を丸めて座っている人を見つけた。初めて見る彼の淋しそうな丸めた背中が、小さく見えて、どこか悲しい。
ゆっくりと祐樹さんに向って近づいて行く。彼の傍まで近づいた時、彼が顔を上げた。私は、彼を安心させたくて、笑顔を向けた。祐樹さんは、泣きそうな顔で笑って返しながら、「夏樹」と呼んだ。私が黙って彼の隣に座ると、彼は「夏樹、さっきはごめんな」と私を見て辛そうな顔で言う。私は何も言わずに首を横に振った。
どうしたら、あなたの苦しみを癒してあげられるのだろう?
「ね、祐樹さん。この病院に白樺林のちょっとした遊歩道と小さな公園があるの。行ってみない?」
私はそう言うと、彼の返事も聞かない内に立ち上がった。祐樹さんが驚いて私を見上げる。私はもう一度「行ってみよう?」と誘った。祐樹さんがどう思ったのかは分からなかったけれど、ゆっくりと立ち上がるのを見て、私は出口へ向かって歩き出した。
病院の外へ出ると、真夏の太陽は容赦なく照りつける。ああ、焼けそうだなと思いながらも、日差しの中へ歩き出す。遅れてやって来た祐樹さんが私に追いついて、並んで歩く。もう、正午に近い太陽は、短い二人の影を、白樺林に続くコンクリートで固めた白い歩道に落としていた。
白樺の木陰の中を歩くと、涼しげな風が通り過ぎて行く。真夏の所為か、歩く人は誰もいない歩道を、二人は黙ったまま歩いて行く。そして、木陰に置かれたベンチに私が座ると、彼も隣に座った。私達はしばらく林の中を通り過ぎる風の音を聞いていた。
「俺、情けない所、見せてしまったな……」
情けない所?
私が黙って祐樹さんを見ていると、彼は苦笑しながら、話を続けた。
「父さん達の気持ちはよく分かるんだよ。でも、あの時、思ってもいなかった真実を告げられて、俺は足元が崩れて行くような気がしたんだ。そして、夏樹に少し、嫉妬した。そんな自分が恥ずかしくて、思わずあんな事言ってしまった」
「祐樹さん……」
私は彼の正直な告白に、戸惑ってしまい、言うべき言葉を見失った。
「あれから、一人で考えていたんだ。これから自分はどうすればいいかを……」
彼はどんなふうに考えたんだろう?
また黙り込んでしまった彼に少し焦れて、私の中から消せなかった不安をぶつけてみた。
「祐樹さん、私の存在はあなたを苦しめる?」
祐樹さんは、私の言葉に驚いて私の方を向いた。目が合った彼の表情は、そんな事を思ってもみなかったと言わんばかりの驚きだった。
「そんなはず無いだろ? 夏樹がいてくれたから、思いとどまったよ。俺はこのまま浅沼の息子として大きな顔をしていていいのかって、何度も考えた。でも、あの時辛そうな顔で真実を告げた両親の気持ちを思った時、その真実を言わせたのは、俺のためだったんだと思い至ったんだ。あのままだったら、夏樹は俺から離れるつもりだったんだろう?」
私は、祐樹さんの言葉に、神妙に頷いた。すると彼は、安心したような笑顔を見せて、私を抱きしめた。「間に合ってよかった」と呟いて……。
それから私は、祐樹さんがいない間の病室での会話を簡単に話した。指輪の話で、祐樹さんは思い出したのか、ポケットからあの指輪を出すと、私の左手を掴んで持ち上げると、そっと薬指に嵌めてくれた。すんなり指に入って行くのを見て、彼は驚いたようだった。
「母さんが、その指輪を嵌めようとしたんだ。でも、嵌める事ができなかった。母さんの指の方が太いなんて言う事は無いと思うのに、目の前で指に入らないのを見たから、夏樹の指にすんなり入って、驚いたよ。やっぱり、その指輪は、不思議な力があるんだな。…と言う事は、夏樹が次の浅沼家の後継者を産むって言う事だよな」
そう言って祐樹さんはにやりと笑った。そして、私の手を握ると、真剣な表情をして「夏樹、俺の子供を産んでほしい」と言った。私は頬が熱くなるのを感じながら、「はい」と頷いた。
私達は手を繋いで、病室に戻った。私達の様子を見て、玲子おばさんも浅沼さんも雛子さんも喜んでくれた。そして、その日私は祐樹さん達と一緒に帰る事になった。帰る前に母のお墓参りに行きたいと浅沼さんが言ったので、母への報告がてら案内した。
母のお墓の前で手を合わす浅沼さんはどんな気持ちなんだろうと考えると、胸が苦しくなる。私は愛する人に、こんな思いはさせたくない。そして、私は彼を諦めなくて良かったと心底思った。
でも、祐樹さんに出会えたのは、お母さんのお陰。私を産んでくれて、指輪をきちんと私に伝えてくれたから……。お母さん、ありがとう。
*****
あれから私は、会社の上司と相談して、母が退院するまでの間、休ませてもらって付き添いをした。会社の閑散期だったお陰で無理を通せた。私は、せめてもの親孝行をする事ができて、玲子おばさんや佐藤のおじさんと、いろんな話ができて本当に良かったと思う。
玲子おばさんが退院した後、会社に戻ったけれど、結局、引き継ぎをするとすぐに退職をする事になった。祐樹さんが、お祖父さんの思惑でアメリカへ行く事になり、行く前に結婚する事になったからだ。
お祖父さんは、私の存在を知って、引き離すために祐樹さんをアメリカへ転勤させる事を決めた。しかし、浅沼さんはそれを逆手にとって、役員会で祐樹さんと私の結婚を発表すると、さっさと日程を決めてしまった。私達が呆気にとたれている間に、バタバタと時は過ぎ、駆け足で結婚の準備をすると結婚式を迎え、そしてアメリカへ立つ日がやって来た。私にとって、いろいろ考える間もなく過ぎて行ったのは良かったのかも知れない。
祐樹さんと結婚する事になった事を、何よりも喜んでくれたのは舞子だった。実は、母の入院先まで浅沼さん達が来てくれた日の帰り道、私はすっかり舞い上がって、浅沼さんが私の誤解についてどうして知っているのか聞き忘れていたら、浅沼さんが種明かしをしてくれた。舞子が私の事を思って、わざわざ浅沼さんの元を訪ねて、私が誤解しているだろう事を話したからだった。浅沼さんは、私の秘密をバラした舞子を責めないでやって欲しいと、念を押した。
どうして舞子を責められるだろう? 舞子のお陰で、私は祐樹さんと結婚できる事になったのだから……。舞子が話をしていてくれなかったら……、そう考えるとぞっとする。舞子の友情に、私はただただ感謝した。
2018.3.1推敲、改稿済み。