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#116:現実からの逃避行【指輪の過去編・夏樹視点】

長らくお待たせしました。

今回も2話分ぐらいの長さになってしまいました。

どうぞ、覚悟なさってくださいね。


今回も指輪の見せる過去のお話の夏樹視点になります。

前回のお話より時は少し戻って、「#111:悲しみの結末」の続きになります。


7月14日の二人の29歳の誕生日の日、夏樹は義父から、義母の事故を知らされ、故郷の入院している病院へ向かったところから……

 再びここへ来ようとは……思いもしなかった。

 できるなら、二度と来たくはなかった。


 玲子おばさんが入院したという市民病院は、母が息を引き取った場所だった。最後の母の様子を嫌でもリピートさせながら、夜間通用口へ飛び込んだ。夜間の受付で玲子おばさんの名前を言うと、五階のナースステーションで訊いてくれと言われ、エレベーターに駆け込んだ。


 エレベーターを降りると目の前がナースステーションだった。もう消灯時間も過ぎているので、病院の廊下は全体に薄暗く、ナースステーションだけが真夜中のコンビニの様に、煌々と明かりが点いていた。

 声をかけようと近づくと、後ろから名前を呼ばれた。


「夏樹ちゃん」

 振り返ると疲れた顔の佐藤のおじさんが立っていた。口角を少し上げて、いつもの優しい笑みを見せた。


「おじさん、玲子おばさんは大丈夫なの?」


「ああ、玲子は2時間程前に手術が終わって、病室で寝ているよ。トイレに行こうと出てきたら、エレベーターが開く音がしたから、夏樹ちゃんかと思って見に来たんだよ。玲子は骨折だけで命には別状ないから、心配いらないよ。それより、夏樹ちゃんを驚かせてしまったね。急いで来なくていいと言おうと思ったら、電話はすぐ切れるし、あの後、何度電話しても繋がらないし……。本当に心配したよ」


「心配かけてごめんなさい。携帯電話を切った途端、水の中に落としちゃってね。それで繋がらなかったの」

 電話が繋がらない理由を言うと、おじさんは驚いた顔をしながらも、「ははは…。それは災難だったな……」と笑った。

 そして、すぐ近くの病室を指差して、「その部屋だから、先に行っていてくれ。私はトイレに行って来るよ」と病室のドアの前で別れた。

 その部屋は二人部屋だったが、入口の所には玲子おばさんの名前しか表示されていなかった。そろりと引き戸を開ける。入り口側のベッドは誰もいないので、カーテンは開け放されていた。その向こうの窓側のベッドは、カーテンが引かれ、中の様子が見えない。そっと足音を忍ばせて近付いて行き、カーテンの開いているところから覗きこんだ。

 両足をギブスで固められ、ベッドに横たわる玲子おばさんの顔は、白くて血の気が無いように見えた。近づいて枕元へ立つと、静かに寝息を立てる玲子おばさんの顔を見下ろす。母のような頬のこけたやつれた顔ではない。あの時の死相の現れた母の顔が、何度もフラッシュバックする。目の前の玲子おばさんのふっくらした頬を見て、私は安堵の息を吐いた。


「運転席側の前の方が潰れて、足を挟まれた様になったんだ。右足の膝から下の骨折がちょっと酷かったらしい……。でもね、手術もうまく言ったし、リハビリで歩けるようになるらしいから、心配いらないよ。玲子は前向きな性格だから、リハビリも頑張ると思うしね」

 トイレから戻って来たおじさんが、眠るおばさんに気を使って小さな声でそう説明した。でも、私に心配かけまいとしているおじさんの優しさや心遣いが、辛かった。

 養子縁組したのに……。親子になったのに……。反対に気を遣われるばかりで、親孝行らしい事も何もしていない。 


 私が俯きがちに頷くと、おじさんは私の心情を読み取ったのか、少し辛そうな顔をした。そして、小さく息を吐いて、私を真っ直ぐに見つめると、優しく微笑んだ。


「夏樹ちゃん。私達はね、夏樹ちゃんの重荷になるために養子縁組したんじゃないよ。夏子さんの想いを引き継ぐために了解したんだよ。夏子さんも私達も、夏樹ちゃんの幸せを願っているんだからね」

 おじさんが私を諭すように言う。

 わかっている。分かっているの。……でもね、おじさん。私も母にできなかった親孝行を、おじさんやおばさんにしたいのよ。


「うん。わかっているよ、おじさん。でも、おじさんやおばさんが困っている時に、知らんふりする様な人間にはなりたくないの。取りあえず、一週間こちらに居るから。有給も残っているし……」


「夏樹ちゃん、ありがとう。結局夏樹ちゃんに世話をかけてしまうな。でも仕事に支障のない様にな。そうじゃないと、玲子も辛がるから……」

 私は返事の代わりに笑顔を返した。そして、玲子おばさんがよく眠っていたので、入院に必要な物も持って来るため、私達は一旦自宅へ帰って、明日の朝出直す事にした。


 

「夏樹ちゃん、そう言えば……、今日誕生日だったよね? 玲子が今晩電話するって言っていたけど、とんだ誕生プレゼントになってしまったな。すまないね」

 帰りの車の中でおじさんが思い出したように謝った。その時になってやっと自分も誕生日だった事を思い出した。


「ううん。もうめでたい年でもないし……。それに、おばさんには申し訳ないけど、こうして故郷へ帰って来られて、おじさんやおばさんに会えて、嬉しかったから……」


「夏樹ちゃんは、いくつになったんだったかな?」

 おじさんは私の言葉に嬉しそうな顔をして、めでたくないと言った私の年を聞いて来た。

 私はその問いかけに、一瞬唾を飲み込んで、運転するおじさんの方を見た。


「おじさん、私もう二十代最後の年なの……」

 はっきり年齢を言わずに、こんな言い方をする自分に、心の中で苦笑した。


「そうか……。夏樹ちゃんも、もう良い娘さんなんだな。こんなに優しい女性に育って、夏子さんも喜んでいるだろうな」

 おじさん、もう良い娘さんって……。それって、暗に結婚適齢期だと言う事だろうか?

 そんな事を考えて、胸が痛くなった。


 (祐樹さん……)

 

 おばさんの事故は辛いけれど、祐樹さんのいるあの街を離れられた事に、私はホッとしていた。このまま、帰りたくない。あの辛い現実にもう向かい合いたくないと、心の中で溜息を吐いた。


「おじさん、私、仕事を辞めて、こちらへ帰ってきたら、ダメかな?」


「えっ? 夏樹ちゃん、向こうで何かあったのか?」


「ううん。なんて言うのかな。都会の暮らしに疲れちゃったと言うか……、今日、こっちへ帰って来て、ここの空気がやっぱり私に合っているなーって思って……」

 嘘は言っていない……と思う。こっちへ帰って来た時、ここの空気に触れて、やっと胸の奥から深呼吸できた気分だった。


「そうか……。夏樹ちゃんの思うようにしたらいいよ。私達はいつでも夏樹ちゃんの味方だし、夏樹ちゃんを応援しているからね」

 想像していた通りの返事をもらい、苦笑しながらもホッとした。


 自分を無条件で受け入れてくれる人や場所がある事が、考える事さえ怖かった現実から、私を救い出してくれる気がして、今は全てを忘れて縋り付いてしまいたかった。たとえそれが現実からの逃避行でしかないと分かっていても……。


     *****


 翌日、おじさんが会社へ行く時に、少し早く出て一緒に病院へ行った。おばさんの着替えや入院に必要な諸々の物を持って、おじさんと病室へ入って行くと、玲子おばさんはベッドの背中部分を起こしてもらって、もたれて座っていた。


「おはよう。夏樹ちゃん、来てくれていたんだね。ごめんね、急にこんな事で……」

 玲子おばさんは情け無さそうな顔をして、ギブスに固められた両足を見つめた。


「何言っているの。おばさんの所為じゃないでしょう? それに、玲子おばさんには申し訳ないけど、帰って来る口実ができて、実は喜んでいるのよ」

 私はそう言って、ぺろりと舌を出して見せた。


「もぉ、夏樹ちゃんったら……」と、おばさんは情けない顔のまま笑った。


 おじさんが会社へ行ってしまった後、おばさんの朝食が配られたので、箸とお茶とおしぼりの用意をした。そして、おばさんが朝食を食べている間に会社へ連絡を入れようと、一階ロビーの公衆電話までやって来た。

 会社へ電話をして事情を説明し、今週いっぱい有給を使って休ませてもらう事を了解してもらった。そして、同じ仕事をしている後輩に、携帯を水没でダメにしてしまった事を話し、携帯を新しくしても、一日中病院に居るので電源を切っているから、連絡は自宅の電話の留守電に残してくれるようお願いした。


 病室に戻ると、玲子おばさんは食事を終えていたので、食器を返却し、後片付けを済ました。そして、両足をギブスで固められている玲子おばさんを、車いすに乗せてトイレへ行く。誰かを乗せて車いすを押すと言う事も初めてで、こんな風に入院している親の世話のできる事にさえ、喜びを感じる。母の時には手遅れで、病院にたどり着いた時にはもう意識も無くて、お世話さえもさせてもらえないまま、母は一人旅立ってしまったのだから。


 その日から、朝はおじさんが仕事へ行く時に病院へ連れて来てもらい、帰りはまたおじさんと一緒に自宅へ帰る。自宅へ帰ると料理・掃除・洗濯等の家事をし、又次の朝おじさんと一緒に病院へやって来る。そんな生活を繰り返して過ごした。

 昼間、玲子おばさんとお喋りしながらゆっくりと過ごす時間が、私を癒す。そんなふうに過ごすうちに、自分に起こったいろいろな事が、まるで夢だったような気がした。


「ねぇ、玲子おばさん。おじさんにも言ったんだけど、私、仕事を辞めてこちらへ帰って来てもいいかな?」


「えっ? 夏樹ちゃん、向こうで何かあったの?」

 おじさんとまったく同じ反応を返され、私は思わず苦笑した。そして、おじさんにした説明と同じ事を話した。すると、又おじさんと同じように、「夏樹ちゃんのしたいようにしたらいいのよ。私達は、いつでも夏樹ちゃんを応援しているからね」と、二人のブレない思いを聞いて、私は苦笑しながらも、心底ホッとして、凝り固まった想いもゆっくりと溶かされて行く思いがした。


「こっちへ来ても、仕事があるかな?」

 私は、仕事を辞めてこちらへ戻って来てからの青写真を頭に描き、つい口からこんな疑問が零れた。


「ん……職種を限定しなくて、正社員じゃ無ければ、あるかな。でも、今の収入の半分以下かもしれないよ」


「そうだね。再就職は難しいのかな……」

 現実問題、収入面で今の半分以下になるのは、大変な痛手だ。今更おばさん達の世話になるのも辛い。でも、ある程度は覚悟しなくちゃと、現実からの逃避で考え出した故郷へ帰ろうと言う甘えを引き締めた。


「ねぇ、夏樹ちゃん。再就職より結婚の方はどうなの? 付き合っている人はいないの?」

 玲子おばさんの、適齢期の娘に対する当たり前な問いかけに、何の答えも用意していなかった私は、一瞬言葉が出ず、きっと表情も強張ったに違いない。そんな私を玲子おばさんはどう思ったのだろう?


「いない、いない。結婚なんてまだ考えてないよ」

 そう答えるのが精一杯で、ポーカーフェイスなんてできない私の表情を見て、おばさんは何かを感じたのかもしれないけど、私は無理に笑って見せた。

 おばさんはもうそれ以上何も言わず、それ以降、結婚と言う言葉さえ、口にする事がなかった。


         ***


 火曜日の昼間、病院の近くの携帯ショップへ出かけた。水没した携帯を見てもらったけれど、やはりデータは取り出せなくて、新しい携帯電話を購入する事にした。最初は機種変更で、今までの番号を引き継ぐつもりだった。

 その時、ふと思い立った。

 このまま、携帯番号もメールアドレスも変えて、故郷へ帰ってしまえば、あの辛い現実にもう向き合わなくてもいいのじゃないかと……。

 これは、とても酷い裏切りだと分かっているけれど、そうやって憎まれた方が向こうも早く私なんかの事を忘れてくれると思い至った。

 水没したのは、きっとこうなる運命だったんだと、おばさんの事故さえも、全ては祐樹さんとは結ばれない運命だったからだと、自分に言い聞かせた。そして私は、新規で新しい携帯電話を契約した。


 私は新しい携帯の番号をおじさんとおばさん以外、誰にも知らせていない。舞子には知らせたかったけれど、あまりに祐樹さんに近すぎる彼女の立場を考えると、心の中で何度もごめんなさいと謝りながら、伝えない事にした。ある一定の期間が過ぎたら、きっと連絡するから許してと、私は心の中で謝り続けた。

 

          *****


 日々は穏やかに過ぎていった。玲子おばさんの足も、最初はギブスで固定された中で足が骨折のために腫上がって、かなりの痛みがあったみたいだけれど、だんだんと腫れが引くと共に痛みはなくなったようだった。

 車椅子での移動にも慣れ、もうしばらくしたら松葉杖での歩行練習を始め、本格的なリハビリが始まる。玲子おばさんは五十代前半だけれども、容姿も体力も精神もとても若いと思う。「早く元の様に歩けるように、リハビリ頑張るからね」と笑うおばさんは、私への気遣いからではなく、本心から言っているのだろう。

 それでも、おばさんの看護を理由に、もう少し休みを延長しようか、このまま会社を辞めてしまおうかなどと考えている自分がいた。


 金曜日の夜、実家へ戻ると留守番電話のランプが点滅しているのに気付いた。何かメッセージが入っていると、何も考えずにボタンを押した。


『上条舞子です。夏樹、お母様が事故に会われたと聞いて心配しています。一度電話をください。こちらの電話番号は………です』


 舞子……。

 きっと、会社でここの電話番号を聞いたのだなと思った。そう言えば、携帯番号を変えたのだから、繋がらなくて心配して会社へ電話をすることぐらい、予測がつきそうなものだ。自分の考えが足りなかった事に、腹が立った。

 舞子に携帯が繋がらなくなった事を訊かれたら? なんと答えればいい?

 会社へ電話したのなら、水没させた事を聞いているかもしれない。

 それなら、新しい電話番号を言った方がいい? どうして番号を変えたのかって訊いて来るかな?


 いろんな事が頭の中をぐるぐると駆け回って、しばらくぼんやりと突っ立っていた。おじさんに名前を呼ばれて我に帰ると、慌ててするべき家事のために体を動かし始めた。


 夕食を済ませ、洗い終わった洗濯を軒下に干して、お風呂から出て来た時には、もう夜の十時を過ぎていた。舞子に電話をするべきかと、しばらく逡巡した後、やはり心配をかけたまま放って置けないと、受話器を上げた。


「もしもし、舞子?」


「夏樹? あーよかった」


「心配かけたみたいで……。ごめんね」


「そうよ! いきなり携帯が繋がらなくなるから……。でも、お母様が事故にあわれたんだって?」


「うん……そうなの。でも、骨折だけで、心配する程じゃないから……」


「そう……、良かったわ。それより、夏樹、私に何か言う事があるんじゃない?」

 舞子のその言葉に、背中がゾクリとした。

 

(舞子は知っているの?)


「な、何かな? 携帯が繋がらなかったのは、水の中へ落としちゃって……」

 心臓がやけにドキドキと大きく打ち出した。声が少し震える。

 

(舞子、何を知っているの?)


「携帯の事は会社へ電話した時に聞いたわ。夏樹、分かっているんでしょう? それとも、もう私は夏樹の友達じゃないの?」

 舞子は私の心を見透かすように、じりじりと詰め寄る。


「あ、あの……」

 何を言えばいいの? 何から話せばいいの?

 あまりに多くの秘密を抱えてしまって、どれを話せばいいのか、途方に暮れた。

 なかなか話しださない私に呆れたのか、舞子は大きく溜息を吐いた。


「昨夜、祐樹さんが来たの」

 舞子の低い、怒りを抑えた様な声が響いた。

 

(ああ……祐樹さんは、舞子達に話してしまったんだ)


「ご、ごめんなさい」

 思わず謝罪の言葉を言ってしまった私を、もしも目の前に舞子がいたとしたら、きつく睨まれただろう。


「そんな謝罪の言葉を聞きたい訳じゃないの。それは、私には話したくないって事なの?」

 

「ええっ! そんな……。今まで舞子に話さなくて、悪かったと思っている。でも、片思いだったから……。舞子は祐樹さんに近過ぎて言えなかった。舞子に言えば、私のために気を遣ってくれるって分かっていたし、祐樹さんには彼女や婚約者がいたし……」

 舞子の怒った様な声を聞いて、私はしどろもどろになりながら、言い訳をした。


「ふーん、私ってそんなに信用なかった? 夏樹が誰にも言って欲しくない事なら、圭吾さんにも祐樹さんにも黙っているよ。夏樹がそんな思いを抱えていたなんて、何も気づかなかった自分が馬鹿みたい……」

 舞子が拗ねた様に言うのを聞いて、私は焦った。


「ち、違うから。あの頃は、舞子が圭吾さんから研究を取り上げたくないって、悩んでいる時だったし、私は祐樹さんの事忘れようと高田君と付き合う事にしたし、その後も舞子達の婚約パーティで、祐樹さんが結婚するって聞いたから、余計に言えなくなってしまったの……」


「ええ? 夏樹……そんなに前から祐樹さんの事、好きだったの? 祐樹さんの事好きだったのに、高田君と付き合ったの?」

 あ……余計な言葉で言ってしまったと、電話なのに自分の口を手で押さえた。

 もうここまで言ってしまったんだから、開き直らないと……。


「高田君に付き合って欲しいと言われた時、好きな人がいるからって言ったんだよ。でも、片思いでもう忘れようと思っているって言うと、それなら忘れるために自分を利用してって言われて……」


「そっか……。それでも忘れられなかったんだ。それで、高田君からのプロポーズも断ったんだね。夏樹が正直に話してくれなかった事、悲しかったけど……、私も自分の結婚の事で一杯で、夏樹が辛い思いしていたのに気付いてあげられなくて、ごめんね」

 怒っていた筈の舞子に謝られて、反対に恐縮してしまう。何も言わなかった私が悪いのに……。舞子はこんな私でも許してくれるの?


「いや、いや、いや、私の方が謝らないと。何も言わなくて、本当にごめんね」


「ううん。夏樹の性格はわかっているから。でも、正直なところ、祐樹さんから話聞いた時はショックだったけどね。まあそれで、夏樹の片思いは両想いになって、祐樹さんからプロポーズされて……。夏樹が幸せなら、私に話してくれなかった事は許すよ。それよりも祐樹さんが、夏樹がいなくなったって、とても心配していたから、早く連絡してあげて。携帯のデータが消えたから、祐樹さんにはまだ今回の事話していないんでしょう?」

 祐樹さんに連絡……。今更連絡を取ってどうするのだ。

 舞子は何も知らないから、そう言うのも仕方ないよね。でも……。


「言わないで」

 私の口から零れたのは、舞子の望みを否定する言葉。


「えっ?」


「祐樹さんには、このまま私の事は言わないで欲しいの」

 今の舞子にこんな事を言うのは、舞子のくれた許しを裏切るものかもしれない。

 せっかく私が幸せになるのなら、話さなかった事は許すと言ってくれたのに……。


「どうして? 夏樹……、祐樹さんが浅沼グループの御曹司だから?」

 ああ、聞いたんだね? 舞子。そう、その理由なら、皆が納得してくれる。


「そうだね……」

 そう、そう言う事にしておこう。それ以上の理由なんて、言えるはずが無いのだから。


「祐樹さんのご両親に会いに行った時、祐樹さんが社長の息子だと知って、ショックで気を失ったんだって?」

 そんな事まで話したんだ。


「う、うん」


「夏樹はお母さんとの約束が気になるの?」

 母との約束……お金持ちとは恋愛するな。今となっては、そんな事、もう関係ないけど……。


「そう、母の辛かった恋を思うと、裏切れない……」

 もう、そう言う理由で納得してもらいたい。


「夏樹……、夏樹とお母さんは違うよ。お母さんは相手の親に反対されたけど、夏樹は祐樹さんのご両親に気に入ってもらえているんでしょう? だったら、何の障害も無いじゃない」

 舞子の言う事は正論だ。相手の親が歓迎してくれているのなら、私達の結婚には障害はないよね。

 そう、それだけなら……。

 何と言えば舞子は納得してくれる?


「とにかく、しばらく考えたいの。祐樹さんにはいずれ連絡するから……」

 舞子を納得させられる言い訳も思いつからないから、取りあえずこの話は終わらせようと、強引に話を締めくくろうとした。


「夏樹……考えるって、何を考えるの? 祐樹さんと結婚したくないの? 夏樹は祐樹さんのバックにある物が嫌だと、祐樹さんまで嫌になるの? 今の夏樹の話を聞いていると、結婚に対して前向きに考えて無いでしょう? それでいいの? 今まで諦めきれずにいた片思いの相手に、プロポーズされたんだよ。それなのに、祐樹さんが御曹司だと言うだけで、簡単に諦めちゃうの?」 


(諦めたくないよ! でも、でも……無理なの!)


 心の中で私は叫んでいた。


「そんな……」

 ことないと言おうとして、飲み込んだ。


「ねぇ、夏樹。どうして? どうして、祐樹さんに連絡したくないの? 祐樹さんが心配している事はわかっているのに、どうして祐樹さんに何も言わないの? まるで祐樹さんから離れようとしているみたいだよ。他に何か理由があるの?」

 舞子の畳み掛ける様な問いに怯んだ。そして、最後の問いに、心が震えた。


 『他に何か理由があるの?』


 舞子が気付くはずは無い。何も思わずに問いかけた言葉だよ。

 私はしばらく返す言葉を失くした。


 




 


2018.2.28推敲、改稿済み。

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