#112:消えた恋人【指輪の過去編・祐樹視点】
お待たせしました。
いつもたくさんの人に読んで頂き、本当にありがとうございます。
今回もお楽しみ頂けたら、嬉しいです。
今回は、指輪の見せる過去のお話の、祐樹視点になります。
前回のお話から少しだけ時間が戻って、浅沼家からの帰り、夏樹を自宅へ送って来た祐樹。
夏樹のマンションの前で、夏樹が車から降りて走り去って行ったところから、始まります。
「クソッ」
そう言うなり、俺はハンドルをバンと叩いた。
さっきまで隣にいた夏樹が、俺を拒絶するように走り去ったのを見て、言いようのない怒りが込み上げて来た。
親父の所為だ。ただでさえショックを受けて気を失った夏樹を、益々追い込んだのは親父だ。
いったい親父は夏樹に、何を言ったんだ?
やっと夏樹をこの手に抱きしめられたのに、何があんなに彼女を変えてしまったのか?
俺が浅沼だからか? 本当にそれだけで、彼女はあんなに拒絶するのか?
俺はそこまで考えると、何としても親父に訊き出さなければと、再び実家への道を戻る事にした。
「あら、祐樹。忘れ物? 夏樹ちゃんは?」
再び舞い戻った俺を迎えたのは、能天気なお袋の言葉。俺が再び実家へ戻ってリビングへ入っていくと、二人はソファーで紅茶を飲んでいた。
「父さんに訊きたい事がある」
俺はお袋の質問を無視して、親父を睨むように言った。そして、親父の向かいにあるソファーに座った。お袋は俺の分の紅茶を用意すると、親父の隣に座った。
「なあに? 祐樹、怖い顔して」
お袋は事情を知らないにせよ、こちらの怒りを余計に助長させる。
「母さんは黙っていてくれないか」
俺はお袋をギロリとにらみつけた。お袋は「はい、はい」と言いながら首をすくめて見せた。
「祐樹、訊きたい事って? 夏樹ちゃんの事か?」
「そうだよ。さっき二人で話した時、何を話したんだよ? 夏樹は少し怒っていたみたいだったし……」
「いや、最後まで話しをできなかったんだ。おまえが言うように、夏樹ちゃんを怒らせてしまったようで……」
親父は生気の無い顔で、焦点が定まらないような目をして言った。
「夏樹に何を言って怒らせたんだよ? 指輪がどうとか言っていたけど、まさか夏樹の持っていた指輪が、浅沼家に伝わる指輪だと言うんじゃないだろうな?」
親父は、さっきまで彷徨っていた視線を俺に向けて目を見開いた。同じように母親も俺の方を見て「浅沼家に伝わる指輪?」と呟いた。
「やっぱりそうか。夏樹が持っていた指輪を浅沼家の指輪だと言って、どうして手に入れたのか聞き出そうと責めたんだろう? 確かに良く似ていたけど、夏樹が持っているはず無いだろう? 父さんもちょっと考えたら、分かるだろうに……」
「ああ、そうだな。夏樹ちゃんに悪い事したよ。祐樹、これ、夏樹ちゃんに返しておいてくれないか?」
親父はそう言いながらズボンのポケットから、チェーンに通した指輪を取り出した。すかさずお袋はその指輪を「ちょっと見せて」と手に取った。
「へぇ、この指輪は浅沼家の指輪に似ているのね? お義母様が、祐樹に指輪の写真を見せて、覚えろって良く話していたわよね。私はしっかり見てなかったから覚えていなかったけど……。こんな感じの指輪だったんだ……」
お袋はそう言いながら、じっくりと指輪を見ている。そして、チェーンから外すと、自分の指に嵌めようとしていた。
その様子に驚いた俺は「母さん、勝手に人の指輪を嵌めるなよ」と、指輪を取り上げるために手を伸ばしかけた。丁度同じ時、親父も「その指輪を嵌めるな」と語気強く言い放った。
お袋も同時に、「あれ~」と声を上げた。そして次の瞬間、俺と親父からの咎める言葉に驚いて顔を上げると、照れたように告白した。
「絶対嵌められる太さだと思ったのに、入らなかったの。夏樹ちゃんって指が細いんだね?」
「ああ、そうだろ。夏樹の指は細いんだよ」
そう言いながらお袋の指を見る。お袋の指も夏樹と代わらない細さなのに……。
ふと前に座る親父の方に視線を移したら、お袋が持つ指輪を凝視したまま、青い顔をしている。
「父さん、どうかした? 顔色悪いよ」
心ここにあらずの様な親父は、俺の問いかけにやっと我に帰り、こちらを見た。
「あ、ああ……何でもないよ。朝から会長に呼び出されて、神経使った所為で疲れたのかな。少し休んで来るよ」
そう言いながら、親父がふらりと立ち上がり、階段の方へ歩いていった。
その後ろ姿を見送ると、お袋の方を向き直り、お袋の手にある指輪を取り上げた。
「夏樹に返しておくから……」
「夏樹ちゃん、いつもと様子が違ったけど……、祐樹が浅沼の息子だと言う事を受け入れられないのかしらね?」
「そうだろう? 気絶するぐらいだから……」
俺はなおざりに答えながら、立ち上がった。お袋はそんな俺を見上げながら、優しい笑顔を向けた。
「すぐには無理でも、時間をかけて話し合って、お互いに歩み寄っていくしかないわね。大丈夫よ。夏樹ちゃん、あんなにあなたの事を想い続けていたんだもの。祐樹も短気になったらだめよ。お祖父様がどんなふうに攻めてくるかもわからないし……。しっかり夏樹ちゃんを守りなさいよ」
最後は真面目な顔になったお袋は、言い終わるとニッコリと笑った。
「ああ、わかっているよ」
わかっているさ。……でも、今の夏樹の心はどこを向いているのだろう? もう俺の方は向いてくれないのじゃないかと、嫌な予感が頭をかすめたが、すぐに打ち消した。
その夜、自宅へ戻った俺は、ソファーに座ってぼんやりと思い返していた。
夏樹から渡されたプレゼントは、開けて見る気にもなれなくて、テーブルの上に放り出したままだ。俺が用意したプレゼントも、結局受け取り拒否された様なものだし……。
どうなっていくのかな? 俺達……。
俺は、親父から預かった夏樹の指輪をポケットから取り出した。
夏樹は、自分の指輪が浅沼家の指輪だと言われて、どうしてこの指輪を持っているんだと責められて、泥棒扱いされたと思って、怒ったのじゃないだろうか? それでやけになって、この指輪はお返ししますなんて言ったのだろうな。自分の指輪なのに……。前に俺が見た指輪とは違うと言っていたけど、よく似た指輪をいくつも持っているのだろうか? あまりアクセサリーに凝るタイプには見えないけど……。
そして俺は、この指輪を預かっている事を夏樹に伝えてやろうと思い、夏樹の携帯に電話をかけた。
本当は、指輪は口実で、そろそろ夏樹も気持ちが落ち着いている頃かなと思い、いつもの夏樹の声が聞きたかっただけだけれど……。
『この電話は電源が切れているか、電波の届かない所に……』
俺はメッセージの途中で電話を切った。
夏樹……電話の電源を切っているのか? 俺から電話がかかるのが嫌だとか?
もう一度、電話をしてみたが、結果は同じだった。
今の俺は、どんどんとマイナス思考になっていく自分を止められそうになかった。
****
7月15日月曜日。
誕生日の翌日、社長室へ行くと、まだ昨日の愁いを引きずったままの様な表情をしている親父がいた。
「祐樹、昨日の夏樹ちゃんの指輪は、もう返したのか?」
親父は昨日夏樹にした事を、相当後悔しているのか、こんな事を訊いて来た。
「いや、まだだけど……どうして?」
「少しでも早く返してあげて欲しいんだ。指輪をわざわざチェーンで身につけているぐらいだから、きっといつも付けていたんじゃないかな? 手元にないと不安だと思うんだよ」
そういうものかな? と、嫌に心配する親父に、妙な違和感を覚えた。
その夜、いつもよりは早い時間に帰らせてもらって、夏樹に指輪を返しに行こうと思った。親父に言われたのもあったけど、なんとなく夏樹の顔を見ないと落ち着かない様な不安が、心の中で膨れ上がって来ていた。
仕事が終わった後、夏樹に電話を入れた。しかし、昨夜と同じメッセージが流れるだけだった。それは何度かけても同じだった。
まだ電源を切っているのかな? 怒っているのか、俺から離れようとしているのか……。
取りあえず夏樹のマンションまで来て見ると、部屋の灯りはついていなかった。まだ帰っていないのかと、しばらく待ってみようと思った時、秘書からの電話で会社へ戻る事になった。もう一度明日の夜出直そうと、心を残しながらその場を離れたのだった。
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7月16日火曜日。
今日は、スケジュールが入っていて、早く帰れそうになかった。どうしようかと思いながら、少しでも早く終わればと思いながら、仕事をこなしていく。夜、時間が空いた隙に夏樹に電話をしてみた。
『この電話は現在使われておりません……』
一瞬、電話番号を間違えたかと思ったが、記憶させた番号だから間違うはずも無く、信じられなくて、何度もかけ直してみたが、結果は同じだった。
………夏樹は俺との繋がりを切ったのか?
信じられなくて、無理を言って時間を貰い、夏樹のマンションまで行く。しかし、昨夜同様、部屋の灯りはついていなかった。インターホンも押してみたが、何の反応も無かった。
まだ、帰って無いのか? 昨夜も遅かったのか、いなかったし……。でも、今日はもう九時を過ぎている。こんなに遅くなる事があるのだろうか? 週末でもないし……。
まさか……、引っ越したのか?
俺の前から消えようとしているのか……?
その時思い出したのは、親父の結婚前の恋愛の事。祖父さんが相手の女性に身を引くように言ったら、親父に黙って姿を消したと言う。
まさか……、祖父さんは夏樹の存在を知っていたから、夏樹に何か言ったのか?
そう思うと、もうそれしかない様な気がして、俺は会社に戻ると会長室へ飛び込んで行った。俺がノックもせず勢いでドアを開けると、驚いた顔をした会長と秘書の足立さんと、そしてなぜだか社長である親父がいた。皆目を見開いて俺を見つめている。一瞬躊躇したが、ズカズカと中へ入っていくと、立派な机を前にして座っていた会長の前に進んだ。
「祐樹、ノックもせずにどうしたんだ?」
会長は少しとがめる様な声で言う。親父は怪訝な顔をして俺を見ていた。
……白々しい。何も知らないフリをして……。なんと言って夏樹を納得させたのか分からないけど、今の夏樹なら、簡単に見を引くだろう。
「お祖父さん、何をしたんです? 彼女に何を言ったんですか?」
俺がそう言うと会長は呆けた様な顔をした。同時に、親父が近づき、俺の肩を掴んで振り向かせようとする。
「祐樹、会長に何を言っているんだ。ここは会社だぞ」
親父のその言葉を、俺は無視して、親父の手を振り払うと、又会長に詰め寄った。
「お祖父さん、お父さんの時と同じで、彼女に身を引くように言ったんですか?」
俺は、会長を睨みつけた。しかし、会長は訳が分からない様な顔をして、「彼女?」と呟いた。
「祐樹、聞きなさい。会長は何も知らない。何があってそんな事を言うんだ?」
又、親父が割り込んで来て、俺に強い調子で問いかける。
……会長は知らない? そんな事あるか!
「お父さん、夏樹がいなくなったんです。携帯も解約されているようだし……。黙っていなくなるなんて、会長が彼女に何か言ったに違いない」
俺は親父に事情を説明すると、又会長の方に向き直った。すると、会長はいきなり笑いだした。
「はははは。何を言いだすかと思ったら……、やはりおまえは佐藤夏樹と付き合っていたんだな。それで、彼女に振られた事を、私の所為にするのか? 私は何もしていない。彼女が自分の意思で、おまえの前から姿を消したんだろう? おまえに愛想が尽きたか、浅沼の偉大さに身を引いたのか。おまえはイギリスにいる頃から成長しとらん様だな。呆れたよ」
2018.2.24推敲、改稿済み。