#10:君の名は【指輪の過去・夏樹視点】
今回も指輪の見せる過去のお話です。
引き続き、夏樹26歳の9月の終わり頃のお話。
その男は、驚いた顔をした後、私の怒りに怯んだのか、ちょっと情けない顔をした。しかし、すぐに真面目な表情で、優しく話しかけてきた。
「怒らせたのなら、謝るよ。友達の事が心配でね。それでつい意地悪な事を聞いてしまったよ。アイツはとても女性には奥手で、ずっと勉強や研究ばかりしてきた奴なんだ。だからと言って付き合いが悪い事も無く、男友達とはワイワイと楽しくできるし、とても友達思いな奴なんだ。だけど、どうにも女性に対して免疫が無いと言うか、初心というか。今回の降って湧いたようなお見合い話に戸惑っているから、僕も一緒に来たって訳。アイツは、上条電気の御嬢さんに対して、僕がさっき言ったような事は思ってないから。本当に悪かったよ」
あまりに素直に謝られたので、怒りのやり場がなくて戸惑ってしまう。
この人は友達思いの人なんだ。この人のお友達が、この人の言うような人だったら、舞子に合うかもしれない。お金持ちの遊びまわっているようなボンボンだったら、舞子にはお勧めできないと思っていたから。
「私の方こそ、ちょっと興奮してしまってすいませんでした」
私は真面目に謝ってくれた彼の態度に、急に自分が初めて会った人に怒りをぶつけた事が恥ずかしくなった。
「いやいや、元はと言えば僕が君を怒らせるような事を言ったから。これで、さっきの事は許してくれるかな?」
そう言って、私の顔を覗き込んだ彼の笑顔は、眩しすぎて目眩がしそうだった。
(本当に、こんな人が存在するんだ)
あまりに理想に描いた通りの笑顔の持ち主。友達思いで、きっと優しい人なんだろう。
自分の中で勝手な妄想が、目の前の彼を理想の人に仕立て上げる。
だけど、所詮この人もお金持ちのお坊ちゃまだろう。私とは住む世界の違う人。一目ぼれなんてしている場合じゃない。
「はい、お互い様です」
私はそう言って、精一杯の笑顔を向けた。
「ところで君は、どちらのお嬢様なんだい?」
(!!! こんな所にいたら、そう思われるんだ。どうしよう)
一瞬悩んだが、お嬢様なんかじゃないんだから正直に言うしかないと、腹をくくる。それで、場違い、対象外と思われたって、所詮住む世界が違うのだ。
「私はお嬢様なんかじゃないです。ただのOLです」
彼の驚く顔を見るのが辛い。仕方ないとは言え、私はシンデレラの気分だった。
「一緒だね。僕もただのサラリーマンさ」
そう言ってニッコリ笑った彼は、ポケットの中から出した1枚の名刺を私に差し出した。
「高藤化学工業株式会社 営業部 杉本祐樹……さん?」
名刺を読み上げて、尋ねるように彼の顔を見上げれば、笑顔のままコクリと頷いた。
「それで、君の名前は?」
(また、名前だ。やはり、言わない訳にはいかないよね)
「佐藤です」
「佐藤……、何? 下の名前は?」
やはり、フルネームで言わなければいけないのだろうか。こんなにお金持ちの集まる所で、言いたくなかった。
「あの、母が知らない人に、下の名前を言うなと言われているので」
「何それ? 君、小学生?」
私の返事に驚いた顔をした後、また笑って聞いてくる。
(そうだよね。こんな返事で納得する人いないよね)
しばらく俯いて逡巡していると、彼が何か思いついたように、悪戯っぽい顔をして口を開いた。
「それじゃあ、僕が君の名前を当ててみようか?」
「え? まさか……」
「当てたら僕のお願いを一つ聞いてくれる?」
「えっ? お願い? お願いにもよりますけど」
(何考えているの、この人! 全く読めない人。だけど、憎めない人。名前当てるなんて無理でしょ)
「もし、当てたら、君の連絡先を教えてくれる?」
「……」
「返事が無いのなら、OKだとみなすよ。それで、いくつまで名前言っていい?」
「いくつって?」
「だって、1個しか言えないんじゃ、当たる確率無いのと同じでしょ。せめて、5つぐらい言わせて。いや、10個ぐらい」
(この人、子供みたいだ。何歳なんだろう? 同じぐらいだろうか? それにしても、そんなに簡単に当たるはずが無いのに)
「10個でいいですよ」
私は彼の無邪気さに笑って答えた。
「それじゃあ、美緒?」
「ブー」
「麗香?」
「ブー」
「紗耶加? 結衣? 明日香? 菜々美? 留美? 千夏?」
私は彼が名前を言うたび、首を振り続けた。そんなに簡単に当たる訳が無いと思いながらも、次から次へと女の人の名前がよく出てくる事に驚いた。
「もしかして、今までの彼女の名前とか?」
すると彼は、ニヤッと笑って「遠からずってとこかな?」と言った。
(やはり外見のいい男は女たらしだ! どんなに理想通りの外見でも、惑わされちゃダメだよ、夏樹!)
「夏美?」
一瞬「なつき」と聞こえた。驚いた顔をした私に、「当たった?」と聞く彼。
「もう一度言って?」
「だから、な・つ・み?」
「ブーー!!」
「なんだよ!違ったのか?でも、近いみたいだな?」
「違うわよ。今度で10個目だからね」
私はいつの間にか彼のペースに巻き込まれ、ため口で話していた。
「それじゃあ、最後は……、な・つ・き?」
「え?」
(どうして……)
でも、ここで違うとシラを切り通せない真面目な私。
「もしかして・・・当たり?」
私は困惑した顔のままゆっくりと頷いた。
「もしかしたら、僕の友達と君の友達が結婚するかもしれないから、うまく行きそうだったら、二人で応援しないか? そんな時にまた連絡できるといいと思ってさ」
私達は連絡先を交換した後、彼はあの心癒される笑顔で言った。
(それは、連絡先を聞いた言い訳? それなら、あんな風に名前を当てなくても良かったのに)
初めて自分の携帯に、仕事以外の男の人の名前が登録された。それだけの事が、なんだかとてもドキドキする。シンデレラのように、ガラスの靴の代わりに携帯番号を残して、今夜のパーティの魔法は消えてしまうのか。王子様がガラスの靴でシンデレラを探したように、彼は私に連絡をするだろうか?
「それじゃあ、いろいろありがとう。友達たちがうまくいくと良いね」
彼はニッコリ笑って、背を向けて遠ざかっていく。私は彼の後ろ姿を見送りながら、まだドキドキする胸を両手で押さえた。
2018.1.26推敲、改稿済み。