#105:真実の行方【現在編・夏樹視点】
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
今回は、現在編の夏樹視点です。
祐樹が女性とイギリスへ行ってしまって、どうなったのか?と言う所の続きなのですが、トリップから目覚めた彼女の頭の中に占めていた事は……
どうぞ、お楽しみくださいね。
ゆるゆると意識が覚醒して行く。
瞼を通して明るさを感じた。
もう、朝?
ぼんやりした頭で記憶を手繰り寄せた。
………うっ……。
蘇って来たのは、大きな不安感。
焦る、焦る……。この不安は何?
ゆっくりと目を開けて行く。目に映ったのは見慣れた天井。
私の部屋だ。
今何時?
手を伸ばして目覚まし時計を掴み、時刻を確かめる。
午前9時18分……。
デジタルの電波時計は正確な時刻を表示していた。
そして、脳裏に蘇ったのは、浅沼さんとお母さんの事。
あれは……、現実? トリップ? トリップはいつも、真実を見せてくれる。
やはり……?
こ、これは、とんでもない事だ。真実なら……、私はどうすればいい?
それに…、…私と祐樹は……。それ以上考える事を心が拒絶した。
でも、このままではいけない。確かめなくては……。
私は、ある決心をして舞子に電話をかけた。そして、お願いしたい事があるからと、今から舞子の家を訪ねる了解を得た。
鏡の前で化粧をしながら、右手に嵌めた指輪を見る。
ねぇ、私に勇気をください。真実を受け止める勇気を……。
***
「舞子、ごめんね。急に無理を言って。皆家にいるのに……」
私は、自分の事で頭が一杯で、舞子の家の事情まで気が回らなかった。もう、子供達は夏休みなのだ。それに、今日は土曜日だから、圭吾さんもお休みで家にいた。
「いいのよ、気にしないでね。圭吾さんが子供達を見ていてくれるから……」
私達は客間用の和室で、座敷机を挟んで向き合った。机の上には舞子が出してくれたアイスティが置かれている。
「あのね、……あの、……圭吾さんのお父さんに直接訊きたい事があるの。会ってお話ができるように話してもらえないかな?」
私は恐る恐る話を切り出した。
まずは母の恋人が浅沼さんだったのかどうか、確かめなくてはと思ったから……。
でも、本人には聞けるはずもない。
それなら……、今思いつく人は、この人しかいなかった。
「夏樹……。お義父様にはいくらでも話を付けるけれど、その前に理由を教えてくれないかしら?」
そうだよね。何も訊かずにと言う訳にはいかないよね。
私は覚悟を決めて口を開いた。
「あのね、トリップで、私の父かも知れない人が分かったの。それで、確かめようかと……」
「ええ? 本当に? 誰なの?」
「舞子、驚かないでね? と言っても、驚くと思うんだけど……。実は、……浅沼コーポレーションの社長なの」
「えっ、浅沼コーポレーションの社長って……。もしかして、祐樹さんのお父さんじゃ……」
舞子はそこまで言うと、口を手で押さえた。叫びそうになったのを防いだのか、代わりに目が大きく見開かれた。そして、小さく「嘘……」と呟いた。
私は嘘じゃないと言う意味で首を左右に振った。
「わ、わかった。でも、夏樹がお義父様に会って何と訊くつもりなの?」
「確かめたいの。母の恋人だった人が、本当に浅沼社長なのか……」
「で、でも、それを確かめてどうするの? もしも、そうだったら……、夏樹……」
舞子は又口を手で押さえて、目を潤ませた。
舞子の言いたい事はわかる。
私も心の中で、それ以上考えられないから……。
でも、心はどこか冷めていて、きっと、これを現実だと受け止めきれていないからだ。
「確かめないと、取り返しのつかない事になるから……」
私はようやくそう答えた。舞子は怯えたような眼差しで私を見返す。
「夏樹……。でも、お義父様に、御堂夏子さんの娘だと話すの?」
「うん。仕方ないかなって……。そう言わないと、答えてくれないんじゃないかな?」
「でも、それじゃあ、お義父様にその恋人だった人の娘だと分かってしまうんじゃ無いの? それに、母親の名前を聞かれた時、違う名前を言ったんでしょう?」
そうだった。玲子おばさんの名前を答えたんだ。それに、娘だって分かるかな?
「じゃあ、私のおばさんって言う事にしたらどうだろう? それなら、母の名前が違うのは当たり前だし……」
「そうね……でも、なぜそんな事を訊くんだと言われたら、どうする?」
「その辺は少し考えがあるの。私に任せて」
そう言う私を不安そうに舞子は見つめたが、私が真っ直ぐな目で見つめ返したので、「わかった」と答えてくれた。
「じゃあ、今から連絡取ってみる。少しでも早い方がいいでしょう?」
そう言って、舞子は部屋から出て行った。
そうだ、少しでも早い方がいい。浅沼さんが御堂夏子の娘だと知る前に……。
舞子が戻って来ると、今日の午後二時に圭吾さんの実家を訪ねてお父様にお会いする約束を取り付けてくれた。圭吾さんには内緒なので、舞子が用事を作って、約束の時間の前に私を迎えに来てくれると言う。何から何まで舞子には世話になりっぱなしだ。
「舞子、ありがとう」
私は、少し顔を緩めてお礼を言った。すると舞子は「何言っているの。友達じゃないの」と笑ってくれた。
この五年間も、私には何も言わずに、ずっと私の恋を応援してくれていた舞子。もしかしたら、舞子の応援を無駄にする様な結果になるかも知れない。だけど友情だけはここにある。
そう思ったら、熱い物が込み上げて来て、鼻の奥がツーンとなった。私は誤魔化すようにふにゃりと笑って見せた。
*****
私と舞子は高藤邸を訪れて、圭吾さんのお父さんの書斎を訪ねた。あいさつをして、舞子が私を紹介してくれたら、「この前、祐樹君と一緒にいた人だね?」と笑顔が返って来た。
「今日は無理を言ってすいません」
「いやいや、かまわないよ。今日はどんな話があって来てくれたのかな?」
優しく微笑む様は、圭吾さんと良く似ていた。
「あの……、前に舞子がいろいろ尋ねたと思うんですが……、御堂夏子は私の叔母なんです」
高藤さんは、驚いた顔をしたが、なるほどと頷いた。
「舞子さんは、あなたと御堂さんは他人の空似だと言っていましたが……」
「すいません。私が口止めをしていたので。それで……」
「もしかして、写真を見に来てくれたのかな?」
思ってもみなかった言葉が返って来て、拍子抜けしてしまった。
「いいえ。いや、写真を見せて頂けるのなら、見たいです。でも、今日はその話では無くて……。あの、御堂夏子の昔の恋人について知りたいんです」
私は、やけくその様に言いきった。
高藤さんは、一瞬目を見開いたが、すぐに目を細めて、私がそんな事を言った真意を確かめようとするかのように、私を見つめて来た。
「なぜ? と訊いてもいいかな? それから、何を聞きたいの?」
最初に感じた優しい雰囲気が消え、顔には笑みが張り付いているのに、目は鋭く私を観察している。
私はこの人から、望む答えを引き出せるだろうか。
「理由は言えません。でも、あの、御堂夏子の恋人は……、浅沼雅樹さんじゃないんですか?」
私は先制攻撃で、相手の反応を見ようと思っていた。そして、高藤さんは最悪の予測通りの動揺を見せた。私の隣に座っていた舞子にも何も言っていなかったので、舞子も驚いて「うっ」と言うと口を手で覆った。
「き、君……。なぜ……、浅沼だと思うんだね?」
高藤さんは動揺を隠せないまま、私の質問に答える事無く、質問返しをして来た。しかし、私は彼の質問に答えずに、立ち上がった。答えは分かった。もうこれ以上は何も話せない。
「ありがとうございました。この事は、どうか浅沼さんには黙っていてもらえませんか? ずっとだとは言いません。せめて一ヶ月の間だけ、誰にも言わないでください。よろしくお願いします」
頭を下げる私の横で、「お義父様、ごめんなさい。いろいろありがとうございました」と舞子も頭を下げた。
高藤さんは、呆然としていた。何を言われているのか分かっているのかどうか。
私達が、部屋から出ようとした時にやっと、我に返って口を開いた。
「佐藤さん、私はお役に立てたのかな? いずれまた、理由を話せるようになったら、教えてください。浅沼には、今は言わない方がいいのですね。……でも、あなたの叔母さんが昔、浅沼の恋人だったとしても、あなたと祐樹君には、何も関係ありませんよ。いろいろ考え過ぎない様にね」
高藤さんの優しい言葉に、私は振り返ってもう一度頭を下げた。
帰り道、舞子に謝った。舞子の嫁としての立場を悪くしてしまったのじゃないかと心配になった。
「いいのよ。お義父様はあんな人だから、他言はしないわ。信用できると思う」
「いいえ、舞子の立場を悪くしたと思うから……。あんな失礼な物の言い方をしてしまったし……」
「いいの、いいの。きっと次に会ったら、お義父様はケロッとしていらっしゃると思うわ」
「本当にごめんね……」
「私の事はいいのよ。それより、夏樹の方よ。どうするの?」
頭がその事を考えるのを拒否しているようで、今は何も考えられない。
「どうしたらいいかな? でも、浅沼社長には知られたくない。祐樹にも……。黙って消えたらダメかな?」
本当に消えてしまいたい。ずっと思い続けてくれた祐樹にも、申し訳なくて、別れの言葉なんて言えない。
「黙って消えるって……、何を考えているのよ。まだ、浅沼社長がお父さんと決まった訳じゃ……」
「舞子、あのね、母が言っていたお父さんの事は、全て浅沼社長に当てはまるの。それに、母は一度好きになった人をずっと思い続ける様な人だから、あの頃の恋人以外の人の子供とは考えられない」
「じゃあ、浅沼社長は夏樹のお母さんと、祐樹さんのお母さんの二股をしていたと言うの?」
私は思わず運転する舞子の横顔を見た。
自分でその事を考えていたくせに、他の人に指摘されると、ぐさりと胸に刺さった。
「私だって信じたくないよ。浅沼社長も奥様の雛子さんも、とてもいい人なのに……。私と祐樹が同じ誕生日だと言う事は、そう思うしかないじゃない」
私はいつの間にか涙声になっていた。
「夏樹……ごめんね。私に何かできる事があったら、また言って。何だってするから。だから、早まった事は考えたらダメだよ」
いつの間にか車は私のマンションの前に停まっていた。舞子も涙声だ。
「ごめん、舞子。散々お世話になっておきながら、いろいろありがとう。しばらく一人で考えたいから……。又どうするか決めたら、舞子に連絡する。変な事は考えないから、大丈夫だからね」
もうこれ以上、舞子に心配をかけられない。結局は自分で決めないといけないのだから……。
私は車から降りると、ぼんやりと舞子の車を見送った。すぐ傍の路地に黒塗りの車が停められて、様子を窺っていた事に、この時の私は何も気付かなかった。
2018.2.20推敲、改稿済み。